78.夏の始まり
いつからだったか、とっ散らかっていたこの自室を、いつも綺麗に保つようになった。
物が少ないわけではなく、綺麗好きなわけでもない。ただ、好きな女の子が毎日のように部屋に訪れるから、こまめに掃除するようになった。
昨日も帰ってきてから掃除機をかけた。
見られたらまずい物はそもそも持ってない。
前に健人から借りたエロ本をあいつが見つけたときは、それはそれは気まずかった。
理解はしてくれたし、当たり前のことだと言ってくれたけど、激しめのバタフライぐらい目が泳ぎまくっていた。
それ以来この部屋には、そういったものは持ち込んでいない。ただ、携帯のプランをネット見放題のものに変更した。
……いちおう履歴消しとくか。
一階からインターフォンの音が聞こえてきたので、階段を降りながら携帯を操作する。
閲覧履歴が無くなったことを確認して、携帯を閉じてドアを開ける。
この瞬間、何度経験しても嬉しいんだよなぁ。
好きな人がドアの向こうに立っている。そんな瞬間。
「おいっす、ひなちゃんが来たで」
「うい、とりあえず……素材集め手伝ってくださいっ!」
「任しとき!シリーズ総プレイ時間、二万時間の玄人ハンターが助けたろ!」
何を誇ってんだよこいつは。プレイ時間とプレイスキルは比例しないんだよ。でも、実際上手いから腹立つ。
俺以外、誰もいないのに挨拶してから玄関に入り、靴を揃えて家に上がる。
ガサツそうな言動とは裏腹に、礼儀とか礼節とか、そういうところはしっかりしてる。
大人びてる。というか子供っぽい大人。夏野日向はそんな人。
クッションを抱えてベッドにもたれ、鼻歌を歌いながらゲームを起動する姿は、もはやこの部屋の風景の一部だ。
「はてさて、何からいく?」
「とりあえず……これかな。爪が足りなくてさ」
久しぶりのお団子髪に、いつぞやあげたひまわりのヘアピンをしているのを見ると、つい嬉しくなってしまう。
男友達みたいに遊ぶことが多いけど、格好とか、ふとした時の仕草とか、もうひなに男っぽいところを見つける方が難しい。
だからだろうか。最近また可愛くなったように思う。
柊から聞いた話によると、ひな自身、そのことを自覚しているらしい。
知った上で、自分が可愛く見えるように振る舞っているのだという。
……それはズルくないか?
なんて、ひなを見ながら思考にふけっていたら、手元の携帯ゲーム機から陰鬱な音楽が流れてくる。
「あっ!なにしてんねんなぁ、クエスト失敗やぞ」
「あ、悪い……」
「んもぉ、落とし穴無駄になってもうたやんかぁ」
ぶーぶーと文句を言いながら、垂れている髪を耳にかけるひなを見ていると、ほんの一瞬パチリと目が合った。
気まずそうでも、嫌そうでもないけど、最近よく目を逸らされる気がする。
他にも、体をくっつけてくることはなくなったし、ペットボトルの回し飲みもしなくなった。
これは、異性として意識されてるのか、それとも完全な脈なしなのか……
「……たまにはさ、どっか遊びにいくか。いつも家ばっかりだし、買い物とか」
「おぉ?まあ……ええけど……」
ひなは、歯切れの悪い返事をしながら自身の格好を見下ろした。
なんか文字が書いてある大きめの白いTシャツに、短パン。似合ってるから、別にそのまま出かけられそうだけど、なんだか不満げだ。
「……服でも見にいくか。お前の誕生日近いしさ、気に入ったのあったら目星つけたらどうだ?」
「服っ!ええなぁ、ハルと服見に行くなんて初めてちゃう?」
「どうせだったらモール行こうぜ、定期券でタダで行けるしさ」
「やった!いこいこっ、ほんでお昼もお外でなんか食べようや」
ご機嫌になったようで何より。ひなはボディバッグを肩からかけると、ゲーム機を充電器に挿して準備万端とばかりに立ち上がった。俺の充電器……
むわっと湿気をまとった風を浴びながら、夏休みの予定を話しながら駅まで向かった。
ひなは夏休みの間、短期のバイトをするらしい。バイト代は原付の免許と、中古のバイクを買うのに充てるみたいで、ある程度ボロくても欲しいバイクがあるらしい。
冷やかされるのを嫌ってか、どこでバイトをするのかは教えてくれなかった。
海の家とかだったら……ちょっと見に行きたかったな……
水着とか、あと水着とか……うん、見たい。
ホームに停まっていた電車に乗り込み、空いていた席に座って発車を待つ。
少し前から節電とかで、車内はエアコンが効いておらず、生温い空気が漂っている。
持ってきた扇子でひなを煽いでやると、気持ちよさそうに目を細めていた。
いつもは制服で揺られる電車を、二人して私服で景色を眺めていると、なんだかデートに来たみたいで嬉しい。
「なんか、あれやな……」
高架下を潜ったときに一瞬映ったひなの顔は、少なくとも俺には、嬉しそうに見えた。
「制服着てへんと、変な感じやな」
誘ってよかった。頑なにこっちを見ないひなに、いつもと違う空気を感じながらも、期待してしまう自分がいる。
駅からの道中は、照りつける日差しを遮るものもなかったので、ショッピングモールの涼しさに一息つく。
本格的に混みだす夏休みを控えてか、土曜日だというのに家族連れは少なく、暇を持て余した俺たちみたいなのが多かった。
次から次へと服を手に取っては、鏡の前で合わせて嬉しそうにしているのを見ると、ますます女の子らしく思う。
俺だったら気になる服を見つけたら、サイズだけ見てカゴに放り込む。
しばらくすると、ひなは水色の薄手のシャツと白いブラウスを手に取って、こちらを振り向いて尋ねてきた。
「なあハル、こっちとぉ、これっ!どっちがええかな?」
「うーん、どっちも似合ってるけど水色の方かなぁ?でも、似てるやつ持ってなかった?」
「そうなんよなぁ、でもな、襟とボタンが可愛いねん……うぇぇ……どないしよっ」
水色のシャツに絞ったはいいものの、まだ決めきれない。そんな様子で鏡の前から動かなくなってしまった。
似たようなものを持っているなら、迷わず別のやつを買うけどな……
「……それ、誕生日プレゼントにしようか?ちょっと早いけど、別にいいぞ」
「えぇぇ、どうしよっ!どうしよどうしよ……ど、どうしたらええ?」
「ふふっ、そんぐらい自分で決めろよ」
「んんん……もうちょっと考える……」
羽織っていたシャツを名残惜しそうにハンガーに掛け直すと、今度はメンズコーナーに行って、俺の服を物色しだした。
今日は買うつもりはなかったけど、いつもは手を出さないようなシャツを買ってみようかな。
もしかしたらいつもと違う雰囲気で、あいつの目を引くかもしれない。
そう思って手に取った青と白のストライプシャツを目にしたひなは、何が面白いのか爆笑しだした。
「な、なんだよ!いいじゃねえか別に!」
「あっはははっ!ちゃうねんちゃうねん、お前それよう着てたわぁおもて、なっつかしい……くくっ」
未来人相手に、意外性で攻めるのは無理だった。
……買わないっ!
お昼時になったので、特に食べたいものも決まっていなかった俺たちは、フードコートで各々適当な昼食をとることになった。
といっても、結局食べ慣れたファーストフード店に並んでしまうあたり、まだまだ雰囲気の良いレストランに誘うのは先になりそうだ。
子供のおもちゃが付いたセットを買ったこいつを見ていたら、つくづくそう思う。
しかも男の子のおもちゃ。なんなのこいつ。
アニメキャラが鎮座する土台から、フリスビーみたいなのが射出されるおもちゃが当たって、しょんぼりしてるのは可愛かった。
のんびり食べながら午後からのことを話したりしていると、部活のユニフォームを着た他校の生徒が目に入り、ふと学校のことを思い出した。
「そういやどうだ?学校、楽しそうにはしてるけど、無理してないか?」
「そうねぇ……。思ってた感じとは違うけどさ、ウチ結構幸せやで。みんなおるから毎日楽しいよ」
「そっか……。そういや、安土にはびっくりしたよな。まさか東砦くるとはなぁ」
なにげなく安土の名前を出すと、ひなはフイッと目を逸らした。
トレイの上でポテトを持ったまま、じっとそれを見つめている。
「……ハルは、ももちゃんのこと、どう?」
「別になんとも、気が合うなぁとは思うけど、陸上部の話とかもするし」
「そらな、気ぃ合うよなぁ」
食べるでもなく、冷めてふにゃふにゃになったポテトをいじくりまわし、目を伏せながら笑っている。
なんとも分かりやすいひなの反応に、少し笑いながら話を続けた。
「お前ほどじゃないって。安心しろよ」
「むぅ……なんも言ってないやんか」
「ふふっ、不満そうだったから、ついな」
「別に、そんなんちゃうし」
携帯を見るふりをしてひなに視線を向けると、小さくため息を吐いて嬉しそうに笑顔をこぼしていた。
もうかれこれ五年以上好きな人。憎からず思われつつも、彼女には決まった相手がいたから進展しなかった関係。
少し前にひな本人が言っていた。過去に縛られるのをやめて、新しい未来を作っていきたいと。
もしかしたら、俺が思っている以上に変わってきているのかもしれない。こいつが思い描く人生そのものが。何をするかも、どう生きるかも。
「なぁひな、これからどうする?」
「……もうちょっと、一緒に見て回りたいかな」
「そうしよっか。素材集めはまた今度な」
一緒に買い物して、雑貨屋のソファでくつろいだり、意味もなくぶらついたりしていたら、あっという間に時間は過ぎていった。
地元に着いた頃には、少しずつ空は赤みを帯び始めていた。
少しずつ落ち着いてきた蝉の声を聞きながら、アスファルトの熱気に、隣を歩くひなが「暑いなぁ」とつぶやいた。
たまに窺うような視線が飛んできて、隣を見ると慌てたように目を逸らす。
後ろ手に組んだ彼女の手からは、結局最初に見ていた水色のシャツが入った紙袋がぶら下がっている。
手渡したとき、嬉しそうにお礼を言われて、今日、出かけてよかったと思えた。
そんな彼女の手を見ていたから、つい口から出てしまった。
「なあ、手握っていいか?」
足音と、蝉の声しか聞こえなくなって、しまったと思った。
調子に乗ったかもしれない。楽しかったで終わっておけばよかったかもしれない。
そんな俺の考えを打ち消すように、ひなが左手を差し出した。
指を絡ませて手を繋ぐと、小さくて柔らかい心地を確かめるように、親指で彼女の手を撫でる。
ハッキリ感じるほど鼓動が大きいのに、今はそれが心地いい。
「こうやって歩くの、なんか久しぶりだな」
「そうかも……小学校以来かな……」
ひなの親指が、俺の手を撫でてきたので、無言のままやり返す。
くすぐったい感触と、ずっとこうしていたい気分とが、背中を後押ししてくれる。
いつ以来だろう。こうしてしっかり伝えるのは。
たくさんメール送って、しょっちゅう電話して、戯れあって、抱きしめて、一緒に帰って、会う約束をして、同じ時間を過ごしたけれど、ちゃんと言葉にするのは久しぶりだ。
「………………好きだよ。今でも」
久しぶりに言った言葉は、今まで言うのを遠慮していたのが馬鹿らしいぐらい、分かりやすい気持ちだった。
言葉にしなきゃ、伝わりにくいこともあるよな。
繋いでいた手が、徐々に後ろへ引かれる。
次第に立ち止まったひなは、少し俯いて、だけど目を見開いて、眉を少しだけ下げて、口をつぐんで、耳まで顔を紅くしていた。
視線が交差する。潤んだ瞳がどこか迷ったように揺れていて、どこか泣いているようにも見えた。
唇を軽く噛み、ゆっくり開いた口から出た言葉も、分かりやすい気持ちだった。
「ウチも、ずーっと好きやで」
握った右手に力が入る。このまま抱き寄せて、独り占めしたくなった。
暑いから嫌がるだろうけど、それでも。
思わず漏れた笑いに、ひなが不服そうな顔をして、また思わず笑った。
「笑わんといてぇよ、ほんまもん……」
多分こいつは今、迷っているんだろう。
新しい人生を歩み出して、関ヶ原がいて、一華がいて、そして多分、俺もいて。
優柔不断なやつだ。散々振り回されるこっちの身にもなれよ。
でも、今日ぐらい、別にいいよな。
久しぶりに好きって言えた、特別な日ぐらいはさ。
小さく声を出したひなを抱き寄せると、すっぽり隠れてしまうぐらい小さくて、多分暑苦しいだろう。
持っていた紙袋が軽い音を立てて地面に落ち、彼女も背中に手を回した。
「大好きやで。暑いし恥ずかしいけど、ずっとこうしときたい」
「俺も、大好きだ。ずっと一緒にいたい」
のぼせそうになりながら、お互いを確かめるように、湿った肌を寄せ合った。
久しぶりに抱きしめたひなは、前より少し大人っぽくて、止まっていた彼女との関係が、ほんの少しだけ、動き出したような気がした。




