77.七夕の七人
七月七日。昨日まで降り続いていた雨が気温を落とすかと思いきや、じっとりとした空気を生むに終わった梅雨明け前。
夏服に変わったというのに、ちっとも涼しさを感じないセーラー服の襟元をはためかせ、少しでも風を取り入れながら学校の前にある坂を登る。
どんどん暑くなっていく気温に危機感を覚えて、学校の教室にエアコンをつけようと国の偉いさん方が動き出すのは、まだ少し未来の話だ。
「ハル、未来ではなぁ、教室にエアコンがついてんねんで。しかも冷蔵庫も設置されててなぁ、授業中でもアイス食べてええねん」
「マジかよ……甘やかしすぎじゃないか?ゆとり世代の次は過保護世代とか?」
「どうやったかなっ……」
この適当な話を彼が嘘だと気づく日は来るのだろうか。
十年後ぐらいに空飛ぶ車が開発された話も信じていたし、次はどんな未来を教えてやろうか。
中庭から昇降口へと抜けてきた風が、影になった廊下で適度に冷やされて気持ちいい。
タオルで汗を拭きながら教室へ向かおうと歩き出すと、中庭に昨日までなかったものが目に入った。
「竹や……。あー、七夕やな」
「七夕ってふつう笹じゃないのか」
「いや、竹でもええらしいで。お、短冊もあんで」
廊下に置かれた机の上に、色とりどりの短冊と張り紙が貼ってある。
張り紙によると、どうやら竹と短冊は生徒会が用意したらしい。目的は特になく、季節のイベントにあやかって、生徒会活動を「やってますよアピール」しているようだ。
面白そうだから上から三枚、一華と巴の分の短冊も持っていく。
自分に倣ってか後ろで春樹も短冊を手に取ったが、百枚ほどの束の中から、青色の短冊を探して抜き取った。
……男の子っぽい。
「ふふっ、ハルは何お願いするんや?」
「そうだなぁ、宝くじが当たりますように、とか?」
「俗な願いやなぁ……。ウチはなにお願いしよかな」
教室に着くと、どうやら巴はまだ朝練から帰っていないようだった。
鞄を置いてそのまま教室を出ると、一華に短冊を渡しに一年三組へ向かう。
先ほど別れたばかりの春樹の背中に、小走りで近づいて肩を軽くぶつけると、呆れつつも笑ってやり返してきた。
「ふふっ、一華に短冊渡してくるわ」
「はいよ、そういや三組って入ったことねぇな」
言われてみれば、一華のクラスに入るのは初めてだ。
いつの間にか五組に集まるのが恒例になっていたので、知り合いが彼女以外いない三組だけ訪れる機会がなかった。
毎度毎度、嬉しそうに教室に入ってくる一華を見るのが好きで、こっちまで笑顔になってしまう。
会いに行ったらどんな顔するだろうか、喜んでくれるかな?
「あ、おったおった、おはよーさん」
「あれ?日向、どうしたんですか?」
教室の左前の方の席で、クラスメイトと話している彼女に声をかけると、驚きつつも嬉しそうに目を細めた。
来年は同じクラスがいいな。休み時間も一緒で、移動教室も一緒。
体育祭も一緒に応援して、文化祭の準備で二人教室に残って、それで……
「……日向?どうしました?」
「はひっ、ごめんごめん」
妄想に耽っていたら、一華が首を傾げながら声をかけてきた。
隣にいるクラスメイトは、なんだか楽しそうにしている。
どこかで見たことがあるような気がして、隣から目が離せないまま、一華と会話を続ける。
「あ、あぁ……なんか七夕の短冊あったからさ、面白そうやと……おもって…………えっ?」
「えっ?あぁ、二人ははじめましてですね。日向、この——」
「な、な……なんでももちゃんがおんねやっ!」
東砦にいるはずのない人物。
もしかしたら、もう関わることも無いかもしれない。そう思っていた、前世でゆかりのあった人物。
短いながらも面識があり、前世の春樹の配偶者。
安土百が、目を丸くしてそこにいた。
「んん……?どっかで会っ……あぁ!?関西弁の女っ!!お前かぁ!中学のとき私を呼び出した奴は!!」
椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がった百は、声を荒げてこちらを指差した。
春樹に前世の奥さんを見せようと、呼び出しっぱなしで隠れて見ていたことを覚えているらしい。
その目には未だ風化していない怒りを感じる。
いつかの日と同じように身を翻し、一目散に逃げようと走り出すと、むんずと制服を掴まれ引き戻された。
あんまり体格変わらないのにパワフルですね。
「な、なんでなんで!なんで分かったんよ!ウチ顔見られてへんやんか!」
「呼び出したのは関西弁の女だったって水野から聞いたぞ!タチ悪い悪戯しやがってぇ!」
誰だよ水野って!あの時呼び出しに使った子か!
後退りしている春樹に助けを求めようと手を伸ばしていると、百はそのまま自分を引き寄せて、後ろからぎゅっと両手で抱きしめてくれた。首を。
「おげえぇ……ハルっ、たずげでぇ」
「だから名前呼ぶなって!!」
「ハルとかいう奴もいるのか!逃げるなぁ!!」
タップしてるのに離してくれない。
一華が隣で何か言ってる。あれ、一華ってこんなにキラキラしてたっけ?なんか視界の端が暗いし。
ああ、そうか。死ぬんだ……
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いいかげん死にそうになっていたところを、一華の懸命な説得により一命を取り留めた。
なおも歯を剥いて威嚇してくる百に謝り倒し、自分だけ逃げおおせた春樹を恨めしく思いながら、なんとか自分のクラスに逃げ帰った。
現在は昼休み。すっかり恒例となった部室棟の裏での昼食。そろそろ暑さを理由に場所を移そうとしていたのに、今日は炎天下の中、焼けたコンクリートの上で春樹と並んで正座している。
そんな自分たちを見下ろして、腕を組んだ百がその可愛らしい眉を寄せて怒っていた。
「それで、なんであのとき私のこと呼び出したんだ?」
「えっとな……その……」
「ハッキリ喋れ!」
「ひっ!?ごめんなさい……」
大きい声苦手だからやめてほしい。
巴が植え込みのフチに座ってもりもりと弁当を食べる横で、一華は百とこちらの交互に視線を巡らせながらオロオロしていた。
少し離れたところでは秋と桜が真顔でこっちを見ている。恥ずかしい。
「あれは何やってるのかしら……」
「もぐもぐ……っ、日向がやらかしたんじゃないかなぁ、そんな気がするよぉ」
好き勝手言われてる。その通りなんだけど。
よそ見をしていたのがバレたのか、百が苛立たしげに貧乏ゆすりを始め、さらに肩が縮こまる思いだった。
いい加減ひざが痛くなってきたころ、下を向いて何かを考えていた春樹が声を上げた。
「えー、あっ!可愛い子がいるって聞いたんだよっ!うちの中学校まで噂が流れてきて!それで一目見たかったんだ!隠れたのはごめん、可愛かったから緊張して……悪かった!!」
「可愛いっ!?か、可愛いかぁ……そ、そうか……そう言われると悪い気はしないな……」
「そうなんだ!目が離せなくなってさぁ、そうだよな、ひな!」
「お、おん!可愛いっ!ももちゃんは可愛い……」
春樹の機転の効いた言葉に、百はまんざらでもないように照れた表情を見せた。
自分が混乱しているとき、彼が冷静に対応してくれることに、いつも感心させられる。
しかしなんだろう。ダメ押しのように可愛い可愛いと言う春樹を見ていると、なんだろう。なんかソワソワする。落ち着かない。お腹つねっとこう。
「かわっ、痛っ……なんだよ?」
「……あほ、ぼけ」
「はぁ……?」
正座から解放されて弁当を広げる。困惑しながらも食べ始めた春樹の弁当箱から、ウインナーを掻っ攫うと抗議の声が飛んできた。
春樹と百が揃って安心しなきゃいけないはずなのに、二人が並んでいるのを見ると、なんとなくモヤモヤしてしまう。
これが恥ずかしい感情だと分かってはいる。理性では分かっているのに、勝手に唇が尖る。
「なんだよ、拗ねんなよ……。ウインナーぐらいやるから……」
「……」
「もう……ヒナ?一ノ瀬君がかわいそうでしょ?はい、私のウインナーあげる」
「おっ、柊!さんきゅー」
「んなぁーっ!?!!?」
何が起こったのか、一瞬理解できなかった。巴がすごく人懐っこい笑みを浮かべながら春樹の弁当箱にウインナーを入れた。
春樹からウインナーを落としそうになりながら彼女を見ると、顔を真っ赤にして笑いを堪えている。
悔しさを目に込めて巴を睨んでいると、一華の隣に座る百が、箸を止めてポツリとつぶやいた。
「みんな、仲良さそうだな……私は友達ともクラス離れちゃって特別話すのはイッカだけだから、ちょっと羨ましい」
まだ高校に入学して三ヶ月。焦るほどでも無いと思うが、百は寂しそうに目を伏せた。
小学校から持ち越される友達が多い中学と違い、高校は能動的に話しかけないといけないときもある。
彼女なら大丈夫そうな気もするが、不安な思いもあるのだろう。
「……ほいなら、またお昼ご飯一緒に食べよ!暑くなってきたし、明日からは場所変えようと思ってるけど」
「いいのか?私のこと怖くないか?」
「いやまあ殺されかけたけど、ええ子やって知ってるし」
「そうか……?じゃあ、明日からもよろしくっ!」
花が咲いたように笑った百はとても嬉しそうで、その無邪気な表情は可愛らしく魅力的だった。
春樹に目を向けると、優しく微笑んでいたのでつねった。
「そういやももちゃんは何で東砦きたんよ?ほら、えー、櫓坂とかどうやったん?」
「櫓坂なぁ、考えたんだぞ?でも、学力的にはギリギリだったから迷ってたんだ。そしたら、学校の近くに東砦のパンフレットが落っこちてたのを拾ってな、友達も受けるっていうから東砦にしたんだ」
嫌な汗を流しながら春樹の方を見ると、乾いた笑みを浮かべた彼と目が合う。
あの日、走って追いかけてくる百が怖すぎて、確かに東砦のパンフレットを落とした。
気づいたのも帰りの電車に乗ったあとで、戻って探すのも面倒くさくて諦めた。
それが、回り回ってこんな未来を作り出したというのか。
だとしたら未来を変えないために実行した「安土百に会おうの会」は、ある意味成功だったとも言えるのだろう。
「よかったなぁハル、運命やんけ運命。はははっ……」
「こ、怖いって……なんかごめん……」
春樹に八つ当たりしているものの、全ては自分が引き起こしたことだ。
いつもながら、自分の間抜けな未来人っぷりに、ため息を吐いて項垂れる。
これが公的機関に属してるエージェント未来人なら、記憶を消されて捨てられているだろう。
そんなくだらないことを考えていると、なにやら一華のところに集まって、巴と百がキャッキャと声を上げて盛り上がっていた。
気になってそちらに目を向けると、一華が薄桃色の短冊を顔の横に掲げ、意味ありげな笑みを浮かべていた。
短冊には『好きな人がいつか迎えにきてくれますように。』と書いており、彼女は大人っぽい妖しい瞳でじっとこちらを見ている。
「この好きな人っていうのは、日向のことです」
「わ、分かってるよ……って言うのも変やけど……その……」
「な、なんで俺は宝くじなんか……」
自らの子供っぽい願いに項垂れる春樹と、グイグイと距離を詰めてくる一華にたじろぐ自分。それを面白そうに見ながら、お菓子をつまむ巴と百と、いつのまにか混じっていた桜。
少しだけ。ほんの少しだけ離れた位置から、そんな自分たちを見ている秋は、呆れたように息を吐いた。
そんな彼女のもとへ行って、自分用にとっていたオレンジ色の短冊を渡すと、秋はポカンとした顔でこちらを見上げた。
「ほれ、なんかお願い事あるんやったら」
「……どうも」
彼女はどんな願い事をするだろうか。
人間関係のことか、将来のことか、それとも……
まだ踏み込めない問題がある。
全てを自分が背負う必要は無くなった。
それでも、大切な人の放っておけない問題がまだある。
少しずつ新しい関係を築いていく。
秋もまた、自分の未来を掴めますように。
『お母さんが、また笑えますように。』




