79.仲睦まじきはええやんええやん
「焼きそばぐらいやったら作れますよ」そう言ったのが失敗だった。今、自分は熱々の鉄板に殺されかけてる。
設定温度18度、風量最大のエアコンが、まるで意味を為さない開けっぱなしの窓口から、子供たちの楽しそうな声が聞こえてくる。
地元から少し離れた町の、大きな市民プール。その中にある売店が夏休みの間、短期アルバイトを募集しているのをチラシで知った。
程よく夏を感じられそうだと思い、チラシに書いてあった携帯電話番号に掛けると、即採用となった。
少し前に人手が減ったらしく、まさしく猫の手も借りたい状況だったらしい。
ほとんどが学生バイトの中へろへろになって働いている店長を見かねて、軽い調理なら出来ると言ってしまったのだ。
結果、滝のような汗をかきながら鉄板の前でヘラを握っている。もう焼きそばもフランクフルトも見たくない。
「夏野ちゃーん!焼きそばふたつとフランクフルト一本ね!」
「はぁい……あの、休憩って……」
「いらっしゃいませぇっ!!」
今無視したよね。絶対無視した。
本日は七月二十三日、夏休み四日目にして、誕生日当日。こんな日に張り切ってシフト入れるんじゃなかった。
他の学生バイトがあんまりシフトを入れていないのか、労働基準法ギリギリまで使い倒されている。
いや、休憩取れてないから、ギリアウトか?
「夏野ちゃん、もうちょっとしたら今日から入る子が来るから、よろしくね!」
「へぇい……」
なにがよろしくなのか。働き出して三日目で、初日を除けば鉄板とフライヤーを行き来しているだけの自分に、新人に教えられることなどない。
次から次へと通ってくるオーダーを見ながら、慌ただしくポテトを容器に詰めていると、店の奥の扉が開いた。恐らく件の新人君だろう。
ドリンクを担当している同期の年上バイト君が店長に声をかけると、持ち場を交代して店長が店の奥へと消えていった。
ピークを過ぎたとはいえ、忙しい時間帯にバイト三日目の新人しかいなくなってしまった。
職場環境の改善案を頭の中で構築していると、注文の列が途切れたのかバイト君が話しかけてきた。
「ねえ夏野ちゃん、俺さ、去年もここでバイトしてたからさ、わからないことあったらなんでも聞いてよ!」
「えー!すごーい!」
「でしょ?案外頼りになるんだよ、俺って!」
「すごーい!えー!」
なら調理をかわってくれ。昨日からもう八十キロ以上焼きそば作ってるんだ。ソースの匂いも分からなくなってきた。
ひと夏の思い出でも求めているのか、昨日からやたらと馴れ馴れしいバイト君。
仕事の連絡用にと、聞かれるがままに連絡先を教えたのが間違いだった。昨日は遅くまでメールが送られてきて、どこの高校だとかどこに住んでるだとかいろいろと聞かれた。
目に入った汗を鬱陶しく思いながら彼の話に、三種類ほどの言葉で相づちを打っていると、店長が新人を引き連れて戻ってきた。
「店長っ!休憩……」
「ごめんごめん!今日から入ってくれるバイトの子ね!名前は……えーっと……」
「お世話になります。関ヶ原——」
「秋やぁぁあ!!?」
キリッとした目元と、すらっと長い手足。赤みがかったような綺麗な黒髪に、やる気満々にタオルを巻いた秋が、眉間に皺を寄せてこちらを見た。
「うるさっ……なんで夏野さんがいるの?」
「いやこっちのセリフやわ、なにしてんねん自分」
少しずつ話すようになってきたとはいえ、未だ気まずい空気を払拭しきれないまま、一学期を終えてしまった。
げんなりしたように肩を落とす彼女のようすに、心の中で弁明しつつも申し訳ない気持ちだった。
「夏野ちゃん、関ヶ原さんと知り合いなんだ。じゃあいろいろ教えてあげてよ」
「いやいや、教える言うても、ウチ鉄板と裏方ぐらいしか……」
「むっ、失礼ね。焼きそばぐらい作れるわよ」
「あ、あほお前っ……」
十数分後。滝のような汗をかきながら、焼きそばをこねくり回す秋の姿がそこにはあった。
交代要員が出来たことにより、絶望的だと思っていた昼休憩をもぎ取った。軍手を外した両手が、汗でふにゃふにゃになってしまった。
今は焼きそばとフランクフルトを焼いている秋を見ながら、賄いとして焼きそばとフランクフルトを食べている。吐きそう。
「あづい……夏野さん、変わってよ」
「ウチかて初のお昼休憩やで、もう三時半やけど。ようこそ、ブラックな職場へ」
「……今日で辞めようかしら」
文句を言いながらも手を止めず、ちゃきちゃきと調理する後ろ姿は、どこぞの家のキッチンを思い出した。
そういえばポニーテールで料理してたなぁ……
家で料理する分には問題無いが、仕事となると話が別だ。
汗で少し湿ったタオルを解いてヘアゴムを取ると、秋は不満げに声を上げた。
「ちょっと、なによ?」
「ええから、手ぇ動かしといて。髪長いねんから、厨房でポニーは基本あかんよ。危ないし、衛生面がな」
なおも何か言いたげな彼女を無視して、低めの位置でお団子を作る。
しっかり固定するため、自分の予備のゴムも使ってまとめると、タオルを巻いてキュッと結ぶ。
「おそろい!」
「……ありがとう」
そのまま休憩を切り上げ、隣に立って一緒に作業に取り掛かる。
いつかの日とは違い、自分が見上げる形で隣を見ると、ムスッとした顔の秋がいる。
思わず上がってしまう口の端を誤魔化すように、彼女が作った焼きそばをパックに詰めていく。
バイト初日だった秋は、ひと足先に退勤していった。
帰り際、律儀にもヘアゴムを水洗いしてから返してくれた。百均の安物だから別によかったのに。
その日の日記には、久しぶりに秋のことを書いた。
翌日の午前八時四十分。職場のバックヤードに入ると、すでに出勤していた秋が、髪をまとめるのに四苦八苦していた。
「おはよーさん……やろか?」
「おはよう。大丈夫よっ、ウチにだってこれぐらい……」
苦戦しながらも、昨日と同じ位置にお団子を作って最後にゴムをかける。
どこか得意げに、澄ました顔で立ち上がった彼女は、鏡を覗き込んで仕上がりを確認した。
しかし顔を横に振った瞬間、するりと髪が解けて虚しく垂れ下がった。
痛いほどの沈黙の中、鏡越しに彼女と目が合う。
「……ほれ、こっちおいで。やり方教えるから」
「むぅ……」
今度は素直に隣に座る秋を微笑ましく思いながら、自分の髪を解いて目の前でやってみせる。
悔しそうに横一文字に結んでいた口が、少しずつ開いていく。
なんだか変な感覚だ。女性として一番知っている秋に、髪の結い方を教える日がくるとは思わなかった。
出来上がったお団子を優しく触りながら嬉しそうに口元を緩める彼女を見ていると、自分に髪の結い方を教えてくれた巴の気持ちが、少し分かったような気がした。
明日はお団子三つ編み教えてあげようかな。
本日は昨日のメンツに加えて別の学生バイトも数人来ていたので、昨日ほど店内が混乱することはなかった。
それでも夏休みの日曜日ということもあり、家族連れが大量に押し寄せ、ひっきりなしにオーダーが飛んできた。
バイト二日目にして、早くも焼きそばを見るのが嫌になったらしい秋に、昼ごはんの賄いとして焼きそばを焼いてあげた。嬉しそうに「ありがとう」と言ってくれた。
シフトが被る日もあれば、どちらか一方が出てる日もある。
客として売店に顔を出した日は秋がレジ打ちを担当しており、忌々しそうに対応された。
しょうがないじゃん。社割でプール無料なんだもん。
姉と二人、浮き輪に乗ってぷかぷかと流れるプールを漂流していると、あくせくと働く秋が見えた。
ここ二週間ほどで、彼女もお団子をマスターしたみたいだ。
ある日のバイト中、秋が休憩しているのを横目に鉄板の前に立ちながら、気になることを尋ねてみた。
「秋はプール入ったりせえへんの?無料やで」
「遊びに来てるわけじゃないし、一緒に行く友達もいないわ」
「桜ちゃんおるやんか。仲ええやろ?」
「桜は部活頑張ってるわ。楽しそうにしてるわよ」
秋と仲良くなったからか、桜は軽音楽部に入部した。おんなじバンドでやっているらしく、彼女がドラムで秋がベース。あののほほんとした顔で、どんなドラムを叩くんだろうか。
「夏野さんはなんでバイトやってるの?」
「ふっふっふ、原付の免許取んねん!ほんで、バイク買うていろんなとこ行きたいなぁって!いうても、バイクのお金、お父さんがちょっと出してくれるねんけどな」
「……自由そうでいいわね」
秋の冷めたような反応に、内心で舌打ちをする。
彼女の家には父親がいない。加えて母親が心の不調をきたしている。この頃の彼女にとって、家族に関する話題はタブーみたいなものだ。
「あ、秋はなんでバイトしてんの?なんか欲しいもんでもあんの?」
「……別に、楽器欲しいだけ。入部してからずっと先輩のベース借りてるし、なんでもいいから自分の楽器欲しいの」
そういえば、彼女がベースを買ったのは夏休みが明けてすぐのころだった。
一年生で一人だけ楽器を持っていなかった秋は、いつも申し訳なさそうに小田原先輩のベースを借りて練習していたのを思い出した。
自分の楽器を持ってきて、みんなの前でケースから出したとき、初めて嬉しそうに笑った彼女の顔が印象深い。
「ふふっ……スティングレイとかええんちゃう?似合いそうやし、ミュージックマンって名前、好きそうやんか」
つい悪戯心で、秋の使ってたベースを提案すると、訝しむようにこちらを睨んでくる。
「なんなの?おかしいでしょ。やっぱり超能力者なの?」
「ぷぷーっ!超能力者っ……おるわけないやんそんなもん」
「なっ!?むかつくっ!灰になれっ!」
「独特の罵倒……」
帰ったら夕食を作ったり洗濯を回したり、家事のほとんど全てを担う彼女が、唯一我を通して始めた音楽。
文化祭ででも、彼女の演奏を聴くのが楽しみだ。
「もっとポジション下でベース構えへんと、フリーみたいにはなられへんなぁ、でもまだ上手いことでけへんなぁ」
「!!?ちょっ……超能力者っ!!どこまで知ってるの!!」
「二人とも喧嘩しないでよー、お客さん驚いちゃってるから」
少しだけ縮まった秋との距離を嬉しく思いながら、額に浮かんだ汗を拭う。
高校一年生の夏休みも、半分ほどにさしかかった。バイト三昧で終わるはずだった前半戦が、思わぬ形で意味のあるものとなった。
新しい人生計画書の最初に書いた項目に、そろそろチェックを入れてもいい頃合いかもしれない。
「ウチら仲良しやんなぁー!」
「裏がある……絶対に裏があるはずよ……」




