69.女子高生になった……
「ひなちゃん、ほんま大っきくなった……かなぁ?」
新しい制服に袖を通し、鏡の前で出発前の最終確認をしていると、後ろにいる母から途中まで感極まった声をかけられた。
なったよ、身長だって去年から四ミリぐらい伸びたんだぞ。
自分の中では最も印象深い制服だ。光を飲み込むような黒が基調で、襟と袖のラインとリボンが灰色のセーラー服。強そう。
少し大きめのサイズを勧めてきた両親には無理を言って、今の自分にジャストサイズで発注してもらった。
間違いなく、似合っているはず。
血色良し。ニキビ跡無し。髪はやり過ぎず野暮過ぎず。少しルーズなハーフアップを一番お気に入りのクリップでまとめ上げてやった。
完璧なはず。気合い入れ過ぎの一歩手前。
「いってらっしゃい、私たち九時ごろ学校行くからね」
「はぁい……いってきます」
あいにくの曇り空の下、ゆっくりと自転車を漕いで春樹の家へ向かう。
一昨日も二人で遊んだばかりだけど、今日からは高校の同級生として一緒に通学することになる。
春樹の母、百合子さんが出迎えてくれて、新たな制服姿を褒めてくれた。
今日からまたよろしくと言われ、思わず苦笑いを返す。高校生になっても彼を起こしに来ることになるとは思わなかった。
二階に上がり扉を開けると春樹はすでに起きており、のんびり身支度をしている最中だった。
「おはよーさん、さすがに今日は起きてんな」
「おはよ、どんぐらい時間かかるか、まだわかんないからな」
言われてみれば、実際の通学時間など自分も忘れてしまった。
通勤時間の電車に乗るのも、この身体になってからは今日が初めてだ。
前世では自分が着ていた学生服を、今は春樹が纏っている。見慣れない彼の学ラン姿は、結構様になっていた。
「ハルが学ラン着てんの、なんか変な感じやぁ。ほいでも似合ってるよ」
「そうか?俺もちょっと違和感あるんだよなぁ。首のとこ苦しいし」
「あぁ、上のホックは外しといたらええねん。式のときとか、先生が怒ってるときだけ締めといたらええねん」
「今から変な知識入れないでくれよ……」
苦笑いしながらも、言われた通りホックを外した春樹は、それでもまだちょっと首元が気になるようだった。
そのうち第一ボタンも外すようになって、先生方と、注意と隠蔽の攻防戦を繰り広げることになるだろう。
「……なぁ、ハルから見てどう?今のウチ」
「めちゃくちゃ可愛いぞ。文句なし……って言っても、誰の為かを思うと、ちょっと複雑だなぁ」
「ぅ……うん、ごめん……」
可愛いと言われ、安心したのも束の間。春樹の続く言葉に、申し訳なく思ってしまう。
彼からすると一言二言、言いたくなるのも当たり前だ。
本日の気合の入った装いは全部、秋への第一印象を良くするために今日まで準備していた。
お肌の手入れを頑張ったのも、冬にちょっとお腹が出ちゃったからダイエットしたのも、全部今日のために頑張った。
「謝んなよ。心に決めた人がいるって最初から言ってたんだから」
「そうやけどさ……」
「今までと一緒、俺も勝手にがんばるからさ。まあでも今日は、頑張れよ?」
「うん……あ、あのさ……あのっ……」
「ん?どした?」
春樹も、一華のように自分の話を聞いてくれるだろうか。
否定しないで、きっと大丈夫だと、言ってくれるだろうか。
「……ううん、クラス、一緒になれたらええな」
「……?うん、そうだな!そういや一昨日、お前ん家に充電器忘れてなかった?」
「ゲームの?んー?あったかなぁ……」
どこか安堵している自分が嫌になる。
入学を目の前にして、今更不安になってどうする。
春樹が朝食を済ませて家を出発し駅へと向かう。せっかくの満開の桜も、曇り空のせいで魅力を出しきれていない。
それでも、自転車で通った後ろを花びらがついてくるように舞い上がる様は、なんとも言えないらしさがあった。
駅へ到着すると、通勤時間真っ只中のホームは、そこそこ混雑していた。中には自分たちと同じように、シワの無い制服を着ている他校の生徒もいる。
案の定、乗り込んだ列車は満員とまではいかずとも、大勢を変えるのに気を使うぐらいには人が乗っている。
開かない方の扉の近くを陣取ると、そのまま列車は緩やかに発車した。
「結構混んでるんだな、大丈夫か?」
「ん、今のところ。んでも、明日から一本前にしよかな」
「うぇー、早く起きないとだめじゃねえか」
誰が起こしに行くと思っているんだ。
東砦が創立百年だとか、理科の担当の教師がハゲ頭だとか、どうでもいい世間話をしながら電車に揺られる。
しばらくして四つ目の駅に電車が停まると、反対側の扉が開き、サラリーマンがなだれ込んできた。
グッと人口密度が上がり、電車が揺れるたびに、隣に立っている他校の男子生徒と肩がぶつかる。
「……ふぅ、なかなかやなぁ」
「ほんと、大丈夫か?」
「うん……こんなんも慣れていかなあかんなぁ」
息苦しい。最近は調子が良かったから完全に油断していた。
望んでもいないのにやってくる拒絶感や不安で、思わず目を瞑ってしまう。
明日からは音楽とか聴いて、気を紛らわせた方がいいかもしれない。
気持ち悪さを誤魔化そうと腕をつねっていると、肩を叩かれて一瞬息が止まる。
すぐ春樹だと気づき恐る恐る目を開けると、角の方へ自分を追いやり、彼が他との壁になってくれた。
「ごめんっ、ハル……っ、ありがと」
「いいよ。それに、俺としては役得だって」
「そこは素直にっ……カッコつけとけよ」
ほとんど密着してるような距離で立っているので、電車が揺れると自然と身体が触れ合う。でも、嫌な感じはしない。
なんだか久しぶりに春樹に抱きしめられてるみたいで、身体から力が抜けていく。
守られてる感じ、いいなぁ……
ほんと自分、単純だなぁ……
窓の外を流れる景色に、まだらに桜が咲いた山が見えてきた。麓の住宅街の少し上に、今日から通う東砦高校がある。
入学式ぐらい、駅から出ているバスを使おうと思っていたが、この分なら今日はやめておいた方が良さそうだ。
駅から出ると、上級生だと思われる学生たちが、同じ方向に向かって歩いている。
他の新入生を物珍しそうに眺めており、自分とも目が合ったので、とりあえず笑顔で会釈しておいた。
「……そういえばひなってさ、自分の容姿の良さは分かってんの?」
「そら……元男ですから、可愛らしい顔つきやなぁとは思ってるよ。ウチの好みじゃないけど」
「んぁー、好みじゃないのか、そういうことかぁ……」
「ウチは美人系がタイプや!キリッとした感じ!」
ぶつくさと言っている春樹はさておき、悪くない容姿であることは確かだ。
小綺麗にしていれば、それなりに見られるだろう。
モテたいわけではない。ただ、恋愛対象に入れる容姿さえあればそれでいい。
あとは、あいつの好みを知っている自分なら大丈夫。
入学式の看板を横目に校門をくぐり、案内に従って受付を済ませる。掲示板に張り出されたクラス分けによると、自分のクラスは五組だった。
「おっ……トモや!おんなじクラスや、やったぁ!」
「あー、くそ。離れちまったなぁ……一華も宮崎も別かよ」
「ほんまやなぁ。ほんで…………秋は一組か」
ひとまず、秋が無事入学していることに安心した。
現在の時刻は八時十六分。ホームルームが三十分からなので、また時間は充分ある。
「会いに行くのか?」
「いや……いきなり顔見に行ってもな、不審がられんのも嫌やし……」
「そうか?」と不思議そうにこぼす春樹と、後で会う約束をして別れる。
分かっている。別に顔を見るだけなら不審に思われないだろう。
だけど……やっぱりちょっと、不安だった。
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ヒナと同じクラスになった。出席番号も連番で、あの子が一つ後ろの席。柊と夏野、間に「ふ」も「へ」も「ほ」もいなくてよかった。
だけど、周りのクラスメイトたちが出身中学で固まっている中、少し早く着いた私は未だひとりぼっち。
今か今かとヒナの到着を待っている。
——来たっ!
「おはよ、ヒナ!心細かったよぉ、黒い制服強そうなんだもん」
「ひひっ、おはよーさん。ごめんごめん、歩いて来たから遅くなってもうたわ」
っていうか可愛い。がんばったんだろうなぁ。
セーラー服も似合ってるし、相当気合いが入ってる。
男子も女子も面食らったような顔でヒナを見ては、友達同士で何か話している。
そうだろうそうだろう。うちのヒナは可愛いだろう。私が育てました。
「気合い入ってるねぇ……そりゃそっか。やっと会えるんだもんね」
「うん……頑張ったんやで、お肌も髪も、しっかりケアしたし。ダイエットも初めてやったわ」
お腹を触ったり頬を触ったりと、身振り手振りで話をするヒナ。
その嬉しそうな様子に、思わず笑顔になってしまう。
秋さんと会うのがよっぽど楽しみなのだろう。
そういえば、受験の時に彼女と会ったことをこの子には言っていなかった。
第一印象悪そうだったから、二人の関係が軌道に乗るまでは黙っていようかな。
「入学式終わったら会ってみるの?」
「うん……大丈夫かな?」
「大丈夫!色々壁はあるだろうけど、私は応援するよ!」
ヒナはきゅっと口をつぐんで、なんとも不安そうな表情を見せた。
当たり前だ。九歳から再スタートしたこの子の人生。そこからずっと想ってきた人と、今日やっと会えるのだから。
どれだけ大事な人なのかも、本人の口からたくさん聞いた。不安がないわけがない。
大丈夫だよ。少しずつ仲良くなればいいんだから。
ホームルームが終わると、入学式があるため体育館に向かう。
中学よりも一回り大きい体育館に、同じ制服を着た上級生がズラリと並んでいて少し緊張する。
いよいよ高校生活が始まったことを実感する。
ヒナ曰く、前の私は暗い高校時代を過ごしていたらしい。
でも少なくとも、今の私は楽しみにしている。ヒナがいて、いっかちんがいて、一ノ瀬君も桜ちゃんもいる。何より、いい環境でバスケが出来そうだから。
「ヒナ?どうしたの、気分悪い?」
教室を出てから、ヒナはずっと下を向いていた。
もしかして男子生徒を怖がっているのかと思い声をかけると、顔色はそこまで悪くない。
「ううん大丈夫、緊張してるだけ」
入学式の最中、ヒナは周りを見ないで何か考え事をしているようだった。
教室に戻ってからも、休憩の時間も、焦りに似た余裕のない表情をしていた。
さては、また何か抱えているな。一人で抱え込むなと何度言ったら分かるんだ。
思い詰めて、悩んで、自分だけで解決しようとするのは、この子の悪い癖だ。
いつもいつも、抱えているものが大きすぎて処理しきれず、一人で傷ついてしまう。
左手首のリストバンドを見ると、どうしても嫌な考えが浮かんでくる。
「ねえヒナ、秋さんのことで悩んでるの?」
「……」
「一目見てきなよ、別にいきなり話しかけなくても、教室の外からでもチラッと見てきたら?一緒についていこっか?」
「い、いや……わかってんねん、わかってんねんけどなっ……」
あぁ、そんなに爪食い込ませたら、せっかく綺麗にした手に傷入っちゃうよ。
理由はわからないけど、秋さんのことで二の足を踏んでるみたいだ。自信持っていいのに。
目が合ったそのヒナの瞳は、迷子の子供みたいに弱々しく、強引に連れて行けるような雰囲気でもなかった。
この子はいつになったら、何の憂いもなく笑える日が来るんだろうか。
他人を想って傷つくこの子が、やっと報われそうな気がしたのに。
結局、午前中だけだった高校初日の予定を全て終えても、ヒナは秋さんに会いに行かなかった。
綺麗にまとめた髪を虚しそうに解いた姿が、何故か印象に残った。
教室の前を秋さんが通って行ったのを見つけたけど、なんとなくヒナには言えなかった。
「……一緒に帰ろっか、パパとママには先帰ってもらったからさ、一緒に、お菓子でも買って帰ろうよ」
「……うん」
いっかちんと一ノ瀬君にメールを送って、二人で教室を出て外へ向かう。
しばらく校門の近くで待っていると、二人が揃ってこちらにやってきた。一ノ瀬君、学ラン似合うね。
「お疲れさま、一緒に帰ろ」
「おう、それは良いんだけど……どうした?」
一ノ瀬がヒナの方を向いて問いかける。今朝と全然違った様子は、やっぱり心配になるだろう。
その問いかけに口ごもるヒナは、申し訳なさそうにする反面、何かを恐れているみたいだった。
「……もしかして日向、確認しなかったんですか?」
「うん……その、決心つかんくて……」
二人のやりとりに、小さな違和感を覚える。
いっかちんは最初から知っていたんだろうか。この子が何か躊躇するようなことがあると。
「そうですか……もう帰ってるでしょうし、先生に聞いてきましょうか?」
「……」
「んん?どういうことだ?」
一ノ瀬君の疑問に、いっかちんが少し気まずそうな顔を見せる。
その顔を見ると、ヒナから何かしらの話を聞いていたのが分かる。
一人で抱え込まず、相談出来ていることに安心しつつも、じゃあ自分にも相談して欲しかったと思ってしまう。嫉妬だ嫉妬。いっかちんに嫉妬。
「あ、えっと……なんと言いますか……」
「言わんといてっ!大丈夫、ちゃんとな、ちゃんとするから……」
まだ迷いのあるようで、それでいて勇気を奮い立たせているようなヒナの言葉に、それ以上は聞かないことにした。
帰りの電車で少しずつつ元気を取り戻していくのを見て、明日は背中を押してあげようと、私の大好きな親友に幸せになってもらおうと思った。
だから、ヒナと一ノ瀬君と別れたあと、隣を歩く幼馴染から聞いた話に、しばらく何も考えられないほどショックを受けた。




