67.いつかまた
「トモは中学三年間で、一番思い出に残ってんのなに?」
卒業式が終わって教室に戻り、みんなで黒板に寄せ書きを書いている。自分の問いかけに、巴は青いチョークで空を描く手を止め、考えを巡らせるように首を傾げた。
「んー、なんだろねぇ、修学旅行とか……二年の時の県大会も思い出深いなぁ……」
「ぅ……あかんねん、ウチあの時のトモ思い出したら、泣いちゃうねん」
「あはは、悔しかったなぁ……でもそうだなぁ、漠然としてるけど、ひなちゃん学級でご飯食べて駄弁ってるのとか、結構印象深いかも」
良くも悪くも思い出に残っている三階の教室で、お昼休みは唯一、普通の学校生活が送れているように思えた。一華と巴が毎日のように来てくれるから、四時間目が終わると机を三つくっけて、二人が来るのを心待ちにしていた。
それにしても、ひなちゃん学級……
そんな呼ばれ方してたのか。後で行こっかな、ひなちゃん学級。
巴がハートを描いているのに倣って、自分も小さめにハートを描いてみるが、恥ずかしくなってすぐ消してしまう。
結局、ハートもリボンも慣れることなく中学校を卒業する年になったけど、ちゃんと女の子らしくできているのだろうか?
「ほらヒナ、みんなで写真撮ろ?」
いつの間にか出来上がっていた卒業式仕様の黒板の前に、クラスメイトが集まっていた。
一人も欠席せずに最後の日を迎えられたことを嬉しく思う反面、みんなで集まれるのも本日で最後かもしれないと思うと、溢れ出る寂しさが止まらなくなってしまう。
「ありゃ……ヒナが最初に泣いちゃった」
「うぅ……だってぇ……三年生楽しかってんもん、みんな仲良かったし……こんなもん、泣くわ……」
「ふふっ、日向はいっつも泣いてますねぇ」
一度出てしまった涙は、目を擦っても、誰かに抱きしめてもらっても、なかなか止まることはなかった。
鼻をすすりながらスマートフォンの内カメラを構えると、なんだかんだ言いながらも、みんなが泣いているのが写っていた。
何度撮り直しても誰かが不細工に写ってしまい、紬が吹き出してみんなが笑い、最後に良い一枚が撮れた。
最後のホームルームが終わって、少しずつ少なくなっていくクラスメイトたち。春樹も巴も、両親と一緒に帰っていった。後日、お別れ会を近くの鉄板焼き屋でやるらしく、寂しい気持ちが少しだけ紛れる。
一華のところにも父親と母親が揃って来ており、弟も加わって、一家揃って一華の卒業を祝っていた。幸せそうに笑う彼女が印象的で、なんとなく、遠目から一枚だけ写真を撮った。
父と母には先に帰ってもらい、学校の中をもう一周だけまわって歩く。ひなちゃん学級とやらの鍵を、忘れ物をしたと言って借りたけど、多分、嘘だってバレてるだろうな。
人気のない校舎を歩き、最後に三階の教室へ向かうと意外な人物がいた。
「あれ、泰晴と二ごっ……杏ちゃんやんか。どしたんよ、こんなところで」
在校生はとっくに帰っているものだと思っていたが、どうやら最後に挨拶にでも来てくれたのだろうか。
「三年の教室はちょっと入りづらかったんで……もしかしたら、こっち来てくれるかなぁって!ひな先輩、卒業式おめでとうッス!」
「ありがとうなぁ。どや?学校、楽しめてるか?」
「そうッスね、先輩のおかげッスよ、友達出来たのも」
初めてこの教室で彼を見た時は自分と同じぐらいの身長だったのに、今では結構差をつけられた。男女の成長曲線の差なのか、それとも自分が伸びてなさすぎるのか。
泰晴と話していると、先ほどから視界の端で杏が奇妙なことをしている。右手の人差し指と親指で丸を作り、その中を通すように自分を見ては、難しそうに眉をひそめる。ほんと、こんな変な子だったかなぁ。
「ふむふむ……やっぱり先輩は変な人ですねぇ」
「……なぁ泰晴、この子怖いねんけど」
「こいつ文化祭で占いやってから、そっちにハマっちゃったみたいなんスよ……なぁ二号」
「二号って言うな!」
騒がしい後輩達を見送り、教室の鍵を開ける。締め切った室内は、どことなく埃っぽい空気を纏っていて、懐かしい気分だった。
いつも使っていた席に座り、なんとなくぼーっとする。
二回目の中学卒業は、思ったよりも寂しかった。
秋に会わなくてはいけない。目を背けたくなるぐらい怖いけど、確かめなくてはいけないことがある。それが、これからの自分の生きる意味だから。
なのに、どうしてこんなに辛いんだろうか。
この世界で生きていくと決めたときから、何があろうと、この未来だけは変えないと決めていた。
その未来が、目の前まで来ているというのに、今になってどうして足がすくむのだろう。
「あ、やっぱりここでしたか」
いつだったか、孤独に押しつぶされそうだったとき、彼女が同じように顔を見せてくれた日を思い出した。
この世界に来る前の夜、彼女の訃報を聞いて久しぶりに思い出したぐらい、自分にとって過去の存在だった。
だから人生計画を立てた時も、彼女の存在がこんなに大きくなるとは思わなかった。
助けるべき存在から、大切な親友へ。大切な親友から、心の奥底にいる人へ。
「いっちーや」
「あははっ、小学校以来ですね、その呼び方。どうしたんですか、一人で黄昏ちゃって」
「一華こそ、みんなで帰らんかったん?」
「日向が職員室から、鍵を持って出てくるのが見えたので、もしかしたらここかなぁって」
隣の席へ腰を下ろし、両肘をついて枕にすると、ふわりとこちらに笑いかけた。
何も言葉を交わさずとも、気まずさのかけらもない静かな時間が流れる。隣に座る彼女は、二人の空気を噛み締めるように目を瞑ると、優しい声で自分に問いかけた。
「ねぇ日向、日向はこの三年で、なにが一番思い出に残っていますか?」
その言葉に、色んな出来事が頭の中に浮かんでは流れてゆく。
一緒に教室でお菓子を食べたこと。チョコが好きで、よく彼女の口に放り込んだなぁ。
二人三脚で転んだこと。ひざの消毒、痛くされたっけ。
少し遠出して、二人でケーキを食べたこと。そういえば誕生日は大忙しだったなぁ。
何度も一華に叱られた。いつも自分を支えてくれた。
彼女に聞かれたからか、ふたりでの思い出が、胸の内からたくさん溢れてきた。
「……生きてるって、言ってくれたことかな」
一年生の九月。屋上でいじめに決着がついた後、彼女が自分に言った言葉だ。
「一華が、これからもずっと生きてるって言ってくれたときな。自分も、生きてて良かったぁって思えたから」
「……もう、大袈裟ですよ」
「ふふっ、嬉しかったんよ。一華は?何が一番思い出に残ってる?」
自分との出来事であってほしいと思うのは、わがままかな……
ダメだなぁ、もう自分を騙せない。この子と一緒に生きたいと思う自分がいる。
どうしようもないほど、彼女のことを愛おしいと思ってしまう。
「そうですね……私にとっての一番の思い出は、貴方と過ごした日、全部ですねっ」
「……ズルいやんか、一個だけやで」
「ふふっ……」
「愛してますよ。日向」
心臓が、胸を突き破ってくるのじゃないかと思った。
彼女から目が離せなくなって、嬉しくて涙が出そうだった。一華に触れていたい。彼女にたくさん触れられたい。
——見て、ちっこい!
愛してると、またその唇で言ってほしい。何度でも、自分に愛を囁かせてほしい。
——すごいなぁ、壊れそうで怖いわぁ。
「いちか、ウチも……」
——俺、赤ちゃん抱っこしたん初めてやわぁ。
喉まで出かかった言葉が、記憶に阻まれて止まってしまう。
血が出るような胸の痛みに、ほんの一瞬だけ口を閉ざしてしまう。ほんの一瞬。
でも、彼女は分かっていたかのように、こう言った。
「ダメですよ日向……。それじゃぁ貴方が後悔しちゃいます」
「っ……ちゃうよ、一華。ウチな……っ、ほんまに一華のこと……」
「ほら、泣かないで……。秋さんのこと、貴方の過去のこと、目を背けちゃダメです」
自分は一体、何に涙を流しているのだろう。溢れている気持ちが多すぎる。
それでも、目の前の彼女に聞いてほしい。この気持ちだって嘘じゃない。本当の本当に、自分の中の正直な気持ちだから。
「いちっ……いちか……っ、聞いて、ちゃんと言えるからっ……ウチの、気持ちっ……」
「ふっふっふっ……これを使う時が来ましたねっ!」
彼女はおどけた口調で財布を取り出すと、中からくちゃくちゃになった紙を一枚取り出して天高く掲げた。
ゆっくりと、それが彼女の顔を隠す位置までくると、その紙の正体に気づく。
三年生になったとき、親睦会の悪ふざけで作られた『日向を一日好きにできる券』だった。
「……後生大事にとっていました。これで言うこと聞いてください」
そのチケットを持つ彼女の手は震えている。
「さあ日向!私の愛する人っ!こ、これで……わた、私のことっ、振ってください……それがね……っ、あなたのためだからぁ……」
へたり込んでしゃくりあげる一華に、何も言えなくなってしまう。
悔しくて。悲しくて。ただただ、自分が抱えると決めたものの、業の深さを思い知った。
行き場のなくなった感情が、どんどん両目から流れてゆき、気づけば互いに手を握りながら泣き続けていた。
ようやく二人とも落ち着いてきた頃、一華のお腹がぐぅと音を立てた。間の抜けた長い音に、二人で鼻水を垂らしながら笑い合った。
鞄から持ってきていたおやつを取り出し、二人で食べながら写真を撮った。やっぱり不細工に写ってしまったけど、これはこれで思い出だろうか。
「ぐすっ……好きやもんっ、あほ……ひぐっ……」
「もうっ……っ、ダメって言ったじゃないですかっ……ぐすっ……」
二人で自転車を押しながら、三年通った校舎を後にする。残念ながら卒業式のアーチは撤去されており、赤茶けたいつもの門をくぐる。
日の光が暖かく、春らしい優しい風が髪をたなびかせた。
「ねぇ日向……いつか全部終わって、それでも私のことが好きだったら……迎えにきてくれる?」
一華は確かめるように自分の手を握り、不安そうに聞いてくる。
そんな彼女のためにも、自分の全てに向き合うためにも、堂々と中学校を後にする。
自分を未来へ向かわせてくれた彼女を、一度抱きしめてから歩き出す。
愛してるよ、一華。
心の中で言うぐらいは、許して欲しい。




