61.ままならないもの
優しく肩を揺さぶられ、人の声が聞こえる。まどろみの淵から現実へ、ぐいっと引っ張られるように意識だけが持ち上がる。
まだはっきりとしない頭で、その声を手繰り寄せると、どうやら自分を起こそうとしているみたいだと分かった。
もしかしたら、彼女かもしれない……
まだ寝ぼけてる自分に、少し自嘲気味になりながらも、諦めきれない思いが手を伸ばさせた。
肩を揺さぶる手を掴んで引き寄せると、ベッドが軋んで、その人は隣に来てくれた。
そのことが嬉しくて、背中に手を回して抱きしめる。驚きながらも身を委ねてくれて、また嬉しかった。
「……ずっとこのまま、一緒におろなぁ」
「うぁ……ヒナぁ……」
弾かれたように目を開けると、顔を真っ赤にした巴が目に映る。脳が機械的な音を立てて処理を進め、現状を把握するまでに三秒ほど費やした。なるほど、巴だったか……
「……まあええか」
「いいわけないでしょ!起きてください、もうお昼ですよ!」
一華に布団をひっぺがされて、起きることを余儀なくされる。
布団を取り上げられるとこんなに心細くなるのか、今度から春樹を起こす時は優しくしてあげよう。
目を擦りながら自室を見渡すと、春樹と一華と巴が自分を見下ろす形でベッドの周りにいた。
誕生日にどこかへ連れていってくれるという話だったので、迎えに来てくれたわけだが、どうやら寝坊してしまったらしい。
昨夜の夢がまだ胸の奥に残っているのも相まって、少しだけ後ろめたさを感じてしまう。
「うぅ、さすがにドキドキしたぁ……あれは危険だわ」
「ごめんごめん……ありがとうなぁ、みんな」
「ひながこんな時間まで寝てるの珍しいな。幸せそうに寝てたぞ」
春樹の言葉に、先ほどまで見ていた、あまりにもリアルな夢を思い出す。
秋と話して、四季に触れて。まるでひとときでも望みが叶ったかのような、そんな幸せな夢を見ていた。
「うん、ええ夢やったよ……」
両手を上げて体を伸ばすと、夢の余韻がふわっと空気に溶けていった。
不思議そうにしている三人を見上げながら、すまない気持ちを隠すように、オネエサンとして口を開く。
「それでぇ?今日はお姉さんをどこに連れていってくれるのかしら?」
「よし、まずは俺からだな!ひな、とりあえず着替えたらどうだ?」
あれっ、聞こえなかったのかな?
精一杯、色気を出したつもりだったのだが……
納得はいかずとも、言われるがままにとりあえず外出の準備に取り掛かる。
ブーブー言う春樹と一華を部屋の外に追い出して着替えを済ませ、歯を磨いていると巴が髪を梳いてくれた。
せっかくの誕生日に、みんなとお出かけに行くのだから、覚えたての髪型にした。
「へぇ、いいねそのセット。あんまり見たことないかも」
「やっぱり?多分これ、未来人ヘアーやと思う」
夢に出てきたということは、記憶のどこかに引っかかっていたのだろうか?まるで流行を先取りしたみたいだ。
準備が終わって家を出ると、ジリジリと日光が照りつける中、春樹と一華が庭でマルバツゲームをしていた。ほんと、待たせてしまって申し訳ない。
「お待たせしました。ほいで、俺からっていうのは?」
「まあまあ、とりあえず出発するぞ」
「えー?なんやろ……ふふっ、サプライズかぁ?」
行き先を教えてもらえないまま、雑談に興じるみんなの後ろをついて歩く。
バスに乗り、駅前のロータリーで降りると、そのまま商店街の中へと入っていった。
しばらく歩いたところで、先頭を行く春樹が足を止めたのは、二人でよく通うゲームショップだった。
店の入り口はごちゃごちゃとしており、いつから貼ってあるのか、白ボケたポスターの上に新しいポスターを貼ってある。そんな時代遅れなゲームショップだ。
「う、うそ……まさかハルっ」
春樹が気取ったように親指を店内に向ける。
「一本選べよ、高いのは無しだぜ?」
「えーっ!ええの?ほんまのほんまに!?やぁったー!」
店内へ入ると新作コーナーが目の前に、旧作中古が左と右に、まさしくそこは宝の山だった。
新作ハードの試遊コーナーの引力に抵抗しながら、端から順にソフトを見ていく。
前世の物価高を考えたら安く見えるが、中学生のお小遣いとしては身を削るような金額だ。
やはりここは中古のソフトを選ぶべきだろう。
もしくは、旧作コーナーで去年諦めたソフトが値下がりしているのを見つけたので、そちらも……
いや、春樹の顔を立てて、ここは……新作……でも、いやだって……えっとねぇ……
「そろそろ私の番ですね。行きましょう」
「……へっ?」
無慈悲な宣告と共に、一華が自分の手を取り店外へと向かう。欲しいとも思っていなかったゲームソフトに伸ばした手が、虚しく空を切った。
「なんでっ!?まだウチ何も選んでないっ……!!」
「ごめんなさいね日向、少し押してますので」
「嘘やぁっ!ゲームぅぅぅ!!」
悔しそうな春樹と、張り切った一華に引きずられ、次の目的地へと向かう。
呆然としたままの自分を乗せた電車は、商店街から遠ざかり、虚しさと比例するように加速してゆく。
春樹に肩を叩きながら、また連れて行ってくれると約束してくれたので、ひとまず気を持ち直した。
後ろ髪を引かれる思いではあるが、一華が嬉しそうに鼻歌を歌っているのを見ると、そう悪い気もしない。
見慣れた駅で電車から降りると、上機嫌な彼女が自分の手を取って改札へ向かう。
「なあなあ、次はどこ連れてってくれんの?」
「ふふっ……日向といえば、やっぱりコーヒーじゃないですか?お腹も空いてるでしょうし、カフェに行きましょう」
「あっ、もしかしてケーキ美味しかったところ?やったっ!」
今日は昼前まで寝こけていたため、昨日の五時半頃から何も食べていないことになる。
前に来たとき、メニュー表を見て気になっていたサンドイッチを注文しよう。少しお腹が膨れたら、泣く泣く断念したチョコレートタルトを頬張りながら、コーヒーを嗜む。無敵ではないか。
到着すると、ピークを過ぎた店内はゆったりとした時間が流れていた。
前回は気づかなかったが、高窓がステンドグラスになっており、ちょうど日の当たりが良いのか、色鮮やかな光が店内に差し込んでいる。
「ほわぁ……綺麗やなぁ。やばいなぁ、ウチここ通ってまうかもなぁ……」
「また一緒に来ましょうね。今日は日向の誕生日ですから、お代は任せてください」
「ご馳走になります。むふぅ……楽しみやなぁ」
注文したサンドイッチが届き、ひとくち頬張ると、自家製ベーコンとやらの香ばしさと新鮮なトマトの酸味が見事に融合していた。
少しぬるめに頼んだコーヒーで、口の中をリセットしては、またひとくち頬張る。
「ほんと、日向は幸せそうに食べますねぇ」
「だって美味しいんやもん、ほら、一華もひとくち……」
なぜか巴の要望により、ケーキも同時に運ばれてきたのが気になるが、あとでゆっくり食べていいんだよね?
何で君たちは急いで食べているんだい?
ねぇ、嘘だと言ってよ。
「よしっ…………ヒナ、がんばって」
「おーい!おかしいやろっ!まだサンドイッチ食べてる最中やぞっ!」
「ごめんなさい日向、次の予定が……」
「きぃぃっ!泣くぞほんまにっ!」
急かされるがままに、サンドイッチを口に詰め込むと、それをコーヒーで流し込む。
レジへと向かった一華は会計を済ませると、とぼとぼと帰ってきた。
「行きましょうか……」
「ま、待って。ケーキが、うぷっ……ウチのチョコタルト……」
「……俺が食べとくよ……急ごう」
「あんまりやぁぁぁ……」
あんなに楽しみにしていたケーキが、馬鹿野郎の口に吸い込まれていった。ひとくちって、お前……
モゴモゴと口を動かす春樹を店の外で睨みつけると、ごくんと喉を鳴らした後、「うまかった」と丁寧なレビューをしてくれた。嬉しい。
今度は巴に手を引かれて駅へ行き、また電車に揺られて次の目的地へ向かう。
今は、駅構内にあるコンビニで購入した、焼きチョコタルトという駄菓子をかじってヒットポイントを回復させている。
「ワァイ……オイシイ……」
「最後は私だよ!見て、このコーディネート!ヒナ似合いそうじゃない?あとねぇ、バッグも——」
服や小物類の話をする巴は目を輝かせており、見せてくれたファッション誌には沢山の付箋が貼ってあった。
どうやらその付箋は、自分に合うアイテムをピックアップしてくれているようで、ページをめくっては嬉しそうに説明してくれる。
そんな、小学生の頃のともちゃんに戻ったかのような、無邪気な顔の親友を無下にできるはずもなく、仕方がないとため息を吐くと、二人で雑誌を覗き込んだ。
「ふふっ、ほいじゃあトモは、服選んでくれんのかな?あ、これとかええなぁ、一回試着して……」
「全部着てね」
「ひょ?」
「この付箋貼ってあるところ全部、モール回って選ぼ!見てこの下着、何でここに穴が——」
ここからは、被害者の証言と、残された写真をもとに再現した記録になります。
恥ずかしがる被害者に対し、被告は次から次へと女性用の服を着用させると、被害者の抵抗を無視した上で、その様子を複数枚にわたり撮影した。
調べに対し被告は「店員の許可は得た」などと供述しており、容疑を否認している。
また、今回の一連の件は、被害者と被告が親密な友人関係であることから、事件性はないものと判断しております。
しかし、現場に居合わせた友人二人にも話を伺ったところ、「かわいかった」と口を揃えており、集団での犯行の可能性もあるとして、引き続き調査を進めております。
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夕焼け空に、カラスの鳴き声。まるで自分の心を代弁してくれてるかのような、そんな趣深い街道を呆然としながら歩いている。
「カァー、カァー」
「ダメだ、壊れてる」
「んんー!楽しかったぁ!でも、それだけで良かったの?もっといっぱい買っても良かったのに」
カァー!
「……ごめんなさい。本当はもっと日向に楽しんでもらうつもりだったのに……」
隣をとぼとぼと歩く一華がそう零す、春樹も巴もばつが悪そうな顔をする。
確かに一日を振り返ってみると、ゲームショップでは急かされて何も買えなかった。
次のカフェではケーキを断念し、サンドイッチを胃に放り込んだ。
最後のショッピングモールでは、結局三人の着せ替え人形にされた。
しかし、それも自分を喜ばせようとしてくれた結果、空回りしただけだ。
「……楽しかったよ。誕生日にみんなと一緒におれたんも、嬉しかったし」
「……いや、もっと計画すべきだったよ。ごめん」
「ええの!ゲームも、カフェも、ほんで服も。ウチのこと思ってやってくれたんやから……。ありがとうや!」
三人まとめて抱きしめると、みんな少しだけ安心したようだ。
腕の中のぬくもりが、どうしようもないほど幸せだった。
だからこそ、いつまでも有耶無耶に出来ないことも、しっかり伝えないといけない。
「なぁ聞いて……ウチ昨日、ちょっと未来に帰っててん」
「えっ?ど、どういうことですか!?」
「まあでも夢やで、夢。めちゃめちゃリアルな夢の話。ウチが男でな、秋がおって、四季が寝とって……あ、四季って息子な?」
みんな言葉が見つからないような、複雑な顔をしていた。
春樹と一華は、泣いてしまいそうな、寂しそうな顔でうつむいている。
二人の手を取って握りしめ、改めて胸の内を明かすことにした。
「ウチ、二人のこと好き……その、恋愛的な意味合いで……二人に好きって言ってもらったら、胸がぎゅーってなるし、一緒におったらソワソワするし……。でも、やっぱり付き合ったりするんは出来ひんよ……」
「……」
「秋のことが好きやからってだけじゃなくて、秋のお母さん、ちょっと心の病気で……そのことも、やっぱり放っとけへんし……やから、えーっとな……」
気がつけば、手が小刻みに震えていた。
緊張しているのかなんなのか、自分で話し始めた癖に怖がっているみたいで、忌々しく思う。
「やからな……過去にすがったまま二人のこと好きなんも……変やなぁって思ってんねん……ちゃんと、諦めてもらわなあかんのに……」
隣にいる巴がそっと肩に手を置いてくれると、ふっと力が抜けていくのを感じた。
「……別にいいんじゃない?二人の顔見てみたら?」
そう言われて、知らず知らずのうちに逸らしていた目線を持ち上げると、優しくも呆れたような顔でこちらを見る二人が、力強く手を握り返してくれた。
「ひなが抱えてること、初めて話してくれた時からずっと、俺はお前のこと勝手に好きなだけだよ。それにちょっとだけお前の心が動いたんだろ?俺としては嬉しいぐらいだ」
「私も、日向にどんな事情があっても、一緒にいたいって思ってますから。その後のことは……一緒に考えればいいんです!」
なんの問題の解決にもならない、そんな言葉を二人は返してきた。
だというのに、繋いだ手から伝わってくる温もりが、まっすぐすぎる眼差しが、凝り固まった心を少しだけ解いてくれた。
「……何やねん、怒ってぇや……煮え切らん態度ばっかとんなって」
「今更ですよ。最初からわかってて好きになったんですから……ね、春樹君?」
一華の言葉を聞いて、笑いながら頷く春樹。
「……そっかぁ」
答えの出ないまま、夕焼けに染まった道を、四人で並んで歩いていく。
さっきまで胸の奥を締めつけていた苦しさは、完全になくなったわけではない。それでも、右手からは春樹の、左手からは一華の温もりが伝わってきて、心地よい鼓動に変わってゆく。
「……なぁ、これウチ、子供みたいやねんけど」
「くくっ……高い高いしてやろうか?」
「ヒナはちっちゃいからなぁ、ほんと、着せ替え人形……ふふっ」
「あっ、ともちん、後で写真送ってくださいね」
「やめてや……せや、水着も撮ったやろ!あれ消しといてや!?」
「あははっ!捕まえてごらーん!」
ギャーギャーと騒ぎながら、夕日の中を歩く。
追いかけて、笑い合って、また手を繋いで。
抱えた問題も、届かない未来も、今はまだ胸の奥に眠ったままだ。
それでも、伸びていく四人の影を見つめながら、繋いだ手に少しだけ力を込めた。
呆れるくらい優しい温もりに包まれながら、十五歳の誕生日という、特別な一日がゆっくりと暮れていった。




