59.いつか……
騒がしい車内にて、昨日と合わせて三回目、別々の誰かが言った同じダジャレを聞くことになった。「北海道はでっかいどう」わざわざ言わなくても、今体感しているよ。
視界の端まで広がるような青空の下を、昨日と同じバスに乗って、これまたドラッグレースでも出来そうなぐらいまっすぐの道を、法定速度ぴったりで走っている。
修学旅行二日目。ホテルで朝食を食べた後はまた移動、一時間ほどバスに揺られてラフティングを体験する予定になっている。
その後も長い移動が待っているのだから、北の大地と言われるのも頷ける。
「…………ほっかいどうはでっかいどう」
「ヒナ?」
「……なんでもないです」
終わらないしりとりにも飽きて、暇を持て余していると、景色は広大な大地から木の生い茂る山へと変わっていった。
記憶では雨が降っていたはずだが、空を見上げるとそんな気配は微塵も無い。
これはもしかしたら、本当にバタフライエフェクトとかいうやつなのだろうか?
朝食後に飲んだ酔い止めのおかげか、五体満足で到着した場所は、川下りの出発点近くにあるアクティビティ施設だった。
十五分ほどのトイレ休憩を言い渡され、各々が適当に時間を潰す中、売店にゲテモノサイダーが置いていないかチェックする。
「……えっ、ラフティングサイダー?」
「まさか……買いませんよね?」
攻めすぎて指向性を持たなくなった悪ふざけの塊か……悪くない。
味は普通のサイダーだったと先述しておく。十五点。
レジに並んでいると、キーホルダーが吊るしてある回転棚に、見覚えのあるキャラクターを見つけた。
「おっ?マニータちゃんや!珍しいもん売ってんな!」
「なんなのこの……形容しがたい……変な、キャラ?」
「なんだかここ、変なものがいっぱい売ってますね」
お土産に一つ手に取りカゴに放り込むと、一華と巴が困惑したような顔でこちらを見てくる。気持ちは分からなくもない。
会計を済ませて売店を出ると、集合時間になっており、ゾロゾロと川へ移動する。
気持ち良い川のせせらぎをバックミュージックに、諸々の説明が終わると、いよいよ川下りの準備に取り掛かる。
ライフジャケットを着ていると、古くなったベルトの調整が上手くいかず、思ったよりも苦戦する。
「んぃっ……硬っ、ハル、ここちょっと締めてくれへん?」
「はいはい……っし、おっけ」
「ありがと……ふふっ、楽しみやな」
「ああ、結構流れ早いんだな」
全員の準備ができたら、ガイドの指示に従って、川岸へと向かう。
川には大きなゴムボートがいくつも並んでおり、そのうちの一つに乗り込むと、合図とともにゆっくりと出発した。
「おぉ、あははっ……私結構好きかもこれ」
「風が気持ちいいですねぇ」
「ひゃー、水冷たぁてええ感じやなぁ……いひひ」
「おいっ!お前らも漕げよっ!」
どんどん川を下っていき、流れが少し変わったかと思うと、ガイドの掛け声のもと、急流に差し掛かった。
思わずお腹に力を入れて目を瞑り、体を縮こめて臨んだけれど、上がった頬が戻らなかった。
思った以上の衝撃で水飛沫が上がって、頭から水をかぶる。
パドルを一生懸命漕いでいたので、熱くなった体にはちょうどいい冷たさだった。
「あははっ!ひな、髪ぐしゃぐしゃだぞ!」
「やっかましいわっ!みーんなびしょ濡れやぁ!」
「あっ!紬ちゃんたちだ!おーい!」
先に出発していたボートに追いつき、流れの緩やかなところで合流する。
すると、向こうのボートに乗ったガイドが、パドルで水をすくって掛けてきた。
「びゃっ!?ひどいです!日向っ!やり返しましょう!」
「おっしゃぁ!ウチはつむちゃん狙うわぁ!」
「なんでっ!?私やってないって!このやろーっ!」
なんとかびしょ濡れにしてやりたいのに、パドルでは上手く水がすくえない。そんなもどかしさが、かえって争いを加速させた。
紬たちのボートが戦線を離脱するまで水掛けは続き、終わった頃には下着までびっしょりだった。
ちょうど真上に来た太陽が、少しだけ冷えた体を温めて、同時に水面を照らし美しく煌めかせている。
風が木々の葉を揺らすさざめきと、パドルで水面を切る音が、じんと心を満たしてくれた。
水の流れがほとんど無くなり、大きな川の淵に到着すると、岸に上がったクラスメイト達がこちらに手を振っていた。
岸から岸の真ん中ほどで一度ボートを止めると、びしょ濡れになったガイドの人がゴールを告げる。
「はい、みなさんお疲れ様!これから岸の方にボートを停めて上がってもらいます……毎年ここで、一人か二人は川に飛び込む生徒さんがいるんですよねぇ……」
そう言いながら、チラリと男子生徒の方に視線を送るガイド。
つまりこう言いたいのだろう。飛び込んじまえと。
クラスメイトも見守る中、はしゃぎきれない思いもあってか、尻込みしている春樹と目を合わせる。
「……お前、まさか……」
「きひひっ……」
「あはは……分かったよ!」
ポカンとする一華にパドルを預けて立ち上がると、春樹と一緒に狭い船内で助走をつける。
透き通った水に頭から飛び込み、大きな音を立てて水飛沫を上げると、なんとも言えない高揚感があった。
こんな楽しい日々が、いつまでも続きますように。そう願ってしまうほど、今が幸せだ。
「もう……大丈夫なんですかー?」
「冷たぁっ……あははっ!お前頭からいっただろ……ひな?」
「……うん?きもちええなぁ……」
ぷかぷかと川に浮いて目を瞑る。耳まで浸かって水の音を聞きながら、心地良い浮遊感に身を任せていた。
次に目を開くと、ただただ綺麗な青空が目に飛び込んできて、笑ってしまうぐらい気持ちよかった。
「大丈夫やでぇ……ウチのことはええから、早よ上がりやぁ……」
その後、渚先生に呼ばれるまで空を見上げて、ゆっくりと、今ある幸せを噛み締めていた。
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急に降り出した雨に恨めしく思いながらも、折りたたみ傘を持っていた自分を褒めてやりたい。
形容しがたいキャラがプリントされた傘。いつ買ったんだったか。
そっと扉を開けて玄関に入ると、リビングへの扉が半開きになっており、照明が落ちた部屋からはテレビの明かりが漏れている。
びしょ濡れになった靴下を脱いで洗濯カゴに放り込み、リビングを覗き込むと、ソファに座った母の背中が目に映った。
……あぁ、調子悪そうだな。
薬、また飲んでないのかな……
「ただいま」
大きすぎず、小さすぎない。そんな、バッグの売り文句みたいな言葉がピッタリの声量で声をかけると、母は肩越しに振り向こうとして、途中でやめた。
あれが、今の母にできる精一杯の返事なんだろう。
母親の機嫌をうかがって、気を使っている自分に内心でため息をつく。
日に日に不安定になっていく母を見ていると、出て行った父にも腹が立つ。
仕方がないと分かりつつも、現状のどうしようもなさが、全て父のせいにも思えてしまう。
それでも憎めないでいるのは、やっぱり父のことも大好きだったから。一緒に、いたかったよ……
記憶も曖昧なほど幼かった頃、両親に手を引いてもらって、ブランコみたいにして遊んでもらった。そんな幸せな記憶を掘り起こすと、決まっていつも胸が苦しくなる。
「確か、カレーがまだ……」
晩御飯の用意をしようと台所へ向かうと、昨日作ったカレーの鍋が出しっぱなしだった。
嫌な予感を抱きつつ、恐る恐る蓋を開ける。少し表面の乾いたカレーには、フワフワとしたカビが、点々と生えていた。
しまったなぁ……食べ終わってすぐ、タッパーにでも詰めておけばよかった。
せっかく頑張って……お母さんにも喜んでもらえたのに……
「はぁ……っ、……」
すぐに、ため息を吐いたことに後悔して口を塞ぐ。
反射的に母の方を見ると、テレビの逆光でよく見えないが、こちらを見ていることは分かる。
「なに……?私悪いことした?」
「ぁ……ちがうっ……」
「言いたいことあるなら言えっ!」
そう言いながら近づいてくる母。受け止めてあげないと、行き場を無くした感情は、母をさらに傷つけるから。
髪を掴まれ耳元で怒鳴られるけど、声が大き過ぎて何を言ったか分からなかった。
頭から嫌な音がして、ハラハラと落ちていく髪を見て、無性に悲しく思ってしまう。
涙が出てきて、お母さんやめてと言ったら、また耳元で怒鳴られる。
母の言葉の合間を縫って、カレーのことだと伝えると、少し間を置いて、母は鍋を放り投げた。
壁に当たって大きな音を立てた後、床に流れたカレーを見て、なんだか立っていられなくなった。
しんと静まり返った部屋の中に、母の啜り泣く音が混じってくる。
よかった。ちょっとだけ、周りをみてくれている。
「……っ、あっ…………うぅぅ……ごめん……」
「……片付け、やっとくよ……ほら、ソファで横になって」
母をソファに寝かせて、その辺にあった毛布をかけてあげる。
まだ泣いている母を安心させるよう、精一杯に微笑んで手を握ると、震える手で握り返してくれた。
「ごめんっ……こんな……こんな母親でごめんねっ…………秋」
私はお母さんを置いていかないよ。
「大丈夫…………ウチのことはいいから、ゆっくりしてて……」
母が落ち着くのを待ってから、台所に行って後始末を始める。
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…………………いつまで、こんなことが続くんだろう。




