56.あの日の話しを。
自転車で行くには少し遠く、電車で行くには少しお金が勿体無い。そんな絶妙な距離に、百の出身中学はあるみたいだ。
「みたいだ」というのは、実際には訪れたことがないからだ。
前世で一ノ瀬夫妻を自宅に招待したとき、たまたま話題に上がった出身中学の話題を、たまたま自分が覚えていただけ。
改札を通って振り返ると、文句も言わず春樹がついてくる。
もう丸二年ほど着ている制服姿は、着られている側から、着こなしている側へ。むかつく。
自分だってあれぐらい着こなしていたはずだ。今の制服も好きだけど、こうやって並ぶと制服デートみたいで、なんだか気恥ずかしい。言わないけど。
「これってさ、制服デートだよな?」
「ボケ、お前ほんま……今から浮気の練習すんなや」
緊張感のない春樹に文句を言いつつも、申し訳ない気持ちが胸中を巡る。
彼からすると、意中の相手に進路を否定されて、知らない女を紹介されるのだ。
着いて来てくれてるだけマシかな……
「……櫓坂卒業して、俺ってどんな感じだったの?」
手元の櫓坂高校のパンフレットを指差しながら、優しい笑顔でそう言ってくれる春樹。この笑顔に、俺は何度救われたら気が済むんだか。
「ふふっ……プログラミングってやつ勉強して、ほいで大学もそっち系行ってたなぁ。ほんで、ゲームメーカー入った!あ、聞いてや!ラスハンの新作のクレジットにな、お前の名前載っててんで!あれは感動したなぁ……」
「へぇ!それはちょっと……嬉しいかも。そっか、ゲーム作ってたのかぁ……」
「せやで!ほんでな、ハルが作ったゲームを二人でやって、俺がアプデ入れろって文句言うてなぁ」
「アプデってなんだよ……ふふ……」
「アップデートの略や!んで、お前が怒ってな——」
一緒に遊んだこと、旅行に行ったこと、海とか川とかドライブとか。
春樹を前にして話し出すと、あの日の景色を、匂いを、音を、昨日のことのように思い出す。
ホームに到着した各駅停車に乗り込むと、平日の中途半端な時間ということもあって、車内はがらんとしていた。
自然と車窓を背に並んで座った。いつもだったら心地良いこそばゆさを感じる距離も、この時ばかりは普通の男友達のようだった。
「そういや、電車で旅行いったこともあったなぁ……お前ん家の風呂がぶっ壊れてな。温泉旅行やいうて二人で関西の温泉街いって……くくっ、お前間違って混浴入って……ふふっ……」
「ぶはっ!なんだよそれっ!止めてくれよ!」
「あははっ!ちゃうねん、のれんに吸い込まれていくお前が馬鹿面でっ……おもろすぎてっ……ぶふっ」
「変わらねえなぁお前も……あははっ——」
楽しかった思い出も、一緒に悩んだ夜も、春樹は目を細めて楽しそうに聞いてくれた。
それが無性に嬉しくて。あの日の春樹に会えたみたいだった。
「——んで、そのタイミングで秋と喧嘩したんよ。結婚式の前日やったわ……お前が秋と俺の機嫌とってくれて……」
「……くくっ、俺っ子か?」
「ぉ……ええやんか!ほんでっ……!お前が気まずそうな顔で結婚式のスピーチしてんの見てたらっ……ふふっ」
「……こう聞くと、お前ほんとに結婚してたんだな」
「……うん。幸せやったよ」
車内アナウンスが次の駅を知らせる。気づけば、目的の駅はもうすぐそこだった。
少しずつ緩やかになっていく電車の揺れに、到着までのタイムリミットを感じる。
「やからな、お前がももちゃんと結婚するって、うちの玄関で報告しに来た時は、嬉しくて…………嬉しかったんよ……」
薬指にはめた指輪を震えながら見せてくれた春樹。そんな彼の手を、多分俺は情けない顔をしながら、何度も掴んで喜んだ。
玄関先で、二人で年甲斐もなく大声を出して、近所迷惑だって秋に叱られたのを今でも覚えている。
鞄を開いて、自分用に貰ってあったもう一冊のパンフレットを取り出す。「東砦高等学校」と書かれたそれを、櫓坂のパンフレットを持つ春樹に手渡した。
「ハル……こんなこと言ってごめん。でも、ウチが見てきたハルは幸せそうやった。やからもう一回、真剣に考えてみて欲しい」
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右手に東砦のパンフレット、左手に櫓坂のパンフレットを持って、機械的な音を立てて開いた扉から電車を降りる。
ひなが語ってくれた俺の知らない未来の俺は、羨ましくなるぐらい幸せそうで、知らず知らず左手に力が入る。
「……んで?その安土百さん?がいる中学はどこにあるんだ?」
「知らんわ。やからこっからは聞き込みや!」
そう言うと、ひなは早速駅員に道を聞きにいく。ある程度の位置は聞けたらしく、とりあえず駅から出て右に曲がってまっすぐ進む。
知らない街をひなと二人で歩いていく。初めて入った駄菓子屋で、食べ慣れた味を買って食べ歩く。
なんとなく、ワクワクしている自分がいた。
途中、通行人に何度か道を聞き直し、少し道を修正しては、目的の学校を目指す。
ひなはスマホあればどうとかブツクサ言っていたけど、俺は迷いながら二人で歩くのも楽しかった。
三十分ほど経った頃、見慣れない制服姿の学生とちらほらすれ違いだした。
向こうも珍しそうにこちらを見ており、これから他校を訪ねると思うと、意味もなく緊張した。
目的の中学校に到着し校門の近くまで来て、その時初めて気がついた。
「なあ、そもそもどうやって会うんだ?まさか乗り込むのか?」
「まかしとけや、ウチがとっておきの方法で会わしたるから」
そう言うとしばらく校門から出てくる生徒を観察して、おもむろに飛び出していくと、一人で歩いている女子生徒に話しかけた。
「こんにちは、ちょっとええですか?」
「……?はい、なんですか?」
「安土百さんってご存知ですか?学校同士の交流会のことで、ちょっと用事ありまして」
「もも?はいはい……交流会……?」
「あぁ、すんませんちょっと急ぎでっ!あっ!?えらいこっちゃ!時間がぁっ!?すぐお願いしますっ!!」
「は、はいぃ……」
急いで校舎に消えていく名前も知らない女子生徒を哀れに思う。満足げな表情で帰ってくるひなを丸めたパンフレットで叩いて、さっきの子には心の中で謝った。
「いてっ、何や!作戦通りやろ!」
「いや雑すぎんだろ!かわいそうだったわ!」
「ええねん呼び出せたらなんでもぉ!返せ大事なパンフレット!」
ひなはパンフレットをひったくると、そのままそれで俺の尻を叩いて少し離れた建物の陰に誘導する。大事なとは?
行き当たりばったりだった「安土百に会おうの会」は、いつのまにか条件が揃ってしまった。
すこし、緊張する。隣にいるひなも、先ほどまでとは違う真剣な面持ちで校門のほうを見つめている。
そんなひなを見ていると、その時は来た。
「……来た。ももちゃんや」
その言葉を聞いて、校門の方へ目を向ける。
あぁ、なるほどな。
不思議そうに周りをキョロキョロと見回す姿を見て、確かにそう思った。
本日何度目かの不思議体験。少し眉をひそめたあの子に、何故か目を奪われた。
声も性格も知らないし、信じられないほど可愛いとか、そういうわけでもない。
ただ、なるほど。前世の俺は嬉しかっただろうなと、そう思った。
不意に、右手に小さな気配を感じた。
見ると、ひなが自分の袖を頼りなく掴んでいた。
彼女は先ほどと変わらず真剣な表情で安土百を見つめており、彼女の左手だけが動いた、そんな様子だった。
「……ひな?」
「わっ!?なんやっ、びっくりさせんな…………あかんっ」
身を翻し、走り出すひな。
何事かと、直前までの彼女の視線を辿る。
安土百が、走ってきていた。
「逃げろハル!捕まんぞ!」
「おいっ!名前呼ぶな!!」
「待てっ!!タチ悪いぞっ!?」
色んなことが怒涛の勢いで押し寄せてくるようで、感情の整理も追いつかないまま、結婚していたらしい女の子からとにかく逃げた。
後から聞いたがひな曰く、彼女も陸上部らしく種目は短距離だとか。
勝手知ったる道だったらいざ知らず、迷いながらの逃走劇だ。あの子が中距離なら、やばかったかもしれない。
「おぼえたからなぁっ!!ハルとかいうやつーっ!!!」
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運良く開いた座席に雪崩れ込むように二人で座り、怠さに身を任せながら時刻を確認すると、一八時二七分。
なんとか振り切ったのが十五分ほど前で、そこからはまた道を聞きながら駅までたどり着いた。
「さすがに疲れたわ……あー、帰ったらえらい時間や」
「お前……名前覚えられたじゃねぇか……」
電車が発進し、知らなかった街が遠のいていく。走った疲れよりも気疲れの勝る体は、自然と互いに肩を預けた。
しばらく無言で街を眺め、意を決して口を開く。
「んで、どうやった?」
「どうって?どれ?」
自分も初めて見た中学生バージョンの百は、見た目は若くとも、自分の記憶の中にある百に違いなかった。
春樹が選んだ人であり、共に人生を歩むと決めた人、その人だった。
百を見つけたときも、春樹が惹かれているのは分かっていた。
「ももちゃん。可愛かったやろ?」
「あぁ、可愛かったな」
「櫓坂、行きたなったやろ?」
「……そうかもな」
「そっか……」
これで良かったのだろう。順風満帆な人生を送って、幸せを掴み取った彼を知っている。
まさに前世を知っている自分だから出来た軌道修正じゃないか。
お手本のようとまではいかなくとも、充分すぎる結果だろう。
だから、少し寂しく思うのも、心の内にしまっておこう。
「まっ、俺は東砦に行くけどな」
今自分は、馬鹿面を晒して春樹に晒しているだろう。
開いた口が塞がらず、まさしくポカーンと彼を見ると、憎たらしい悪戯顔でハッキリと言った。
「その方が、おもしろそうだ」
「…………そっか」
色んな思い出が次々と頭の中を流れては、それらが無かったことになるみたいで、鼻の奥がつんと熱くなった。
一緒にいられる楽しみと、もうあの日々の春樹には戻れない悲しみが綯交ぜになった、複雑な気分だ。
そんな自分の心も知らず、春樹は続けた。
「だから、東砦のパンフレットかえしてくれ」
「……はいはい、てか、元はと言えばウチの……あれっ?」
鞄の横ポケットに入れたはずのパンフレットは、どこを探しても見つからなかった。東砦も櫓坂も、どこかへ落としたらしい。
「えぇ……落とした?はぁ……」
「なにやってんだよ……」
「しゃーないやろ!ももちゃん、めっちゃ怖かったから……」
「「………………ぶふっ」」
必死の形相で追いかけてくる百を思い出すと、電車だということを忘れるぐらい笑ってしまい、近くのサラリーマンに注意された。
その後も思い出しては腹を抑えて、小声で一緒に笑い続けた。
「ふふっ、なぁ、俺の未来の話。もっと聞かせてくれ」
「ええで。くくっ……えーっとなぁ、確かお前とももちゃんが、二回目うちに来た時の——」
夕暮れの電車に揺られながら、春樹に思いつく限りの思い出を語り継いだ。
今日という日から、あの日の話しを。




