54.記入事項に誤りがあります。
ボロボロになった人生計画書。自分にとっては、もう見飽きたと言っても過言ではないこのノートをめくっては、小さくため息を吐いた。
現状、上手くいっていないわけではない。なんなら順調と言っても良いぐらい、満足する成果は得られている。
姉の夕陽は、進学先こそ前世と変わらなかったが、目に見えて充実した日々を過ごしている。
虐めにまつわる問題も、紆余曲折あったが一華も自分も、そして巴も問題なく学校に通えている。
その他、小さな出来事も、自分のチートスキルかっこ笑かっこ閉じ、で上手く乗り切れている。
それでも不安が胸中を巡るのは、この計画書に書いた出来事が起きなかったり、逆に書かれていない出来事が起こったりするようになってきているからだ。
「絶対……ズレてきてるよなぁ……」
みんな、大きな問題もなく日々の生活を送っている。自分も一度目の中学校生活より、彩りのある毎日を過ごしている。
だからというわけではないが、そのうち取り返しのつかないようなしっぺ返しが、大きなズレとなって襲ってくるような気がして、今夜もこうして計画書に目を通している。
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「オイッ!五十四番!!メシの時間だ!!」
いつまで経っても寝こけている怠け者には、朝食など不要だと私は思っている。しかし、これも受刑者の健康維持のためだと国から推奨されているのだから、まったく困ったものだ。
五十四番は、怠惰を隠そうともせずベッドから起き上がる。すると、私を睨みつけながらゆっくり口を開いた。
「……ったく、今日のスープには具が入ってんだろうなぁ?」
「んふふっ……貴様っ!私語は慎め!」
「たまには白いパンが食いたいもんだ」
「っ……!貴様ァ!!」
命令を無視する受刑者は独房送りと決まっている。
ここでは徹底された規律が唯一の法。しかし五十四番には独房に行く前に、私の手で悪夢を見てもらおう。
虚偽の報告書を書くため、現時刻を確認する。
「あかん、もうこんな時間や。五十四番はよご飯食べぇや」
「突然の関西弁やめろ」
今日は自分が少し寝坊したせいで、いつもより時間に余裕がなかった。加えて寝起きの茶番が長引いたせいもあって、春樹がゆっくり朝食をとる時間が無いかもしれない。
まだ寝ぼけ眼の春樹に声をかけ、先に一階へ行こうとすると、後ろから制服の裾を引っ張られ、そのままベッドに座らされた。
「あ、なんや!時間ない言うてんねん!」
「もうちょっと!このまま、もうちょっとだけ!」
「なにもう……甘えんぼやん……」
春樹が腰に手を回していて、立ち上がれない。というより、無理に引き剥がすこともしなかった。
甘えてくる彼を、なんとなく可愛いと思ってしまうあたり、自分もかなり毒されているのだろう。
寝癖がついたままの髪を指で梳くと、気持ちよさそうに顔をうずめてくる。
「髪、ゴワゴワやな。ウチのと全然ちゃうわ」
「悪かったな。綺麗じゃなくて」
「ううん……なんか、男の子って感じ……」
腰に回された腕も触ってみると、ごつごつと筋張った感触が、静かに心をあたためた。
ぷにぷにと柔らかい自分に比べて、その硬い腕に身体を預けていると、なんだか守られているような、不思議な安心感に満たされていく。
「……ほれ、ほんまに時間なくなんで。今日から三年や」
「ん……わかってる」
名残惜しそうに腕の力を緩めた春樹の髪を、最後にもう一度撫でてから、二人で階下へと向かう。
階段を降りていると、ふと前を歩く彼が、しきりに自分の腕の匂いを嗅いでいるのが見えた。
「なに、くさいんか?」
「いや、ひなの匂いがして」
「……あほ」
照れくささを誤魔化すように、先を行く背中を小突くと、春樹はくすっと笑ってリビングへ降りていった。手早く朝食を済ませて家を出る。
冷たい朝の空気を吸い込みながら並んで学校へ向かう途中、ふと制服から春樹の匂いがして、少しだけ胸がくすぐったくなった。そんな、勝手にぎこちない空気を感じたまま、新学期のざわついた校舎へと足を踏み入れる。
廊下に張り出された新しいクラス名簿によると、中学校最後のクラスは三年五組だった。同じく五組に配属となった春樹と共に、新しい教室へ足を踏み入れると、冬休みは会えなかった二人と顔を合わせることができた。
「二人とも、おはよ」
「おはようございます。クラス、一緒になれて良かったです!」
「おはよーさん……これは、偶然じゃないやろなぁ……」
「おはよ。どういうことだ?」
黒板のクラス名簿を指差すと、春樹、一華、巴の視線がそちらに集中する。
集まりすぎてるのだ。自分にとって都合が良い人物が、三年五組にほぼ全員集まっている。
二年生のクラスが前世と変わったことも、今年の五組の配属も、どちらもおそらく、自分という問題を抱えた生徒への配慮なのだろう。
「あぁ確かに。小、中のヒナの友達ばっかりだね」
「ウチ、全員と仲ええもん」
「これがまかり通っていいのか……」
「ふふっ……楽しくなりそうで良いじゃないですか」
最近はみんなと授業を受けることがほとんどだったから、ここまで露骨な人選は必要無いようにも思うが……
中学校最後の一年が、予期せぬ形で愉快なものになりそうで、未来のズレとやらに思わず感謝した。
始業時間が近づくにつれて、クラスメイトが集まってくる。最初は友人の多さに喜んでいたが、全員が揃う頃には皆、苦笑いをこちらに向けていた。
「……なんやねん、ウチが学校に言うたんちゃうで」
「しょうがないよ。去年、一昨年は、日向辛そうだったしね」
クラスメイトからの視線に、不満を申し立てていると、草太が話しかけてきた。
二年生の間は、他のクラスと交流をとるほどの余裕も無かったので、彼と話すのは一年生の頃以来だ。
「おー、そうちゃん!なんか久し——」
「今年も日向と一緒かぁ、よろしくね」
「泉ちゃん……あ、そうちゃん。この子泉ちゃんいうて、人の話し——」
「日向の友達?佐々木泉です。よろしくね」
そのあと、草太とは普通に会話をしている泉に、納得いかない思いを抱いていると、ふと周りのクラスメイトが目に入った。
自分を中心とした交友関係がそのまま形になったような三年五組は、草太と泉のように、初対面同士の者も少なからずいる。
友達の友達という距離感のままでも悪くはないが、どうせなら、みんな仲良くなれたら良い一年になりそうじゃないか。
「……親睦会でもやったら、おもろいかなぁ」
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決まったフォーム、同じ角度を意識して、脱力。腕を振り子のように真っ直ぐ振ることがコツだ……いける。
「……なぁ、ガーター無しにしよーや」
「ぶふっ……っ、あんなに真剣な顔してたのに……」
「夏野お前っ……ふふっ、苦手なことあったんだな」
始業式のあった週の金曜日。放課後、クラス全員ではないものの、そこそこ大人数でボウリングに来ていた。
レーン脇のベンチには自分の他に、春樹、紬、桜、それと鉄平が座っている。
先ほどから情けない結果ばかりを残していて、一ゲーム目の最終スコアは四十三だった。
「そもそもねぇ、なんで日向は十五ポンドなんて持ってるのぉ?重たいでしょぉ」
「桜ちゃん……男っちゅうんは、ボウリングきたらとりあえず一番重いやつ投げたくなんねや……なぁ鉄平」
「わかってるじゃねーか!使い続ける奴はあんまりいねぇけど……!さすがだぜ夏野!!」
「ひなは女子……だよ。うん」
鉄平以外の賛同を得られなくとも、もうボールを変えるつもりはない。黒で、なんかモヤモヤした模様のこいつがいいのだ。
続く二投目。決まったフォーム、同じ角度を意識して、脱力。腕を振り子のように真っ直ぐ振ることがコツだ……いける。
ボールはレーンの間の仕切りを必死に超えて、隣のガーターへ消えていった。
隣のレーンでは、ボールを胸の前で抱えたままの巴が、ピンの横を素通りする見知らぬボールを呆然と見ている。哀れにも彼女のスコアボードにはGの文字が点灯し、ベンチでは春樹達が腹を抱えて笑っていた。
「変やな……これもズレが原因か?」
「ヒナ……?」
「ごめん」
ぷんすかと怒る巴をなだめてから自分のベンチに戻ると、脇腹を抱えた紬が飲み物を渡してくれた。
「ほんと……私は日向がこうやってさ、みんなと笑ってるのが嬉しいよ。まったく」
「おかげさまで、やでほんま……みんな優しいんやもん」
「……ねぇ日向……あのときはさ、一緒にいられなくてごめんね」
少し伏目になった彼女が言っているのは、一年生の頃の話だろう。
心配して声をかけてくれた彼女を突き放したのは、そもそも自分なのだから謝ることなどない。
それでも紬は、ずっと気にしてくれていたのだろう。膝の上で組んだ手を、所在なさげに弄っている。
もう過ぎた話だ。と言えないのは、消えることのない傷が出来てしまったことを、自分でもよく分かっているからだ。
それでもこうして、彼女の手を握ってはっきり言えることもある。
「つむちゃん。ウチ、今めっちゃ楽しいよ。色んな人に助けてもろて、ちょっとずつ日常に戻れて……こんなに中学楽しくなるって、思わんかったもん。あの日、つむちゃんがみんなに声かけてくれへんかったら、ウチ死んでたかもしれんし」
スコアボードではストライクをとった者に送られる、安っぽいアニメーションが流れている。
鉄平がガッツポーズを決めながら歩いてきて、春樹と桜、そして自分にも躊躇なくハイタッチしていった。
「やからなつむちゃん。ありがとう、あのとき助けてくれて。ウチが今楽しいんはつむちゃんのおかげや!」
もちろん紬にお礼を言ったのは初めてではない。それでも、なんとなく今、初めて自分の感謝が伝わった気がした。俯き気味だった彼女が、自分の目を見て笑ってくれたから。
「……よーし!ラストは優勝した人には特典つけよっか!最下位の人は優勝者の言うことを一日中聞く!!どーよ?」
「待って、話がちゃうやん」
本日最後の一ゲームがペナルティ付きのデスゲームになった。急造された優勝商品には『日向を一日好きにできる券』と書かれている。馬鹿どもが。
急いで八ポンドの子供用ボールに持ち替える。さらば、ガーター生産機。お前のことはもう忘れた。
「一日……好きにできると……?」
「へぇ……好きにしていいんですよね……?」
春樹と一華の背後の空気が揺らいでいるように見える。さっきまで和気あいあいとしていた親睦会が一変、二人のせいで張り詰めた空気が漂いだした。
提案した張本人はケラケラと笑っており、優勝商品は乾いた笑いすら出なかった。
「ト、トモっ……助けて……アイツらこわいっ」
「暴走状態に入ったか……やれるだけのことはするけど……ごめんね、ヒナ」
いつも頼りになる巴が、やるせない思いを口から漏らし、目を隠すように俯いてしまう。その肩が笑っているのは気のせいだろうか。
仕方がない、自分が優勝すればいいのだ。幸いにも新しいボールは手に馴染む。
決まったフォーム、同じ角度を意識して、脱力。腕を振り子のように真っ直ぐ振ることがコツだ……いける。
ガーター生産機は、自分だった。
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「さて、いつ使いましょうかねぇ……」
一華が『日向を一日好きにできる券』とやらで自分の頬を撫でてくる。彼女は、それまでせいぜい八十前後だったスコアが嘘だったかのような制球力を見せ、初心者とは思えない結果を叩き出した。
春樹もかなり善戦したとはいえるが、彼女の爆発力を前に無惨にも塵と化した。
「うぅ……変なことしやんといてや?」
「……ケケッ」
妖怪みたいに笑う一華が怖くて周りに助けを求めるが、みんな素知らぬ顔で帰っていく。こんな薄情な連中と一年間一緒だと思うと、学校生活が不安になってきた。
「さて、私たちもそろそろ帰ろっか」
巴がそう言い、春樹も含めた四人で駅へ歩き出す。
新しい輪も出来ていたことだし、なんだかんだで親睦会としては良い結果になったのだろう。楽しい一年となるならば、犠牲の一つや二つが出るのも致し方ない。
「良いクラスになりそうだな」
「……うん、楽しくなりそうや」
思わぬ形で友人ばかりとなった三年五組。
計画書には、こんな一年になるなんて一文字も書かれていない。
記憶に無いことが起こるのが、怖くないと言えば嘘になる。
それでも今は、このズレた未来も悪くないと思えた。




