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LIFE Re plan  作者: ちっこい日の出
中学生編
52/59

51.笑顔の一日


 

 九月に入って少し経つというのに、未だに寝苦しい日々が続いており、毎朝のように半裸になって掛け布団を蹴飛ばしている。

 日曜日だというのに自分を叩き起こしたデジタル時計は電池が切れかかっているのか、液晶の数字がやや薄い。少し斜めから見て、時刻を確認すると午前八時三分。

 

 階段を降りていくにつれ、足元からひんやりした空気に浸かっていく。娘は十四歳にして電気代の心配をしているというのに、うちの両親ときたら、今日も暑さに負けたらしい。

 冷房が効いた中、優雅にコーヒーを飲む父の背中は、最近鍛えているせいか、やけにゴツくなった気がする。

 取引をしよう。その背中に飛び込む代わりにコーヒーを淹れるのだ。


「おとうさん!コーヒー淹れてっ!」


「あっづ!?ひなっ!危ないやん……け……」


 驚いたであろう。以前ならば、父であってもここまで密着すると体が強張っていたが、見たまえこの満面の笑みを。

 どうだと言わんばかりに鼻息を荒くしてみせると、父と母は、顔を見合わせて優しく笑っていた。

 一年だ、一年かかった。全幅の信頼を置く父に、一切体が反応しないようになるのに、それだけかかった。

 久しぶりに、なんの心配もなく触れた父の背中は、暖かくて、とても、安心した。


「ひな……」


 もう少し、このまま……お父さん……


「寝る時、ブラジャーつけた方がええんちゃうか?」


「きっっっしょっ!!!」


「あんた、娘に嫌われたいんか?」


 お父さん臭い。


————————————

 


 あの後、父に説教を始めたのがいけなかった。

 でも許してほしい。一応これでも、女の子として五年間生きてきたんだから、あんな事言われたら怒りたくもなる。


 すでに、待ち合わせの時間を二十分も過ぎている。

 スニーカーで来てよかった。バスを降りてからというもの、謝罪の連絡を入れた携帯を握りしめたまま走り続けていた。


「はぁっ……はぁっ、ごめ……ほんまごめん。お父さんがキショくて遅れた……」


「どういう言い訳なの……」


「日向が遅れるなんて珍しいですね」


 田舎街からバスを乗り継いで、隣町の大型ショッピングモールにやってきた。

 本日は、巴の足が完治したお祝い。それを口実にした、久しぶりの三人でのお出かけだ。

 

「とりあえず入ろっか、どっか行きたいお店ある?」


「本屋さん行きたいです。あとは雑貨も見たいかな」


「雑貨はウチも見たいなぁ、あとは……ゲーム!ここ中古屋さん入ってんねん」


「ふふっ……じゃぁ、雑貨屋さんから行こっか!私もいきたいし」


 日曜日ということもあって、モール内はどこも混雑していた。

 雑貨屋は二階にあるので、両側に並んだショップを見ながらエスカレーターを目指す。

 それは、突然のことだった。なんとも芳醇な香りが鼻腔をくすぐり、二人の声が輪郭を無くしていく。

 信じられないことに、体が勝手にコーヒーショップに吸い込まれていった。


「あぁっ!?助けてぇ!ウチの意思じゃないんやぁ!!」


「あははっ、声デカいって。どんなけ好きなの」


「もう、雑貨屋さん行くんじゃなかったんですか」


 しょうがないじゃないか。朝は結局飲めなかったし、コーヒーの血中濃度が下がってるんだよ。

 二人に呆れられながらも、やっと、この日一杯目のコーヒーを手に入れた。

 

「んんぃ!生きてるなぁ」


「大げさな……そんなに美味しい?」


「ほい、一口どうぞ」


 巴が興味ありげに手元を見ていたので、カップを手渡す。カップに口をつけ、火傷に気をつけながら一口含むと、意外そうに眉を上げた。


「おいしい……というか、バニラみたいな匂いがする」


「フレーバーコーヒーって言うんよ。一華もどうぞ」


「しまった……日向と間接……いや、これを飲むことで、実質的に日向が私の唇に触れることに……ッッ!!」


「怖いって……返して……」


 いつも通りなやり取りをしながら、目的の雑貨屋に到着する。店内には商品が所狭しと並んでいて、三人で物色しながら店の奥まで入っていった。


「……ねぇヒナ、これつけてみない?」


「んー?うっ、リボンかぁ……ちょっと可愛いすぎひん?ウチの中のライン超えてるわ……」


 巴が手に取ったのは、白いリボンがついたカチューシャだった。

 正直なところ、可愛く着飾ることは好きだ。ヘアゴムの色が黒じゃないだけでも嬉しく思うし、好きな服を着たいから体型維持も頑張ってる。

 でも、あんまりにも可愛すぎる物を身につけると、照れるというか……

 巴からカチューシャを受け取った一華が、鏡の近くでつけてくれる。


「顔立ち幼いですし、似合いそうですけどね……うん、可愛いですよ」


「いいじゃんか!可愛いよ!ほら、鏡見て」


「……うぅ、なんかキュゥってなる……こんなんウチとちゃう……」


 顔が熱くなるのを感じる。鏡に映っていたのは、リボンの圧力に負けて、真っ赤になっている自分の顔だった。

 自分の中で、もう曖昧になっていた男と女の境界線が、鏡に映った姿を見た途端、ぐらりと揺らいだ。


「なぁ……ウチこれ、なんかあかんよ……」

 

「ぐっ……なんていじらしい……なんか、暴れたくなってきました」


「いっかちん落ち着いて。とりあえず、ヒナはぎゅぅってされなさい」


「もう、好きにしてください……」


 二人にさんざん可愛がられて、他にも女の子全開のアイテムを装備させられ、頭が沸騰しそうだった。

 しかし、雑貨屋から出た自分の手には、いつの間にか紙袋がぶら下がっていた。一個ぐらい、持っていてもいいかなぁって。


「ふふっ、今度学校につけてきます?」


「絶対つけへんっ!死んじゃう……」


「えー?似合ってたけどなぁ……っと、結構いい時間だね、そろそろお腹空かない?」


 携帯を見ると、時刻は十二時を少し過ぎた頃だった。

 朝食を食べ損ねたせいで、お腹が低く唸り声をあげる。巴の希望で、昼食は一階にあるビュッフェ形式のレストランに入ることとなった。

 日曜日のお昼時ということもあり、店内は家族連れで賑わっている。席が空くまで、三人で店の外にある待合スペースで待つことになった。

 ふと、隣の一華を見ると、仲睦まじい親子を見ながら、少し寂しそうな顔をしていた。


「どしたんよ、眉毛下がってんで」


「……うちの両親、今年入ってから喧嘩が多くって……なんか、いいなぁって」


「そ……れは…………ちょっと、悲しいなぁ」


「あっ、気にしないでくださいね?昔からちょこちょこあったんですよ……」


 気にしないで。そう言った彼女の横顔は、その年齢を思うと、心苦しくなるほど切ないものだった。

 なんとかしてあげたいと思うけど、自分ではどうしようもない問題に、もどかしい気持ちになった。

 一華を挟んで座る巴に目を向けても、彼女も同じ気持ちのようだ。


「ぅ……ウチもっ!秋とよう喧嘩してたで!めっちゃしょうもない……えーっと、洗濯もんの畳み方とかっ」


「生活感見えて、むしろ落ち込むんですけど……」


「ぉ……ごっ…………」


 陸に打ち捨てられた魚のように、口をパクパクさせることしか出来なかった。

 巴が頭を抱えて、一華がジトっとした目でみてくる。

 手頃な穴があるなら誰か紹介して欲しい。助走をつけて入るから。

 

「ぶふっ、なんて顔してるんですか……ふふっ……」


「い、いちかぁ……」


「大丈夫ですよ。励ましてくれようとしたんでしょう?嬉しいです」


 気の利いた言葉もかけられず、励まそうとした相手にフォローしてもらって、自分のポンコツ具合が嫌になる。

 それでも、一華が少しでも笑ってくれたのなら、今はそれでいいことにしよう。


「三名でお待ちの夏野さまー」


「あ、呼ばれました。さぁ、食べますよー!」


「……っし!元取るでぇ!トモはお肉担当や!」


「好きなの食べさせてよ!!」


 案内された席に荷物を置くと、足早に料理へと向かい、三者三様にプレートを埋めていく。

 容量の少ない自分の胃袋にも、この時ばかりは無理をさせた。

 お腹いっぱいになるまで食べた後、店を出る頃には、三人ともすっかり動きが鈍くなっていた。


「……お腹ぽっこんなった」


「食べ過ぎですよ……最後、苦しいって言いながらカレー取りに行ってたじゃないですか」


「やめて、今カレーのこと思い出したら全部出てくる」


「あはは、ちょっと休憩してから次行こっか」


 適当なベンチに腰を下ろして、何気ない会話をして、三人で笑う。自分が言ったことに一華が乗っかって、それに巴が呆れて、また三人で笑う。


 お腹が落ち着いてきた頃、本屋に向かった。一華の目当ての本を皆で探したけど、売り切れていると知って、彼女は肩を落とした。二人で慰めて、また歩き出す。


 服を見に行って、お互いをコーディネートした。

 レザークラフトのお店では、いつか三人でお揃いのブレスレットを作る約束をした。楽器屋で試奏用のギターを弾いてみせたら、二人がすごく褒めてくれた。

 一華が足が疲れたと言うから、また三人で座った。


 

 そんな、普通の休日。

 そんな、大切な時間。

 

 

「……そろそろ行こか」


「次どこ行きますか?」


「むふっ、ゲームやゲームぅ!中古屋さん!」

 

「あ、そういや言ってたね。男子はゲーム好きだねぇ」


「男子て……まあそうね。ふふっ、おもろいで、ウチからしたら新作出ても全部レトロゲームや」


「ふふっ、じゃあ新曲が出ても懐メロ扱いですか?」


「あはは、そもそも懐メロって言わんようになってたよ」


 目的の中古ショップがある三階に、エレベーターを使って上る。扉が開くと、ゲームセンターのけたたましい喧騒が聞こえてきた。

 するとその音を聞いてか、巴がふと口を開いた。


「そういえば、この三人でプリクラって撮ったことないよね」


「言われてみれば……いつもお家か地元で遊んでますもんね」


「あのカウントダウン、めっちゃ急かされてるみたいで苦手やねんなぁ」


「よしっ、今日撮ろうよ!思い出に!」


 落書きだとか加工だとか、意味不明な操作を制限時間内にしないといけないのが嫌で、前世でも片手で数えられるほどしか撮ったことが無かった。

 それが、自分でも不思議なぐらい、この二人となら焦って騒ぎながらやるのも悪くないと、そう思えたことに心があたたかくなった。


「ほな、行きますかプリント倶楽部」


「プリント倶楽部っていうんだ……っと、その前にお手洗い行ってきていい?」


「あ、じゃあ私も。日向も行きますか?」


「んー、ゲーセンぶらついとくわ!」


 二人を見送ってから、面白いアーケードでもないかと店内をうろつく。

 巴はホラーが苦手だから、後で一緒にゾンビサバイバルのガンシューティングをやったら、面白い反応が見られるかもしれない。

 一華は意外と男の子趣味もあるから、向こうのロボットを操縦するゲームで喜ぶかもしれない。


「ふふ……楽しみ過ぎてるわ」


 プリクラコーナーは店内の一番奥にずらりと並んでいて、アーケードエリアとは仕切りが張られている。

 自分の他にも女子グループやカップルがいて、一人でいると、いたたまれなくなってきた。


 誰に照れるわけでもないが、なんとなく恥ずかしい思いをしながら、一番落ち着きがありそうな筐体を選んで中を覗こうとした。すると、垂れ幕越しに中にいる人の足が見えた。


「んあ、すいません」


「あ、ごめんなさい。すぐ出ますね」


「大丈夫ですよ。まだ使わなっ……」


 中から出てきた人物と目が合う。

 言葉に詰まるというよりは、呼吸が詰まった。

 貧血にも似た眩暈が視界を揺らし、膝から崩れ落ちた。

 冷たくなっていく両手で、ギリギリと締め付けられる胸を押さえながらも、視線が吸い寄せられるように固定されて動かない。

 


 市川響子だ。


 

「ぃ……ちっ……っ、ぁ…………」

 

 ひゅぅっと喉が汚い音を立て、意味もなく右手で胸を圧迫して、必死に空気を集めようとする。

 逃げなきゃ。二人の所へ、またトイレに逃げ込んで、何処かに行くまで隠れなきゃ。言うこと聞いて、返事しないと、また昨日みたいに心を犯される。

 まともに思考出来ていない。そんな事分かっている。

 

 市川がすぅっと目を細め、あの日のように、愉しそうに笑った。


「ひさしぶり」


 三人に押さえつけられ、背中にタバコを押し付けられた。暗いロッカーの中に、半日閉じ込められた。出てきたら死んだセミを口に入れられた。ビニール袋を被せられて、気絶するまで窒息させられた。本当に死んだと思った。裸の写真を何枚も何枚も撮られた。情けなくて大声で泣いた。


「日向ッッ!!」


 急に視界が遮られ、思考がプツンと切り替わる。

 力いっぱい抱きしめられ、現実に思考が戻ってくる。

 巴が、市川との間に入って、震えながら睨み合っている。


「ぁ……ぐっ……いち、か……とも……」

 

「大丈夫です、私たちがいます。息を吸って、日向、深く吸って……!」

 

 一華の言葉に、詰まりながらも呼吸を整える。

 市川は何もしてこない。ただ、そこにいるだけ。

 しかし、一度溢れ出したフラッシュバックが、ずっと脳裏にこびりついている。

 二人の向こうにいる市川が、身を翻して立ち去って行った。


「ヒナごめんね……一人にしてごめん……」


「もう大丈夫ですよ。大丈夫……私たちがいますからね……」


 二人が優しく抱きしめてくれて、ようやく市川から視界が切れる。

 それでも溢れ出した涙が止まらず、まともに声も出せなかった。


 一年前とは違う。心が生きている。

 

 父の背中に飛び込んで、その暖かさに安心した。

 一華と巴といっぱい笑って、思い出を積み上げた。


「…………こわい」


 絞り出した声は、自分でも驚くほど幼かった。

 もう一人じゃない。もう、あの頃とは違う。

 

 なのに、心と身体の繋ぎ目がぶつりと切れてしまったみたいに、心だけが一年前に引きずり込まれた。

 

 あの暗闇から、今日を見ているみたいだった。



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