50.この子も本気
あの後、巴は試合の最後まで復帰できなかった。
交代で入った選手とは上手く連携を取って、一度は態勢を立て直した。
しかし、巴の抜けた穴は大きくて、最後には逆転されて、そのまま負けて……
先輩たちは、悔しい結果に落ち込みながら、コートを後にした。らしい。
さっき、心配して声をかけてくれた杏が教えてくれた。
あんまり頭に入ってこなかったけど、たしかそんなかんじ。
あの巴が、いつも自分を支えてくれてる巴が、あんなに頑張ってたのに、痛そうに顔を歪めていた。
くだらないことにも一緒に笑ってくれる巴が、あんなに楽しそうにしてたのに、ベンチで辛そうにしていた。
真剣な表情も、緊張してたのも、先輩を思って試合に臨んだのも、全部、巴は本気でやってたのに……
勝って、笑って欲しかった。
納得して、負けて欲しかった。
巴の気持ちを考えると、また目の奥が熱くなってきた。
「日向……ともちんのとこ、行きましょう……」
「…………うん」
席から立つと、周りはすでに他校のバスケ部が次の試合を観戦していた。いつの間にか、観客席で応援していた母校のバスケ部は撤収していた。
まだズシリと重く感じるバッグを持って、一華の後ろをついて行く。
巴は、意外とすぐに見つかった。
今朝、この体育館に着いた時、自分たちが座っていた場所に同じように腰を下ろし、膝を抱えてうずくまっていた。
目の周りが真っ赤になっていて、ぼぅっとした顔でどこも見ていない彼女に、かける言葉が見つからない。
「トモ…………」
自分の声に、ゆっくりと頭を上げてこちらを見た巴は、笑顔に全てを隠そうとしていた。
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上手くもらえる。
シュートを打つ間際、前からくるディフェンスの勢いを見て、モーション中にファウルを貰おうとした。
フリースローをもぎ取って、さらに点差を広げれば、最終クォーターはその勢いのまま逃げ切る。
体は沸騰するぐらい暑いのに、頭は驚くほど冷静だった。
一瞬、ほんの少し溜めてから、ボールを山なりに放った。
身構えるために、相手選手を目で捉えると、フロアに散った汗で足を滑らせていた。
「っ……いぎぃっ!?」
全体重が右足に乗って、左足でなんとか持ち堪えるも、硬く閉じた口から声が漏れ出た。
右足をつくと、体を支えられないほど激痛が走り、尻餅をつくようにへたり込んだ。
ダメだ。こんなところで流れを切っちゃいけないのに……
「ともえっ!どいて!」
相手選手を押しのけて、霧島先輩が駆けつけてくれる。私の顔を見て、息を呑むのが分かった。
「せんぱい……だ、だいじょうぶです…………ちょっとひねって……ちょっとだけ……」
「巴、どこ痛いの?」
後ろから来た雨宮部長が、膝をついて私の足を見る。
顧問の先生も、チームメイトもみんな集まってきて、みんなが私を見ている。
「……右足首が」
「ゆっくり動かしてみて」
「……っ…………うぐぅ……」
「もう大丈夫、ごめんね」
雨宮部長と顧問の先生が、何か話しているけど、痛みをどうにかしようと必死で、意味もなく右足に爪を食い込ませる。
隣の試合の声援が、やけにうるさく聞こえた。
消えて。どっかいってよ。
勝たなきゃいけないんだから。
もうちょっとなんだから。
今日まで、死ぬほど頑張ってきたんだから。
「巴、交代だ。先生、速水でお願いします」
「ま、待って!お願いします!やります!!」
「無理だよ……巴、足冷やしておいで」
「部長!お願いっ!」
こんなの嫌だ。
「大丈夫だから……なんとかするから」
そう言った雨宮部長の目は、不安げに揺れていた。
その視線をたどるように周りを見ると、おのずと答えが出た。
皆をそんな目にさせたのは、私だ。
チームメイトに肩を借りて、ベンチへ戻っていく。
交代の宣言がされると、背中越しに、ボールがバウンドする音と、シューズが床を擦る音が聞こえた。
誰かに促されるままにパイプ椅子に座ると、ジクジクと痛む足だけがやけに身近に思えた。
渡されたタオルで顔を覆うと、少しだけ落ち着く。
右足が冷たい。アイシングしてくれてる。
霧島先輩の声が聞こえる。試合どうなってるんだろう。
ファウル狙わなきゃよかった。馬鹿だ。
後輩にも、示しがつかないよ。
ヒナ、いっかちん、がっかりさせてごめん。
みんな、ごめん。
頑張っても、意味なかったよ。
ブザーが鳴っても、誰も歓声を上げなかった。
先輩たちの、夏が終わった。
私のせいで。
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「あはは……ごめんね、せっかく応援来てくれたのに」
巴は、たくさん泣いたであろう、その赤くなった目を細めた。全てを消化し終えて前に向かって進むことを決めた。だけど恥ずかしいところ見せてしまったから照れている。そう思わせるような、屈託の無い笑顔で笑っている。
そんなはずもないのに。
「いやぁ、格好悪いところ見せちゃったなぁ」
格好悪くなんてなかったよ。
「だけどまぁ……あんなもんだよ。私なんて」
やめろ。
「頑張ったところで、あれじゃ意味無いよね」
「トモっ!!」
自分の声に、息を呑む巴。たった一言、名前を呼んだだけで、取り繕おうとしていた感情が表に滲み出てくるぐらい、それぐらい張り詰めていたのだろう。
いつも真っ直ぐ自分の目を見てくれるその瞳は、叱られるのを怖がっている子供のようだった。
「……私、飲み物買ってきますね」
一華を見ると、言外に巴のことを頼まれた。
彼女だって同じ思いだろうに、自分に任せてくれた。
でも、なんて言葉をかけたら良いのだろう。
「……隣、座ってええ?」
「……うん」
拳一つ分、間をあけて右隣に座る。少しでも寄り添いたくて、小さくなってしまった彼女の肩に頭を預けると、巴は体を強張らせた。
ツンと汗の匂いがして、体がまだ火照っている。ユニフォームはところどころほつれて糸が出ており、白いバスケットシューズも靴紐が黒ずんでいた。
全部、巴がいっぱい頑張ってきた証拠だ。
腕を伸ばして湿布が貼ってある右足を撫でると、隣で顔をしかめる気配がした。
「……痛かった?」
「……うん」
あんなに意気込んでいた巴が、試合に復帰出来なかったのだ。相当痛かったのだろう。
出たかったはずだ。最後までコートに立って、先輩たちと戦って、全力を出し切りたかったはずだ。
そう思うと、心が痛かった。
「悔しかった……?」
「……」
何も見ていなかった巴の瞳が、彼女自身の心を捉えた気がした。
今日まで頑張ったこと。真剣だったこと。先輩たちと勝ちたかった。本気だったこと。
いっぱい練習して、手にタコも作って、部活が大好きだったこと知ってるよ。隣でずっと見ていたんだから。
「…………うんっ」
今、巴がどんな気持ちか知ってるよ。
「……ウチも、悔しいよぉ…………」
巴の全部が、友達の頑張りが、報われなかったことが悔しかった。
自然と涙が溢れてきて、頭を預けたままだった彼女の肩を伝う。
「……なんでヒナが泣くのさ…………」
「知らんよ……っ、でもっ……ぐやじぃ……」
「っ……ばかっ……ぅ、泣かないっで……思ってたのにぃ……」
廊下を行き来する人を気にも止めず、二人でしゃくりを上げながら泣いた。
しばらくすると頬に冷たい物が当たって、びっくりして目を開けると、一華が両手に缶コーヒーを持っていた。
一華もまた、目を真っ赤にして大粒の涙を流し、両手が塞がっているから鼻水もそのままになっていた。
「わたしだって……っ、同じですからねっ……」
「ぶふっ……いっがぢんも泣いてる……っ、……」
「混ぜてください……っ……今は……三人でっ……」
一華が自分と巴を抱き寄せて、三人で声を上げて泣いた。
一華の服が涙でぐしゃぐしゃになって、三人とも泣き止む頃には、缶コーヒーに浮かんでいた水滴も、すっかり流れ落ちていた。




