41.新しい二年生2
不思議そうにしてる河野達二人に別れを告げて、一華とともに廊下を歩いていると、さっきまでの自分が、人と目を合わせないよう無意識に足元ばかり見ていたことに気がついた。
顔を上げてみると廊下の奥まで見通すことができて、より一層、心に余裕が出てくる。
人が少ない今なら、学校を見てまわるチャンスかもしれない。
「一華、ちょっとだけさ、お散歩せぇへん?」
「……大丈夫ですか?まだ、結構残ってる人もいるみたいですけど……」
「うん!今なら行けそうやなぁって」
そう言って自分が歩き出すと、一華は眉間を押さえながらもついて来てくれた。
目に見える進歩があったからか、教室を出てから足取りが軽い。自分は舞い上がっていた。
だからだろう、後ろから自分の手を取った彼女はピタッと体をくっつけて、眉をひそめてむくれていた。
「私、心配してるんですからね!あなたは結構ナイーブなところあるんですから……」
「ナイーブて……いや……あれぇ?」
「初めて会った時も、私のこと見て逃げてたじゃないですか」
「あぅ……こんなんじゃ無かったのになぁ……」
男の時はもっと大雑把で、楽観的で、良くも悪くも適当な性格だったはずだ。
身だしなみを気にしだしたのも高校に入ってからだったし、その時も今ほど気を使っていなかったように思う。
改めて自分を見直すと、前の自分との違いに、何とも言えない違和感を覚えた。
「なんか……ウチ、変わってもうたなぁ」
「そうですか?でも確かに、出会った頃はもっと男の子っぽかったですよね」
「……ちょっと嫌やなぁ……前の自分も、そんな嫌いちゃうかってんけどな……」
今の自分が嫌いというわけではないが、約三十年間、それだけの時間を生きてきた夏野日向が消えていくみたいで、寂しい気持ちになる。
ふと隣を見ると、さっきまで頬を膨らませていた一華は、かける言葉を探るように、こちらを覗き込んでいた。
「日向、その……」
「あー、せや!体育館行ってみよ?トモが練習してんの見てみたいわ!」
「……そうですね。そういえば、日向はともちんが部活してるとこ、見たことなかったですね。気合い入ってますよぉ」
「ふふ……楽しみやなぁ。もうちょっとで後輩も入って来るし、巴先輩の練習、視察に行きますか!」
一華曰く、同学年の部員の中では一番張り切って部活に臨んでいるらしく、先輩方からの信頼も厚いとのこと。
休日たまに遊びでバスケをする時も、回を追うごとに上手くなっているのが分かり、もう自分の小手先の技術では通用しなくなっている。
体育館に近づくと、ボールが床を叩く音とバスケットシューズのグリップ音、それと、男女入り混じった声が聞こえてきた。
「……入ってもええんかな?迷惑ちゃうかな?」
「玄関から中を覗くぐらいだったら良いんじゃないですか?大丈夫ですよ」
上靴を脱いで玄関ホールに上がり込み、体育館入り口の大きな扉から中を覗き込むと、バスケ部とバレー部が気合の入った練習をしていた。
結構な数の部員数で、体育館特有の熱気がこちらまで伝わってくるのを、なんだか懐かしく思う。
「トモ……トモ……あ、おった!がっつり練習中やな」
「あ、ほんとですね……ねっ?真剣でしょ?」
「うん!かっこいい!トモの……」
「こんちわっ」
「……あっ……」
後ろから突然挨拶をされたので振り向くと、バスケ部のユニフォームを着た男子生徒が自分たちを見ていた。
咄嗟のことで心の準備もしておらず、離れようにも今いる位置は玄関ホールの角、逃げ場の無い状況で、一華の制服をギュッと掴むしか出来なかった。
「誰かに用事?それか部活見学か?」
「っ…………はぃ……み、みてるだけで……」
「えっ?なんて?」
「ひっ……ぅ……」
「ごめんなさい」
聞き返すために近づいてきた彼に、何も言い返せないでいると、しばらく様子を見ていた一華が、体で隠すように間に入ってくれる。
「この子、夏野日向っていいます。ご存知ですか?」
「……え、あの三階の教室の?悪い。初めて見た」
「すいません、友達が練習してるとこ見たいって……」
「あー、ともちゃんか……ちょっと待ってて」
男子生徒はそう言うと、体育館に入っていった。
ここ半年の間で、父以外の男性とこれほど近い距離で接したからか、自分でも思っていなかったほど体が反応している。
一華の制服を掴む手が激しく震えて、情けなさと悔しさで涙が出そうになった。
「……大丈夫ですよ。もう男の人いませんからね」
「い、いち……ごめん……だいじょうぶ、大丈夫やねん……手ぇだけ、震えてて……」
「足も震えてますよ……ちょっと座りましょう」
壁際に腰を下ろして膝を抱え込むと、四年生の頃、健人と喧嘩した時に擦りむいた膝の傷跡が見えた。
あの頃はまだ自分の中でも「男の夏野日向」の側面が強くて、何でも出来る気でいた。
それからしばらくして、誕生日の日に女の子として生きていくことを決めてから、もしかしたら自分はどんどん弱くなっていってるのかもしれない。
抱え込んだ膝に胸が押しつぶされるのも、なんだか鬱陶しく思えてしまう。
「ヒナ?どうしたの?こんなとこ来て、男子もいっぱいいるのに……」
「ともちん……さっきの先輩と話した時、ちょっとだけ近くて……怖かったみたいです」
「あぁ、潮先輩、距離感近いからなぁ……ヒナ、大丈夫?怖かったよね」
「トモ……ごめん。練習、途中やのに……」
「別にいいよ。それよりヒナ、なんで出歩いてるのよ?」
なんとなく、朝学校に来てから、ここに来るまでの経緯を巴に話す。
大きく変わった世界に、以前と違うクラス、少しだけ改善した自分の症状と、ここにきて出てきた女の子として生きる戸惑い。
自分でも話しているうちに、今更何を言っているんだと、自嘲気味に笑ってしまう。
「……男やったら、男性恐怖症にもならんかったし、普通に皆んなと教室おれたんやもん」
「……」
「……背もちっちゃいし、すぐ泣くしっ!こんな体いらん……おっぱいも邪魔っ!」
「えっ、じゃあちょーだいよ」
「あげるっ!こんなん……痛い!」
「何やってるんですか……」
ヒリヒリ痛む胸をさすりながら、アホらしいことをしたと自覚するが、考え出したら今の体のせいに思えてきて、何処に怒りをぶつければいいか分からなかった。
すると、巴が目の前でしゃがんで、優しく頭を撫でてくれた。
「前に言ったでしょ、男の子っぽいのも女の子らしいのも、ヒナらしいって、そのままで良いんだよ……変わっていくのも当たり前。男子にも、ちょっとずつ慣れていけばいいじゃん」
「……弱いの嫌や。皆んなに迷惑かけるし……」
「かけろかけろ。それに、ヒナは弱くない。ちゃんと色んなものに向き合って、立ち向かってるんだから。」
立ち向かった結果、男が怖くなった。家族にも友人にも負担になってるし、学校だって、自分のせいで面倒くさい配慮をしなくてはいけない。
でも、立ち向かった結果、目の前の光景がある。
そう言ってくれたように思うのは、考えすぎかもしれない。
「どうしよ、トモ……好き」
「えぇ?うーん……悪い気はしないなぁ」
「ちょっと待ってください!私を差し置いてともちんに?許しませんよ!!」
「うわっ!?ちょっとやめてよ!あははっ」
一華は巴に馬乗りになると、その脇腹をくすぐり始めた。巴は必死に抵抗しているが、一華はなかなか離れようとしない。
さっきまでのどんよりした空気がすっかり消え、一転していつも通りの二人になった。
ここ最近、少しずつ男の感覚が薄れてきている。
最後はどうなるのだろうか。混ざって一つになるのか。それとも、いつか男だったことすら忘れてしまうのだろうか。
変わっていくのが当たり前、そう言ってくれた巴は、今も足元で顔を真っ赤にして一華に抵抗している。
「ウチも混ぜろー!」
「ひぇっ!あはははっ!くすぐったいですー!」
「トモをイジメんなー!ウチの彼女やー!」
「ななななんですって!?いひひっ、やめてぇ!」
その後もしばらくくすぐり合っていたが、巴が先輩に呼ばれたところで休戦となった。
三人とも息を切らしたまま、明日のお昼を一緒に食べる約束をして別れることとなった。
鞄を取りに帰るため、一華と自分の教室への階段を上っていく。
「それでっ!彼女ってどういうことですか!?す、好きになっちゃったんですか!?」
「あははっ、ちゃうって、ノリやんか」
「びっくりしましたよ……心臓がぎゅうぅってなりました」
「いやぁ、でもさっきのトモはかっこよかった……な……」
ぴたりと足を止めた場所は、屋上へと続く階段の前。
あの日から、一度も踏み入れていないどころか、階段に足を向けようとも思えなかった。
「……屋上、行ってみますか?」
「……ううん、やめとく。今はまだな」
いつか、この階段を上れるようになったなら、その時自分は、もう少し違った夏野日向になっているのだろう。




