40.新しい二年生
「ふふっ……つやつや……」
鏡に映る自分の髪が、簡易照明の黄色い明かりを反射している。
奮発して買ったブラシで髪を梳かしていると、この半年間頑張った甲斐があったと思える。
去年の十月頃は手入れもせず、ストレスを抱えてたためかバシバシのギシギシだった髪。
伸びては切ってを繰り返し、傷んだ毛先が完全に無くなるまでには、長い時間がかかった。
今では肩に着くほどになった髪は、ほとんど前の輝きを取り戻していて、時の流れを感じさせる。
「こっちも……んー……ほい!ひなちゃん先輩です!」
ルーズなツインテールは少し幼く見えるかもしれないが、最近お気に入りの髪型だ。
頭を左右に振ると邪魔くさいほど揺れる髪を、今は嬉しく思う。
本日は四月七日。中学二年生、最初の日。
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学校が活気づくより少し早い時間、朝練に励む吹奏楽部の出す音色を聴きながら、職員室の扉をノックする。
「夏野ですー!入っていいですか?」
「はーい、ちょっと待ってねー」
返事の後、数人が席から立つ音が聞こえてきて、少し間をおいて「どうぞ」と言われる。
隙間を開けて中を覗くと、男性教師が少し離れたところから手で挨拶をしてくれる。
半年前は挨拶すら出来なくて、用があっても携帯で職員室に電話をかけていた事を思えば、かなりの進歩だろう。
そこまで緊張しないのは、大人の男性よりも同年代の男子の方が怖いというのも大きな要因だ。
「おはようございます。いつもすいません……」
「いいのよ、ちょっとずつ克服出来てるじゃない」
先生はそう言いながら、二年生の教室が並ぶ廊下に貼っている物と同じクラス名簿を手渡してくれた。
二年……三組だ。自分の記憶では中学二年生も一組だったが、記憶違いだろうか?
「夏野さんは三組ね。担任は私、渡辺渚です。基本的には今まで通り、別室での授業になりそうだけど……問題無い?」
「はーい、よろしくお願いします」
「それで、カウンセラーの先生から聞いたんだけど……」
「はい、ちょっとずつ、ほんまちょっとずつやけど……授業出たいなぁって。体育とか、ちょっと広いところでやるような授業やったら」
「そうね……わかったわ!一緒に頑張って行きましょう!」
右手で握手を求めてくる渚先生。
前世ではそもそも担任では無かったので、こんな熱血な方だったとは知らなかった。
歳の頃は三十代で、まだ教師としては若い方だと思うが、信頼できそうな人だと思いながら、差し出された手を取った。
まだ朝練がない生徒が登校するには早い時間、少しだけ勇気を出して二年三組へ向かう。
教室にはまだ誰もいなくて、黒板には席順を記した用紙が貼ってあった。
「あっ、一華とトモが一緒や……ふふっ」
二人とも、中学三年間は違うクラスだったはずなのに、まるで小学校の頃の席順みたいに縦一列に並ぶ名前を見て笑いがこぼれた。
不安はある。少しずつ改善しているが、未だに狭い空間に男の人がいると辛い。
それでもこうして名前が並んでいるのを見ると、二人の存在がとても心強く感じた。
自分に割り振られた席に座って教室を見渡すと、二人の後頭部が見えて、少し離れたところには、健人がぶっきらぼうにしている。
他にも記憶にある名前ばかりで、今世ではまだ関わりの無い者達。
せっかく同じクラスになれたのだから、今の自分を知って欲しい。
前とのズレがどんどん大きくなっているけど、一華も巴も、そして自分も、普通に二年生を迎える事ができている。
だったら、やって良かった。残った傷も、少しずつ治せばいい。
新学期で清掃業者が入ったのか、あまり見ないほど綺麗な状態の黒板をチョークで汚していく。
これからまた一年、自分が所属するクラスへの挨拶として。
『夏野日向です。よろしゅうよろしゅう』
「うむっ!よろしゅうよろしゅう」
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初日は、始業式が終わると教科書の配布やクラスの係を決める時間があるらしい。
自分の場合は、教科書は最初から教室に置かれていたし、クラスの係は一応清掃係となっている。
気楽と言えば気楽なのだが……
「れれれのれー」
がらんとした教室を一人掃除するのは、ここ半年で慣れてはいるが、何を言っても返事が返ってこないのはやっぱり寂しい。
一人で使っているのに、それなりの量のホコリが出てくるのは何故なのか。
廊下にゴミを掃き出して、ついでに廊下にも箒をかけていると、春の暖かい風がせっかく集めた塵を吹っ飛ばした。
「……チッ……トモー、ちりとり取ってー」
そう言いながら自分でちりとりを取りに行く。
「ハル、ほれ、今のうちにゴミ集めるんや」
一人でゴミを集め直して、ちりとりに集める。
「いちかー、ゴミ箱持ってきてよー」
「……?はいはい、ちょっと待ってくださいね」
「あぇ?」
どこからともなく現れた一華が、教室に入っていってゴミ箱を持って出てきた。
呆けながらも集めたゴミをガサっと入れて、本日の掃除が完了した。
「一華掃除は?サボってきたん?」
「えっ、今日は無いって言ってましたよ?」
「えぇー、嘘やん……いや、ほんまや」
黒板に書いてある本日の予定を見ると、一番下に「掃除はナシ」と書いてあった。
一人ぼっちで掃除をすることにセンチメンタルになっていたが、そもそも今日は誰も掃除していなかった。
「むぅ……損した気分やわ」
「ふふ……そうだ、黒板のあれ。皆んなで寄せ書きみたいにしたんですよ」
「うそっ!まだ消してへん?」
「どうでしょう……私が出てきた時はまだ消されていませんでしたよ」
ふざけて書いた自己紹介が、そんな青春の一ページみたいになってるとは……
もちろん新しいクラスメイトに自分を認識して欲しくて書いたわけだが、なんだか受け入れてくれたみたいで、無性にその寄せ書きを見たくなってしまった。
「一華……ちょっとさ、ついて来てくれへん?教室行ってみたいかも……」
「……大丈夫ですか?この時間だと、まだ男の子残ってるかも知れませんよ?」
「うん、見たいもん……頑張る」
新しい教科書が入って重くなったので、鞄は後で取りに戻ろう。
携帯と財布だけを持って教室を出る。
部活があるとはいえ全員が全員、今日から行っているわけではないだろう。文化系の部活や、そもそもサボって教室に残っている者もいるかもしれない。
階段を降りる前に立ち止まって一華の方へ向き直ると、恥ずかしく思いつつも、この心強い親友を頼ることにした。
「一華、手ぇ繋いでほしい……ちょっとだけ怖い……」
「……はいっ、よろこんで!」
嬉しそうに手を取ってくれた一華は、自然と恋人繋ぎで手を握ってくれた。
なんとなくそれを嬉しく思って握り返すと、彼女の右手はじわっと汗ばんできて、別の意味での緊張が手のひらから伝わってきた。
二人とも、今は顔を合わせない方が良さそうだ。
自分の教室とは反対方面の二階の廊下、そのど真ん中に、二年三組の教室がある。
階段を降りていくと、先程よりも生徒達の声が近くなった。
朝も来ていたというのに、なんだか久しぶりにここを歩いたような感覚だ。
「なんかフワフワするわぁ……新しい職場きた時みたいや……」
「ぷっ……なんですかそれ……そういえば日向って、前はどんなお仕事してたんですか?」
「えぇ、今聞く?整備や整備、車の修理屋さん」
「あははっ!全然想像できないです。日向が車の下に潜っていくの」
「一華も車買ったらウチに任せぇや。違法じゃ無かったらなんでもすんでぇ」
二年の廊下に到着すると、少し緊張しながらも、残り約二十メートルほどの距離を一華と一緒に歩き出す。
廊下側の窓は、換気のためか開け放っていて、横目に教室の中の様子が伺える。
二年五組は皆んな帰って、もぬけの殻だった。
でも二年四組は、男子数人が集まって談笑していた。
大きい笑い声に少し体が強張ってしまうと、それに気づいた隣の一華が、ギュッと手を握り直してくれた。
「大丈夫ですよ。私がついてますから」
「ありがとう……一華がおって良かったわ」
「……もうっ!襲っちゃいますよ!」
「台無しや……」
二年三組の教室、中から話し声が聞こえてくる。
深呼吸をしてから教室の後ろ側の扉を、音を立てないようゆっくりと開けて中を覗くと、男子が二人机に座っているのが見えた。
こちらに気づいて視線を向けてくると当然目が合って、体に緊張が走る。
「うっ……こんにちは……」
「えぇっと……こんにちは?」
「え……もしかして、夏野さん?」
「うんっ……よ、寄せ書きな……してくれたって聞いて。見たいなぁって……」
「……あ、そっか。じゃあ俺ら出るよ」
「ううん、おって……ちょっとずつ、慣れていきたいねん」
そう言って、扉を開けて教室に足を踏み入れる。
二人が距離を取ってくれて、黒板の前に立てた。
まだ少し、二人のいる方向から不安の気配がするけれど、クラスメイトのいる教室に戻ってこられた。
「……ぐすっ……よかっだぁ……ちょっと治ってぎてるぅ……」
「ひなたぁ……良かったですねぇ……ずびっ……」
「……思った以上に大変そうだね」
「そりゃお前……色々あったんだから……」
寄せ書きは、皆んなが名前を書いてくれていて、思い思いに絵を描いたり一言添えたりと、小学校を卒業した時の黒板を思い出した。
携帯のカメラで何枚か写真を撮ってから、黒板を消していく。
消し終わった黒板に新しく『夏野です おーきにおーきに』と書いていたところ、後ろの二人に笑われた。
「ぶはっ、やっぱ夏野さん面白いわ!噂には聞いてたけど」
「本当に関西弁なんだね……ふふっ、初めまして。僕は……」
「河野創やろ?ほんで……そっちは沖田鉄平やな」
顔を見ないままだったらそれなりに話せるのか、直前に泣いてストレスが緩和されてるからか……
いずれにせよ、今なら少しだけ話せる気がした。
「何で知ってんねんって思てるやろ……?くふふ……ウチの特技みたいなもんや。気にせんといてぇな」
二人が少し驚いているような気配を背中に受け、これから一年間、楽しくなりそうだと思った。
「まぁ、一年間よろしゅうよろしゅう」




