36.生きる意味は、生きた証へ
「市川響子が二組の夏野日向を虐めている」
そんな噂が一年生の間で流れ出して、私の耳にも入ってきた。
五月以来、日向はまるで私達との関係を切ったかのように、学校では一切顔を合わせることはなくなった。
夏休みに一度だけ三人で会った時は、辛そうな日向にどんな言葉をかければいいか分からなくて、気まずい空気をどうすることも出来なかった。
日向が私達から距離を取ると言ったあの日、彼女の手を取らなかったことを、ずっと後ろめたく思っている。
日向が大丈夫と言ったから、巴を守るため。
どんな言い訳を並べても、あの日彼女の手を取らなかった理由にはならない。
私は、日向をひとりぼっちにしてしまった。
「藤宮、ちょっといいか?」
「一ノ瀬くん。どうしました?」
彼がこうして頻繁に気にかけてくれてるのも、日向から私達を気にかけるよう言われているらしく、徹底的に巴をイジメそのものから遠ざけようとしているのが伺える。
「ちょっと来てくれ。柊も」
「う、うん……どうしたんだろ?」
巴が小声で疑問を口にする。確かに、わざわざ教室から連れ出すということは、他人には知られたくないことなのだろう。十中八九、日向のことだ。
連れてこられたのは、いつか日向とも来たことがある三階の空き教室の近く。
人がほとんど寄り付かなくて、誰かが来てもすぐわかる。
内緒話をするには、絶好のスポットだろう。
「それで、どうしたの?ヒナに……何かあった?」
「うん、そうだな……どこから話すか……」
困ったような顔で歯切れが悪そうにしている一ノ瀬君は、深呼吸をしてから小さく日向に謝ったかと思うと、覚悟を決めたように話を切り出した。
「話すよ、アイツは怒るかもしれないけど。イジメの事、藤宮の事……ひなの事」
————————————
昨日からずっと、頭にモヤがかかったように思考が鈍い。
ただ真っ直ぐ歩くことさえ億劫に感じて、廊下だろうがどこだろうが、手足を放り出して寝転がってしまいたい衝動に駆られる。
教室に戻っても居場所が無いなら、もうどこか、誰もいない場所でサボってしまおうか。
「夏野、どうしたの?」
「あぁ、いちかわ……」
「ふらふらじゃん……生理?それとも私のせい?」
「ちゃうよ……体調悪いだけ……」
誰のせいだと問われれば、間違いなく市川響子は筆頭株だ。
なのに、コイツが自分の心配なんてするわけ無いのに、まるで自分を気遣うかのような言葉に、少しでも心が動いてしまったことが嫌になる。
市川はどうでもよさげに「あっそ」と返事をすると、つまらなさそうな声色で話し始めた。
「あのさ、もうあんたのこと構うのやめるから。あんた、先生とかにチクんないでよ?」
「……ぇ……な、なんでっ」
「だって、なんか噂になってるっぽいし。ぶっちゃけ……あんたにも飽きてきたし」
本当に興味が失せたのか、目も合わせないでそう言い放つ市川に、焦燥感を覚えた。
自分が標的から外れた時、次はその悪意が誰に向かうのか……
こんな中途半端なことで、終わるわけにはいかない。
縋り付くように市川の制服を掴んで、自らを虐げるよう懇願する事が、どれだけ歪な事なのかもどうでもいい。
「ま……待って、お願い市川っ……ウチ頑張るから……」
「ちょっと、キモいって!」
「アイツらに手ぇ出さんといてや……もう、ウチそれしか無いんやから……ウチの事好きにしてええから……」
「……」
少しの思案の後、市川は何かを思いついたのか、無邪気な笑顔を作った。
あぁ、良かった。市川がこうして笑っている内は、自分は必要とされている。
それに自分の居場所なんて、もうここしか無いのだから。
「じゃあさ、放課後、屋上集合ね?」
「うん、わかった。やから……他の子には手ぇ出さんでや?」
「ふふっ、あんたって本当に……馬鹿だね」
もう自分の存在意義を、ここにしか見出せないようになってしまっている。
どうしてこうなってしまったのか。
それは、髪を切った日に選んだ自分の選択が招いた結果だ。
今でも後悔はしていないけど、何故か、無性に一華に会いたくなった。
————————————
「日向……どこ行くの?」
帰りのHRの後、掃除をさっさと終わらせ、言われた通り屋上へ行こうとしていたところを、紬に呼び止められる。
不安そうな表情は、意識して作っているわけでは無く、純粋な彼女の心の現れなのだろう。
あれだけ突き放したのに、どうしてここまで自分に構うのか……
「屋上行ってくるわ」
「誰と?」
「市川と……まぁ放っといてぇな」
「……うん、わかった」
「……?ほな、お疲れさん」
尾を引くような返事をした紬を置いて教室を出ると、今朝より軽くなった足取りで屋上を目指して階段を登っていく。
我ながら複雑な心境だと思う。
楽しみとか、市川に気を許したとか、そんなわけもなく。
皆んなのために出来る事があって、そのために市川に必要とされる事が嬉しい。
自分の役割と居場所がハッキリした事が、こうして自分を前向きにさせてくれた。
屋上の扉を開けると、秋の足音が風となって髪をなびかせ、久しぶりに見上げた空は、雲一つない澄み切った青色をしていた。
「市川ぁ、来たでぇ」
「遅いって。掃除とかサボってきなよ」
「ごめんごめん。んで……何したらええの?」
「ちょっと待ってて……」
そう言って市川は携帯を取り出すと、メールを打っているのか、そちらの操作に夢中になっている。
自分の携帯にはまだ家族以外、誰の連絡先も登録されていないので、少し羨ましく思う。
いつか普通に会える日が来たら、皆んなと連絡先の交換をしたいけど、その時にはSNSが主流になっている頃だろう。
「お待たせぇ、おっ、なに、この子?レベル高くね?」
連絡手段の移り変わりについて感傷に浸っていると、屋上に一人の男子生徒が入ってきた。
上靴の色からして二年生のその男は、市川の方へ行くとカバンから財布を取り出した。
「五千円っすよ。先輩、足りないっすよ」
「悪い、今三千円しか無いわ。また今度二千円持ってくるで良い?」
「えぇ、まあいいっすけど……」
猛烈に嫌な予感がして、全身から冷や汗が出てくる。
そんな事やる訳ないと、いくら何でもありえないだろうと、必死に頭で否定しようとしても、二人の行動はあまりにも想像に当てはまってしまい、思い違いであって欲しいと願いを込めて市川に問いかけた。
「い、市川……何すんの……?ウチ、何したらええの?」
「あはっ」
やめてくれ。
それだけは嫌だ。
「先輩とエッチして」
「っ……ちょっと……待って……それは無理やっ」
「何でもするんでしょ?ほら、柊と藤宮のためだーって、あんた言ってたじゃん」
「そ、それでも!!あんまりやんか……なぁ、先輩もやめてくださいっ……お願いします!」
「いや、もう金払ったし。それに、結構好みだし……まあ、楽しもっかな?」
初めて自身に向けられる異性からの欲望の視線に、体の底から寒気がして、不自然に足が震え出した。
腰が抜けてその場にへたり込むと男が近づいてきたので、必死に逃げようとするも、足が震えて這いずることしか出来なかった。
「やめてっ!それだけはやめてや!ウチ嫌やっ!こんなんで……こっち来んといてぇや……!」
「いや、うーん……まあ大丈夫!そのうち忘れるからさ」
「いらんっ!死ねっ!!あっちい゙ってぇ!!」
「泣いてる顔いいねー。やべぇ、興奮してきた。なぁ!マジでこの子好きにして良いの?」
男に両腕を掴まれて組み伏せられ、体をばたつかせて必死に抵抗するも、押さえつける力が強くなるだけで、最後は身動き一つ取れなくなった。
心臓が痛いほど締め付けられて、もう訳もわからず泣きながら後頭部を何度も床に打ちつけた。
「市川っ!た、助けてっ!お願い無理っ!!こんなん嫌ぁ!!」
「……でもまぁ、二人の為だと思ってさ!あはっ」
そう言って笑う市川の顔は、とても愉快そうで、無邪気な笑顔をしていた。
あぁ、もう無理なんだろう。
今までいくら懇願してきても、結局辞めてくれた事は一度も無くて、自分が嫌がるのを見て楽しんでいるのだから。
「ぐすっ……市川……絶対皆んなに手ぇ出さへん……?」
「はいはい、大丈夫大丈夫」
「……そっかぁ…………ぐすっ」
「じゃあ、見張っときますねー」
そう言うと市川は、屋上の扉から出て行った。
屋上は男の荒い息遣いと、自分の啜り泣く声だけが微かに聞こえるようになり、少し間をおいて自分の方から話を切り出した。
「ぐすっ……むっちゃ嫌です……やめてほしいです……」
「無理、もうこんな感じだし」
「うぁっ……ひぐっ……ぐすっ……く、くちで……しますから……」
「諦めろって」
「うぐっ……うあぁぁぁん……嫌やぁぁぁ…………助けてやぁぁ……誰かぁぁ……」
「あー、流石に罪悪感あるわぁ。ちょっと黙れ」
「むぐっ」
手で口を塞がれ、声も出せず、身動きも取れない。
日向は空を見ていた。あんなに青かった空を。
心が折れるって、こんなに怖いんや……
こんな暗い絶望を……
一華、ごめんなさい。
ぎゅぅって目ぇ瞑って、終わるまで我慢して……
身体押し付けんといてぇや……怖いよ……
嫌や……名前も知らん人と、こんな場所で……
舌でも噛み切ったら、乱暴されへんかなぁ……
…………?なに?何でこの人動かへんの?なんもせんの?
「はぁ、はぁ……ふぅ、ホームランですね」
「…………一華?」
耳にした声に恐る恐る目を開くと、どこから借りてきたのか、バットを持った一華が肩で息をしていて、額の汗を拭いながら自分に笑いかけていた。
「日向、大丈夫ですか?」
「一華……一華や……」
「はい、一華ですよ」
「……一華ぁ!!!」
がむしゃらに飛び込むと、優しく抱きしめてくれた。
彼女の優しい香りがして、胸が一杯になりました。
「一華……ごめんなさい……」
「日向……大丈夫ですよ……」
何でここにいるとか、市川がどうとか、そんな事はどうでもよかった。
一華とこうして会えた事が嬉しくて、ずっとこうしていたいと思えた。
お互いを確かめるように力の限り抱きしめて、涙が止まった頃にどちらとも無く抱擁を解いた。
「一華……ウチ、一華にいっぱい謝らなあかんねん……」
「私こそ、日向に謝らないといけません。あの日、あなたをひとりぼっちにしちゃった事……」
「……違うよ……そもそも、ウチが一華から目を背けてたんよ……」
「……大丈夫ですよ。少なくとも四年間……悩んでくれてたんでしょう?」
「うん…………うん!?」
目の前の少女は、悪戯が成功した時の茶目っ気のある笑顔でこちらを見ている。
「あぇ?な、なんで……?」
「ふふっ……なんででしょう?」
「………………ハル!!!出てこい!!」
近くにいるだろうと大声で呼ぶと、扉を開けて春樹と巴が屋上に入ってきた。
巴はこちらを見つけると、パァッと笑顔になって駆け寄ってきてくれた。
「落ち着けよ。仕方ないだろ?お前、結構ギリギリっぽかったし……とりあえず、そこに転がってる奴だけ先にどうにかしようぜ」
足元を見ると、先ほどまで自分に覆い被さっていた男がうめき声をあげていた。
すると先ほどの光景が脳裏に現れ、耐え切れない悪寒に体がぶるぶると震えだした。
「ご、ごめん。ハル……お願いしていい?そいつ無理そうやわ……」
「あいよ……おいっ!起きろ!」
春樹が男を叩き起こし、無理やり立ち上がらせると、そのまま職員室まで連れて行くことになった。
正直、二度と関わりたくないので、このまま会わない事を祈る。
「せや、市川は!?アイツはどないなったんよ!」
「市川も職員室。ふふっ、実はね……ヒナの味方してくれた子がいっぱいいてね。階段のところまで二十人ぐらいで来たんだよ……くくっ」
「二十人!?えらい大人数で……」
「小学校の子達と……あとヒナのクラスの子と、あと紬ちゃんとその友達!もっと集まりそうだったけど、そんだけいたら市川も怯むだろうから」
聞くと、紬が春樹に自分が屋上にいる事を伝え、そこから徒党を組んで押しかけたそうだ。
確かに、それだけ人数が集まると人をイジメるどころでは無いとは思うが……よくもそれだけ集まったものだ。
「人望ですよ。日向の人望」
「……むふぅ、ひなちゃんは人気者やからなぁ」
「お、流石、人生二週目は違うねぇ」
「うっ……トモも知ってんのかいな……」
二人につっつかれながら、根掘り葉掘り質問攻めをくらう。
春樹の時もそうだったが、話し始めるとかなり時間を取られるので、また日を改めて話す事にした。
西の空に太陽が沈み始め、夕日が屋上を綺麗に染め上げる。
「……」
「どうしました?」
「一華……ごめんな……こんな事言われても困るやろうけど……ウチ、一華の事守られへんかったんよ」
「……でも、日向のことです。声かけてくれたり、守ってくれようとはしてたんでしょう?」
「うん……でも、あかんかったんよ…………俺は多分、頼りなかったんやろなぁ……」
辛そうにする一華に、声をかけようとも「大丈夫」と言うばかりで、イジメに触れてほしくなさそうに話題を逸らされていたのは、つまりそう言う事なのだろう。
「大丈夫ですよ……だって私は生きていますから。これからも、ずっと」
「っ……一華……もう死なへん?」
「はい、あなたのおかげで」
「ぐすっ……一華ぁ、怖かったよぉ……ずっと怖かったぁ……一華がイジメられたら死んじゃうって……頑張らなって思ってぇ……」
「ありがとう、日向」
そこからは、一華の胸を借りて泣きじゃくって、二人に頭を撫でてもらって、こんなに幸せな気持ちになれた事に、また泣いた。
「あ、でも……私だったらイジメられてても、日向が一緒にいたら自殺なんてしませんよ」
「そう?ウチ、そんな…………んむっ」
何が起こったのか、全然頭が追いつかなかった。
気がつくと一華の顔がすごく近くて、唇に柔らかい感触と、胸が大きく鼓動を鳴らしたところで、やっと現実に追いついた。
「ぷぁっ………ぇ………い、いちか……?」
「ふふっ…………だって私、あなたが知ってる私より、あなたの事大好きだから」
夕焼けに照らされた一華は、夕日に負けないぐらい頬を朱に染め微笑んでいて、一輪の花の様に美しかった。
「いち……」
「覚悟してくださいね?私、全力でいきますから」
「…………うん」
いつかの夏祭りの日に轟いた胸の鼓動を思い出し、くすぐったい思いと心地良い気持ちが、混ざって心に落ちて行く。
ダメなのに、嬉しくて幸せで、温かい。
————————————
「ひな、先生が呼んでる。多分……一連の説明しないとダメだと思う」
「う、うん……わかった……ありゃ?」
立ちあがろうとしたが、腰が抜けてか立ち上がれなかった。
一華の方を恨みがましく見ると、笑いを堪えている。
「なにやってんだよ……ったく」
「すまんすまん…………あっ?」
無意識に、春樹の手を払いのけていた。
「えっ……と……どうした?ひな?」
「…………」
誤作動でも起こしたような右手を見ると、ぶるぶると震えていて、まるで先程の……
「ヒナ……あんた……」
「言うなっ!!!そんな訳あるかっ……!」
震える右手を抱えて止めようとするも、一向におさまることはなく、それどころか全身に震えが伝わっていく。
「あほか……こんなもんすぐ治るわ…………くそっ!」
全身から冷や汗が出てきて、体が思うように動かない。
「くそっ……くそっ!!くそ……くそぅ……」
その日から、日向は男が怖くなった。
書きたいこと書いたら長くなったぁ
小説書きたいって思い始めた頃に、とりあえずここまでの構想はあった感じです。
まだ続きますよぉ!




