35.独りにしてよ
九月二十日、午前六時〇〇分
目覚まし時計の機械音を聞いて、鳩尾のあたりが締め付けられる。
起きたくもない朝に鳴るこのボロ時計は、時限爆弾かなにかじゃないだろうか?
微睡んだ意識を覚醒させるために、布団の中から手を伸ばしてカーテンを開けると、毎日のように思う。
あぁ、また新しい朝が来てしまったと。
ボサボサの髪をそのままに朝食を食べていると、夕陽が後ろから髪にブラシを当ててくれる。
何度も引っかかりながらも、時間をかけて梳いてくれた髪は、なんとか真っ直ぐになったみたいだ。
「ありがと……」
小さく礼を言って朝食を再開するも、夕陽が頭に手を置いていて口元が安定しない。
次いで小さな痛みが頭部に走ったので咄嗟に頭を抑える。
何をされたのか分からず夕陽の方を見ると、こちらに手を差し出して何かを見せてくる。
「……何これ?」
「…………白髪や」
「ははっ……終わりやな」
受け取った短い白髪を洗面台のゴミ箱へ捨てると、ついでに顔に水をかけて適当に洗う。
なんとなく鏡で他に白髪がないかを見える範囲で確認していると、久しぶりに自分の顔をまじまじと見た気がした。
どんよりとした瞳の覇気の無い少女がこちらを覗き込んでおり、陰気な表情を見て気分が悪くなった。
心配そうにこちらを伺う夕陽を鏡越しに見て、ふと、一人の友人を思い出した。
「ゆうちゃん。トモ、元気か?」
「……元気やで。一年の中では一番頑張ってるし、楽しそうにしてやるよ」
「……そっか」
あれ以来、二人とは別々の学校生活を満喫していて、自分の方から顔を突き合わせないようにしている。
夏休みに会えたときは何を話せば良いか分からなくて、気まずさを残したまま別れてしまった。
近況をたずねたことを後悔してしまった自分に、自己嫌悪に陥りため息を吐いていると、夕陽が小さく笑い声をあげた。
「何……?」
「ふふっ……いや、あの子も昨日同じ事聞いてきたからな。ヒナ、どうですかって」
「……そっかぁ」
その言葉に、少しだけ活力を貰って身支度を整える。
久しぶりにヘアオイルをつけてドライヤーを当てると、いくらか心が軽くなった。
ちゃんと覚えてくれている。それが今、自分にとってどんな事よりも救いになった。
自宅を出発して、川沿いの田舎道をゆっくり進む。
この時代ではまだリリースされていない曲を、鼻歌で歌いながら自転車を漕いでいると、後ろからベルの音が鳴り、聞き覚えのある声で名前を呼ばれた。
「日向ー!おっはよー!」
「んー?あ、実里ちゃん。コバも……おはよ」
「おはよー夏野!なんか久しぶりだな」
「…………二人まだ付き合ってたんやな」
「「失礼なっ!!」」
「……息ぴったりやん」
久しぶりに通学路で二人と遭遇したので、根掘り葉掘り近況を聞いて、世間話をしながら学校へ向かう。
どこに行っただの、二人で何をしただの、校舎で二人きりになれるスポットも教えておいた。
しばらくして、実里が心配そうな顔つきで、最近のことについて話題を変えてきた。
「日向……市川の事……噂になってるよ」
「……まあ、あんな派手にやってたら隠し通せるもんでもないわなぁ」
「なあ夏野、俺たちは絶対お前の味方だぞ。だから……助けになるからさ、言ってくれよ」
「アホお前……お前は実里ちゃんのこと考えとけばええねん。余計なことに首つっこんで、大事な彼女がイジメの標的にでもなったらどないすんねん」
こうやって、たまに声をかけてくれたらそれで良い。
自分には友達がいると思えたら、それだけで生きていて良いと自分を肯定できるのだから。
それ以上踏み込むと、あの女は自分と一緒に自分の大事な人をイジメだしかねない。
「アタシは……またアンタと学校で色んな事したいよ……」
「……それはもう無理や。少なくとも中学卒業までは無理やな」
「なんでアンタって……」
「ええからええから!思い出話しでもしてや……その方が、気ぃ楽なってウチは嬉しいんよ……ほれ、もう直ぐ秋やで。皆んなで焼き芋焼いたん覚えてる?」
思い出話しに花を咲かせるとつくづく思う。
もう楽しいと思う心なんて無いんじゃないかと。
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どのタイミングで広がったのか、どうやら自分が市川からイジメを受けている事は、一年生の間ではそれなりに知られているらしい。
昼休みに教室で机に突っ伏していると、五月に言い合いになった後、そのまま話さなくなってしまった紬から声をかけられた。
「ねえ……なんで黙ってたの?」
「……?なにがよ?」
「イジメのこと!日向は喧嘩してるって言ってたけど……あの時からずっとなんでしょ?一人で悩むよか……友達と一緒の方がいいじゃんか……」
あんな言葉を投げつけられて、五ヶ月近く話もしていない自分のことを友達だと言ってくれる紬は、やっぱり優しい子なのだろう。
あんな悪意に晒されていい子じゃない。
「……言うたやろ?巻き込まれるって。分かってんのに巻き込むほどウチは無責任ちゃうよ」
「それでもっ!一人で背負うようなことじゃなないだろ……あんた、友達いっぱいいんじゃん!私だって!」
「…………ほなさ、蝉半分こして一緒に食べれる?」
こんな事言って、つむちゃんが傷つくのも分かってるよ。
ちゃんと向き合わないで、ズルいこと言ってごめん。
だから、もう放っておいて普通に学校生活送ってや。
「友達のためやったら、タバコ押し付けられても我慢できる?裸の写真撮られても大丈夫?ビニール被せられて息できんくて気絶させられても?あぁ、知らん男の彼女にされた事もあったなぁ。チューされそうなったから殴ったら、殴り返されて奥歯折れたわ……なぁ、つむちゃん……ウチと一緒に背負ってくれる?」
何も言えなくなって当然だと思う。
最初からこんな事されると分かっていたら、とっくの昔に逃げ出してる。
少しずつ少しずつ感覚が麻痺してきて、先週よりちょっとだけ嫌な事されて、日に日に内容がエスカレートしていってるから生きてるだけ。
「あぁー……えぇな、初めて人に言うたらスッキリしたわ。ありがとうつむちゃん」
「ぁ…………ひなた……」
「ほなまあ、教室もお通夜みたいなったし……ウチは退散するわ…………あっ、トイレ行くだけやで」
ぴしゃりと教室のドアを閉めて深呼吸をする。
教室中から浴びせられたのは、哀れみと、気持ち悪いものでも見たような視線だった。
それでいいと思う。悪いのは彼らでは無い。
「こんぐらい大丈夫……大丈夫やで……」
いつも使う三階の空き教室の近くにあるトイレに向かって、一番奥の個室に入る。
トイレの個室に入ると、自分一人の空間ができて気持ちを落ち着けるのに丁度いい。それも、こんなことになってから知った。
狭ければ狭いほど安心するのは、他に誰も入る余地がないのを、無意識に感じるからだろうか。
知り尽くした学校なのに、もうここぐらいしか居場所が無い。
「夏野ぉ?いるー?」
「ついさっき入っていったから、絶対まだいる」
「奥じゃね?」
少しハスキーがかったこの声を聞くと、心臓を鷲掴みされたように一瞬止まって、動悸が激しく早くなっていく。
市川と取り巻きの数人がトイレに入ってきて、自分の名前を呼んでいる。
見つかりたくない。でも隠れていたのが知られたら不機嫌になっていって、いつも以上に無茶なことをされるから、いつからか名前を呼ばれたら絶対に返事をするようになった。
「い、市川……ここやで……」
「トイレで何やってんの?また篭ってんの?」
「っ……ちゃうよ……普通にトイレに……」
「ふぅん……ねぇ、くくっ……これ見て」
市川は、個室の扉の下から小さく折り畳んだ紙を投げ入れた。
扉の向こうで市川達が笑いを堪えきれないといった様子でクスクスと声を漏らしている。
恐る恐る拾ってみると何かの写真のようで、嫌な予感がした。
何が写っているのかを確認するのがとてつもなく怖かった。
おさまらない動悸に胸を抑えながら、震える手で拾った写真を確認した。
そこには、顔を俯かせて泣いている裸の女の子が写っていた。
こんぐらい大丈夫。
「ぁぅっ……はぁっ、はぁっ……ぅぐっ、っ……はぁっ……」
「ぷはっ!家のプリンターで印刷したらさぁ、意外と綺麗にプリント出来てさ……これ、ばら撒いていい?」
こんぐらい大丈夫。
「やめっ……て……おねがぃっ……いちかわっ……」
「まあ流石にバレるからやらないけど……あっ、先輩に売ろっかな」
大丈夫……
「……ぁぐっ……ゃ…………やめてっ!!」
扉を勢いよく開けて腕を掴もうとしたが、激しい息苦しさに足がもつれてたので、壁に寄りかかりながら市川を睨みつける。
他にも何枚かの同じような写真が市川の手にあり、奪い取ろうと必死に手を伸ばすが、簡単に避けられてしまった。
「市川……お願いやから……ぐすっ、それだけはやめてっ……」
「えぇ……オモチャなんでしょ?もっと遊ばせてよ」
「ひぐっ……嫌やの……うぐっ……それだけは嫌っ……」
「あんた本当にこういうのに弱いね。くくっ、この写真撮った時もさぁ、めっちゃ泣きまくってたよね!あはっ!」
ゲラゲラと下品に笑う市川達は自分の前に写真をばら撒くと、用事はそれだけだったのかトイレから出て行った。
床に散らばった自分の写真をかき集めてポケットに仕舞うと、なかなか言うことを聞いてくれない足に鞭を入れながら廊下に出る。
目の前に、手すりを超えた先に広がる三階からの景色が見えた。
もう無理かもしれない。
「ひな」
「…………」
「ひなっ!!」
「……どした、なんでこんなとこおんのや」
「……滝沢って子が、ひなの事傷つけちゃったって……俺に相談しにきたんだよ」
「つむちゃんか……」
「……ひな……死のうとか……思わないでくれよ」
「アホか、一華を置いて逝けるか」
「……そっか」
「なぁ、ハル」
「どうした?」
「ウチは…………あの子に辛い思いさせたんやろうなぁ……いっぱいいっぱい、泣かせてもうたんやろうなぁ……ごめんな一華……辛かったやろうなぁ……」
ぽろぽろと涙が一階まで落ちていく。
孤独の中で三年間過ごした一華は、どれだけ色褪せた世界を見て生きていたのだろうか。
自分が一華から目を背けたせいだ。そのせいで一華は死んだんだ。
顔を覆って泣きじゃくる日向は、一華への後悔の言葉を並べては、自分を傷つけていた。
どんな言葉を並べても、今の日向には届かないだろう。
孤独の怖さなど、独りになった奴にしか分からないのだから。
だから、同じ苦しみを知る者もまた……
「…………ひな……お前も辛いんだろ……」
ここ最近の流れ書いてたら気分が落ち込んでくる......
イジメの描写書くのがしんどい!!




