33.断ち切る2
屋上から部活動に青春を費やす生徒たちを見下ろし、吹奏楽部がパート毎に分かれて練習している音を聴きながら、夏野日向は自分がノートに書いた一文を思い出していた。
『中学校入学直後の、藤宮一華へのイジメを止める』
自分がこの世界に来た本当の理由は分からない。
それでも、自分がこの世界で最も強く誓いを立てた項目の一つがこれだ。
「それで……話ってなんなの?」
「放課後、屋上に来い」一年五組の教室に乗り込んで市川響子に叩きつけた言葉。
ご丁寧に呼んでもいない取り巻き数人も一緒に来ており、どう見積もっても友好的には見えない。
これからの展開に震えそうになる唇を噛み締めて、重たい口で問いかける。
「巴に嫌がらせしてるやろ?」
「……」
「アイツがお前に何かしたか?そない悪い子ちゃうけどなぁ」
「別に……うざいんだもん。悪い事は許しませんみたいなさ、正義の味方気取ってさ……あんたもそうなの?」
気に入らないから?
たかがそれだけの理由で……
「アホか、ウチは結果良ければ何やってもオッケー人間や……」
「へぇ、気が合いそうじゃん」
「死ね」
「…………」
仲良くなる隙でもあれば、分かり合うことが出来れば内側から辞めさせる事もできそうだったが、それも無理なのは分かりきっている。
誰か教えて欲しい。
親にも相談して、学校にも相談して、本人にも言って、一華にも言って、親友にも言って……
それでも止まらなかったイジメを止める方法を、誰か教えてくれ。
あんな未来を断ち切る方法を、誰か教えてくれよ。
「もう、イジメたらんといてぇや」
「はぁ?嫌よ、だって楽し「三年間!」……」
「三年間、ウチがあんたらのオモチャになるから、一華にも巴にも手ぇ出さんといてや……お願い……」
「…………ふーん」
もっと他に方法があるのではないか?
自分でも馬鹿な選択をしたのは分かっている。
それでもら、何をやってもイジメをやめないのなら、イジメる先を変えれば、最初の被害者は助かる。
それは、一華が証明した。
市川はカバンから筆箱を取り出すと中身をこちらに手渡して来た。
「じゃ、髪切って」
「……は?」
「アンタの綺麗な髪、嫌いなの。うざいから、切って」
手渡された鋏は百均の安物で、自分も同じ物を使ってるなぁと、どうでもいい事を考えてしまう。
大切な髪。
巴に言われて綺麗にしていた髪。
一華が手櫛で梳くのが好きな髪。
春樹が褒めてくれた自慢の髪。
それを、手渡された安物の鋏で引きちぎりながら切っていく。
「あっは!やばコイツ!マジでやるじゃん!」
使い終わった鋏を市川の足元に投げつけて、憎しみの籠った声を投げかける。
「……わかってんなぁ?二人に手ぇ出してみろや……全員バットで仲良うホームランコンテストや……出来へん思うなよ?」
「あはっ、オモチャに脅されてもねぇ……でもまあ、良いよ?アンタの方が面白そうだから」
楽しそうに笑う市川響子は、自分が最も嫌う悪意を悪気なく振るうような人種だ。
だからこそ思う。馬鹿な選択だと。
「今日はもう帰るから……明日からよろしくねー」
「…………」
屋上のドアが閉まり切るのを確認するのと同時に、腰が抜けたようにへたり込むと、張り詰めていた緊張が解けて乾いた笑いが出てきた。
「は、ははは……あはっ……これはきついわぁ……」
左手に掴んだままの自分の髪の毛を見て、もう戻れない所まで来てしまった事を実感する。
肩甲骨下あたりまで伸ばしていた髪は肩の少し上までと短くなり、切り口もバラバラで見るも無惨なものとなっていた。
いつの間にか部活に励む生徒たちの声も鳴りを潜めていて、風の音と遠くから鳴り響く車のクラクションだけが聞こえてきた。
「…………あ……美容院行かな……」
このまま家に帰ったら一発でイジメが家族に知られ、学校側に全てが露見する。
そうなった時、市川達がどう動くかが分からない。
不安の芽は少しでも摘んでおきたい。
隠すんだ。何もかもを、死に物狂いで隠し通す。
そうすれば、明るい未来がやってくると信じて。
屋上を出て、誰にも見られないように昇降口に向かう。
生徒達はほとんど帰っており、窓から差し込む夕日が廊下を綺麗なオレンジ色に染め上げていた。
途中、適当なゴミ箱から袋を拝借して髪の毛を叩き入れていると、さっき屋上で流れなかった物が頬を伝って落ちていった。
「あっ、もう…………ぐっぅぅ……泣くなやボケ…………ぐすっ…………うぅ……くそっ……」
覚悟を決めて挑んだつもりだったし、後悔もしていない。
ただ、巴に結んで貰ったり、一華と梳いて遊んだり、春樹に褒めて貰ったり、自分で一生懸命手入れするのが好きだった。だだそれを思い出しただけ。
「ごめん……一華……トモ…………ごめんな……」
心の行き場が無くなって出た言葉は、自分でも何に対して謝っているのか分からなかった。
覚悟を決めて挑んだし、後悔もしていない。
だが、自分は間違った選択をしてしまったのだろう。
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家族には失恋も兼ねたイメチェンだと言って押し通した。
父と姉は心ならずも納得してくれたが、母は一切納得してくれなくて、大喧嘩になった所を父が仲裁に入って止めてくれた。
百合子さんも、ドアを開けて笑顔で迎えてくれたと思ったら、顔を青くしてどうしたのか尋ねられた。
ガスコンロの火が燃え移ってやむを得ず散髪したと適当な嘘で誤魔化すと、まるで自分のことのように悲しんでくれた。
「ハル、起きて」
体をゆすって優しく声をかけると、いつもは唸って布団に包まるだけの男が、今日に限ってゆっくりと目を開いた。
「おはよ、ひな…………なんで布団被ってんの?」
「ふふっ……ハル、すまんけど起こしに来るんも今日で最後や」
「え……いやまぁ、えっと……なんか悪い事したか?」
寝ぼけ眼を擦りながらも必死に頭を回している春樹は、ここ最近の自分の言動を振り返っては唸り声をあげている。
「ううん、なんもしてないよ。ほれ、言うてたやつ始まったから。ちょっと距離取ろって言ってたやろ?」
「そっか、それで…………待て、お前布団取れ」
「……いやん……ハルはエッチやなぁ」
「いいから!寄越せ!」
「あっ……やめてっ!ハル!お願いっ!!」
力任せに布団を剥ぎ取られ全容が露わになると、目の前の少女を見て春樹は目を見開いて固まった。
昨日少女自身が自慢していた髪の毛は、少し首筋が見えるほどのショートヘアになっており、それを必死に手で隠している。
「……」
「あはは……イメチェンしましたぁ、なんちて」
「……誰だ」
「ハ、ハル……あの……」
「誰がやったって聞いてんだよ!!ぶっ殺してやる!!!」
前世も合わせて約二十五年の付き合いの中で、ここまで怒髪天を衝いた春樹は見た事がない。
ベッド脇に掛かっている制服を乱雑に掴んで、一階へ行こうとする春樹の前に立ち塞がる。
今にもドアを蹴破って出て行きそうな春樹を体で止めて、懇願するようにしがみついて訳を話そうとするが、全くこちらを見てくれない。
「落ち着いて!!ウチがやったんや!!」
「市川だろ!アイツがやったんだろうが!!絶対に許さねぇっ!!絶対に……」
「春樹ッッ!!!!!」
突然胸ぐらを掴まれて驚いた春樹をそのままベッドに押し倒して、これでもかと顔を近づけて彼の目を見て大きな声を上げた。
「これは!!ウチの覚悟や!!!ウチが自分で切ったんや!!!」
「っ!!!」
「人の命守る言うてんねん!!半端やってられへんねん!!!」
「……」
「やから!!……やからな、邪魔せんといてくれ……ウチ、頑張るから…………見といてや」
「……お前」
「ハルは、二人と一緒におったってや……ウチは関われへんから……二人を守ったって」
互いに相手の意志を確認するように目を見ると、日向の覚悟が伝わった春樹は諦めたように目を瞑った。
「……」
「ありがとうハル。行ってきます」
そう言って日向は、春樹の頬にそっと触れるような軽いキスをした。
初めてした口付けはムードも何もない中、合意も得ていない頬に落としたものだけど、仕掛けた自分が勇気をもらえる。そんな、思い出に残る口付けになった。
「バイバイ……」
やるせない思いからか小さく毒づく春樹を背に、扉を閉めて一呼吸置く。
一階に降りると百合子さんが心配と困惑の混じった顔でこちらを見ていた。
「訳ありなんです。お母さんには内緒にしといて下さい」
イタズラっぽい笑みを浮かべながらそう言う日向に、百合子はただ首を縦に振るしか無くなった。
一ノ瀬宅の扉を開いて外に出ると、自転車に跨り学校へ向かう。
あぁ、これでもう独りだ。
二人の親友を守るために取った選択に後悔はしていない。
ただその選択を取った日向の手には、もう何も残っていなかった。




