32.断ち切る
予約投稿忘れてました.......
二話連投しますです!!
五月一日、静かな自室でシャープペンシルが紙を擦る音と、デスクチェアの軋むノイズだけが聞こえてくる。
傍に置いた時計は十時五十分を指しており、家族も早々に布団に入った中、一人起きている夏野日向は日記の上で新品のペンを滑らせている。
「フゥー……」
日記をつけ終えてひとしきり読み返すと、今度は別のノートを取り出してページを捲る。
人生設計を記したそのノートはまだ殆どの項目にレ点が付いておらず、それどころか大きくバツ印をつけて達成できなかった項目を消している所もある。
『中学校入学直後の、藤宮一華へのイジメを止める』
もう四年近くも前に鉛筆で記されたその文字は、ページ同士で擦れたからか少し霞んで見えたので、ボールペンで上からなぞって真新しいものへと書き直す。
詳細な日付などわからない。
気づいたら一華は暗い顔をするようになっていたから。
それでも、そう日を置かずして物事が動き出すのではと懸念してしまうのは、最近もう一人の親友の表情に暗い影がさすことが多くなってきたからだ。
————————————
「ハル、起きや。チューしてまうで」
そう言いながらベッドに寄りかかると、寝ているはずの親友はくるりと上を向くと、唇だけを尖らせた。
春樹からの好意を知っていながら、挑発するような事を言う自分が悪いのだが、こいつもこいつで軽いノリとして付き合ってくれるものだからつい甘えてしまう。
イタズラ心に魔が刺して、二本の指を揃えて尖らせた唇に軽く当てると、春樹は目を見開いて飛び起きた。
「びっっっくりした……何今の!?」
「ぷふっ……可愛い反応して……これや、これ」
揃えた指をひらひらと頭の上で振ると、数秒経って処理が追いついたのか、頭を抱えて大きなため息をついた。
こんな事をしても怒らないでため息一つで許してくれるこの親友に、頼ってしまう事を許して欲しい。
「……ってことは、俺はひなの指にキスしたってことか?」
「ぅ……そう言われると……そうやけどさ……」
「もう一回!もう一回させて!」
「…………ん」
「……ひな?お前大丈夫か?」
指を差し出しても口を付ける事はなく、代わりに心配の言葉をかけられる。
気にかけてくれるのは嬉しいし信頼もしているけど、今は不安な心を少しでも軽くしたかった。
もうちょっと遊んでいたい気持ちを抑えて、話さなければいけない事を口に出す。
「トモがな、元気無いんよ……もしかせんでも、一華の件と繋がってるかもなぁって……」
「……うん」
「クラス違うから分からんけど……ハル、何か聞いてない?」
「いや、今のところは何も……」
自分は二組で春樹は三組、一華と巴は同じ五組だ。
休み時間の度に会いには行っているが何かが行われている事はなく、ただ巴の元気が無いだけ。
一華にこれといった変化は無いが、これは何かの前兆のような気がしてならない。
「そっかぁ……怖いなぁ……」
「……辛くなったら頼ってくれよ?」
「うん……」
これから始まるかもしれない事によって、今後の自分の学校生活は良いものにはならないだろう。
そもそもどうやってイジメを止めるかも分からないし、もしかしたら心に傷を負うかもしれない。
それでも自分の意思で二人のためになる事をしたい。
二人が大切で、悲しい未来を迎えて欲しくないから。
————————————
一年二組は別の小学校から来た生徒が多い。
と言っても、どのクラスも似たような比率で、四つの小学校から児童が集まっているので、同じ学校から来た生徒が少ないのは必然である。
よく話していた同窓の者はおらず、入学から少し不安ではあったが……
「んで?日向は一ノ瀬君と付き合って無いと?」
「何回言わせんねんな……付き合ってへんよ」
身を乗り出して自分に問いかけているのはクラスメイトの滝沢紬。
栗色の髪とこれまた色素薄めの瞳がチャーミングな彼女は、席も近くて入学から間も無く話すようになった。
前は接点も薄く喋った記憶すら殆ど無かった彼女だが、これも自分が女の子になったからこその縁であろう。
朝、春樹と登校する所を目撃されてから昼休みまでずっとこの調子で、小学校の時に散々周りから勘ぐられたことを思い出す。
「あ、でもアイツずーっと好きな子おんで」
「えっ!誰!?教えてちょーだいよ!」
「ウチや!!」
「なんっだそれ!付き合えよ!!」
「くくっ……からかい甲斐のある子やな」
「はぁー?馬鹿にしちゃって!」
他のクラスメイトともちらほら話すようになってはきたが、今のところは紬と一緒にいることが一番多い。
せっかく仲良くなった紬ともう少し談笑していたいところだが、会話もそこそこに残っている弁当をかき込んで立ち上がる。
「ごちそうさま。ほな、ちょっと行ってくるわ」
「はいはい、トモちゃんだっけ?大丈夫そう?イジメ……とかじゃないよね?」
「……つむちゃん鋭いなぁ。それが一番怖いんよ……」
「うっそ……なんかあったら言ってね?私、友達はそこそこいるからさ!」
紬に感謝を告げながら教室の扉を開け放つ。
休み時間の度に、五組に足繁く通う自分はクラスメイトからしたら馴染む気のない奴に見えるかもしれない。
それでも、そんな事を気にする余裕も、時間もない状況になりつつある今、自分は少々焦っていた。
何故一華ではなく巴の元気が無いのか、ここからどう展開していくのか、一華がイジメを受けているのを、少ししてから認識した過去の自分をぶん殴ってやりたい。
「おいーっす、来たでー」
「あ、日向……もうお弁当食べたんですか」
「早いねぇ……そのうち喉詰めるわよ……」
巴は、日に日に浮かない顔をすることが多くなっており、一華も元気付けようと頑張ってはいるが、あまり効果は無いように見える。
一華と目が合うと首を横に振って、巴がまだ何も話してくれない事を伝えてくる。
心の中で小さくため息をつくと、隣の席を借りて問題の巴に顔を近づける。
「な、なによ……」
「いやぁ、あんなけ人に相談せぇ言うてた奴が、なーんも言うてこーへんのが不思議でなぁ……」
「っ……何でも無いって……ほんとに……」
「無理があると思いますけど……諦めて話してくださいよ……」
まるでこの話題に触れてほしく無さげな巴の様子は、話したがらないと言うより話せない事があるようにも見える。
食欲も無いのかあまり昼食も進んでおらず、自分の弁当箱を見下ろす申し訳なさそうな表情を見ると、やるせない気持ちが込み上げてくる。
「……お弁当半分ちょうだいよ」
「え……なんでよ」
「お腹すいてんの!」
「あ!ちょっと……」
奪い取った弁当を流し込みながら、巴の様子や前の世界の出来事から、自分の中で一つの結論を出す。
今、嫌がらせを受けているのは一華では無く巴で、これは自分がイジメを認識するより前の話だ。
一華がイジメの標的になったのは、友達を庇った事がそもそもの始まりだった。
その友達とやらが今自分を唖然とした顔で見ている巴の事で、それはつまり、イジメはもう始まっているという事だ。
「ごちそうさま……けぷっ」
「トマトだけ残しましたね……」
「なにしてんのよ……ふふっ……ありがとう」
「うっ……ちょっとお散歩付き合って……」
ただでさえ少食のこの体に、大食い男子の弁当みたいな量を詰め込んだのだ。お腹が圧迫されて苦しいのなんの。
三人で席を立って教室の出入り口へ向かう途中、廊下近くで固まって昼食をとっている集団の内の一人と目が合う。
「……なに?」
「別に?トモ借りてくで」
「……うざ」
市川響子、コイツが絡んでいるのは間違いないだろう。
他の女子達もコチラに冷ややかな視線を浴びせてくるが、それら全てを無視して教室を後にする。
校舎の三階、空き教室が並ぶ廊下の先の階段。
運動部が雨の日に屋内で筋トレをする時以外は、誰も寄りつかないような場所だ。
「ヒナ……さっきのって……」
「……なぁ、あいつやろ?トモが元気ない原因」
「えっ……市川さんですか?ともちん、市川さんと何かあったんですか?」
「えっ……と、えっとね……なんて言えばいいんだろ……」
「トモ、大丈夫やから……ゆっくりでええからな」
巴の両手を握りながら、落ち着かせるように声をかける。
こんなに歯切れの悪い巴も見た事がない。
まだ自分の中で整理がついていないのか、しばらく不安そうに手元を見つめていた彼女は、戸惑いながらも重たい口を開いた。
「最初から嫌われてるなぁとは思ってたんだけどね……最近は無視されたり……その、色々……」
「ぇ……な、なんで?教室だとそんな素振りないじゃないですか!」
「ううん……授業中とかもね……ゴミ投げられたり……あはは、ごめんね゙……ちゃんと相談しなぐてぇ……」
「大丈夫……トモ、辛かったなぁ……ここやったら、いっぱい泣いてええからな」
「ゔぅぅ……ごめん゙ね゙ぇ……ひぐっ……私……どうしたらいいか分かんなぐて……」
「……許さない……絶対に許さない!!」
一華が教室に戻ろうとするのを止めるため彼女の前に立ち塞がると、一華は見た事ないほど鋭い目つきで自分を睨みつけて来た。
正直、その剣幕に驚いて少し怯んだけれど、ここで行かせてしまってはそれこそ一華が標的になってしまう。
そんな未来を断つために、絶対に動かない。
「どいて……あいつの所行って引きずり回すから」
「怖っ、一華口調変わってんで」
「っ……ふざけないで!ともちんが泣いてるんだよ!?馬鹿な嫌がらせ受けていい子じゃない!!なんで日向は落ち着いてるの!!」
「あぁ、落ち着いてるで。お前がそんなけ怒ってくれてるからなぁ……でもな一華、まずはトモや」
我に帰ってハッとした顔で振り返る一華は、巴の顔を見ると先程までとは打って変わって冷静さを取り戻した。
巴は不安や混乱、おびえや悲しさが入り混じった嗚咽を漏らしており、明らかにこのままの状態で放置できるような状態ではなかった。
「ごめん……ごめんねともちん……一人にしないからね……大丈夫ですよ。私がついてますから」
「ぐすっ……うあぁぁぁ……」
絶対に一華も巴もイジメさせない。
だからこそ、矢面に立つ奴が必要になるだろう。
「…………なぁ一華……ちょっとウチに任せてぇや」
「ひぐっ……どうするんですか?日向一人で行って……なんとかなるんですか?」
「…………めーっちゃ前にさ、ウチが言ったこと、おぼえてる?」
「……?」
「中学入ったら無茶するって。ほんで、それを止めんといてって……誕生日の日に、言ってたやろ?」
一華は少しの思考の後、驚きと戸惑いが混じった表情で目を見開いてこちらを見てくる。
「え……?でも、あれって……たしか四年生の……ど、どうして……?」
「くふふ…………ウチ言うたやんか。全部終わったら教えるよー言うて」
得体の知れない物を見るような目でこちらを見る巴に、安心できるような柔らかい微笑みを返して、日向は一年五組に向かった。
足元から崩れそうになる自分を、必死に誤魔化しながら歩いていく。




