2.傷をなぞる
「「「退院おめでとう!」」」
パチパチパチと拍手で見送られ病院を出た。
あの後、経過観察の入院として5日間病院のお世話になっていた。
特に体に異常は無く健康体だったが、運ばれてきた時は虫の息だったらしいので長めの経過観察となった。
5日の間に色んな人がお見舞いに来てくれたが、いずれも見たことのある顔ばかりだった。
父と姉も面会に来てくれて、戸惑いつつも普通に振る舞えたと思う。
あの日以降、子供らしく振る舞うように心がけており、よそよそしい空気は作らないようにしていた。
「ひなちゃんどしたん?歩くのしんどい?」
「う、うん…なんか落ち着かへんわ…」
母に手を引かれバス停へ向かう道中。
スカートこそ履いていないものの、30年連れ添った身体の一部が無いのだ。
歩いていて違和感がとてつもない。
「なんかひなちゃん、頭打って大人しくなったなぁ…」
「いやぁ、まだ本調子じゃないんよ」
「また難しい言葉使ってる…」
小学3年生、確かに「本調子」は難しい言葉かもしれない。
「いやっ、お医者さんが面会終わった後に言ってたんよ!」
「ふ〜ん?」
何か誤魔化さなければと、あたふたするが喋れば喋るほど墓穴を掘る気がする。
そもそも何の違和感もなく9歳の女の子を演じるのは無理がある。
「ふんっ!」
「あっ、スネた」
子供のようにスネてみた、30歳の男が。
ここ数日、じんわりと現実を受け入れつつある。
それでも、まるで夢を見ているような感覚に陥る。
病室のテレビを付ければ懐かしすぎる番組が放映されており、鏡を見れば女の子が映っている。
嫌でも自覚した。ここは子供時代を過ごした街に時代、そこに自分は少女として生きているのだ。
(スマホどころか、パカパカすらせん画面がちっこい携帯見た時は目眩したわ…)
バスに揺られぼうっと景色を眺めながら、ここ数日何度も考えを巡らせた事。
何故過去に戻って来たのか、何故性別が変わってしまったのか、元に戻る方法はあるのか、手掛かりも答えも出るはずがないのに思考は止まることが無かった。
(いっそ神様でも出てきてくれたら納得できるんかなぁ)
非現実的な現実の中で、さらに非現実を望むのはおかしい事かもしれない。
だが、それだけ現実を受け入れる事に拒否感を覚えてしまう。
5日間そんな事ばかり考えていると、9歳とは思えない暗い淀んだ表情になっており、鏡を見た時は思わず乾いた笑いが出た。
こんな顔をする小学生、記憶にある限り見た事がない。
気づけば、バスは記憶にある景色の中を走っていた。
大きいデパートや通っていた小学校、公園を真っ直ぐ抜けた先の駄菓子屋など、朧げだが覚えている。
でも何故か、目を逸らしたくなってしまった。
「お母さん」
「ん?どしたん?」
「ちょっとな、寄りたい所あんねん」
——————————
帰宅する前に行きたい場所、それは恐らく自分がこの世界に来る起点となった場所だった。
つまり、あの日登っていた木だ。
何か手掛かりがあるかもしれないし、もしかしたら戻ることができるかもしれない。
そんな少しの希望を持って、母に連れられその場所に到着した。
しかし、その場所には小さな切り株があるだけだった。
「…」
「あ、あんまり気にせんとき!」
「…切っちゃったん?」
「うん…ほら、ひなちゃん行こっ!あんまり見てても落ち込むだけやで!」
母に手を引かれ歩き出す。
詰みか?浅はかだったと分かっている。
でも何も分からないのだ、この場所で何かが起こった事しか分からないのだ。
自分は、今どんな顔をしているだろうか?
気づけば自宅に着き、促されるままに靴を脱いでいると奥からドタドタとこちらに近づく足音が聞こえた。
その人物はドアを開けると、こちらに飛び込んできた。
「おかえり!ひなっ!」
「あわっ、ただいま、ゆうちゃん」
この人は2歳上の姉、夏野夕陽だ。
入院中も何度か面会に来て、心配してくれていた。
うちは姉弟仲は良い方だったが、子供時代ここまで引っ付いたりしてただろうか?
これも自分が女の子として生まれたからなのか?
「あら?ゆうちゃんお友達と遊ぶって言ってたんちゃうの?」
「うん、でもひなが帰ってくるから途中で帰ってきた」
(愛されてるなぁひなちゃん…)
はたと足が止まってしまう。
この世界は自分のいた世界では無い、自分という歪な存在が、ここに居て良いのだろうか?
全部打ち明けてしまおうか?何なら、思いっきり拒絶されてもいい。
それなら、家を出て適当に生きていくか、幸い今は女の子だ、引き取り先なんて何処にでもある。
ずぶずぶと足元から沈んでいくような感覚に、もう何も考えたくなくなってしまった。
消えてしまいたい。
「ひな、あそぼっ!」
夕陽に腕を引かれリビングへ連れられた。
暗く、どんよりとしていた視界が少しづつ色づくようだった。
家だ。
1番古い記憶、幼少期に引っ越す前に過ごしていた家。
自分にとってのルーツであり、もう戻ってくることは無かった場所。
朧げな記憶は鮮明に、まるでグラフィックの解像度が一気に上がったかのような感覚に、軽く立ちくらみを覚える。
あそこの襖を破ったのは自分だ。何でそんなことしたのか分からないけど、先割れスプーンで掘りたくなったのだ。
そこの柱のキズは電子ピアノをこすった跡だ。父が運ぶ時に無茶をしてぶつけたんだ。
机にこっそり描いたらくがきも、電池の蓋が無くなってしまったテレビのリモコンも…
「ひな?」
「?」
「何で泣いてるん?」
「えぇっ…」
気づけばボロボロと、拭い切れないほど大粒の涙が出ていた。
「あれぇっ…ひぐっ…うぁ……」
張り詰めていたものが途切れて、濁流のように感情が押し寄せる。
それを見ていた母と姉が、優しく抱きしめてくれた。
そうだ、不安だったのだ、帰るべき場所がどこかも分からず、この世界で生きていて良いのかも。
久しぶりに大声を出して泣いた。
不安と混乱に押しつぶされそうな思いを吐き出すように。
————————————
ひとしきり泣いた後、3人でお昼ご飯を食べた。
その間も、自分が家の中をキョロキョロと見回すのを母と姉は不思議そうに、されども優しい笑顔で見ていた。
この世界にきて、初めて心がポカポカする。
あれもこれも懐かしい。
(あと確か冷蔵庫が凹んでて…あれっ?)
記憶の中の古い冷蔵庫。
大きなドアが凹んでいて、そこにシールを貼った覚えがある。
何かの記憶違いか?
「ただいまー」
「お父さんおかえりっ!」
「おかえりなさい」
「引越し前の挨拶しててな、ひなぁー!退院おめでとうー!」
玄関から父の夏野春日がネクタイを緩めながら近づいてくる。
背中に嫌な汗をかく、そうだ、この後確か…
俺は弾かれたように走り出した。
「どわっ!」
記憶の中の父の声、その後の母の叫び声と姉の泣き顔。
父は足を滑らせ冷蔵庫に激突し、上に置いてあった空き瓶が落ちてきて、頭から血を流すような怪我するのだ。
咄嗟にバランスを崩した父の腰に全身全霊でしがみついた。
そして、冷蔵庫とは反対側に倒れた。
「ぐぇー!」
「ひなっ!」
「ひなちゃん!」
思いっきり父の下敷きになり不細工な声を出してしまった。
「アホっ!アンタなにやってんの!ひなたは退院したばっかりやで!」
「うわわ、ごめん!ひな、大丈夫かぁ?」
「う、うん。平気」
「お父さんのアホっ!はよどきや!」
家族が揃ってワーワー騒いでる中、俺は変な高揚感に駆られていた。
男女が逆転しているのだ、これから先、少なからず未来は変わっているのだろう。
しかし…
(大筋の出来事に違いは無いんだ)
何故それに気づかなかったのか、頭を打つ事故を起こしたのだ、家についてあるキズが一緒なのだ、この家に着いた段階でその可能性に気づけたはずだ。
しかも、自分の行動である程度の軌道を修正できる。
ならば自分は…
(これからの20年、ほぼ完璧な人生設計を立てれる?)
「ふふっ」
「あっ」
「ひなちゃん…」
「?」
「ひなちゃんはな、やっぱり笑顔が1番ええよ」
家族の温かい微笑みに鼻の奥がツンとする感覚と、少しの照れくささを感じた。
夏休みも中間に差し掛かる頃、夏野家は週末に迫った引越しの準備に取り掛かるのだった。
ラブコメ漫画読んでたんです。思い立って書き出したのです。あんまりラブコメを書くつもりは無い予定です。




