26.心を守るために
薄暗い部屋と、寝静まった小さな町の音。
痛いほどの無音が聞こえてくるという矛盾を抱えた時間。
修学旅行から帰宅した翌週の月曜日、深夜三時二十二分に、日向は目を覚ました。
まだ開ききっていない両目をもう一度閉じて、寝返りを打つ。
三日前から殆ど眠れていない。理由は自分でも分かっている。
「ハル……」
春樹との事が頭から離れなくて、何をしていても気が紛れない。
自分のした選択に後悔はしていないが、果たして正しかったのかもわからない。
布団から出るには早すぎる時間だが、もう一度寝ようにも頭の中で繰り返す思考に邪魔されてしまう。
全部忘れたい。
消えたい。誰にも会いたくない。
自分勝手な奴だ。春樹にも秋にも嫌われる。
そもそも、誰にも出会わなければ良かった。
「っ…………ぐすっ…………嫌や……」
どれぐらいの時間そうしていたのか、気づいた頃には部屋のカーテンを薄明かりが照らし始め、夜明けを知らせる。
あと数時間もすれば教室にいなくてはいけない。
「もう……学校行きたくない……」
そんな事すれば春樹はもっと傷つくだろう。
これ以上、誰にも迷惑はかけられないし、誰も傷つけられない。
できる限り自然に、いつも通りに、元気な夏野日向に。
いつかこの想いが、過去の物になるまで。
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「んあ?今日もまた早起きやな」
朝、いつものように一ノ瀬宅へ春樹を起こしにいくと、すでに家の前に春樹の姿があった。
「おはよ!頑張ったんだぞ?気まずくなって起こしに来てくれないかもって思ってさ」
「ハッ!アホぬかせ。土日でしっかり調整すんのが大人っちゅーもんや」
「そうか……それはそれで、ちょっと寂しいんだけど?」
「……まっ!今日からまたよろしゅう!」
春樹の表情はどことなくスッキリしており、彼の中で先日のことは折り合いがついた事が伺える。
ちゃんと前を向いているのだろう。
つくづく思う。皆んな自分なんかよりも大人だと。
「そういや、昼から雨降るらしいぞ」
「えっ、晴れてんのに……傘持ってきてへんわ」
「貸し出しの傘あるから大丈夫だろ」
「せやな、なんとかなるわな……」
いつも通りのなんてことない会話をしているだけで、何も変な事など言っていない。
大丈夫、変じゃない。これなら自分らしく在ることができる。
それでも、少しの肌寒さを感じる中歩く二人の距離は、三日前手を握っていたのが嘘だったかのように遠いものに感じた。
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1時間目が終わり休み時間の間、一華と巴に先日あった事について、かいつまんで説明をした。
修学旅行の帰りの電車では、正直話せるような状態でもなかったので二人も無理に聞かないでいてくれていた。
「——————ほんで、ハルとも朝から普通に登校してきたで。二人ともごめんな?気使わせてもーたよな」
「そうだったんですね……とりあえず、一ノ瀬と気まずくならないで良かったですね」
「せや!アイツもスッキリした顔してたし。ちゃんと前向いてるみたいやわ」
「……それで?ひなちゃんはどうなのさ?前の日の事もあったし……私は、ひなちゃんが心配だよ」
気遣わしげな表情の巴がこちらを覗き込むようにして問いかけてくる。
正直、今はあんまり踏み込んで欲しくない。
「まあ……そこそこヘコんではいるよ……でも、自分で決めた事やし、何よりハルが前向いてんねんもん!ウチもしっかりせんと!やで!」
「じゃあ、次のお休みはお疲れ様会しましょうよ。甘いものでも食べて、元気出しましょう」
「ふふふ……ありがとう……っと、先生来たな」
担任が席につくよう呼びかけると授業が始まる。
いつも通り普通の休み時間だった。
二人とおしゃべりして、話題になったから少し話した。
今まで何百回とやってきた普通の休み時間だ。
次の日からも同じ、いつも通りの夏野日向。
次の日の授業も、その次の日の休み時間も同じ。
一華とおしゃべりした。巴に少女漫画を勧められた。
春樹と紙飛行機を投げ合って遊んだ。
授業で当てられた巴に、こっそり答えを教えた。
実里と桜に呼ばれて、そちらのグループで修学旅行での事について聞かれたから、普通に答えて、驚いたり慰められた。
先生に頼まれて実里と一緒に理科室から実験用具を教室に持っていった。
草太と健人が珍しく一緒に話していたから、どのタイミングで仲良くなったのか聞いたら、好きなバンドが同じなので仲良くなったらしく、そのバンドのCDを貸してもらう事になった。
いつも通り、普通の学校生活。
大丈夫、元気な自分は誰も傷つけない。大丈夫。
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いつも通りひなちゃんは笑っている。
一緒に給食を食べていても、普段となんら変わりない。
面白い冗談を言って皆んなを笑わせたり、いっかちんに嫌いなおかずを横流しして叱られたり、たまに表情が陰るのも月曜日に聞いた通り、そこそこ落ち込んだから?
ひなちゃんから聞いた話では、あの日一ノ瀬君に告白されて、自分も好きだけど秋さんの事があるから付き合えないと言った。
非常にシンプルに要点だけを話すあの子も、いつも通りに見えた。
昨日、一ノ瀬くんと紙飛行機で遊んでだ時も、何事もなかったかのようにいつも通り。
「あれ?日向は?」
「あぁ、夏野ならヨモギの池だぞ。餌やり当番変わってくれてさ」
「そっかぁ、明日の委員会の話ししたかったんだけど……まあいっか」
考えすぎかもしれないけど、あの子が周りに気を遣って我慢する癖があるのも事実だ。
嫌な予感っていうのは、得てして当たるものだと言うし……
いっかちんは……いない。そういえば清掃委員は今日運動上の枯葉を掃除すると言っていた。
とりあえず、声でもかけに行こう。
旧校舎を抜けた先にある奥のスペース、確か男子達がたむろしていて、前にひなちゃんと青葉くんが喧嘩になった場所。
その隣の庭にヨモギちゃんの池があったはず。
なんて言って声かけよっかな?
明るい話題の方が、ひなちゃんも構えないかな?
いた。聞いた通り、ヨモギちゃんにご飯をあげてるみたいだ。
あ、ヨモギちゃんに話しかけてる。
あの子、散歩中のワンちゃんにもよく話しかけてるから、やっぱり動物好きなんだなぁ。
「ええのぉヨモギ、お前は悩みなんか無さそうで……ご飯食べて、ちょっと泳いで、あとは日向ぼっこて……お前王族か?」
また変な事言ってるなぁ。
「せや、聞いてくれや……ハルが土曜遊ぼって誘ってくれたんよ、ゲーム一緒にやろーって」
おっ、一ノ瀬くんと?やっぱり仲良いな……
「んー?行くんかって?そらお前、行かなあかんやろ。普段通りのウチで在るために」
ありゃ、やっぱりちょっと気まずいんだ……
聞かれたくなかったかな、ごめん……
「ウチが悪いんよ……二人に馬鹿みたいに迷惑かけて、ハルを……ヨモギぃ、聞いてんのか?どこ行くねん」
…………
「ハルを……自分勝手な理由で傷つけて……」
「死んだらええねん。ウチなんか」
——————
「何言ってんのよ!!馬鹿!!!」
「うわぁ!?びっくりしたぁ……と、ともちゃん……」
「自分勝手な理由じゃないでしょ?死ぬとか、そんな辛いなら言ってよ!」
日向の独り言に、巴が激しく怒号を飛ばす。
まずい事を聞かれた日向は、少しぶっきらぼうに答えた。
「……別に死なへんよ。例えやんか……それに、ウチが元気な方が平和やろ?」
「それひなちゃんはどうなるのさ!一人だけ辛いじゃんか!」
「ほな、泣いたらええか?迷惑やろ?やから我慢してんの!」
「それがダメだって言ってんの!毎回毎回抱え込んで!」
「やかましいな!放っとけって言うてんねん!!」
睨み合って、二人とも一歩も引かない様子を見せる。
意見がぶつかって喧嘩をする事になるなど、お互いに想像もしていなかった。
「ウチもハルもそのうち忘れるわ!!それまで笑っときゃええねん!」
「分からず屋!!相談してくれたら一緒に考えるわよ!!」
「やから死んだらええ言うてんねんこんなクソ女!!おるだけで周り大迷惑やろ!!」
「このっ……アンタは逃げてるだけでしょうが!!」
巴が日向の腕を掴んで壁に押し付けると、鼻と鼻が触れ合いそうな距離で日向に吠えた。
「もっと私を頼ってよ!!いっかちんも!一ノ瀬くんも!皆んな、ひなちゃんのこと好きなんだから……」
「……」
「クソ女なんて言わないでよ……私の友達に……」
二人とも力が抜けたようにその場にへたり込むと、息を整えてお互いに目を合わせる。しばらく、そんな時間が続いた。
気づけば、とっくに昼休みなんて終わってて、今頃クラスは二人がいない事を不思議に思っているだろう。
でも、そんな事はどうでもいい。
「ごめんね、無茶苦茶言って」
「ごめん、ウチも口悪かった」
「ふふっ、ひなちゃんの喧嘩口調怖かったぁ」
「ふはっ、ともちゃんも目ぇ怖かったわぁ」
「はぁ?」
「あぁ?」
「「……ぷはっ」」
壁に背を預けて、互いに肩を預けて、5時間目が終わるまでいっぱい話した。
修学旅行にあったことも、日向がそれからどう過ごしていたかも、巴があの日から心配していた事も。
今日の放課後、一緒に本屋に行く約束をしてから担任に謝りに行った。
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「もう、どこ行ってたんですか?」
「ごめんごめん。二人で喧嘩してたんだよ」
「えっ!?ひーちゃんと喧嘩したんですか!?」
「うん。仲直りしたけどね!あ、おーい、ヒナ!早く行こ!」
「えっ?」
「あーい!ほなハル、また明日!トモ、行こっか」
「えぇっ?」
「あ、いっかちんも本屋さん行く?」
「…………ひーちゃん、私とも喧嘩しますよ!!」
いつも通りの夏野日向は、いつも以上の柊巴にあっさり壊された。
よくある友達同士の喧嘩は、日向の心を守ってくれた。
自分を頼れと言ってくれた。
もし、また眠れない夜を過ごすことになったら巴に相談してみよう。それがどれだけ心強いことか。
でも大丈夫、今夜はぐっすり眠れそうだから。




