18.小さな一歩
聴き慣れたインターフォンの音を聞きながら、前髪を手で整える。
大気との温度差によって吐息に含まれる水分が小さい水滴へと形を変える。簡単に言うと息が白くなるそんな季節。
12月に入ってすっかり寒くなり、まだ雪こそ降っていないものの朝は水溜りに薄い氷が張る程には冷たく、日向は先週買ってもらったお気に入りのマフラーを巻いていた。
「おはよう日向ちゃん、今日もありがとうね」
「おはようございます…その、今日も起こしに来ました……」
「うん、ほんとに……戻って来てぐれでありがどゔねぇ………」
今は演技だが春樹と仲直りした当初、久しぶりにインターフォンを押したら百合子さんが飛び出してきて、号泣しながら抱きしめてくれたのは驚いた。
家に上がり、丁度出勤する所だった百合子さんを見送ってから2階へと上がる。
扉の前で立ち止まりドアノブに手をかけたところで、中の人物に聞こえないように深呼吸をする。
いまだに慣れない、何なのだこの身体は。
異性から好意を伝えられた事は、前の人生でも無かったわけでない。
嬉しい事だし、もちろん胸が高鳴ることもあった。
それなのにこの身体ときたら、壊れてるんじゃ無いかというほど胸の鼓動がうるさい。
「……ハルー?起きてる?」
……どうやらまだ寝ているようだ。
足音を立てないように静かに近づいて寝顔を覗き込むと、穏やかな寝息を立てて眠っていた。
「コイツほんま……お気楽なやっちゃで……」
ゆっくりと顔を近づけて目が合う、漫画ならそんなお決まりの展開もあっただろうこの状況だが、そんな事になったら心臓が潰れちゃうだろうが。
日向はランドセルから100均で買った会議などで使われる指示棒を出し、部屋の主人の脇腹をつついた。
「起きろよー、先行ってまうぞー」
「んん……ふっ……」
「くふふ……」
なかなか起きないのをいい事に、首をつついたり布団を叩いたりしていたら面白くなってきた。
しばらく寝ている親友で遊んでいたが登校の時間が迫って来ている。
やはり指示棒ごときでは起きないのか……100円が無駄になってしまった。
「むぅ……起きろよぉ」
仕方なく直接体をゆすることにすると、11歳とはいえ男女で成長の仕方も変わってくるのを実感する。
自分とは違い少し筋張った腕に触れると、余計に自分が女の子になってしまった事を自覚してしまう。
春樹が自分に好意を持っているということも知ってしまったから、余計に鼓動が早鐘を打つ。
「あ……ぅ…………無理ぃ!!!」
「うわっ!?ぐふっ……」
これ以上は耐えられないとばかりに毛布を引っ剥がすと、包まっていた春樹が勢いよくベッドから落ちた。
申し訳ないと思いつつも、なかなか起きない春樹が悪いんだと自分に言い聞かせる。
「ウチ、悪く無いで!起きひんハルが悪いねや!」
「いてぇ……ふあ……おはよう、ひな」
のそりと起き上がった春樹は、前に成長を感じた時よりもさらに身長が伸びており平均を上回っているらしく、反対に平均身長を大きく下回る日向にとっては背伸びをしても追いつかない身長差となっていた。
「うぐっ……はよ朝ごはん食べぇや」
「はいはい、頑張るよ」
1階に降りてテーブルにつくと、テレビを見ながら朝食を食べだす春樹。
宿泊研修以来、また毎朝起こしに来るようになったのだが、あまりにも普段通りな目の前の親友に、日向は納得いかないと言った様子で話しかける。
「なぁ…何でそんないつも通りなんよ……ウチのこと、その、すす、好き…なんやろ?恥ずかしいてしゃーないんやけど……」
「えー?うーん……いやなんかさ、ずーっと分かってるもんだと思ってたからさ、今更というか…」
「なんなん…この1ヶ月半ソワソワしてんのウチだけやん。納得いかへんわぁ」
「俺的にはソワソワしてくれて嬉しいけどな」
「やっかましいねん!」
春樹の余裕な態度に腹が立ち、飲んでいたコーヒー牛乳を奪い取って飲んでやった。
最近、コーヒーも少しづつ舌が慣れて来たのか、少量なら問題なく飲めるようになってきたのが嬉しい。
「……そういう、間接キスとかは気にしないんだな」
「あん?こんなもん別に何も思わんよ。子供じゃあるまいし」
なんなら、前世では打ち上げの席で酔っ払って、その場のノリで春樹とキスを交わしたこともある。男同士でな。
その事を思い出しても胸が高鳴る事も無ければ、面白い思い出だなぁといった程度のものである。
それに、高校ぐらいまで上がったら異性と回し飲みなんてザラにある事だ。
「お子ちゃまやなぁ春樹くんは、ほれ、早よ食べなそろそろ出発やで」
「うわ、悪い。急ぐっ」
そう言うと、半分ほどになっていた朝食を急いで食べすすめていく。
特にする事も無かったので髪の毛をいじって遊んでいると、珍しく春樹からリクエストが飛んできた。
「なあ、あれやってみて、お団子?」
「お団子ぉ?お団子好きなん?今日ピン無いし……崩れるかもやで?」
リクエストされた通り頭の上で束ねた髪を巻き付けていく。
春樹がその様子を、朝の支度をしながらもじっと見ているのが分かる。
別に言われた通りに髪をセットするのは問題ないが、その間ずっと見られていると流石にやり辛い。
「ちょっと、あんま見やんといてや……恥ずかしいやん………出来たら言うから」
「いや、お団子が好きっていうか、ひながそうやって髪の毛いじってるのが好きなのかもしれない」
「ふふっ…なんやそれ……ほなまぁ、我慢したりますわ」
照れくさいような、少しの気恥ずかしさはある。
前と全く一緒の関係には戻れないかもしれない。
だけど、前とは違う別の心地良さを感じる今の関係も、そこまで悪いものでも無いだろう。
————————————
「亀って近くで見ると結構つぶらな瞳してるんですね」
教室のロッカーの上に置いた大きな水槽を覗き込みながら、一華が水槽越しに亀に指を噛ませながら呟いた。
学校の備品にしては大きすぎるこの水槽は、日向が父にお願いして家から持ち込んだ物だ。
「亀好きなんよぉ…よちよち歩くんも可愛いし、たまにキリッとしはるねん。めーっちゃ好き!」
「ひなちゃんは生き物何でも好きじゃん。あ、でも虫は苦手だったっけ?」
「苦手っていうか……アイツら突然顔目掛けて飛んできたりしよるからなぁ。大人しい奴は好きやで」
「くくっ……ひな、ミミズ捕まえて『亀のご飯や』って言ってたもんな。あれ笑ったなぁ」
3週間ほど前に日向が、冬眠が失敗したら可哀想と担任にかけ合って中庭の池から教室に移したこのミドリガメ。
当初は餌やりを面倒臭そうにしていたクラスメイト達だが、今ではそこそこ人気者になっている。
「そういえば、この子って名前あるんですか?」
「えっ?亀っちやろ?6年の人らそう呼んでたで」
「あれ?私は亀吉って思ってた…前田が言ってたし」
「俺はトコ助って聞いてたけど……誰からだっけ?」
「「「「…………」」」」
全員が全員、バラバラの名前で認識していた事もあり、改めて5年1組で正式にミドリガメの名前を決める事になった。
担任に曰く、職員室でも認識されておらず、少なくとも15年はこの学校にいるそうだ。
15年間も適当な名前で呼ばれ続けた亀に、クラスから同情の目が向けられる。
「せっかくやから看板もつくらへん?名前付きの看板」
「あ、いいね。桜も一緒に絵描こーよ」
「楽しそうだねぇ、私で良ければ、やろっかなぁ」
実里と桜も一緒に看板を作ってくれる事になり、本格的に名付けが始まる。
と言っても既存の呼ばれ方が幾つかあったので、簡単に多数決で決めることとなり、ミドリガメの名前はヨモギとなった。
「くっ……亀っち……結構気に入ってたのに……」
「まあいいじゃん。ちゃんと名前決まって、ほら、ヨモギも……喜んでる……ぞ?」
「うーん……ヨモギちゃん何考えてるか分かりませんね」
そんな平和な一幕があった日から、1週間ほど経過したある日の帰りのHR。
担任のいつもより神妙な面持ちに、クラスは何事かと構え、静かに言葉を待った。
「えーっとですね、今日あった事なんですけど、ヨモギがもともと住んでた池あるでしょ?あそこにね、低学年の子達がお昼休みに、用務員室から持っていった除草剤を入れるっていうことがありました。偶然とかでは無く、悪意を持ってね。幸いうちの教室に来てたからヨモギは死ななかったけど……そのままだったら、良くない結果になっていたと思います。皆さんはヨモギと接して命の大切さを——」
クラスの全員がヨモギにある程度の愛着を持っているので、その話しの内容にショックを受ける中ただ1人だけ、ほくそ笑む者がいた。
「くふふっ……誰が殺らせるか、ボケぇ」
1度目の人生ではそんなにあの亀に愛着があったわけではなかった。
それでも日向の人生で、悪意を持って生き物を殺せる人がいることを知った、5年生の冬休み前のこの出来事を強烈な記憶として憶えていた。
やった、やってやった。
机の下で小さくガッツポーズを作って、ここ数週間ですっかり愛着が湧いてしまったヨモギを助けられた事に、嬉しくて少しだけ涙がでてしまう。
そして、それをクラスでただ1人、見ている者がいた事に気付けなかった。
筆者の実家にいた亀の名前は「めかぶ」でした。
外で飼ってたので脱走しました。




