13.成長の証
一華に牛乳を浴びせられた翌日、いつも通り春樹の家に行きインターフォンを鳴らすと、珍しく百合子さんが出迎えてくれた。
「おはよ日向ちゃん、ごめんね、なんかあの子先に出ちゃったのよ…」
「えっ、ホンマですか……そうですか…じゃあ、行ってきます…」
再度、百合子さんから謝罪されペコリと頭を下げる。
こんな事は初めてだ。春樹が日向が来るより早く起床している事は稀にある。
それでも朝食をダラダラ食べていたり、テレビを見ながら身支度をして日向を待っている。
今日のように、何も言わず先に行く事など無かった。
「……なんやろ、なんか怒らせたんかな」
「おっはよー日向!珍しくない?1人じゃん」
昨日の自分の言動を振り返っていたところ、元気な声で挨拶をくれたのは、昨日に引き続き八木実里であった。
「おー、実里ちゃんおはよ。うん、なんかハル先にいってもーて」
「おりょ、どしたのさ。喧嘩でもしたのかい?」
「うーん、これといって思い浮かばんのよ。なんか昨日から避けられてる感じやなぁ」
思い返せば、昨日学校に着いてからは殆ど話していない。そればかりか下校時も寄り道すると言い、別々に帰ったのだった。
そんな事を思い出してると、気分がどんよりと落ち込んできた。
「げ、元気出しな?心当たり無いなら本人に直接聞いてみるのもアリじゃない?」
「うん…そうしてみるわ……」
気分が沈んだままに、いつもとは違う相方を連れて教室に入る。
どんな顔して自分の粗相を尋ねたらいいのか、不安に思いながら春樹の席を見ると、そこに彼の姿は無かった。
「……春樹いないね」
「う、うん。ってかあれ?いっちーは?ともちゃんは……休みかな」
なんとも言えない心細さが顔に出ていたのか、実里が励ましてくれる。
小さくお礼を言い、席に着いて待つことにしたが、春樹が帰って来たのは朝のHRギリギリだった。
「おはようございます。今月に入ってから風邪が流行してますから、皆さんも手洗いうがいを小まめにしましょうね。藤宮さんも昨日の夜から熱が出ているので、今日は欠席です。では出席を——」
最悪だ。誰に相談すればいいのだ。
なんでこんな時に限って2人とも風邪を引いてしまうのか、理不尽な苛立ちだと分かっていても、胸がムカムカする。
HRが終わっても机に突っ伏したままグルグルと考え事をしていると、1時間目が始まる。
春樹には、休み時間に話しかけよう。
ところが授業が終わる度に、春樹はさっさと教室を出ていき、男子達と何処かへ消えていった。
声を掛けても、こちらをチラリと見るだけで返事すらしてくれない。
本当に何なのだ?
昨日から続く頭痛を鬱陶しく思いながも、何も言ってこない春樹に苛立ちを覚える。
どれだけ前世で面倒見てやったと思ってるんだ。
毎朝起こすのも、恋愛相談も、失恋した時だって慰めてやったじゃないか。
「あー、日向?」
「………何?」
「お、怒んないでよ…その、大丈夫?」
「めっっっちゃむかつく。アイツ殺したい」
「こ、怖すぎ怖すぎ。目が怖いって。うん、避けられてるっぽいねぇ」
「なんやアイツ、ちょっと背高なったからって調子のってへん?無様に死んで欲しいんやけど」
言いたい事があるならハッキリ言って欲しい。
自分も本当の気持ちを伝えるのは苦手だが、お互いそんなことを遠慮するほど軽い関係でも無いだろう。
何に怒ってるのかすら言わず、無視するような奴だったか?
「まあまあ、落ち着きなって。ちょっとアタシに任せてよ。男子の方にも話し聞いてみるからさ。」
「うぅー、ありがとう。むかつく」
「日向はどっしり構えてなさいな」
ありがとう、ジェネリック巴。
心の中でとんでもなく失礼なことを思いながら、席にどかっと座る。
考え事が多すぎてお腹まで痛くなってきた。
去年の夏からずっと安定していた日向の精神は、ここ2日でグチャグチャになっていた。
————————————
昼休みとなり、一度トイレに行き鏡を見る。
自分でも酷い顔をしていると思う。
特に仲のいい人達がいないだけで、ここまで自分が不安定になるとは思わなかった。
仲直り出来たらいいが、取り返しのつかない間違いでも犯していたらどうしよう。
頭もお腹も痛いしもう帰りたい。
一度冷静になるために顔に水をかけ、教室に戻る。
「おっ、帰ってきたな。おーい!春樹!夏野と喧嘩してんのか?」
教室に帰ると一部の男子が集まっていて、そのうちの1人前田杏介が大きな声を上げた。
一瞬何が起きたのか分からなくて面を食らったが、目の端にオロオロとしている実里が映り、なんとなく状況を理解する。
恐らく実里は、前田のグループに相談を持ち掛けたのだろう。
「お前ら仲直りしろよ。夏野が泣いてんぞ。」
「ちょ、ちょっと!もうちょい穏便にやってよ!」
男子たちがニヤニヤと笑いながら日向の方を見る。
何が面白いのだ、泣いてもいないしこっちは腹が立っているのだ。
実里もここまで大事になると思っていなかったのか、咎めるように止めに入る。
「なんなんだよ…」
「だから仲直りしろって。お前が無視してんだろ?せめて理由ぐらい言ってやれよ」
「……」
これだ、昨日から春樹は目を合わせようとしない。
悪い事をしたなら謝るし、気に入らない事があるなら改善する。
仲違いしたいわけじゃ無いのに、人の気持ちも知らないで、どうしてこんな態度を取るのか。
「ハル……」
「悪かった……」
そう言うと春樹は、再び席に座ってそっぽを向いた。
なんだこいつ、目も合わせないで、理由も何も言わないで謝って済ませようとしている?
ふざけるな。こんな謝罪ですら無い適当な言葉で、この場から逃げようとしてるのが丸わかりだ。
この場が収まったとしても、明日からまた同じ事をするつもりだろう。
「ハル!お前っ「はい、仲直り完了!」」
「お前ら喧嘩なんかすんなよー、付き合ってんだろ?見てりゃ分かるって」
「はぁ?」
いきなり言われた言葉に、日向は驚いてフリーズする。
噂が流れているのは知っているが、こんなところで大声で言う事では無いだろう。
実里がその事を否定するが、男子たちは勢いに任せて続ける。
「付き合ってねーよ!」
「嘘つくなって、どう見ても付き合ってんだろ!お前ん家から夏野と一緒に出てくるのも噂になってんぞ!認めて楽になれって」
「お前らやめろって!2人とも困ってんだろ!」
健人も声を荒げて止めに入るが、外野のクラスメイト達も色めき立ってきて、男子と女子も不躾な視線を2人に向け出す。
何故こんな事になってるのか、自分が女で、春樹が男だからだろう。
あぁ、腹が立つ。
親友が異性だといけないのか?
そんな薄っぺらい肩書きで、コイツとの仲を勘違いされた事に腹の底から怒りが込み上げる。
「夏野も言ってやれよ!」
「お前ホンマ……」
「付き合ってねぇって言ってんだろ!誰がっ!!こんな男女のこと好きになんだよ!!」
瞬間、教室の空気がしんと静まり、視線が春樹に集まる。
日向も春樹を見ており、また春樹も日向を見ていた。
春樹の顔は羞恥のせいか紅潮しており、日向はその表情の意味を知ってしまった。
思春期に入った男女の悩み、成長の証であり、これから一生付き合っていくであろう感情。
コイツは、自分を異性と認識してしまったのだろう。
「あっ……」
「お前なぁ……」
日向が顔を伏せながら近づいていく。
春樹は言葉は出ずとも必死に弁明しようとするが、歩みは止まらずズンズンと進んでいく。
ピタリと立ち止まり、思い切り拳を振り上げると春樹はギュッと目をつぶった。
そして、ポスッ……っと音が鳴りそうなほど軽く、春樹の胸を叩く。
「…………アホ」
「ひな……あの……」
そのまま教室を出ていき、静寂が群衆を支配する。
頭痛と腹痛が酷くなってきたのと1人になりたくて、教室を飛び出した日向はトイレに向かった。
廊下を歩く途中、健人と実里が声をかけてきた。
「おい、夏野…その……大丈夫か?」
「日向っ、グスッ…ごめん、あんな事になるなんて…ほんとにごめんっ!」
「……大丈夫、2人ともありがとう、ちょっと1人にさしてぇな、トイレ寄って帰るわ」
トイレの個室に入り、大きなため息をつく。
実里は悪くない。
善意で動いてくれた事だし、悪いのは距離感を測りかねた自分だろう。
そりゃそうだ。
アイツは男で、自分は女なんだから。
親友だなんだと言っても、結局男女の違いはある。
でもアイツとなら、そんな壁を突き破って前と同じような関係になれると、期待していたのだ。
さっさと用を足してもう帰ろう。
今日はもう、何も考えたくない。
するりと下着を下ろすと、下着には薄く赤い血がついていた。
「最悪……もう嫌や……」
色々な感情が入り混じった涙が両目からこぼれ落ち、自分でも何の涙なのかわからないまま、声を押し殺し続けた。
この日、初めて日向は自分の身体が女になった事が嫌になった。
こういうノリって本当にあるから怖いよねぇ




