第4話「運び屋と剣士」
第4話「運び屋と剣士」
夜の仕事には、慣れた。
屋敷の壁越しに意識を伸ばす。大広間で酒を飲んでいる男の思考の表面を、ほんの少しだけ撫でる。男は気づかない。誰も気づかない。テレパスがそこにいることを。
領主の隠し財産の在処。愛人の名前。取引相手への裏切り。
三分もあれば十分だった。
帰り道、蒼介は煙草に似た草を口にくわえたまま、自分が何をしているかをぼんやりと考えた。考えるというより、確認する作業に近かった。富裕層の秘密を盗み、それを必要とする者に売る。対価として硬貨を受け取り、宿賃と食費を払う。それだけだ。
かつて自分が「完璧さ」を求めていたことは、形だけ覚えている。しかしそれが何のためだったか、なぜそれを求めていたか——そこには霧がかかっていて、近づこうとすると頭が痛んだ。
いい。思い出さなくていい。
そう決めることも、もはや感情ではなく習慣だった。
フレディという男が現れたのは、そんな秋のことだった。
蒼介が情報を売り渡す裏路地の酒場に、見知らぬ男が先に座って待っていた。三十前後に見えるが、目が古い。覚醒者特有の、世界を値踏みするような目。
「座れよ、運び屋」
蒼介は座らなかった。
「俺のことを知っているなら、俺があんたの思考を読めることも知ってるはずだ」
「読んでみろ」フレディは片眉を上げた。
「面白いものが見えるぞ」
試しに触れた。次の瞬間、蒼介は眉をひそめた。フレディの思考の表層には、明確な意図で構築された「見せるための情報」が並んでいた。その奥は、鋼のように閉じていた。工匠の覚醒者——物と機械を操る能力が、精神防壁にまで応用されている。
「気に入ったか」
「……何が目的だ」
「仕事の話だ」
フレディはテーブルに封筒を置いた。
「断ってもいい。ただし、お前がここ半年でやってきたことの記録は、この街の領主のもとに届く。明日の朝には」
蒼介は封筒を見た。封筒を見てから、フレディを見た。
「脅しか」
「取引だ」
フレディは笑った。笑い方だけは、妙に人懐こかった。
「俺は強引な方が好きなんだよ」
無限連合の支部は、街外れの古い倉庫群の地下にあった。
国をまたぐ組織だと、後から知った。表向きは商会。裏では情報、人材、時に暴力を扱う。その頂点に鬼神シヴァという存在がいて、フレディはその手駒の一人だと説明された。説明した本人のフレディが、その話をするときだけわずかに目の温度が変わることを、テレパスである蒼介は見逃さなかった。
しかしそれを口にするほど、蒼介は今の自分に関心がなかった。
住む場所と食える飯があれば、どこでもよかった。
ダリオと最初に言葉を交わしたのは、蒼介が支部に来て三日目の、訓練場でのことだった。
壁際に寄りかかって剣の手入れをしている男がいた。蒼介と同じくらいの年齢。黒い髪に、細い目。自分に似ていると思った。向こうもそう思ったらしく、剣を磨く手を止めてまじまじとこちらを見た。
「お前、俺に似てるな」
「そっちが俺に似てるんだろ」
「俺の方が先にいたからな」
「俺の方が先に生まれたかもしれない」
ダリオは一瞬きょとんとして、それから声を上げて笑った。屈託のない笑い方だった。蒼介はその笑い方を少しだけ羨ましいと思った。自分が最後に声を上げて笑ったのがいつか、思い出せなかったから。
「お前、魔法使いだろ。なんで剣士の訓練場にいる」
「フレディに言われた」
「俺もだ」ダリオは剣を鞘に納めながら言った。「じゃあ組まされるな、俺たち。俺はダリオ。剣しか取り柄がない」
「蒼介。魔法しかできない」
「じゃあ完璧じゃないか」
その言葉が、なぜか刺さった。
任務で組むことが増えた。
ダリオは蒼介に剣の基礎を教えた。蒼介はダリオに魔法の補助的な使い方を教えた。剣士が前に出て、テレパスが後ろから相手の動きを先読みして伝える——二人の連携は、互いの弱点を自然と埋めた。
親友になった、とはっきり気づいた瞬間がある。
ある任務の帰り道、二人とも怪我をしながら酒場に転がり込んで、安い酒を飲みながらその日の失敗をひたすら言い合った夜だった。「あそこでお前が遅かった」「お前の読みが外れたんだろ」「俺のせいじゃない」「俺のせいでもない」——言い合いがひとしきり続いて、同時に黙って、なぜかどちらも笑い出した。
何がそんなにおかしかったのか、後から考えてもわからない。
ただ、その夜以降、蒼介は自分がダリオのそばにいることに理由を考えなくなった。友人とはそういうものだと、記憶を失う前の自分がどこかで知っていたのかもしれなかった。
ダリオも同じだったと思う。
似た顔の二人が並んで歩くたびに、周囲に「どっちがどっちだ」と言われた。そのたびにダリオは「俺の方がいい男だ」と言い、蒼介は「どこが」と返した。
何度同じやりとりをしたか、数えていない。
数えなくていいと思っていたから。




