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蒼の魔術士  作者: 水前寺鯉太郎
第一章

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第3話「偽りの調停」

第3話「偽りの調停」


 それは訓練の最中に起きた。

 幻影術の応用実習。精神の深部に潜り、意識の最も根に近い層へ——師が示した手順に従い、蒼介は自分の内側へ降りていった。

 そこで、見た。

 見てはいけないものを。

 光の粒のような何かが、自分の意識の中心に存在していた。それは青白く、静かに脈打っていた。テレパスの能力とも、精神魔法の才とも違う。もっと根源的な何か。それを言葉にするなら——覚醒、とでも呼ぶしかなかった。

 大陸中の魔術士の中でも、ほとんど発現しないとされる、特異な存在の証。

 そしてその粒の周囲に、不自然な「跡」があった。

 まるで何度も触れられたような、繰り返し消されたような、かすかな痕跡。

 蒼介は意識を引き抜き、師を見た。モルドレッドは変わらず金色の瞳でこちらを見ていた。

「何か、見えたか」

「……はい」

 嘘をつけなかった。テレパスに嘘をつくことの虚しさを、蒼介は十分に知っていた。

 任務から戻ったのは、その三日後の夜だった。

 蒼介の手には、写しを取ってきた書類があった。対立する両勢力への情報工作——だがその情報が、休戦を促すためではなく、戦火を長引かせるために設計されていることに、今回初めて気づいた。

「これは」

 師の執務室の扉を開けながら、蒼介は言った。

「これは調停じゃない」

 モルドレッドはゆっくりと振り返った。驚いた様子はなかった。

「君が気づくのは、もう少し先だと思っていた」

「俺の覚醒の記憶を消していたのも、あなたですか」

 沈黙が落ちた。それが答えだった。

「なぜ」

「覚醒者は使いにくい」モルドレッドの声に感情はなかった。「自分の力の本質を知った者は、他者の指示で動かなくなる。君には、あと二年は私の道具であってほしかった」

 道具。

 蒼介は二年間の記憶を、一瞬で全部見直した。失敗した任務の夜の言葉。「完璧は手段だ」。その言葉の本当の意味を、今初めて理解した。師は蒼介に、完璧な道具になれと言っていたのだ。

「友人を壊した夜も、あなたは俺を見ていたんですか」

「ああ」

「それでも拾ったのは」

「才能があったから」

 それ以上の言葉は出なかった。出せなかった。蒼介の中で、何かが静かに砕けた。

 精神波が来た。

 嵐のようだった。文字通り、意識の内側に嵐が生まれた。蒼介の精神防壁が音を立てて削られていく。師の力は、想像よりはるかに深く、古かった。スフィンクスが何十年もかけて積み上げた精神魔法の集積——それが一息に解き放たれた。

 膝をついた。

 床に手をついて、蒼介は考えた。勝てない。力では絶対に勝てない。防ぎ続けても削り切られて終わる。

 ならば。

 精神魔道士として師に教わったことの中に、一つだけ、使うなと言われたものがあった。

 あらゆる生物の意識の最も深い部分には、「在ること」の根拠となる記憶が存在する。呼吸の仕方。心臓の動かし方。目を開ける意味。それらは記憶というより、生きていることそのもののコードだ。そこを破壊することは、殺すことと同義だ——師はそう言って、その技の存在だけを教えた。

 蒼介は精神防壁をすべて捨てた。

 痛みが全身に満ちた。師の精神波が無防備な意識に直撃した。それでも、その一瞬の隙に——蒼介は師の意識の最も深い層へ、一点だけ、針を刺した。

 何かが、消えていった。

 最初に消えたのは、故郷の景色だった。次に父の顔。それから母の声。石畳の匂い。ロアンの笑顔。アカデミーの廊下。師の執務室の灯り。

 自分がどこから来たか、わからなくなった。

 次に消えたのは、自分の名前だった。

 「蒼介」という音が、何を意味するのかわからなくなった。それが自分を指す言葉だったことは、形の記憶としてかろうじて残っているが、もうそれは他人の話のようだった。

 最後に見えたのは、床に倒れるスフィンクスだった。

 あれほど巨大だった存在が、子供のように崩れ落ちた。金色の目が閉じていった。呼吸の仕方を、忘れたように。

 記憶のない少年は、それでも歩いた。

 どこへ行けばいいかわからなかった。しかし足は動いた。生きていたから、動いた。それだけが残っていた。

 どれくらい歩いたかわからない国の、どれくらい経ったかわからない夜明けに、少年は一つの名前を知った。

 テレパスだけが使える方法で。道行く人々の思考の表面を、ほんの少しだけ撫でて。

 迷い子を拾う人間の、名前と場所。

 ドアを叩いた。扉が開いた。

 エルフの女性が少年を見て、一瞬だけ目を細め、それから静かに言った。

「中に入りなさい。お腹は空いてる?」

 名前も過去も持たない少年には、頷くことしかできなかった。

 マリアと呼ばれるその女性は、それ以上何も聞かなかった。

 

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