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エクスカリバーが交差点の真ん中にささってるんだが…  作者: 源三郎


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第21章 異世界が残った朝

第二部、はじまりです。あの日から三週間。

三島には赤い森と城の影が残り、人々はそれを「日常」として受け入れかけています。けれど東京・静岡・名古屋・大阪――四つの城で、巨人が暴れはじめた。玄弥が守るべき場所は、いつのまにか、町ひとつでは、なくなっていました。



 慣れる、というのは、たぶん、いちばんこわいことだ。


 あの日から三週間が経った。三島大社前の交差点には、まだエクスカリバーが刺さっている。その向こう、伊豆の山並みの稜線に、見たこともない城壁の影が薄く重なって見えるようになった。源兵衛川の上流のほうには、葉の赤い、こちらの木じゃない森が、ひとかたまり、根を張っている。


 最初の数日は、町じゅうが浮き足立っていた。


 テレビの中継車が何台も並んで、知らない大人たちがマイク片手に走り回って、学校は三日休みになった。父さんは会社から帰ってこられなくなり、母さんは備蓄の水を玄関に積み上げた。あれはあれで、わりとお祭りみたいな気配もあったと思う。怖いんだけど、ちょっとだけ、わくわくしている自分が、玄弥はうしろめたかった。


 でも人っていうのは、思っているよりずっと、慣れがいい。


 誰かが死んだわけでもない。爆発が続くわけでもない。赤い森はただそこにある。城の影はただ立っている。一週間もすると、商店街のおばちゃんたちは、その影の真下で、いつも通り大根を並べはじめた。中継車はいつのまにか消えていた。もっと派手な「絵になる現場」が、東京のほうにできたからだ。


「玄弥。ぼーっとすんな、信号、青だぞ」


 澪に背中を叩かれて、玄弥は我に返った。自転車を押して横断歩道を渡る。剣の脇を通り過ぎる。観光客が一人、柵の外からスマホを剣に向けて写真を撮っていた。もう、誰もそれを止めない。「触らないでください」の立て看板だけが、雨に濡れて少し傾いている。


 赤い森のほうから、知らない鳥の声がした。こちらの鳥じゃない。低い、笛みたいな声。それにすら、玄弥はもう、いちいち驚かなくなっていた。それが、いちばんこわかった。


 大社の鳥居の下で、宮下のおばさんが孫の咲良ちゃんと手をつないで歩いていた。咲良ちゃんは赤い森を指さして、「あのお山、まだあるね」と笑っている。怪我をするでも、消えるでもない。子どもにとっては、ただの新しい景色なのだ。おばさんはちょっと困った顔で、それでもうなずいてやっていた。


 その光景に、玄弥は少し救われた。同時に、こうも思う。――このなんでもない朝を、誰かがずっと後ろで踏ん張って支えている。三週間。アヴァロンとガレスが夜ごと町の外れを見回り、現れる小さな怪物を、人に見つからないところで片づけてくれていた。ガレスの部下たち、向こうから来て帰れなくなった兵士たちも、文句ひとつ言わずそれに加わっている。彼らだって、帰りたいはずなのに。


 平和の裏側には、いつも誰かの夜がある。それを、玄弥は忘れないようにしていた。


 昨日、商店街のアーケードで、ガレスの部下の一人とすれ違った。両手に買い物袋を提げて、自販機の前で、慣れない手つきで小銭とにらめっこしていた。玄弥が缶コーヒーのボタンを押してやると、その兵士は、はにかんで笑った。言葉は通じない。でもその笑顔は、玄弥の知っている、誰かのお父さんの顔によく似ていた。みんな、帰る場所がある。帰りたい場所が。それを思うと、玄弥の胸の奥が、いつも、ちりっとした。


 学校に着くまでに、玄弥は三回、空を見上げた。


 箱根の方角。雲の切れ目。あの、ずっと向こう。今は見えない赤い星空の下に、大河がいる。星を数えて、待っている。すぐに迎えに行くと言った。「絶対」と言った。なのに玄弥は、まだ一歩も踏み出せていなかった。一歩を踏み出すための、その先が、どこにも見つからないからだ。


 昼休み。図書室の隅で、灯里がノートパソコンの画面を、玄弥たちのほうへくるりと向けた。


「先輩、これ、見てください」


 画面には、ニュースサイトの見出しが並んでいた。


『東京湾岸 “巨大構造物”同士の衝突続く 政府、特別災害指定』

『静岡市中心部 原因不明の倒壊 自衛隊が周辺を封鎖』

『名古屋・大阪でも同様の現象 専門家「説明がつかない」』


 動画のサムネイルには、ビルよりずっと大きい、人の形をしたなにかが写っていた。鈍く光る装甲。背中から伸びる、骨のような骨格。それが二体、三体と、街のど真ん中でぶつかり合っている。建物が紙みたいに潰れていく。ニュースのテロップは、それを「構造物」と呼んでいた。政府はまだ、本当のことを言えないでいる。言えるわけがない。異世界です、なんて。


「……なにこれ」


 澪がつぶやいた。声が固かった。


「三島だけじゃ、なかったんです」灯里は地図のタブを開いた。指先が、少し震えていた。「東京、静岡、名古屋、大阪。四つ。場所が、おかしいんですよ」


 彼女は四つの点を、ひとつずつ、なぞった。


「東京の現場は、皇居のお堀のあたり。つまり、昔の江戸城があったところ。静岡は駿府城。名古屋は名古屋城。大阪は大阪城」


 玄弥は、息を止めた。


「全部……お城」


「全部、お城です」灯里がうなずいた。「三島の交差点と、同じなんだと思います。あそこも昔は三嶋大社の門前で、東海道の宿場の要だった。人と物と祈りが、いちばん多く通った場所。境目がすり減って、薄くなってる場所。そういうところに、向こうの世界がしみ出してきてる」


「城が、楔の刺さりやすい場所だってこと?」


 横から、低い声が口を挟んだ。アヴァロンだった。制服の上から、相変わらず薄い外套を羽織っている。最初は浮いていたその格好も、もう誰も気にしない。それも慣れだ。


「おそらく、そうだ」アヴァロンは画面の人型を、じっと見た。眉の間に深いしわが寄っている。「だが、私の知る限り、楔は一本。エクスカリバーだけのはずだ。なのに四つの都市で、別々に境界が裂けている。これは……一本の楔で二つの世界をつなぎ止めるには、もう無理が来ているということだ。布が一か所をつままれて、ほかの場所からほつれ始めている」


 玄弥の胃の底が、すっと冷たくなった。


 三島を守る。それだけでも、いっぱいいっぱいだった。なのにいつのまにか、地図の上に、守らなきゃいけない点が四つも増えている。江戸城。駿府城。名古屋城。大阪城。どれも玄弥が一度も行ったことのない場所だ。電車で何時間もかかる。その全部を、体が一つしかない自分が、どうやって守れというのか。


「俺さ」玄弥は、机の木目を見つめながら言った。「大河、迎えに行くって、約束したんだ。すぐ行くって。けど――」


 言葉が、続かなかった。


 三島を離れれば、町が危ない。けど町にいれば、大河には近づけない。そのうえ今度は、東京だの大阪だの。手が足りない。気持ちだけが四方八方に引っぱられて、ちぎれそうだった。


「全部やろうとして、潰れる顔してる」


 澪が、ぴしゃりと言った。きつい口調なのに、目は心配していた。


「ひとりで背負うな、って、あんた、自分で言ってたじゃん。大社の前で。もう忘れたの」


「……忘れてない」


「なら、いっぺんに全部、なんて思うな。今日、目の前にあるやつから。それだけでいい」


 玄弥は、ちょっと笑った。澪はいつも、玄弥よりずっと地に足がついている。空ばかり見上げている玄弥の足首をつかんで、地面に引き戻してくれる。そういえばこいつ、小学校の頃、給食のとき俺の嫌いなピーマンだけ黙って自分の皿に移しては「貸し一な」と言っていた。なんでいま、そんなことを思い出すんだろう。


 凪人が、いつのまにか、机の端にスケッチブックを広げていた。鉛筆が、さらさらと走る。描かれていたのは、四つの城と、その真ん中の交差点。城と城を、細い線がつないでいた。線はすべて、いったん三島の交差点を通ってから、次の城へ伸びていた。


「……これ、なんとなく、見えたから」凪人はぼそっと言った。誰とも目を合わせずに。「全部、ここでつながってる気がする。三島が真ん中。乗り換え駅、みたいな。たぶん」


 誰も、すぐには言葉を返せなかった。乗り換え駅。つまり、四つの城のどこへ行くにも三島を通る。逆に言えば、三島が落ちれば、全部がばらばらになる。


 ふいに、窓の外が暗くなった。


 雲が急に厚くなったのかと、玄弥は思った。違った。光の量がおかしい。図書室にいた全員が、窓の外を見た。箱根の方角の空に――裂け目が、あった。


 黒い、縦の、亀裂。


 空が布みたいに裂けていた。その奥からこぼれ出すように、なにかが降りてくる。最初、玄弥はそれをヘリだと思った。でもヘリは、あんなに足を持たない。


 巨大な、人型。


 ニュースの動画で見た、あれと同じ。けれど画面越しじゃない。本物が、いま、三島の空から降りてくる。装甲は黒。漆を塗ったみたいに、光を吸う黒。背に棘。頭にはのっぺりとした面のような顔。目に当たる場所に、赤い光が二つ。体の高さはビルの二階か三階分。たぶん七メートルはある。


 それがゆっくりと、町の北のはずれ、大場川の河川敷のあたりに足をつけた。


 地面が、揺れた。図書室の窓ガラスが、びりびりと鳴る。本棚から、誰かの読みかけの文庫が、ぱさりと落ちた。


「……来た」アヴァロンが立ち上がった。外套の下で、剣の柄に手をかける。声に、初めてはっきりとした緊張が走っていた。「黒殻騎だ。魔王軍の量産兵。一体だけこちらへ寄越したということは――偵察か、あるいは試している。聖剣の継承者が、本当にここにいるのかを」


 玄弥は、立ち上がった。


 膝が、少し震えていた。怖くないわけがない。三週間前のあの夜とは、相手の格がまるで違う。でも足は、もう廊下のほうを向いていた。交差点へ。剣のところへ。


「灯里、ここ頼む。窓から離れて、みんなを机の下に。先生たちにも、放送で避難の指示、出してもらえ」玄弥は早口で言った。「澪、あいつは無理だ。今回ばっかりは、ついてくんな、とは――」


「言うな」


 澪が、もう鞄を肩にかけていた。


「言っても、行くから。あんたが、あんたじゃなくなりそうになったら、名前呼んで引っぱたく役。それ、あたしのだろ。誰にも譲らない」


 玄弥は、何か言いかけて、やめた。代わりに、うなずいた。言い合っている時間が、もう、なかった。


 駆け出す。階段を二段飛ばし。昇降口で上履きのまま外へ出かけて、アヴァロンに襟首をつかまれ、靴に履き替える。情けないことに、こんなときでも玄弥は、ちゃんと上履きを脱いだ。校庭を横切る。非常ベルが鳴りはじめた。空には黒い巨人。その向こう、ずっと遠くに、赤い空の気配。


 校門を出たところで、ガレスと合流した。すでに剣を抜いている。鎧の肩が上下していた。息があがっている。あの巨体を、たった三週間で見抜くほど、彼らは町の見回りですり減っていた。


「玄弥どの」ガレスは北の空から目を離さずに言った。「私と部下で、足止めはする。だが、おそらく通じん。あの装甲は、我々の槍を受けつけん。あれを止められるのは――」


「分かってる」


 玄弥は、走りながら答えた。


「剣のとこまで、時間、稼いでくれ。あとは、俺がやる」


 ガレスは、ほんの一瞬だけ、玄弥のほうを見た。三週間前なら「無茶を言うな」と止めたかもしれない。でも今は、何も言わずに、深くうなずいた。それから部下たちへ向き直り、低く号令をかけた。耳慣れない、向こうの言葉で。けれど、その響きが何を意味するかは、玄弥にもわかった。――行くぞ。守れ。


 彼らが河川敷のほうへ駆けていく。たった数人で、ビルみたいな巨人へ向かって。玄弥はその背中を見送ることなく、反対方向へ、交差点へ、全力で走った。一秒でも早く。


 慣れる、というのは、こわいことだ。


 でも、慣れちゃいけないものもある。誰かが誰かを置いていくこと。誰かがひとりで、星を数えていること。玄弥は走りながら、それだけは絶対に慣れてやるものか、と奥歯を噛んだ。


 交差点の真ん中で、エクスカリバーが待っていた。雨上がりの淡い光を、刃に跳ね返して。


『汝、何を守る』


 いつもの問いが、玄弥の頭の中で響いた。今日は、答えを返す時間さえなかった。北の空で、黒い巨人がこちらへ一歩、踏み出している。玄弥は息を吸って、柄に手をかけた。


読んでくださり、ありがとうございます。

第二部は、「慣れる」という言葉から始めました。怪物が町に残っても、人はやがて、その下で大根を並べはじめる。それは強さでもあり、こわさでもある。誰かが夜ごと踏ん張って支えているから、なんでもない朝が続いている――ガレスや、帰れなくなった兵士たちのことを、玄弥は忘れずにいます。

四つの城が、すべて昔の城跡に重なっている。一本の楔では、もう二つの世界を支えきれず、布は別の場所からほつれはじめた。守る範囲が、町から、東海道ぜんぶへ広がってしまった。それでも澪は言います。「いっぺんに全部、なんて思うな。今日、目の前にあるやつから」。

そして北の空が裂け、七メートルの黒殻騎が降り立つ。玄弥は答える間もなく、剣の柄へ手をかけました。

次章、はじめての黒殻騎戦。斬るためではなく、その中の声を聞くために。

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ここまで読んでくださりありがとうございます!
玄弥たちが向き合うのは、倒すだけでは終わらない怪物たち。
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