第八十八話 サプライズ
1999.12.24 -FRIDAY-
クリスマスイブの夕方。
新東京の愛理出地区のショッピング街は、その象徴的な存在だったセントホークタワービルと周辺の放つ、輝かしいクリスマスカラーのイルミネーションがなく、例年よりどこか暗い空気だった。
だが、“あれ”から少しずつ人も戻り、いつもほどではないものの、イヴの週末ということもあって賑わいは見せていた。
今日は昼頃から、六堂は美雪と新東京まで遊びに来ていた。
弥が納車を早めるよう手を回してくれたお陰もあって、年を越さずに愛車となった新型のシビック。その試運転も兼ねて、数日前に美雪をドライブに誘った…、いや、誘おうとしていたが、先に深雪から連絡があったのだ。
『伊乃さん二十四日って空いてますか?』
(イヴとは意味深だな)と思ったが、時間はある。“デート”に付き合ってもいいかと考えた六堂は、その日は空いてると答えた。
昼食にファストフードを食べ、ゲーセンで遊び、ショップを見て過ごしている内に、空は群青色になっていた。
周辺の店々から聞こえるクリスマスソングと、商店街で毎年準備しているメインストリートに飾られたイルミネーションや飾りの中を歩く美雪はとても楽しそうだった。
「そういえば…高校合格してたんだって?」
少し前を歩く美雪に、ふと尋ねる六堂
。
一連の事件で、姉を亡くし、何より非日常的な恐怖体験をさせてしまったことで、美雪の高校受験に影響がないか、かなり心配していた。
だが、美雪の母親から、高校は推薦入試ですでに合格を決めていたと聞いたのだった。
入学予定の学校は、“私立青光学園高等学校”。中学での成績が上位クラスだった美雪は、青光学園高の特別推薦枠で入学金免除、学費も殆ど免除される条件の難しい入試に合格。
母子家庭であることを考えての挑戦だったらしい。
「あ、お母さんから聞いた?」
「ああ、電話で…少しな。庄司の社長…、弥さんもお前の受験のこと気にしてたから、どうなのかと思って」
姉の死だけでも精神的なダメージは計り知れないだろう。それに加えて、拉致、監禁、人質、銃撃戦……、中学生が体験するにはあまり酷く、非現実なことばかりだった美雪。
弥はそんな彼女に、NTCHの精神科や、知り合いのカウンセラーを無償で、治療に当たらせる考えがあることを言っていた。
特に、高校受験への影響を心配していた弥だったが、秋にはすでに合格が決まっていたことを六堂から聞いて、安心していたという。
何より、美雪は、本当に元気だった。
『え?夜眠れないとか?ううん、ないない』
今日の誘いの電話があった時に、心配で尋ねた六堂だったが、美雪は平気だと返した。
(無理してるのでは…)、とも思ったが、体験したことが“非現実的”過ぎて、頭で処理し切れなかったと美雪は言うのだ。
「どうでもいいけどさ…お前、メンタル強い…な。起きたことはトラウマ級だと、心配してたんだぞこっちは」
「え?いや、そうじゃないよ。お姉ちゃんのことは悲しいよ。大好きだったもん。でもそれ以外のことは…とても怖かったけど…」
「…けど?」
「その…伊乃さんとっても強いし…あんなんもう映画だよほんと」
「…映画?」
「そう!何であんなに凄いのよ!涼子さんだって強くて…もう全部夢みたいっていうか、分からないけど、これら何とかなるんじゃないか…ってあの時思っちゃって」
――…それ、正常性バイアスじゃないのか
美雪の拍子抜けな話を聞き、六堂は複雑な顔をした。何より、涼子はともかく、六堂としてはあの時は結構な危機だった。
そんな彼の顔を見て、首を傾げて笑う美雪。
「なあに、その顔?だってさ、私、攫われた理由もよく分からなかったんだよ。あとで庄司さんから説明を聞いて…取引のために人質だったってこと知って…」
――そう、人質だ。俺に対しての人質…
美雪が巻き込まれたのは、自分のせい。六堂はそのことは、物凄く気にしていた。
セントホーク事件の調査は、“恵の仇を討つ”という個人的感情からのものだったが、黒幕は六堂と恵の関係を知り、美雪を狙った。勿論命に変えても美雪を助け出す気ではいたが、命を救えば済むことでもなく、その後のケアについて、心配していた。
だが、勿論いいことではあるが…とにかく美雪は本当に元気な様子だった。
「本当、私は大丈夫!何かあったら、相談するよ」
後ろで手を組みながら振り返る美雪は、にっこりと笑って言った。
「…ま、それならいいんだけど。で、今夜はどうする?特に店の予約とってないんだよな。どうせなら、合格祝いも兼ねて贅沢にしてやりたいんだけど」
六堂が夕飯のことを口にすると、美雪は首を振った。そして横に並んで六堂の左腕に、自分の右腕を絡ませて少し引っ張った。
「あーいいのいいの!今夜は、私“準備”してるから」
「…は?準備?」
「そ!行こ行こ!」
美雪に手を引かれ、車を停めているコインパーキングに戻る六堂は、自分の家で、手料理でも振る舞ってくれるのかとも考えたが、どうやらそれは違うらしい。
何故ならば行き先は美雪の家ではなく、港区だというのだ。それも南青山、六堂の事務所のある方向である。
新車の質のいいエンジン音と、走り出しで、南青山へと向かうシビック。
高速道路に上がる頃には日が完全に沈み、ビル群が美しい夜景へと変わっていった。
助手席からそれを見つめる美雪に、六堂は、恵と最後にした日の夜のドライブをふと思い出す。
「伊乃さん」
六堂の見つめる視線に気づいた美雪。
「何?」
「前…ちゃんと見よ。いやだよ、クリスマスイヴに事故とか」
「…あ、はは、悪い」
運転を注意する口調も、何となく恵に似てきたのを感じる。
ずっと少女だと思っていた美雪が、少しずつ大人になっているということに、何となく複雑な気持ちにさせられた。
「ところで、南青山の…どこに向かえばいいんだ?」
「え?ああ…うん、えーとね…」
「……ん?何だよ?」
「うん、その“やまひろ食堂”」
六堂は自分の耳を疑った。
「…はあ?それ本当?」
まったく想像していなかった場所の名前が、美雪の口から出て驚くのは当然だった。
何せ今夜はクリスマスイヴ。何故“やまひろ食堂”なのか、疑問に思う。それに美雪は、今夜は“準備している”と言っていた。
そして美雪は“やまひろ食堂”のことは知らないはすだ。少なくとも、六堂は恵も美雪も連れて行ったことはない。
「うん、本当だよ」
「…いいけどさ、“やまひろ食堂”って知ってんの?」
「そこ気にしないでよ」
美雪はにっこりと微笑んだ。
話が見えてこないが、(ま、いいか…)と、深く聞こうとはせず、言われた通りに“やまひろ食堂”への向かい、車を走らせた。
少し道路も混んでて、“やまひろ食堂”のある南青山までは一時間ほど掛かった。
六堂は一旦、車を自宅兼事務所の駐車スペースに置いて、そこから歩いて“やまひろ食堂”へ向かうことにした。
閑静な古い住宅街のメインストリートである長者丸通りを下って歩く二人。
下り坂に入る時、住宅の隙間から小さく東京タワーが目に入る。今夜はクリスマス仕様のライトアップだ。
「寒っ…」
六堂は顔に当たる風の冷たさに思わず声を出した。
「本当だね、風冷たい」
今夜は、都内での冷え込みが0度になる予報だった。
「雪、降るかな?」
空を見ながら美雪は言った。
「どうだろうな、天気予報じゃ降る可能性は高くはなかったけど」
「そっか…」
六堂の前を歩く美雪は、白い息を吐き、鼻の頭を少し赤くしながら、微笑んだ。
美雪は、“ただ六堂といる”のが楽しい、そんな気持ちだった。ただ彼と歩いて話してるだけで、ちょっぴり大人になった気分に、幸せな時間を感じていた。それも今夜はクリスマスイヴ、高揚感が高まる。
それでも、大好きだった恵への負目もあり、六堂にくっついたり、手を繋ぐことを求めたりまでは出来なかった。
「な、美雪…」
六堂に呼ばれると、美雪は足を止めて振り返った。
「ん?」
六堂は上着の内ポケットに手を入れ、何かを取り出した。
リボンのついた、小さな紙袋だ。
「はいこれ、メリークリスマス」
人通りのない住宅街の道で、突然のサプライズ。
実を言えば、どこで渡すか迷っていた六堂。
レストランでも予約していれば、そこでとも思ったが、今夜はクリスマスイヴ。予約なしで入れるところは、なかなかないだろうとは考えていた。
となれば、自宅前まで送った時の別れ際に、車で渡そうかと考えていたが、何かとても楽しそうな雰囲気の美雪を見て、“今”でもいいかと思ったのだった。
「え!うそ…」
あまりに唐突なことに驚く美雪は、六堂からそのプレゼントをそっと受け取った。本当にサプライズだった。
「嬉しいな…、開けていい?」
「ああ」
美雪は手袋を外し、紙袋を開けた。中に小さな箱が入っている。箱には、宝石ブランド“ベンチーニ”のロゴが掘られているのが見え、更に驚く美雪。
その蓋を開けると、ネックレスが入っていた。
「え、これ…高いやつでしょ!ベンチーニって高級品だよ!」
「いや…そんなことないよ。宝石入ってないやつ選んだし、でもデザインは若い女性に人気のやつだって、店の人にも選んでもらって…気に入ればいいけど」
シンプルなデザインのネックレス。若い女の子が身に付けても、それだけが目立ったり、浮かなそうなデザインだ。
不思議なもので、こんな住宅街の夜道でも、今夜がクリスマスイヴであることと、嬉しいという高揚感が、何か自分の中で素敵なムードを感じてしまう美雪。
「ありがとう、伊乃さん…」
“こんなもの”で事件に巻き込んでしまったことが許されるわけではなかったが、六堂なりに気を遣ったつもりだった。
早速、マフラーを外して、首にかけるが、手が悴んで上手くつけられない美雪を見て、六堂は彼女に背中を向けさせ、つけてあげた。
「どう?」
手を広げ、はにかんだような笑顔の美雪を見て、六堂も思わず微笑んだ。
「ああ、いいんじゃないか。似合ってる」
上機嫌になった美雪は、マフラーを巻き直し、手袋をつけると、六堂に今が何時かと尋ねた。
六堂が腕時計に目をやると、十八時を過ぎたところだった。
「え、もうそんな時間!」
美雪は幸せに満ちた気持ちのスイッチを切ったように、六堂の手を引き少し急かした。
「あ、おい、どうした?」
「いいから早く!十八時の約束なんだよ!」
“やまひろ食堂”まで早歩きで向かう二人。
店まではもう近い。
――何をそんなに急ぐんだ。十八時の予約とか?いや、そもそも大衆食堂に予約とかあんの?
見えてくる、いつもの店。
(クリスマスイヴに唐揚げ定食、そんな年もあっていいかな)などと考えていると、美雪はパッと手を離し、店の前で踵を返した。
店内からは賑やかな声や物音が聞こえて来た。
――今夜はイヴなのに結構来てるんだな…
何も誰もがクリスマスイヴを“クリスマス的”に過ごすわけではないし、当たり前と言えば当たり前かと考える六堂だったが、美雪は両手で店を指し示した。
「さ、伊乃さん!今夜は美雪プロデュースのクリスマスパーティーへようこそ!」
明るい笑顔でそう言うと、美雪はガラっと引き戸を開けた。
「…パーティー?」
六堂はよく解らないまま、暖簾を潜って店内に顔を入れた。
「メリークリスマスっ!探偵っ!」
すると突然、缶ビール片手の室富が六堂に飛びつき、首にヘッドロックを仕掛けて来た。
「おわ!何!?何だよお前」
「おっせーんだよ探偵よ、先始めてたぜ」
「先にって…?」
六堂は、室富の腕を解いて、店内を見回した。
すると、客だと思っていたのは、よく知る者たちであることに気づき、六堂は目を大きくした。
涼子にジーナ、佐久間、水戸とその家族、ラッドに谷中までもがいる。
テーブルには、やまひろ食堂の料理がオードブル形式で沢山並んでおり、よく見るとクリスマスツリーや手作りの飾りが店内に飾られていた。
「何これ?」
唖然とする六堂に、美雪はポンと背中を叩いて言った。
「伊乃さん、メリークリスマス」




