第八十二話 弥の別邸
とても家庭のイメージのある佐々木ではなかったが、妻への愛は深かった。
宮原を殺したのも、法を逃れる“イカれた犯罪者”を、社会に野放しにさせないためでもあったが、妻を手に掛けられたことが大きな理由であったという。
「…ああ、すみません、あなたちが“ナノマシン”を話題にしていたので、つい詳細にお話しましたが…。とにかく私としては、佐々木さんも、奥さんも、宮原に…いえ、流出した我が社の試作製品に巻き込まれて人生を奪われたと考えます」
弥は、今後、佐々木が裁判になった際に減刑になるよう努めるという。
ただ、この件は簡単なことではない。佐々木一人を見れば、彼はただの犯罪者だ。警察官としても恥ずべき存在である。
「勿論、佐々木さんに罪は償ってもらう。その上で、出所した後、私の警備会社に入ってもらえないか、話をしてみるつもりです。彼ほどの人間を、ただ埋もれさせることもないでしょう」
六堂は、特に納得するでも否定するでもなく、(話は理解した)という意味で軽く頷いた。
「それで、佐々木の妻はどうなってるんですか?」
「今も、NTCHで最新の生命維持装置で生かされている状態です」
「その装置は、“内通者になる条件”として使わせてもらってたんでしょ?ってことは、使用料はかなり高額な装置だ」
「そうですね。一日使用しただけで、一般サラリーマンの月給が飛びますね。しかし装置の“モニター”として、佐々木さんの奥さんに関しては無料で使用を継続させるつもりです。ただ、言いにくいのですが…」
実際のところ、佐々木の妻がその装置を使ったところで、どこまで生き延びるかは判らないという。頭部にナイフを深く刺された“ような”大怪我で、生きてることが奇跡な状態だった。
その装置には、試作段階あのナノマシンも搭載してるというが、脳は解明されていな未知な部分があまりに多く、損傷箇所の再生回復は無理なのだそうだ。
「…奥さんについては、旅立つその時までは、責任を持つつもりです」
ナノマシン開発、そして流出事故は、ロス支社でのこと。弥個人が関わっていたプロジェクトでも、事故でもない。
それでも佐々木に尽くそうというのは、黒幕側にいた立場の責任から来るものなのかと考えた六堂。そして、“庄司 弥”は持っている力を正しく使える人物なのだろうと思った。
その上で、六堂には気掛かりなことがあった。弥の現状についてだ。
「しかし、佐々木が内通者になった経緯ってのは、背後にいた、今野を筆頭にしていた黒幕グループですよね?当然、あなたも色々知っていた身だ。他のことも含めて、追求を受ける立場では?」
弥は、少し疲れた顔で笑った。
「ええ、私の戦いはこれからです。罪には問われないなよう、腕利き弁護士に、坂崎さんも全力を尽くしてくれますから、会社再建のためにも、ここで負けてはいられません」
弥は、社内の膿を取り除くために、人生を賭けた戦いをこれまでずっとしてきた。擬態として“バカ息子”を演じた生活を延々と続け、自分でいられる時間も、休む時間もなく。
だが同時に、そのために、“人が死ぬ”のをただ見てきただけの立場でもあった。前田を含む社内の部下や、ローデッカー。セントホークで殺された警備員や人質たちは、まさにその一部だ。
それを罪には問われないかと考えれば難しいものはある。
「さ!この話はここまでしましょう。実は、ここに来たのは、勿論見舞いも兼ねてなのですが…、連れて行きたい所がありまして。さっき医者に聞いたら、六堂さん、無理をしなければ外出は出来るみたいですね」
「え、外出?」
「ちょっと…私の“個人オフィス”まで来ませんか?勿論無理にではないのですが…。室富さんもどうです?」
六堂と室富は互いに顔を見合わせると、肩を竦めた。
ここにいても暇だと思っていた六堂は、上半身を支える医療用のコルセットを装着し、痛み止めを飲んで、出掛ける準備をした。
室富はどうするか迷ったが、歩くのがキツそうな六堂を気に掛け、同行することにした。
数日ぶりに診療院の外に出ると、空気は冷たかったが、穏やかな気候で、空は青く澄んでいた。
弥が近くに止めていた車が、若者カップルが使うので有名な、S-MXだったことに六堂は少しギョッとした。
弥曰く、“国際企業の副社長がこんな車に乗るとは思わない”、というマスコミに追われないためだという。
室富は、“MINIに乗るより”ずっと快適だと、後部座席にドカッと乗り込んだ。
「副社長さんよ、そういや、あんた前田の葬儀にいなかったよな?」
室富が思い出したように、運転を始めた弥に尋ねた。
前田は、弥の手足となり、社内から膿を取り除くための戦いに中で散った。役員でもあり、弥の下に就く前からロス支社等で“正しいこと”をしようとしていた人物であった。
室富にとっては、関わりのあった人間ではないが、師にあたるローデッカーと組んでいたこともあり、色々思うところがあった。
「室富さんは参列したのですね。私は、今回の騒動でマスコミに追われる手前、あえて避けました。そうでなくても、庄司の役員が殺しによって死亡した葬儀。私が行けば、ご身内に迷惑がかかる…」
「だけど、あんたの腹心の部下だったんじゃあないのか?」
「ええ…納得はしていませんよ。でも、法的な戦いを無事終え、会社の再建をすることが、ゴールです。それが上手くなされなければ、前田専務も、その他の犠牲者も、無駄死にです。私は私の戦いを終えた時、墓前に挨拶に行くつもりです」
室富は、黙ったまま軽く頷き、(野暮なこと訊いて悪かったな)と、手を振った。
首都高湾岸線を経由し、車が向かった先は、千葉県は南行徳。目的地の到着までには一時間も掛からなかった。
高速を降りて走るそこは、東西線の駅を中心に閑静な住宅街が広がっている。“オフィス”と言っていたので、てっきり都内だと思っていた六堂。
「着きましたよ」
弥は、少し古い一軒家の前で車を止めた。
東西線の走る高架線のすぐ側の白い家。
「ここ…ですか?」
六堂は、思わず尋ねた。
ここは弥個人の所有する家で、自宅とは別だ。一人で仕事をしたい時、考えたい時などのオフィス代わりに使っており、東京までほどない距離で、気に入っているらしい。
「元々は祖父が建てた家でしてね。親父は、こんな場所の土地などいらないと言うので、私がそのままらもらいました」
弥はこの場所が幼少期から好きだったという。
基本的には本社ビルに寝泊まりする生活で、自宅も持っており、ここは誰にも探られないよう書類上では弥の持ち物ではないよう、細工をしていた。
といっても、この家の存在は父親も忘れているそうで、本当に一人になりたい時に使っていたとのことだった。
鍵を開けて中に入ると、吹き抜けになった天井の高い玄関と、二階に続く階段が目に入った。
「…あら、弥さん。来られたんですか?」
玄関に入るなり、奥の部屋から一人の女性が出てきて、そう言った。弥の知り合いらしいが、彼の後ろにいる六堂と室富を見て少しだけ驚いた顔をした。
「やあ、“先生”。こちら、私立探偵の六堂さんと、あー…室田さんだ。今回の件で大変お世話になった、人たちだよ」
“先生”と呼んだその女性に、六堂と室富を紹介する弥。
「上がってもいいかな?」
そして二階を指差した。
「ええ、どうぞ。今は目を覚まされてますよ」
女性は、元はNTCHにいた医者で、須田 玲子という。
オフィス代わりの別邸に、医者がいるという状況が飲み込めない六堂だったが、弥に言われるままに、二階に上がった。
寝室らしき部屋のドアを弥が開けると、医療機器が並んだベットの上に人が寝ているのが目に入った。
女性だ。
六堂はその人物を見るや目を大きくし、室富は思わず黒眼鏡を下げた。
思い出される庄司エンタープライズ本社ビルでの脱出劇。あの八方塞がりの状況で助けてくれた、受付嬢…
そう、ベッドの上にいたのは明日美だった。




