第七十三話 恵の命を奪った男との決着
ほんの一瞬…だが鮮明に、恵の温もりを思い出していた六堂。
もう“それ”を感じることは二度とないという現実。
また、幼馴染という“近すぎる関係″が故に、一度も愛の言葉を言わなかったことの後悔が、心の中を駆け巡る。
そして目の前の男に、一生“それを言う機会″を奪われた怒りが、六堂の感情を高ぶらせた。
「どうした?威勢がいいのは口だけか?」
大佐が挑発的にそう言うと、六堂は立ち上がり、再び両拳を顔の前に置き、構えを取った。
それを見て大佐も構える。
二人は互いを見合ったまま、縁を描くように左に、左にと、ゆっくり動いた。そしてその円は、少しずつ小さくなり、互いの距離が縮まっていく。
大佐が、“自分の″射程圏内に入ったと察した瞬間、左のジャブを放った。
スウェーでかわす六堂。
次はジャブの連打を放つ大佐。速く正確なジャブは例えるなら、しなやかに速い“鞭″だ。
たが六堂はパンチの攻防には付き合わず、素早く大佐の懐中に入り込み、ワイシャツの左襟付近と、捲られた右の袖を掴んだ。
そして次の瞬間、六堂の体が宙に浮く。
「…っ!」
大佐は六堂が“何を”仕掛けるか瞬時に察した。
両手で引っ張られるワイシャツ。引き寄せられる上半身に合わせた、蹴りでも放つのかと思わせる右脚は、大佐の左の脇へと差し込まれ、六堂自身はそのまま飛びついた。
そして左脚は引き込んだ大佐の首をフックし、“腕十字”を仕掛けたのだ。
大佐がそのまま地面へと倒れ込めば、六堂が取っている右腕は、完全に極まる。
「ぐ…打撃主体と見せかけて、“飛びつき腕十字″とはな」
だが、大佐はその技を読んでおり、体は前へと“くの字″になった状態から倒れることはなかった。
“倒れまい”と踏ん張る、大佐の体幹の強さは怪物だ。
極め切れない腕十字のまま、地面に背中をつけた六堂の顔に目掛けて、大佐は強引にパンチを放った。
六堂は技を解き、素早く地面を転がり、大佐のパンチが降ってくる前に距離を取った。
パンチを空振った大佐は、そんな六堂に急接近して、“サッカーボールキック″をお見舞いした。六堂は、腹部にその蹴りの直撃をもらってしまった。
「ぐはっ!」
“嫌な痛み”を感じた。肋骨が折れた感覚だ。
しかし六堂はダメージを受けながらも、そのまま大佐の脚にからみついた。
体を逆さにして太もも辺りに自分の脚をフックさせ、足首を掴み、そのまま大佐を転ばせようと試み、膝十字固めを仕掛けようとした。
まさに、“肉を切らせて骨を断つ”だ。
だが大佐はバランスを崩し、転びそうになるも、これもまた立った状態を維持した。
倒れなければ十字固めは極まらない。
「私に関節技は通じない」
大佐は、六堂が絡み付いてる右脚を、勢いよく振った。そして側の街灯へ“蹴りを入れる”要領で六堂を激突させた。
「ぐあっ!」
背中を思いきり街灯にぶつけられると、鈍い音と共に、大佐の脚を離した六堂は地面に倒れた。
街灯のポールがくの字に折れ曲がった。
「打撃で勝ち目なしと見て、関節技に持ち込もうとは浅い真似を。仮に“寝技での”攻防に付き合ったとしたも、私は貴様には負けない」
大佐は倒れている六堂を見下ろし、自分が勝ったかのように言った。
だが、自分の膝に違和感が走った大佐。いや、違和感ではない。激痛だ。
「ぐっ、これは!」
大佐は自分の脚を見て驚いた。太ももに、腕に刺されたのと同じナイフが刺さっているのだ。
「貴様また…一体いつ?どこに隠し持っている」
「いつつ……さあてね。あんたの部下、ボディチェックが甘いんじゃないのか?室富の隠しナイフも見落としたもんな」
六堂はかなり痛そうに立ち上がった。だが、その顔は笑っている。
「あんたなら分かると思うが、今そのナイフを抜けば、一気に血が噴き出す」
「…ああ、戦闘不能になるまで恐らくは三分。三分で貴様を殺し、更に一分以内にベルトか何かできつく縛って止血しなければ、現状離脱も難しくなるだろうな」
大佐は迷うことなくナイフを太ももから引き抜いた。
「…ふん、予想以上の出血だ」
流れ出す血液と裏腹に、大佐は平然と言った。
「残念だが、戦闘不能になるまで、このダメージは貴様のアドバンテージにはならん。部隊零は強化兵士、痛みへの耐性は一級品なんだよ」
血のついたナイフを捨てると、大佐は再び構える。
六堂も構える。
変わらず同じ構えを取る二人。
「大佐、アドバンテージがないってのは嘘だな。俺は時間稼ぎをすればあんたを窮地に追い込める」
「…分かっているさ。だが、その気はなかろう」
「ああそうだ。俺はあんたを“この手″で殺す」
「では…時間がないのでね、一瞬で片付けさせてもらう!」
大佐は、一足飛びで六堂に、接近する。そのスピードは深手負ってるとは思えないほどに速い。
そしてまた左ジャブを出すと見せかけ、“同じモーション”で、太ももから流れ出る血を手に塗り、六堂の顔に飛ばした。
血が目にかかり、六堂の視界が奪われた。
その様子を確認すると、ニヤリと笑みを浮かべ六堂の顔面目掛けて右ストレートを放つ大佐。
しかし六堂は紙一重でかわす。
「何っ!」
そしてさっきと同じように肩を掴まれないよう、六堂は屈んでボディストレートをた炊き込む。しかし大佐の腹筋の硬さは、打ち抜いた拳の手応えで分かる。ダメージは少ないと。
六堂は追撃に顔面へ目掛けて左ハイキック、そして右肘の連擊を放つ。
ぐらつく大佐。
顔にかけられた血を拭い、視界を取り戻す六堂は、今にも倒れそうな大佐を捉えた。
止めを刺さんと拳を握り締めて、一気に距離を詰める。
しかし六堂のパンチは大佐に届かなかった。接近した瞬間に“上から降ってきた”大佐の踵の直撃を喰らい、地面に叩きつけられたのだ。
「死ねい!六堂 伊乃っっ!」
大佐はまた、靴の踵で六堂を思い切り踏みつけようとした。
これで決着だと、大佐は確信した。
が、次の瞬間、倒れていたのは自分の方だった。
「え…?な…に」
何が起きたか、理解が追いつかない大佐。
六堂は大佐の“踵落とし”を喰らい地面に倒れた時に、大佐が太ももから抜き捨てたナイフを拾い上げ、逆手に持って大佐の両足首を切り裂いたのだった。
そして飛び跳ねるように立ち上がった六堂は、一瞬で腹部、胸部、喉と刺した。
その動きを大佐が見切り、認識することは出来なかった。
“人の速さ″ではなかったからだ。
「ご…ごふっ…きさ…ま」
大佐は吐血した。完全な致命傷だ。
両足首を含む、“同時五箇所”の刺激を終えた六堂は、片膝を着いて、ナイフを落とした。
何が起きたのか?
それは六堂が使えなくなったはずの刀士の技法を使ったのだ。
無論、裏社会に身を置いていた頃の、“蒼光″と呼ばれた刀士としての全盛期ほどの速さではなかったであろう。
だが、勝利を確信した大佐の不意を突くには十分だった。
刀士の技法は、脳内コントロールによる一時的な身体能力の向上。しかし六堂は二年前、“阿修羅 才蔵”との戦いで、その技法を過剰に使ったことにより、二度と使えなくなった。
何故、今、瞬間的にそれが使えたのかは本人にも解らない。
ただ、人間の能力は、時折本人の意図せず奇跡と呼ばれるような作用を見せる例は幾つもある。
恵への愛の深さ、あるいはそれを奪った大佐への怒りによって、六堂の失われた力が刹那に蘇ったのかもしれない。
だが、六堂はそのことについて深く考えることはしなかった。




