第五十一話 佐々木警部の過去
スターズブルーを出ると、外は霧雨になっていた。吐く息は白く、濡れた路面は更に空気を冷たく感じさせる。
車を失った六堂は、江村の指定した場所に向かうために、ラッドの愛車を借りることにしたのだが、店の側の駐車場に停めてある赤いローバーミニを目にすると室富は苦笑した。
長身の室富は、数日前に武器商人の矢澤から借りたミニが小さくて嫌だったのだが、まさか又、同じ車種に乗ることになるとは思わなかったのだ。
「また…またミニかよ」
「ただ移動するだけだ、文句言うなよ。それに…ほら、このモデル、四駆でターボ車だ、よく走りそうだぞ」
六堂は笑顔でそう言うと、運転席に乗り込んだ。
「そういうことじゃなくて……、狭いのは嫌なの」
ため息をつきながら室富も頭を下げて助手席に乗った。
キーを回すと、六堂は発進する前に「さっきはありがとう」と室富に一言礼を言った。
“さっき″とは、店を出る前、ベッドで寝ていたジーナが「自分も行く」と言い出したことだ。
自ら、六堂の事件調査を手伝うと申し出たにも関わらず、役に立ててないことにジーナは責任を感じていた。
六堂にとってはとんでもない話だ。彼女が責任を感じることは何もない。セントホークに始まった一連の事件には、一切関係ないのだから。
そうであるにも関わらず、精神的にも彼女に頼った結果、重傷を負わせてしまい、六堂の方こそ申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
だが、“行く″と言って聞かないジーナ。そんな彼女を説得したのは室富だったのだ。
「…あ?」
室富は首を傾げた。
「いや…彼女を説得してくれてさ」
「ああ…そのこと?あんた、交渉は上手いみたいだが、“女には“甘そうだと思ったからな」
少し複雑な顔をし、六堂は口を一文字に首を軽く横に振りながら、アクセルを踏み込んだ。
「…室富、ジーナとはどんな関係なんだ?」
六堂の質問に、過ぎ去るビルを眺めながら間を空ける室富。そして鼻で笑った。
「…商売敵だ、解るだろう?」
「“そんなこと”を聞いてるわけじゃない。ビルでのやりとり、さっきの説得…、個人的に何かあった関係なのは見て伝わってるよ」
室富は少し困った表情をする。
「話せば複雑だ」
「……複雑、ね」
ジーナは、室富とは“会ったのは一度きり、それも撃ち合いをしただけ″と言っていたが、それだけの関係には到底思えないでいた六堂。
「…室富って人に、段々興味が湧いてきたよ」
そう言われると室富はチラリと六堂の方を向いた。
「だからって惚れるなよ、探偵さん」
室富の返しに、六堂はプッと笑った。
新東京に向かうために高速道路に上がると、煌びやかな夜景が目に入る。赤く点滅する航空障害灯が、多くの高層ビルが並ぶ夜景をより魅力的にする。
夜景を目に入れながらこの道を走ると、恵と最後にドライブをした晩のことが、六堂の頭の中でまた鮮明に甦る。
――美雪まで失えない…
濡れている漆黒のアスファルトはヘッドライトの光を吸い込み、車はしぶきを上げて、新東京へと向かうのだった。
一方その頃…。
先にスターズブルーを出ていた佐久間は、川島を連れて、ある場所に向かっていた。
「一体どこに向かっているんですか?」
愛車の助手席に乗っている川島が尋ねると、佐久間は少し難しい顔をした。
「“新東京中央病院《N T C H》″だ」
“NTCH″とは、庄司エンタープライズが運営している民間の大型医療センターのことである。
「どうしてまたそんな場所に?」
「お前さんも聴取室で木戸親子の話を聞いた人間の一人だ。とっくに殺されててもおかしくないのに生きてるのは、内通者の佐々木が利用していたからだろう。だが使えないと判った時点で、目出し帽の輩ってのが来て、恐らく……」
「そ、それは…解っています」
「だから佐々木警部を上手く押さえにゃならん。警部だって黒幕連中に“使えない″と判断されれば、消される可能性があるだろ?一連の事件の真相を解くのに大切なピースだからな、消されたら困るのさ」
「…そのこととNTCHと何の関係があるのですか?」
「ああ…それなは、佐々木警部が毎日出入りしている場所だからだよ」
川島は驚いた。佐久間が何でそんなことを知っているのだろうかと。
佐々木が一連の事件の黒幕と繋がっている“内通者″であることを知った時、佐久間は気になったことがあったのだ。
佐々木は、頑なに自分ルールを強く発言し、“横暴さも正義のための必要悪″とし、手段を選ばない捜査方法を取る男だった。
ただし、それでも捕まえた人間は、何であれ常に確実な悪党、犯罪者ではあった。だから成果主義の一部の上層部は彼を評価し、問題のある部分には目を瞑っていた。
しかし追っていた“ある事件の容疑者”に関わったことで、以前、佐々木が内務調査の対象になったことがあった。
“ナース連続殺人事件”。
1992年から、1995年まで、実に十一人の看護婦が殺される社会を震撼させた事件があった。佐々木は、この事件の担当捜査官だった。
だがこの事件は、ある時期を境にピタリとなくなり、迷宮入りの一途を辿ることとなった。
“ナース連続殺人事件″は、その呼び名の通り、看護婦だけが被害者となったもので、その夫や、恋人、家族から、帰ってこない、連絡がつかない等の通報から、捜索して遺体が見つかるというパターンだった。
そして佐々木は、その容疑者を捕まえた。
それは二十一歳の男子大学生だった。
年齢よりも歳下に見える童顔で、真面目そうな、大学生。住んでる近隣住人からも評判の良い若者だ。
それも逮捕時の年齢を考えると、最初の殺人が十八歳頃になる。
しかし取り調べの中で、その男子大学生は犯行を全面的に否定した。そんな男子大学生に、佐々木は容赦のない厳しい取り調べを行った。拷問紛いなこともしたが、男子大学生の口からは、何も出ることはなく、そして何より捜査の過程で物的証拠が何も出なかった。
だが佐々木は、その男子大学生が事件の犯人であると確信を持っており、拘って取り調べを行ったが、結果が出ないまま、男子大学生の黙秘は続き、勾留期間が過ぎた。
佐々木のやり方の強引さに、男子大学生についた国選弁護士は黙ってはいなかった。
男子大学生は釈放。
佐々木は、この事件の担当を外された。
不思議なことに、その後、一連の殺人事件が二度と起きることはなかった。
同時に、容疑者だった男子大学生の姿も消えた。
男子大学生の親が、“息子と連絡が取れない″ということで、一人暮らしをしているアパートに行ったが、不在。管理人に事情を話して、部屋を開けてもらうも、しばらく帰った形跡がなかったのだ。
そして、男子大学生の親は警察に捜索願いを出した。
男子大学生の行方不明については、佐々木の関与が疑われた。男子大学生のことを連続殺人の犯人だと、ずっと疑っていたからだ。
事件の証拠は何も出ず、男子大学生と殺人とを結び付けられなかった佐々木が男子大学生に“何かしたのでは?″ということだった。
「そ、そんなことがあったんですか?初めて聞いた」
川島は、目を丸くして話を聞いていた。
「お前さんが警察官になった頃には、この話は一応、解決したからな。結局、佐々木警部がその学生に何かした証拠もなく、彼を評価している一部のお偉いさんから庇われてな…」
しかし、佐久間はこの頃から、佐々木の捜査の強引さが以前より凄くなったことに不信感があった。
内務調査では何も出なかったが、当時気になった佐久間は独自に佐々木の周辺を調べたことがあった。何も男子学生の件を強く疑ってということではない。長年の刑事の勘が“不審な何か″を訴えていたというところだった。
しかし判ったことといえば、佐々木の妻が当時、緊急入院をしたということだけだったが、何故入院をしたのか理由は掴めなかった。
面会謝絶の難病だということで、あとは患者の個人情報の開示には正式な捜査令状がないと踏み込めなかった。
しかし、今となれば妻の入院先が、“庄司エンタープライズ”が運営する医療機関ということは偶然とは思えなかった。佐々木が黒幕と繋がってることと無関係とは考えられない。
「佐々木警部の妻は、今も退院していない…難病とは聞いているが」
新東京の美四戸地区、NTCHはそこにあった。
人工島 新東京の開発には大企業が複数出資をした。この人工島は、底知れず拡大した企業の力が創り出したシティと言っても過言ではない。
膨大な夢という名の欲望、希望という名の金、そして情報という真実が日々交差している。
庄司エンタープライズも新東京開発に多額の出資をした企業の一つだが、セントホークタワービルのような商業施設だけではなく、図書館や、専門学校など、地域密着のための事業にも力を入れている。
その一つが大型医療機関 NTCHだ。
佐久間は、 NTCHに着くと、敷地内の駐車場に車を停めて降りた。
外は、細かい霧雨が降っている。
川島は後部座席にあった傘をさして、佐久間の横に立った。
「…佐久間さん、あなたの話は興味深かったが、だからって警部の奥さんの居場所を教えろと言っても無駄でしょう?」
「ま、普通ならな」
佐久間がそう答えると、近くに停めてあった車から人が出てきた。
川島は、誰だろうかと目を凝らした。しかし駐車場の街灯に当たるシルエットから、男であることは判ったが、顔はよく見えない。
中折れハットを被った、コートを着た男だ。
男は傘をさすと、佐久間たちに近づいてきた。
「どうも、佐久間刑事ですね」
目の前まで来た男に尋ねられると、佐久間は黙って頷いた。
すると男は、コートの内ポケットから封筒を取り出した。
これをあなたに渡すよう仰せつかりました。
「…ありがとう」
佐久間が封筒を受け取ると、男は軽く一礼し、車に戻り、去っていった。
「…それは?」
「ここの、特別捜査令状だ」
「え!」
川島は思わず声を上げ目を大きくして驚いた。
「いつ、そんなものを…?というか…取れないでしょ普通。取れたとして、この短い時間に無理だ」
佐久間はほくそ笑みながら封筒をコートの内ポケットに入れた。
「“裏技″を使った…いや、使わせてもらった。本当は、権力を使うのを嫌がるんだが、今回のこの事件は特別だ。坂崎警部補の力を使わせていただいたよ」
スターズブルーを出る前、涼子に、佐々木のことを話した時に、彼女は元警察庁長官である祖父に電話をし、特別なコネを使って手続きを踏まずに捜査令状発行の手配をお願いをしていた。
「さて、この時間じゃあ、病院も静かなもんだろ。警部のカミさんところ行くぞ」
「あ…はい。でも、今、佐々木警部はここにいるんですか?」
川島が尋ねると、佐久間は指差した。その先に、見覚えのある高級セダンが停まっていた。
「あ…」
「いなきゃいないで、待つつもりだったが、いいタイミングじゃねえか、な?」




