第十一話 木戸家の護衛
「天田刑事、応答しろ、天田刑事」
木戸宅で、木戸親子の護衛任務にあたっていた水戸刑事は、リビングダイニングで木戸夫婦と一緒にいた。
外で見回っているはずの天田刑事に、ハンディ型の無線で応答を求めた。
しかし、何も返ってこない。
「中迫刑事、聴こえるか?」
水戸は、家近くの車から見張りをしている中迫に連絡を入れた。
『はい、どうしました?』
「天田からの応答がない」
『わかりました。確認してきます』
「頼む」
無線を口元から離し腰のホルダーに入れ、上着を脱いだ。
ソファーから、不安気にこちらを見ている木戸夫婦。子供たちは既に就寝中だ。
「すみません」
水戸は持ってきていた防弾ベストをワイシャツの上から装着しながら、謝った。
「護衛の人員を増やすよう申請はしたのですが…」
夫の修一は首を振った。
「いえ、こうして守っていただいて、心強いです。でも本当に、妻や子供たちは狙われてるのでしょうか」
「その可能性がないと言い切れません。もちろん、何事もないに越したことはないですが」
またあの恐怖が起きるかもしれないと考えた祥子は、ガタガタと震え出した。そんな妻の手を握る修一。
二人の様子を見て、水戸は自分の妻子のことを思った。
「私も子供が二人いるんです。大丈夫、何があっても護ります、あなたたち家族を」
ホルスターから抜いた拳銃の確認をした水戸は、普段感情を顔に出さないのだが、少しだけ笑顔を見せた。
「中迫…」
無線を手にして、中迫に連絡を入れた。しかし今度は中迫からの応答がない。
「中迫刑事…?天田はいたか?」
水戸は一瞬眉間にしわを寄せ、表情を変えずに振り返った。
「ご主人、奥さん…二人とも…よく聞いてください」
水戸はワイシャツの袖を捲りながら、木戸夫婦に小さめの声で言った。
「すぐに子供たちと、屋根裏に入ってください」
この家には、二階廊下の更に上に、部屋があるのを事前に確認していた。
屋根のデッドスペースを物置にしていて、廊下の天井の紐を引っ張れば梯子が降りてきて上へと上がれる作りになっている。
夫婦は慌てて、まずは子供たちを起こそうとした。
すると、バツン!と、家の中が真っ暗になった。驚き、動きを止める夫婦に水戸は小さく、だが厳しい口調で言った、
「早く!子供達と屋根裏に」
カーテンの隙間からゆっくり、外を見るが、街灯は電気がついてる。
水戸は、周囲から差し込む光を頼りに、キッチン下部の収納スペースから、大きなフライパンを取り出して、その中に油をたっぷり入れ、コンロを点火した。
そして、透明のビニール袋に水を入れ、豚肉料理にでも使っていたのだろうか?棚にあった凧糸で口を縛った。
慌てる夫婦とは裏腹に、寝ぼけ眼の息子、陸斗。
「どうしたの?」
目を擦りならが、長男 陸斗は尋ねた。
「し!静かに、また悪い人が来たんだよ」
父のその言葉に、陸斗はハッと目を覚ました。
長女 亜美は寝たまま母親に抱っこされていた。起きない方が返って好都合だろう。
水戸は、声を出さずジェスチャーで早く上へ、と急がせた。
一家が二階に上がっていくのを確認すると、携行していた小さなライトを取り出し、それをつけて口に咥えた。
そしてシステムキッチン側の食卓を照らす電気に、水を入れたビニールを更に凧糸を切って括り付けた。
次は、棚の上に置いてある災害時用の携帯ラジオを手に取り、テーブルの上に乗せた。
もう一度、キッチン下部の収納スペースを開け、中を見回し、扉に閉まってある果物ナイフ、包丁と、鍋置きを取り出し、それらもテーブルの上に置いた。
そんなことをしていると、どこかの部屋で物音が聞こてきた。微かな音だが、何かが聞こえる。
ーー何の音だ?
水戸はコンロの火を消し、熱くなった油の入ったフライパンをテーブルの上の鍋置きの上に乗せた。
そして、ラジオのスイッチを入れ音を出し、果物ナイフと包丁を持って、ゆっくり足跡を立てずにシステムキッチンの陰に屈んで隠れた。
水戸は緊張していた。ベテラン刑事の佐久間と組んでいた時は、随分危険なことをさせられてきたが、そのお陰である意味成長はできた。
しかし今夜は過去のどの経験よりも緊張し、できれば何事もないことを願っていた。
陸斗のいう“透明人間”が来るとしたら、どう対応すべきか、護衛を任された時から悩んでいたのだ。
天田、中迫も優秀な刑事で、精神的には安心していたが、呆気なく、恐らくはやられたのだろう。
突然、ポケットの携帯が振動した。緊張していた水戸はビクッと驚いた。
画面の表示を見ると、涼子からの着信だとわかった。もちろん電話に出れる状況ではなく、着信を止めた。
そして一言「SOS」とだけ打ったメールを送信して、電源を切った。
増援を上から却下されたことは涼子から連絡を受けていた。やむを得ずの三人護衛だった。
ーー警部補、何か手を打ってください。
足音。ゆっくりだが、リビングダイニングの向こう側、廊下から足音が聞こえてきた。
ーーどうやって入ってきた?
玄関はもちろん、窓は全て鍵を掛けていた。窓ガラスの割れる音もしなかった。
だが確実に忍び寄る足音が聞こえる。靴を履いてるのだろう、廊下のフローリングを踏む時にゴツっとした音がする。ラジオを流しているが、足音はわかった。
水戸はそっとシステムキッチンから、こちらに入るためのガラス扉を見た。暗闇に目も慣れ、ガラス扉の向こう側に人影が映るのが見えた。
ーー人だ…視認できる。
陸斗の言う“透明人間”ではない。ガチャリ、とガラス扉の開く音が聞こえた。ラジオの音に寄せられたのだろう。水戸の作戦通りだ。
家の電気を絶ったのだ。恐らく暗視ゴーグルをしている。迂闊に出ては不利だ。
水戸は息を殺し、足音がより近くなるのを待った。
高鳴る心臓。ゆっくり、ゆっくりと近くなる足音。
ーー今だ!
水戸はシステムキッチンから素早く立ち上がり、果物ナイフを食卓の電気目掛けて投げつけた。そして同時に素早く再び屈んだ。
果物ナイフは、電気に括り付けていたビニールを突き破り、中に入ってた水が一気に、テーブルに置いてる熱した油に注ぎ込まれた。
すると水は、油に触れた途端に激しく弾けた。水と油の爆発だ。
「ぐあっ!」
侵入者は、一瞬声を上げた。
だが、ダメージは少なそうだ。
水戸は立ち上がり、ライトのスイッチを入れて拳銃を持ってる手とクロスさせ、侵入者に向けて発泡した。
バンッ!バンッ!バンッ!と乾いた発砲音が部屋に響いた。
侵入者はよろめき、ソファーに倒れ込んだ。
水戸は腕をクロスさせたまま、侵入者にゆっくり近づいた。
男だ。熱した油と水がかかってもダメージが少ない理由は、ライトを照らしてわかった。
ーー何だこいつ、傭兵か?
色は黒っぽいが、まるで兵士のような服装と目出し帽まで被っている。
思った通り暗視ゴーグルを装着していたが、油混じりの水がかかり、見えなくなったのだろう。その隙に発砲した弾が当たったようだ。
「死んだか?」
拳銃とライトを構えたまま、男が手にしている至近距離用のマシンガンを足でどかし、生死を確認しようとした。
すると男は突然、水戸の手を蹴り上げた。水戸は持っていた拳銃とライトを落としてしまった。
ーーくそ!防弾ベストか?
男はソファーから立ち上がり暗視ゴーグルを取り外して床に捨てると、水戸に強烈な拳を叩き込んだ。
暗くてよく見えない水戸は、避けられずその拳の直撃を顔面に受けてしまう。だが、飛びそうになる意識を堪えて、その腕をがっちりと掴んで、一気に背負い投げをした。
「この野郎!」
思い切り床に叩きつけたつもりだが、相手の男は足から着地し、体を捻った。すると水戸は、掴んでいた腕を外されてしまった。
あまりにアクロバティックな動きに驚く水戸。
そして今度は掌底を顎に喰らわされ、水戸はキッチンによろめきながら、膝を着いた。
容赦なく近づいてくる男。水戸に止めを刺さんと拳を突き出そうとしてしてきた。
だが水戸は、最初に隠れていたシステムキッチンの床に置いていた包丁を手に取り、男の太腿目掛けて刺した。
「ぐああああっ!」
今度は、男が床に膝を着いた。
頭がフラフラする水戸だが、男に手錠を掛けようと立ち上がった。
しかし男は太腿に刺さった包丁を抜いて、床に落とした。
「もうやめろ、それでは命に関わる」
水戸がそう言うと、男は苦しそうに、だが笑った。
「警察にしては、やるな。だが、所詮はそこまで」
太腿のダメージで普通なら立つこともままならないだろう。
だが男は平然と立ち上がった。そして一足飛びで一気に距離を詰められ、鋭い肘を喰らわされた。完全なダウン、水戸はキッチンの床に大の字に倒れた。
ーーバカな、あのダメージで何て踏み込みだ。
薄れ行く意識の中で、男は自分が刺された包丁を拾い上げた。
やられる、そう思った。だがもう動けない。水戸は諦めた。
その時、一発の銃声がした。
男は包丁を落とし、自分の胸を見て触った。背中から撃たれ、胸を貫通したようだ。
防弾ベストを着ているので、男は信じられないと言った顔をしながら、弾丸の飛んできた方を振り返った。
その視線の先には回転式の拳銃を構えた男が立っていた。
「お、お前…」
侵入者の男はそのまま崩れ落ちた。
水戸を助けた男は、拳銃をホルスターにしまい、近づいてきた。
強烈な打撃で脳震盪を起こしていた水戸は、はっきりしない意識の中でその男の方を見た。
カーテンの隙間から入り込む明かりに照らされるその見覚えのある顔。丸い黒眼鏡。
「…む、室富」
そう、室富 雷朗だ。だが水戸はそのまま気を失った。
室富は、床でガーガー鳴っているラジオを止め、水戸の容体を確認し、命に別状がないとわかると、落ちていたライトを手に今撃ち殺した男を照らした。
ノイズ混じりの声が聴こえる。確認すると腰のホルダーに、ハンディ型の無線機があったので、それを抜き取った。
『…予定の…時間を過ぎている…命令は完了したか?』
無線から聞こえる文言から、この男は組織的に動いていることが判る。
室富は、“命令は完了”と嘘の報告をしようと思ったが、使用する際にコード入力しないと使用できない無線機だったので、できなかった。
「随分と本格的な無線使ってやがる…」
室富は無線機の音を下げ、二階に上がった。
「おーい、どこに隠れてる?もう安心だ、出てこい」
少し大きめの声でそう言うと、ガタガタと上から物音が聞こえた。
室富は廊下の音する位置をライトで照らした。
「こら!陸斗やめなさい!」
そんな声が天井から聞こえてくる。すると天井の扉が開いた。
ライトに照らされ、眩しい顔をしたのは、陸斗だ。
「やっぱり!昨日の人だ!」
陸斗は笑顔を見せた。
「おう、また会ったなボウズ」




