天使と死神と
柔らかい光が満たす森の中、大きな湖の側に寝転び水面を覗き込む者がいた。
「ふふ、やっぱり命ちゃんって面白いなぁ」
湖に映るのは白いツナギ姿の女性と、制服を着た男の子。
動画のようにスムーズに動いているそれを眺めては楽しそうに足と大きな羽根をパタパタ揺らしている。
「噂の見習いか?」
「ミロ!わぁ、君がこっちに来るの珍しいねぇ」
影が差し掛かり、おや?と振り向くと黒いスーツに目の下に濃い隈を付けた男が湖を覗き込んでいた。
「現世で生者に悪さしてた死者を連れてきたところだ」
「あぁ、だからそんなヨレヨレなんだねぇ……お疲れ様」
大きなため息と共に座り込んだ男──ミロの様子に眉を下げて労りの言葉を投げる。
「あぁ。そっちはどうなんだ、アズリエル」
アズリエルと呼ばれた羽根のある男は、大輪の花のように笑う。
「ふふ、頑張ってくれてるよぉ。あんなに嫌がってたのに、なんだかんだ素直で可愛くて……そういうところが俺は大好きなんだよねぇ」
「お前……」
「あっ!その顔は引いてるでしょぉ。でもね、君も関わっていくと絶対好きになると思うなぁ」
──あ、ミロくん、命ちゃんに呼ばれてるよ!──
湖に映る女の子が空に向かって死神を呼ぶ。
それをみたアズリエルはミロのスーツを引っ張り、早く行けとばかりに訴える。
「今戻ってきたばかりだってのに……しょうがねぇな」
眉間に皺を寄せたその表情だけで、どれほど行きたくないのかが伝わる。
仕事を終わらせて天界に戻ってきたばかりなので無理もない。
そんなミロの様子に楽しくて仕方がないと言わんばかりにアズリエルは顔をくしゃくしゃにする。
「行ってらっしゃ〜い」
指を鳴らし、一瞬で姿を消したミロを見送ると、また湖から現世の様子を伺う。
そこにはミロも映っていて、白いツナギの女の子とのやり取りに、腹を抱えて草原を転げ回る。
暫くして、もう見守らなくても安心出来るところまで見たあと、アズリエルは湖の中へ歩みを進める。
一歩、また一歩と進むごとに身体中に痛みが走る。
ゆるっとした服の隙間から見える肌には、蛇のように滑る黒いアザ。
──呪ってやる──
「っぐ、……はっ、今回は、時間がかかりそうだなぁ」
全身が湖に浸かるころ、ようやく痛みがなくなり体に力が抜けた。
痛みを耐えるために握りこんだ手のひらからは、血が滴っている。
「……──ああ、もう。本当に情けないな俺は」
湖に血が落ちる。
ずぞぞ、とアザが肌を滑る。
目を瞑り、湖の中で体を倒す。
仰向けになり水に浮かぶ。
何分、何十分、何時間、
「おい」
不意にアズリエルを呼ぶ声に目を開ける。
「──お仕事は終わったみたいだねぇ。お疲れ様、ミロくん」
「あぁ。……それより、いつまでそうしてんだ?さっさと上がってこい」
ミロの言葉に服の内側、肌を確認する。
そこから覗くのは、白く陶器のような肌。
「はぁい」
緩慢な動作で湖からあがり、目を輝かせてミロに問う。
「どうだったぁ?命ちゃん」
「あー……内心で思ってることはくそ失礼だが、アズリエルが気に入った理由は分かった」
「でっしょお!?俺たちって人間からしたら未知の存在で、畏怖の対象だったり、敬う対象だったりするのにさぁ……あの子は人間に接する対応をしてくるんだよぉ」
「それでも、あまり人間にのめり込むなよ。また痛い思いするぞ」
「ふふ、心配してくれてありがとう。でもねぇ、命ちゃんは大丈夫な気がするんだよねぇ」
「はぁ……俺は忠告したからな」
ぐ、と眉を寄せアズリエルを見下ろす。
天界で一番何を考えているのか分からない笑顔。ミロはこの笑顔が嫌いだった。
自分が何を言ったところで、アズリエルは自分の意志を曲げない。
誰よりもよく知っているミロは呆れたように溜息を吐き、好きにさせることを選んだ。
「ほんと、心配性なんだから。困った死神だねぇ」
言いたいことを言うだけ言って去っていく後ろ姿に、貼りつけていた柔和な笑顔が嬉しさの滲んだものに変化する。
「強がりや嘘じゃない。本当にそう思うんだよ。命ちゃんなら大丈夫だって」
誰に言うでもなく呟いて、羽根を広げる。
天使が向かうのは、自分を『くそ天使』と呼ぶ人間のところ。




