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紅葉便り  作者: mamio
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9/10

第9話 「揺れる心」

1


火曜日。

出勤して、自分のデスクに腰かけようと椅子を引く。

目に入ったのは、私のデスクと背中合わせにある空席だった。


もちろん、今日は誰もいない。

昨日、あの空席で立ち上げたパソコンも、いつも通り電源が落ちている。


私は自分の席でパソコンを立ち上げ、いつものように引き出しからメモ帳を取り出す。


新商品の登録は、今日も続く。

集中して進めないと、間違いがあっても気づけない。

画面と資料を、黙々と見比べる。


一時間もすると目が疲れて、私は椅子の背もたれにもたれかかった。

肩を回して、ひとつ息をつく。

モニターから目を離すと、昨日のことがよみがえってくる。


ぐいっと、後ろから椅子を引かれたこと。

ちょっとびっくりしたけれど、高瀬さんの声を聞いて、他の誰かではなかったことにほっとした。


椅子の後ろに立っていた彼の気配と、マウスを動かす手。

すぐ後ろにいることを、身体のどこかで意識していたこと。


帰り際に「まだ、いてほしいですか?」と、声をひそめるでもなく笑っていた顔。

わざと大真面目な顔をして、「毎日来てください」と返した、自分の声。


今さら思い出すと、少し恥ずかしくなる。


でも、私が意識していたことまでは、社内の人には気づかれていないはずだ。

そうならないように、いつもどおり振る舞ったつもりだった。


くだらないことを考えている。


相手は、何も考えずにやったことなのだろう。

自分の心だけが揺さぶられたみたいで、それがただ、恥ずかしい。


しばらくは、高瀬さんもここには来ないだろう。

昨日、実際の画面を一緒に確認して、問題がないことも確かめた。

もう、わざわざここに来る理由なんてない。


それでいい。


毎日来られても、きっと困る。

揺れるのが私だけなのは、もう疲れてしまったから。


それなのに、入口の扉が開くたびに、目がそちらへ向いてしまう。


自分自身に呆れて、ため息が出た。



2


今日は、一日オフィスでの仕事だ。

外に出ている方が性に合っているとは思う。

でも、これはこれで大事なので面倒だがやるしかない。


訪問した会社ごとに作業内容をまとめる。

不具合、対処法、再発防止、次回の提案内容。


午後からは、持ち帰ったPCのエラーログの確認。

初期化と再セットアップ。


ラッスルからは、新しい不具合の連絡はない。

それに、昨日確認したばかりだ。

自分から連絡するのは、理由もないし、不自然すぎる。


受信箱を見ても、何も増えていない。


宮原さんから届いたのは、


『ありがとうございます。確認します』


という短い返信だけだった。

それ以上のやり取りはない。


昨日の自分を振り返る。


「まだ、いてほしいですか?」


これくらいのことは、訪問先の会社で誰にでも言っていた。

もう、どこの会社でも自分を知っている人は「はいはい」くらいで流してくれるので、気にもしていなかった。


宮原さんも、同じ調子で返しただけだ。


それなのに。

宮原さんの返事だけが、妙に残っている。


「毎日来てください」


宮原さんも、慣れてくれば普通に冗談を返す人だった。

それがわかっただけだ。


納得したつもりだったのに、またラッスルのメールを開いていた。



3


やっぱり今日も、夜は寒い。

これから冬に向かっていくのだから、当たり前だ。

私は靴下をはいて、パソコンの電源を入れる。


ゲームのログイン画面を開きながら思う。

今日は、彼のほうが先にいる気がする。


ログインしたら、やっぱりいた。

「やっぱりいた」と思ったのが先なのか、「ほっとした」が先なのか。

自分でも、よくわからなかった。


すぐに、Kzさんからチャットが飛んできて、私は安心している自分に気づく。


Kz:こんばんは

Kz:日課まだでしょ


るびぃ:まだ


Kz:じゃあ行こう


るびぃ:もう見てきた?


Kz:すぐ終わりそうなのね


私が来ると思って、先に確認していてくれたのかな。


各自に指定される討伐モンスターを、指示された数だけ倒すと経験値とお金がもらえる。

それを毎日やるから、「日課」と呼ばれている。

パーティを組むと、互いの依頼を共有できる仕組みだ。



るびぃ:待ってた?


Kz:別に


るびぃ:昨日の仕返し?w


Kz:何の話?w



4


ふたりで街へ行って、「日課」のクエストを受ける。

指定された魔物がどこにいるかなんて、このゲームのユーザーならもう、ほとんどの人が把握している。

もちろん、私たちも。


該当のフィールドへ行って、ふたりでやれば数分で終わる。

弱い魔物を大剣で殴りながら、Kzさんが言った。


Kz:今日は疲れてない?


るびぃ:昨日ほどじゃないよ


Kz:昨日、そんなに疲れてた?


るびぃ:仕事より、別のことで疲れたかも


Kz:人間関係?


るびぃ:そんな大げさじゃないよ


Kz:じゃあ、なに?


るびぃ:自分の問題


Kzさんに、高瀬さんの話なんてできない。

この前は、高瀬さんと一緒に帰った話だけはした。

でも、会社で、高瀬さんのことを意識してしまったことまでは言えなかった。

深掘りされたくなくて、私は話題を変えることにした。



るびぃ:今日は何食べた?


Kz:冷凍


るびぃ:また?


Kz:また


るびぃ:冷凍の何?


Kz:たぶん、ハンバーグ?


るびぃ:たぶんって何


Kz:茶色だったw


るびぃ:雑過ぎる


Kz:食べたらなくなるし


るびぃ:そういう問題?!


食生活は、私のほうがまだマシかもしれない。

私だって、毎日買ってきたお弁当には飽きるから、たまにはご飯を炊いて、お味噌汁くらいは作ることもある。


「日課」の討伐も終わって、私たちは街へ戻った。



るびぃ:休みの日くらい何か作ったら?


Kz:なにを?


るびぃ:簡単なもの


Kz:簡単の基準がわからない


そのまま、街の中で立ち話が続く。


るびぃ:卵焼くとか、サラダ作るとか


Kz:材料が余る


るびぃ:次の日にも使えばいい


Kz:次の日には忘れる


るびぃ:ダメな人だったw


Kzさんは、どんな場所で、どんな生活をしているのだろう。


ネットやゲームの中では、必要以上に個人的なことを聞かないし、話さない。

それでも、毎日言葉を交わしていれば、断片的に見えてくるものはある。

ゲームのアバターの向こうにも、その人らしさはにじみ出る。


どんな仕事をして、どこに住んで、何を食べて、どんな声で話すのか。


そんなことまで知りたいと思うのは、踏み込みすぎのような気がした。


それでも私は、画面の向こうにいるKzさんの暮らしを、いつの間にか想像していた。



5


本当にくだらない雑談なのに、いくらでも話していられるのが不思議だった。


以前の俺は、エンドコンテンツに毎日のように通っていた。

攻撃力の高い武器を揃えて、防具もできる限り整える。

腕の立つやつらとパーティを組んで、強い魔物をどれだけ早く倒せるか。

それが楽しかった。


くだらない雑談に時間を使うくらいなら、なかなか勝てないボスを倒すことにやりがいを感じていた。

今でも、誘われればきっと行くだろう。


だけど、るびぃと過ごす時間は、たとえ沈黙が続いても、無駄だとは思えなかった。


宮原さんとも、そうだった。


彼女とカフェで過ごした一時間余りも、ずっと話していたわけじゃない。

共通の話題があまりなかったのもあるだろう。

それでも、苦ではなかった。


なんで、るびぃのことを考えていて宮原さんが出てくるんだ。

今日は、宮原さんのことは考えないようにしていたのに。



俺が毎日何を食べているのか聞くるびぃ。

それに、適当に答える俺。


ほかのユーザーがわらわらと行き交う街の中で、るびぃは、心配しているようにも聞こえることを平気で言う。


Kz:るびは何作るの?


るびぃ:普通だよ


Kz:普通がわからない


るびぃ:肉じゃがとか?


Kz:それは普通じゃない


るびぃ:いや、普通w


Kz:料理できる人の普通


いつも買った弁当で済ませているように聞こえていたから、料理は苦手なのかもしれないと勝手に思っていた。

そうでもないらしい。


彼女にも、彼女の生活がある。


キッチンに立って、何か野菜を切っているところを想像する。

顔も姿も声も知らないのに、そんな場面だけが自然に浮かんでくるのが、ひどく妙だった。



6


「日課」のデイリークエストを終えて、報酬をもらえば「おつかれさま」でパーティを解散してもよかった。

けれど、どちらもそのことには触れなかった。


Kz:次どうする?


るびぃ:日課は終わり


Kz:わかってる


るびぃ:じゃあ、何するの


Kz:何かある?


るびぃ:何も


Kz:俺も


るびぃ:デートしよう


ギョッとした。

何を言い出すんだと思った。


いや、待て。

デートといっても、ゲームのフィールドの中での話だろう、とすぐに気づいた。

リアルでデートなんて、言うわけがない。


Kz:急だな

Kz:どこ行く?また砂漠?


るびぃ:海の見える神殿

るびぃ:夕焼けがきれいなの


結局、俺はどこだってよかった。

どこにいたって同じだ。景色が変わるだけ。

この時間が続いてくれれば、それでいい。




神殿は静かだった。

ここは前回のシナリオクエストでの通過点だから、用事のあるやつしか来ない。

ゲームの中では、まだ日は高く、夕焼けまではしばらくかかるだろう。


るびぃ:Kzさんの庭に置いたランプ、どうした?


Kz:あのまま置いてある


るびぃ:片づけなかったの?


Kz:片づけるほうがめんどいだろ


るびぃ:ちゃんと点いてる?


Kz:そりゃ、点いてるだろ

Kz:触ってないから


るびぃ:消してるかと思った


Kz:買った意味ないだろ


るびぃ:ふふww


全く実用性のない、あのランプが点いていることが嬉しいのか、るびぃは楽しそうだった。



やがて、海の向こうが赤く染まり始めた。


るびぃ:きれいでしょ


Kz:まあね


るびぃが楽しそうなら、それでよかった。



7


夕焼けが真っ赤に染まり、やがてゆっくりと群青色へ変わっていく。


ゲームの世界には、こうして景色を眺める場所がいくつもある。


Kzさんは、もしかしたら退屈しているのかもしれない。

それでも、私に付き合ってくれる。

くだらない話にも、ちゃんと返事をしてくれる。


ゲームの中でしか通じない話もするし、現実の生活の話もする。


顔も名前も声も、どんな仕事をしているのかも知らない人だ。


それなのに、冷凍のお弁当を食べることも、朝が弱いことも知っている。

部屋が散らかっていることも、料理をしないことも知っていた。


「日課」は先に調べて、私に合わせてくれる。

私が疲れているかどうかも、気にしてくれる。


実際に毎日顔を合わせる職場の人でも、そこまで知っている相手はそういない。


顔も知らない相手を、こんなにも身近に思うなんて、不思議だった。


るびぃ:あなたといると楽


送信したあとで、変なことを言ってしまったかもしれないと思った。

けれど、送ってしまったものは戻せない。


すぐに、別の言い方へ逃げる。


るびぃ:日課が早く終わるから


Kz:そこ?


るびぃ:うんw


Kz:じゃあ、明日も効率のために行く?


るびぃ:時間が合えば



7


夕焼けは赤から紫に変わり、群青色に変わった。


るびぃ:夜になったね

るびぃ:そろそろ寝ないと


Kz:了解


るびぃ:明日もいる?


Kz:たぶん


るびぃ:じゃあ、また明日


Kz:うん。明日

Kz:おやすみ


るびぃ:おやすみ


るびぃが消えた。


俺は、自分の家へ戻った。

庭の隅にあるランプが光っている。

この世界は、もうしばらく夜が続く。


宮原さんは、仕事の相手だ。

これ以上、気にする理由はない。


るびぃとは……今まで通り、他愛もない話をして、クエストを楽しめればそれでいい。


――今まで通り。


最近は、遊んでいる時間より話している時間のほうが長い。

付き合っていた男と別れた話は聞いた。

それだって、断片的に聞いただけだ。


日課が終わっても、パーティは維持し続けていた。

明日も会う約束みたいな話もした。

今日何を食べたか話した。

俺と一緒にいると楽だとるびぃが言った。


これで「今まで通り」なのか。

違う気がする。


宮原さんは、仕事の相手だ。

るびぃは、二年来のゲーム友達だ。


ゲームでの二年は、現実の二年よりも、ずっと濃い気がする。


全く違う関係なのだから、何を迷うことがあるのか。


そう思いながら、俺は明日の帰宅時間を頭の中で計算していた。




紅葉便り 第9話 「揺れる心」おわり



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