第10話 「言葉の向こう側」
1
一週間が長い気がする。
やっと木曜日だ。
いつものように仕事して、いつものように夜はゲームをしている。
何も変わらないのに、長く感じるのはなぜだろう。
刺激がないのかもしれない。
張り合いがないのかもしれない。
でも夜になれば、ゲームの中でKzさんと会って、話して、遊ぶ時間がある。
それが今の私には、ひとつの癒やしになっていた。
私が先にログインしている日は、あとからKzさんの名前がオンラインに変わると、今日も会えたと安心する。
ログインしたときに、すでにオンラインの彼からパーティ申請が来れば、迷わず承諾する。
入口の扉が開くと、無意識に向けていた目も自然と向ける回数が減っていた。
どうせ、私のような新人に会いに来るような、お客さんもいない。
だんだんと私は、扉の開閉音に前ほど、敏感ではなくなった。
奥の席から、武内さんが、誰にともなく周りのみんなに向けて声をかけた。
「この前、高瀬さんが言ってたメモリの件、今日交換に来るらしいので、彼に用事のある人は、ついでに相談しといてくださいね」
もうしばらく会うことはないと思っていたのに、案外早く顔を合わせることになりそうだ。
そう思うと、胸の奥がざわついた。
けれど、今のところ私の使っているパソコンには、これといった不調はない。
前に起きたようなトラブルなら、高瀬さんに頼らなくても、自分で何とかできるようになっていた。
だから、わざわざ私が相談することなんて、きっと何もない。
それでも、「今日、来る」という事実だけが、私の中でじんわりと存在感を増していく。
モニターの時計を見た。
十時だ。
何時に来るのだろう。
来る理由があるから来るのだ。
私に会いに来るわけじゃない。
わかっているのに、そわそわと落ち着かない。
落ち着かないのは、会いたいと思っていたからだろう。
でも、会えばまた、私だけが勝手に揺れるような気がしていた。
2
先日、PCが重いという依頼で、ラッスルへ出向いた。
重くなる原因はいくつか考えられた。
実際に画面を見て、使っている本人から話を聞いた結果、いちばんの問題は本体の性能不足だと分かった。
CPUも古いが、複数の画面を開いたときに動作を重くしている直接の原因は、メモリ不足だった。
文書を作るだけならまだしも、Eコマース関連であれこれ開きながら、ウィンドウを複数出して作業するとなれば、重くなるのは当然だ。
CPUそのものをどうこう言うなら、いっそ本体ごと買い替えたほうが早い。
買い替えない前提なら、メモリを増設してやるのが、現実的な落としどころだろう。
ラッスルの武内さんからは、メモリ容量を大きくしたいと言われた。
だから、PCの筐体を開けるための工具と、増設用のメモリを一枚、十六ギガ分用意した。
ラッスルには、十三時にそちらへ行くと伝えてある。
今日は、先日のように無理やりねじ込んだ予定じゃない。
時間にも心にも、そこそこ余裕があるはずだった。
変に気負う必要なんてないのに、さっきからシャツの襟や靴の汚れが気になっている。
今日は正当な仕事なのに、それでも何回も時計を見た。
けど、これは人と会う仕事だ。
身だしなみに気を遣うのは、別におかしなことじゃない。
メモリを交換したあとの動作確認に、思ったより手間取るかもしれないし、
向かう道が渋滞している可能性だってある。
何しろ、あの会社は繁華街の真ん中にある。
そう考えれば、これくらい気にしていても普通だろう。
別におかしくなんてない。
普通なんだから、これでいい。
少しくらい早く出ても、遅れて後の仕事が詰まるよりはいい。
そうやって、自分で自分を納得させた。
3
昼休みが終わるころ、高瀬さんが来た。
いつものように愛想よく、感じよく、みんなに挨拶している。
入口付近で宅配業者から納品書へのサインを頼まれていた津村さんが、入ってきた高瀬さんに声をかけた。
「今日は本当に仕事があるんですね」
少し、からかっている。
高瀬さんは気にした様子もなく、津村さんの調子に合わせて返した。
「皆さんに会うのが仕事みたいなものですよ」
別の女性社員も、その雰囲気に乗って笑う。
「じゃあ、私に会いに来たんですね」
「今頃気づいたんですか?」
周囲の人たちも、「はいはい」「高瀬さん、また始まった」と笑っている。
私も一緒に笑わなければ、格好がつかない。
だって、先日、私も言われたのだから。
「まだ、いてほしいですか?」
彼は愛想よく、冗談でその場の空気を和ませているだけなのだ。
あれも、私にだけ言ったわけではない。
そう思えば安心するはずなのに、あのとき少しでも喜んだ自分が、急にみっともなく思えた。
4
高瀬さんは、奥のデスクから対象のパソコン本体を運んでくると、私のすぐ後ろの空席に腰を下ろし、筐体を外し始めた。
金属がこすれるような小さな音と、工具のかすかな気配だけが聞こえる。
「ちょっと音、うるさいかもしれないですけど、大丈夫ですか」
背中越しにそう言われて、「大丈夫です」とすぐに返したものの、
何をしているのか、私にはさっぱりわからない。
彼は、背後にいる。
振り返ってじろじろ見るわけにもいかなくて、モニターを見つめながら、どうしても気配ばかりが気になった。
時々、ちらりと振り返っても、見えるのは彼の背中だけだ。
作業をしながら、周辺にいる人たちと、軽く会話をしている。
「このPC、思ったよりホコリ少ないですね」
「ちゃんと掃除してるんですよ、一応」
「えらいですね。だいたいみんな、見なかったことにしてますから」
そんなやり取りに、周りからも小さな笑い声が起きる。
二十分くらい経ったころ、カチッと最後のパネルをはめる音がして、作業は終わったようだった。
もう、終わったのか。
心の中でつぶやいたところで、背中のほうから近い声がする。
「宮原さん、ちょっとだけ、いいですか」
「こっちのパソコンで」
私は椅子を回しながら振り向いて、「はい」と答えた。
視線の先に、汗をぬぐった彼の笑顔があった。
促されるままに、後ろの席へ移動して座った。
「実際にいつもの画面を開いてみてください」
「あ、はい」
私は高瀬さんの言う通り、いつもの管理画面を開いた。
「うん。次は、商品一覧を開いてみてください」
「これ、ですか?」
高瀬さんは、私が普段どんな仕事をしているのか、ちゃんと把握しているようだった。
「そうそう。じゃあ、画像を何枚か表示してみましょうか」
「はい」
「それから、編集画面もふたつくらい開いてみてください」
どこを見ても、どこを触っても、彼はわかっている。
私の仕事内容も、普段の操作の流れも。
高瀬さんはパソコンのモニターに手を伸ばし、右へ向けてくれた。
「これだと、首が疲れるでしょう?」
「この方が見やすいと思いますよ」
私は斜め後ろに立つ彼を見上げた。
「なんでもわかるんですね」
すると高瀬さんは、少しだけ笑って答えた。
「前に見てたんで」
誰にでも軽く話しかけながら、私の仕事のことまでわかってしまう。
仕事のできる人って、こういう人のことを言うのだろうか。
そんなことを思いながら、私は画面の中と、彼の横顔を、交互に見ていた。
5
今日の宮原さんは、なぜかよそよそしく感じた。
先日は、俺の軽口をねじ伏せる勢いで返してきたのに。
「毎日来てください」
あれだって、本気じゃない。
そんなことは、俺だってわかっている。
今日だって、彼女はちゃんと笑っている。
ただ、どこか表情が固い。
一歩、距離を置かれているような気がした。
ここに入ってきたとき、津村さんや、そのそばにいた女性と軽口を交わしていた。
そのときは、宮原さんも一緒になって笑っているのが見えた。
そこで、気づいたのかもしれない。
俺が、ああいうことを深い意味もなく口にする男なんだってことに。
帰る準備をしているあいだも、彼女はモニターから目を離さなかった。
『もう、帰るんですか?』
そんなふうに、引き止めてくれることはない。
『今日は、引き止めてくれないんですか?』
のど元まで出かかった言葉を、ぐっと飲み込む。
それでも、何も言わずに帰るのは嫌で、せめてひと言だけでも声をかけたかった。
「何かあったら、連絡してください」
仕事の定型文みたいな言葉だけを、無難に口に出した。
「はい。ありがとうございます」
彼女も、誰にでも言えそうな、当たり前の言葉で返してくる。
実に正しいやり取りだ。
マニュアルに書いてありそうな、きれいな定型文。
お互いに。
俺の言葉には、特別な意味なんてない。
宮原さんも、そう気づいただけなのだろう。
それでいいはずなのに。
なぜか、少しもよくなかった。
6
時計は二十時を指していた。
今日も靴下は履いたけれど、冬になったらスリッパが欲しくなりそうだ。
三月ごろまで使っていたスリッパは、かなり汚れていたので捨ててしまった。
どうせなら、スーパーやホームセンターじゃなくて、雑貨屋さんで探すのもいいかもしれない。
そんなことを考えながら、パソコンを起動した。
ゲームにログインすると、今日もKzさんはもう入っていた。
最近は、挨拶より先にパーティ申請が飛んでくる。
私もすぐに承諾して、会話が始まった。
Kz:日課行くでしょ?
るびぃ:うん
街へ行って、デイリークエストを受けて、また弱い魔物を二十匹、ふたりで黙々と倒していく。
Kz:今日は、どうした?
るびぃ:ん?
Kz:なんか静かだね
るびぃ:そう?
Kz:そう
るびぃ:なんか、恥ずかしいことに気づいた
Kz:なにそれ
るびぃ:自分だけ特別なのかもって、思ってた
るびぃ:あとから、うわってなった
Kz:誰に?
るびぃ:誰にでも同じこと言う人
Kz:何言われたの
るびぃ:それは……
るびぃ:言わない
沈黙が落ちた。
いつもなら気にならないのに、今日は間が長い。
Kz:その人のこと、好きなの?
「え?」
思わず声に出た。
でも、すぐに打ち返す。
るびぃ:違うよ
Kz:ならいいけど
るびぃ:なにが?
Kz:別に
それだけの返事なのに、引っかかる。
るびぃ:Kzさん、今、変だった?
Kz:何が
るびぃ:なんでもないけど
Kz:……別に、ちょっと気になっただけ
Kz:そういう軽いこと言うやつ、いるから
るびぃ:ふうん
Kz:ふうん、って何
るびぃ:んー、もしかして
Kz:何
るびぃ:嫉妬?w
Kz:は?
るびぃ:違うか
Kz:……違わなくもないけど
るびぃ:やっぱりww
Kz:うるさいな
その返しが、むきになっているみたいで、私は思わず笑ってしまった。
るびぃ:かわいい
Kz:それ以上言うな
7
「誰にでも同じことを言う人」
その一言が、妙に胸に残った。
自分のことを言われている気がした。
俺だって、訪問先の女性には軽口を叩く。
場合によっては、ある意味で勘違いさせてしまいそうなことだってある。
ただ、誰彼かまわず言っているわけじゃない。
冗談の通じる相手じゃないと、あとで困るのはこっちだ。
相手が笑ってくれたら、それで終わり。
初めて行く訪問先で、いきなりやったりはしない。
るびぃの言う「誰にでも同じことを言う人」は、どうなんだ。
気を持たせて、安い餌をばらまいて、網を広げているだけじゃないのか。
こんなに近くにいるのに、ものすごく遠い。
顔も、声も、名前も、職場も、家も、本当に何も知らない。
手を伸ばしても、どこにも届かない。
最後の最後まで無視を決め込んだ、前の男みたいなやつに、また出会ってほしいなんて思わないのに。
そう思っている自分の感情が、どこからどこまで心配で、どこから先が嫉妬なのか、自分でもよくわからなくなっていた。
Kz:あのさ
るびぃ:うん
Kz:言葉だけなら、誰にでも言えるだろ
るびぃ:うん
Kz:何を言うかよりさ、何をするか見たほうがいいんじゃない?
るびぃ:何をするか?
Kz:わざわざ時間を使うとか
Kz:面倒くさいことまでやるとかさ
そこで、また沈黙になった。
向こうで、何か振り返って考えているのかもしれない。
るびぃ:あなたも、誰にでも時間を使うの?
Kz:使わない
るびぃ:即答
Kz:時間もったいないから
るびぃ:じゃあ、私は?
画面を見つめながら、思わずつぶやく。
「なんて答えるんだよ」
自分でこんな話を振っておいてなんだけど、それは遠回しな告白みたいな聞き方じゃないのか。
本人に、その自覚はあるんだろうか。
本当にいいのか、そんなことを俺に聞いて。
結局、俺は、いつもの自分なりの“マニュアル”に沿った返事を送った。
Kz:日課の相手
るびぃ:それだけ?
Kz:二年来の
るびぃ:あと付けした
Kz:ちょっと、だまれ
るびぃ:wwww
チャット欄に流れる「w」の文字を見て、
とりあえず今日も、変な空気にはしないで済んだらしいと、小さく胸をなでおろした。
るびぃがログアウトしたあと、俺はさっき自分で言った言葉を、何度も頭の中でなぞっていた。
言葉より、何をするか。
宮原さんのために、メールで済む確認なのに、わざわざ足を運んだ。
今日は正当な仕事だったけど、それでも予定より早く会社を出た。
るびぃがインする時間を、なんとなく意識しながら帰宅した。
この前は日課が終わっても、ログアウトせずに、夕焼けを見るためだけに残った。
結果だけ見れば、どちらにも、自分は時間を使っている。
どちらもたまたまだ。
そうに違いない。
言葉より、何をするか。
自分で言ったくせに、その言葉が、いつまでも頭から離れなかった。
紅葉便り 第10話 「言葉の向こう側」 おわり




