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紅葉便り  作者: mamio
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4/6

第4話 「居場所」


1


出勤三日目。

まだ、自分から話しかけられる相手は、津村さんくらいしかいない。

それでも、会社へ向かう足取りは、初日よりは少し軽くなっていた。


車窓の外を流れていく街並みをぼんやり眺めながら、とりとめのないことを考える。


気を紛らわせるようにゲームへ入ることが増えた日々も、きっと無駄ではなかったのかもしれない。


この数か月、いつもKzさんと一緒に遊んでいる。


昨日は、ずっと勝てなくて放置していたシナリオクエストの、最後の大ボスをやっと倒した。

すごく楽しかったけれど、あれを倒してしまったから、しばらくはまた、いつもの日常と決まったルーティンに戻ることになる。



会社に着くと、オフィスにはまだ数人しかいなかった。

私は「おはようございます」と一通りあいさつしてから、自分の席に向かう。


昨日まで教わったことをメモで確認しながら、始業前の準備を進めていると、ふいに同僚が声をかけてきた。

まだ名前を覚えきれていない、女性社員だった。


「今日は午前中、高瀬さん来ますから」


「そうなんですね」


できるだけ普段通りの声で返す。


何だろう?

別に、会いたいわけじゃない。

なのに、名前を聞いただけで反応してしまった自分に、私は少し戸惑っていた。



しばらくして、入り口のほうで聞き覚えのある声がした。


「おはようございます」


私は、考えるより先に顔を上げていた。


彼は、こちらに向かって歩いてきている。

けれど、私に用があるわけではないことは分かっていた。

それでも、昨日の手順書には本当に助けられたから、きちんとお礼だけは言っておこうと思い、私は椅子から立ち上がる。


「おはようございます」

「あの……昨日の手順書、助かりました」


声をかけると、高瀬さんは思い出したように足を止めた。


「いやいや、自分で対応できるのがいちばんなんで」


そりゃ、そうだよね、と心の中でうなずく。


「すぐに来られるならいいですけど、無理なときもあるだろうから」

「こっちの仕事が止まるほうが、困るでしょう?」


私は少し笑って言う。


「来てもらったほうが早いんじゃないですか」


「毎回来てたら、たぶん嫌になるでしょう」


「高瀬さんがですか?」


「宮原さんたちが」


「そんなことないでしょう」


そんな雑談めいた会話をしていたら、武内さんがこちらに足を向けながら高瀬さんを呼んだ。


「高瀬さん。わざわざ、すみません。こちらです」


呼ばれたほうへ、高瀬さんはふっと向き直り、「どうも」と軽く手を上げた。

私の席から机を二つ挟んだあたりで足を止めると、パソコンを立ち上げた武内さんが、画面をのぞき込みながら言う。


「前からちょっと遅いんですよね」

「でも、毎回じゃないんです」


どうにも説明があいまいだ。

高瀬さんは、握ったこぶしを顎に添え、少し身をかがめる。


「いつ頃からです?」

「何をしているときに遅くなります?」


「仕事してるときです」


「仕事の範囲が、ちょっと広いです」


「ですよねぇ」


「もう少し絞りましょうか」


パソコンに触れるより先に、ひとつずつ状況を聞き出していく。

まるで、診察をしているみたいだった。


「どのくらいの頻度です?」


「頻度……二日に一回くらい?」


「それ、結構な頻度ですね」


「でも、気にならない日もあるんですよ」


「気にならないだけで、遅い日はあるかもしれないですね」


「ああ……」


「確認する項目、増えました」


短くメモを取ってから、また画面に視線を戻す。


私には関係のない話のはずなのに、気づけば考え込む横顔を目で追っていた。

指先がマウスの上で止まり、また動き出す。

そのたびに、胸のあたりが少しそわそわする。


不意に、高瀬さんがこちらを向く。


見ていたことに気づかれたようで、少しだけ気まずい。

私はあわてて視線を自分の画面に戻した。


「昨日、この画面を使ったときはどうでした?」


顔だけそちらへ向け直し、答える。


「少し遅かったです。でも、私が慣れてないせいかと思ってました」


高瀬さんは、また何かをつなぎ合わせているような顔で言う。


「それも、あるかもしれないですけど」


「否定はしないんですね」


思わず口をついて出ると、高瀬さんは少し笑った。


「まだ三日目でしょう。慣れてないのは普通です」

「でも、慣れてない人でも使えるようにしておかないと、仕組みとしてはよくないので」


人に慣れさせるより、先に仕組みを直す人らしい。

そう思うと、なんとなくこの人らしい気がして、私も小さく笑ってしまう。

まだ、二回しか会っていないのに、こんなふうに考えるのも変な話だけれど。



高瀬さんはそのまま椅子を引き寄せて腰を下ろし、マウスとキーボードに手を伸ばした。

画面を切り替えながら、しばらく黙って確認を続けている。


自分の手が遅いせいかもしれないと思って、口に出さずにいた。

けれど、言ってみてよかったのだろう。


彼は私の言葉まで、状況を確かめるための手がかりのように拾い上げていく。

新人だからわからないだろうと、最初から外してしまわない。

その丁寧さが、妙に心に残った。



私には、画面の中で何が起きているのか分からない。

それでも、やがて社員さんと武内さんの表情が、ふっとゆるんだ。


「これで少し使ってみてもらえます?」


促されて、社員さんがマウスを動かす。


「あ、早い」


「さっきよりは」


「直ったんですよね?」


「たぶん」


私は、思わず高瀬さんの横顔を盗み見る。


「今のは九割ですか?」


社員さんが、笑いながら言った。


「八割くらいです」


「下がってるじゃないですか」


「しばらく使わないと分からないので」


軽いやり取りに、周りの空気も少しだけ柔らかくなる。


「高瀬さんがいないと困るね、これは」


武内さんが冗談めかして言うと、高瀬さんは、肩の力を抜いた笑顔を見せた。


「俺がいなくても回るようにならないと、困りますよ」


昨日と同じだ。

高瀬さんは、自分がいなくても困らない形を、当然のような顔で作ろうとしている。

それが、この人の考え方なのだろう。



2


時計は十一時五十分を指していた。

机の上に置いたままのスマホをポケットにしまい、私は周りを見回した。

お昼ご飯を食べるなら、誰かにおすすめの店を教えてもらおうと思っていた。


すると、斜め前の席にいた津村さんが、顔を上げてこちらに声をかけてきた。


「くれはさん、お弁当?」


「いえ。お昼ですか?」


「うん。近くにいいお店あるんですよ」

「安いの」


内緒話みたいな内容なのに、声のボリュームはけっこう大きい。


「あ、じゃあ、一緒にお願いします」


「うちの会社はね、四人以上でランチに行くと、一人につき五百円出るのよ」

「じゃんじゃん利用しないとね」


いたずらっぽく笑う津村さんが、なんだかかわいらしい。


「三人だと出ないんですか?」


「出ない」


「厳密ですね」


「だから人数合わせが大事なの」


津村さんはくるりと振り向いて、少し離れた席に向かって声を飛ばした。


「あと一人、ランチ行く人ー」


「補助金目当てじゃないですか」


「会社の制度は、使うためにあるのよ」


そんなおいしい話、初めて聞いた。

昨日は、いきなり大人数だと気負いしそうだと、私に気をつかってくれていたのかもしれない。


津村さんに案内されて入った店は、ビルとビルのあいだの細い路地の途中にあった。

知っている人だけが知っている、といった雰囲気の、ランチも出す小さな喫茶店だ。


株式会社RUSTLEのオフィスは、繁華街の一角にあるビルの中に入っている。


ひと歩き外に出れば観光客も多くて、どこも混んでいる。

キッチンカーも見かけるけれど、店で食べるのとあまり変わらない値段だ。

いわゆる繁華街価格、というやつだろうか。


ドアを押して店に入ると、ちょうど四人掛けのテーブルが一つだけ空いていた。

私たちは顔を見合わせて、ほっと小さく息をつく。



日替わりランチ、千円。

この場所なら、きっと安いほうなのだろう。


メニューを一通り見終えると、自然とこちらの四人での雑談に切り替わっていった。


「くれはさん、甘いもの平気?」


「はい」


「よかった。津村さん、食後に必ず何か頼むから」


「毎回じゃないですよ」


「週四くらい」


「ほぼ毎回じゃないですか」


軽口が飛ぶたびに、テーブルの上の空気も少しだけ明るくなる。




午後からは、またECサイトの不具合の確認作業だった。

目が疲れてきた頃には、定時も近くなっていた。


お昼休みから戻ったときには、高瀬さんはもういなかった。




帰りの電車で、窓の外に流れていく明かりをぼんやり眺めながら、今日一日を思い返す。


今日は、誰かに話しかけられるのを待っているだけではなかったな、とふと思う。


だからといって、何か大きく変わったわけでもない。

駅を降りれば、ホームに広がるのは、いつもの人混みだ。


改札を抜けて、人の流れにまぎれながら歩く。

仕事が終われば、また一人の部屋へ帰るだけだ。


会社に少しずつ馴染み始めたからといって、生活の全部が、急に明るい色に塗り替わるわけではない。

それでも、今日のことを思い返すと、昨日よりは軽い気がした。



3


夕ご飯は、駅前のハンバーガーショップで軽く済ませた。


以前はもう少し料理もしていた。

最近は、自分でもわかるくらい怠惰だ。


それでも、食べたいものを、食べたい時間に選べる生活は気楽だった。


シャワーを浴び終えると、いつものようにゲームへログインした。


何となくフレンドリストを開く。

Kzさんの名前には、すでにオンラインの印がついていた。


すぐに、チャットが飛んでくる。


Kz:今日は何してる?


るびぃ:倉庫整理


Kz:一番面倒なやつ


るびぃ:アイテム増やしたの誰だと思ってるの


Kz:知らない人


るびぃ:半分くらいKzさんにもらったやつだからね


Kz:じゃあ返して


るびぃ:嫌


ゲーム内では、会社にいるときより、ずっと自然に言葉が出る。

しばらく、別々のことをしながら、途切れ途切れに話す。


やがて、画面の中で新しい文字が打ち込まれた。


Kz:仕事、三日目どうだった?


私は、少しだけ考えてから返す。


るびぃ:お昼、会社の人と食べた

るびぃ:四人で


Kz:それは進歩


るびぃ:子ども扱いしてる?


Kz:初日、昼休みどうしたらいいか分からないって言ってたから


るびぃ:覚えてたんだ


Kz:だいたい覚えてる


るびぃ:飛行機で会いに行ったのに、会ってもらえなかった話も?


Kz:忘れるほうが難しい


るびぃ:私も忘れたい


Kz:無理に忘れなくていいんじゃない?


るびぃ:たまに真面目


Kz:いつも真面目


るびぃ:それはない


Kzさんは、前に私がこぼしたことを覚えている。

驚きはしない。

この数か月、Kzさんが私の何気ない言葉を覚えていることは、別に珍しくはなかった。


ただ、ふと気づく。


会社では今日、「自分の場所」ができた。

ここには、前から私の話を覚えていてくれる人がいる。


そう思うと、安心した。


Kz:新しい会社、前よりはよさそうだね


るびぃ:まだ三日目



Kz:すぐ慣れる


彼のいる街まで飛行機で行き、結局会えないまま帰った夜も、私はこの人と話していた。

あの日を境に、Kzさんと話す時間は、それまでより増えた。


るびぃ:そっちは何してるの


Kz:素材集め


るびぃ:知ってる


Kz:じゃあ、なんで聞いた

Kz:フレンドリストの現在地見たんだろ


るびぃ:見た

るびぃ:何の採集?


Kz:それ聞いてどうする


るびぃ:話してるだけ


Kz:質問が雑


るびぃ:答えも雑



Kz:ちょっと眠い


るびぃ:じゃあ寝たら


Kz:冷たいな


るびぃ:明日も仕事でしょ


Kz:仕事


るびぃ:じゃあ、早く寝て


Kz:おやすみ


るびぃ:おやすみー


フレンドリストから、Kzさんのオンラインの印が消えた。


白い壁と、淡い木目の床。グレーのソファと、低いテーブル。

分譲マンションの広告を真似て作った部屋は、どこを見てもきれいに整っている。


彼が落ちると、急に静かになったような気がした。

倉庫整理も終わり、特に何もすることもない。


私もゲームを終了した。


会社にも、まだ借り物みたいな自分の席がある。


昨日よりは、自分のいる場所が分かる気がした。




紅葉便り 第4話 「居場所」 おわり



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