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紅葉便り  作者: mamio
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3/4

第3話 「こっちは絶対」


1


目覚ましが鳴る前に目が覚めた。

昨日は、初出勤の緊張と、ECサイトの不具合で慌ただしく一日が終わった気がする。


せっかく早く起きたので、今日は早めに出よう。


服は、何を着ようか迷うことはなかった。

無地のシャツにロングスカート、昨日と同じ薄手のジャケットを羽織る。

鏡の中の自分を一度だけ確かめて、玄関の灯りを消した。



駅までの道は、通勤通学の人でいっぱいだ。

ばらばらの歩幅が、歩道の幅いっぱいに広がって、わらわらと駅へ吸い込まれていく。


この街は、数年前から高層マンションばかりが一気に増えた。

人は増えたのに、駅は昔のままで、ホームも電車もいつも窮屈だ。


まぁ、これは今に始まったことでもない。



会社に着くと、昨日案内された自分の席が、ちゃんとそこにある。


エレベーターの横にある自動販売機でお茶を一本買い、机の上に置く。

ジャケットを椅子の背に掛けて、パソコンの電源を入れた。


受信トレイには、昨日の高瀬さんからのメールが残っている。

昨日のメールを開いて確認していると津村さんが出勤してきた。


「おはようございます」


声をかけると、津村さんは少し驚いたように私を見る。


「おはようございます。くれはさん、早いですね」


「昨日、確認したところが少し気になっちゃって」


「うわー、熱心」


肩の力が抜けたような笑い方をする。


自分でも、今日は説明を追うだけじゃなくて、ちゃんと動きたいと思っていた。

確認すると、直したはずの『グレージュ』が、別のページではまた『ベージュ』になっている。

同じ商品のはずなのに。


そのことを津村さんに伝える。


「他のページはどう?」


「他はまだ見てません」


「同じ商品の別ページも、全部見たほうがいいですよね」


私の問いに、津村さんは素直に頷いた。


「お願いしていい?」


その一言で、なんとなく、自分の担当らしいものがひとつできた気がした。



しばらくパソコンの画面に向かって目を凝らしていると、後ろから津村さんの声が飛んできた。


「そんなに画面にかじりついてたら、目が疲れませんか?」


「近づいてました?」


「ええ、がっつり」


津村さんは、大げさに言って笑った。


手には個包装のお菓子が二つ。


「あ、ありがとうございます」


受け取ると、津村さんは入り口の左側を指さした。


「誰からのか分かんないけど、出張とか帰省のお土産は、あそこにみんな置いていくのよ」


そこには、来客や打ち合わせ、小さな会議にも使われるという、大きなテーブルがある。

十人くらいは座れそうなサイズだ。


「欲しい人がいくつか持っていって、いらない人は取らない。そんな感じ」


「誰が置いていったかわからないんですか?」


「だいたい誰も名乗りませんね」


「お礼は?」


「食べた人が、たぶん心の中で」


「たぶん……」


お菓子の包みを指で破きながら、この部署の温度が少しだけ分かった気がした。



2


午後。


津村さんが、画面から目を離さないまま私を呼んだ。


「くれはさん。昨日と同じようなの、また出てる」


商品ページの画像が一枚だけ表示されていない。


「あ、それ、対応の仕方、昨日の高瀬さんからのメールに書いてありました」


自分のパソコンで、昨日保存したメールを開く。


最初に確認する場所。

次に見る場所。

それでも、直らなかった場合の連絡先。


高瀬さんは、ここにはいない。

それでも、昨日残していった文章だけで、次に困った人が自分たちで直せるようになっていた。


私と津村さんとふたりで、メールを読みながら確認していく。


「ここは合ってます」

「じゃあ、次」

「あ、この設定のチェック外れてますね」


チェックボックスをクリックした。


「あ、出た!」


「出ましたね」


津村さんは、隣で小さく手をたたいていた。

大きな成果を上げたわけでもない。

それでも、自分で対応できたことで、少しだけ前進できた気がした。


高瀬さんの昨日の緩い感じと、几帳面なメールの差がおかしくて、小さくつぶやいた。


「変なところだけ、丁寧」


「なにが?」


津村さんがこちらを向いた。


「いえ。高瀬さんのメールが」


「高瀬さん、メールは丁寧ですよ」


「メールは?」


「机は汚いです」


「…………」




夕方になって、受信トレイに新しいメールが届いた。


差出人は、高瀬一歩。


件名には、昨日の不具合のその後について、とある。


本文は短かった。


昨日の件、その後大丈夫そうですか。


私は返信画面を開く。


問題ありません。

ありがとうございました。


それだけでいいはずなのに、なぜか指が止まる。


おかげさまで。

ご対応いただいた内容を確認し。

現在は問題なく。


そこまで打って、全部消した。


初日に会っただけの外部業者へ、どうしてこんなに丁寧な文章を書こうとしているのだろう。


結局、


問題ありません。

本日も一件、教えていただいた手順で確認できました。

ありがとうございました。


とだけ書いて送信した。


しばらくして返ってきたのは、


了解です。よかったです。


それだけだった。


「……あっさり」


画面の前で、思わず声が漏れる。


でも、不愛想だとは思わなかった。

必要なことだけ返して、そこで終わる。

曖昧に残されるものがないのは、心地いい。


3


二日目の今日は、新しい会社にまた少し馴染めた気がして、帰り道の足取りは昨日より軽かった。


夕ご飯は、今日も買ってきたお弁当で済ませるつもりだ。

さっさとシャワーを浴びて、早めに寝ようと思っていた。


お風呂上がり、パソコンデスクの椅子に腰を下ろし、タオルで髪を拭く。

目の前では、黒い画面のモニターが机の上にどんと居座っている。

電源ボタンを押した。


デスクトップの壁紙がふわりと浮かび上がっても、そのまま髪を拭き続ける。


新しい職場に慣れるまでは、早く寝た方がいい。

そう思ってはいたけれど、ログインせずに一日を終える方が、今は落ち着かなかった。

そして、いつものオンラインゲームにログインした。


このゲームを始めたのは、ずっと前だった。

以前は、気が向いた日に遊ぶだけだった。


彼が転勤してから、夜にログインすることが増えた。

最初は、電話がかかってくるまでの時間を埋めるつもりだった。


スマホばかり見ていても、返事が来るわけではない。

そんな時間を埋めるには、画面の中で走り回っている方がまだよかった。


その電話が減っていくにつれて、ログインする日は増えていった。


彼と別れてからは、ほとんど毎晩だった。


剣や魔法を使い、仲間と一緒にモンスターを倒すゲームだ。

ひとりでも進められるけれど、強い敵に挑むときは、何人かでパーティーを組む。


私のキャラクター名は、るびぃ。


Kzさんとフレンドになったのは、二年ほど前だった。

最初は、人数が足りないときに呼び合う程度。


一年ほど前から、ログイン時間が重なると話すようになった。

ここ、二、三か月は、どちらからともなく声をかけて、ほとんど毎晩一緒に遊んでいる。


接続が完了した途端、フレンドチャットが飛んできた。


Kz:シナリオどこまで行った?


シナリオは、ゲームの物語を順番に進めていくものだ。


るびぃ:バージョン7のラスボスがまだ


今の物語の最後にいる敵で、何度挑んでも勝てずにいた。


Kz:俺はもう終わってる

Kz:今から手伝いで行くけど

Kz:一緒に行く?


るびぃ:何度やっても勝てない

るびぃ:動きのろいけどいい?


Kz:遊びなんだから、楽しかったらいいでしょ


るびぃ:そう? じゃあ、行く


Kz:ヒーラーでお願い


るびぃ:了解


ラスボスのいる部屋までは、一気に移動できる。

Kzさんを含めた四人でパーティーを組み、乗り込むのだ。


るびぃ:こんばんはー

るびぃ:よろしくお願いします


挨拶すると、それぞれに返事が返ってくる。


Kz:じゃあ、行きますかw


部屋に入ると戦闘の曲が流れだし、緊張が走る。


各キャラクターの頭上のHPゲージばかりが気になる。

今、回復しておかないと、あとになるほどモンスターの攻撃力は強くなる。


補助魔法を切らさないようにしながら、前衛へ近づく。

自分のMPも確認し、Kzさんの指示にも応えようと、画面の中を走り回った。


回復魔法や補助魔法を使うたびに、MPが減っていく。

魔法を使うための力で、これがなくなれば回復も蘇生もできない。


とはいえ、相手の攻撃が激しくなってくると、画面の中は一気に騒がしくなる。

パーティーチャットに、きびきびとした指示が飛んだ。


回復も、蘇生も、補助も。

必要な役目が、次々と私に回ってくる。


Kz:MP戻ったら、後衛起こして


「起こす」というのは、蘇生させることだ。

画面の前で、私は思わず声に出す。


「そっちは旅芸人が起こしてよ」

「蘇生も回復もできるんだからさぁ」


画面の前では、文句を垂れ流しながらも、キーボードを打つ手は従順だ。


るびぃ:了解


Kz:るび、そこ範囲来るよ


ボスが大きく腕を振り上げる。

一人ではなく、周囲にいる全員を巻き込む攻撃だ。

慌てて赤く光った床の外側へ逃げる。


「はいはい。分かってますって」


Kz:前衛にバフ!


味方を一時的に強くする補助魔法を、前衛へかけろという意味だ。


「MPやばいんだけどな」


るびぃ:はい


送信ボタンを押してから、少しだけ笑う。

会社ではまだ出せない自分の素が、こっち側では平気で顔を出す。

その温度差が、今はちょうどいい気がした。



各キャラクターの頭上にあるHPゲージが、少しずつ減っていく。

これがなくなれば、そのキャラクターは倒れる。

私は、ひとつ残らず緑色に戻したくて、必死で回復魔法を飛ばしていた。


前衛、後衛、サブヒーラー。

倒れた人が出れば、すぐに蘇生を入れて、補助効果まで全部かけ直そうとする。


そのあいだにも、ボスの範囲攻撃で、一番前に立っている人のHPが急に赤くなった。


「あっ……」


焦ってカーソルを戻したときには、前衛のひとりが床に倒れていた。

ログには、私がさっき起こしたばかりの別のメンバーへの回復と、補助魔法の文字が続いている。


どうにか体勢を立て直したところで、パーティーチャットにKzさんの文字が流れた。


Kz:全員のHP、毎回満タンにしなくて大丈夫だから

Kz:今は前だけ見てて

Kz:補助は余裕できてからで


ぎくりとして、コントローラーを握り直す。


るびぃ:はい


全員じゃなくて、一番危ない人から。

全部を元に戻すより、今落ちそうなところを先に。


kzさんの言葉は、私がうまくできなかった理由を、簡単に言い当てていた。


昨日、高瀬さんに言われたことが、ふいに頭に浮かんだ。


「そこ」は揃えなくてよくて、「こっち」は絶対。


次に全員のHPが削られても、私は満タンに戻そうとする手を止めた。


今は、前だけ。


補助魔法がひとつ切れているのが気になった。

けれど、前衛の回復を優先する。


赤くなりかけたHPが緑へ戻り、前衛はそのまま攻撃を続けた。


私が全部を整えなくても、パーティーは動いている。


昨日の高瀬さんの言葉はよく分からなかった。

けれど、外してはいけない場所を先に見るというのは、こういうことなのかもしれない。


タオルで拭き残した髪の先から、水滴がひとつ、マウスパッドに落ちた。



戦闘は、なんとかぎりぎりのところで終わった。

画面のこちら側で、思わず肩の力が抜ける。


Kz:おつかれさま

Kz:だいぶ動きに慣れてきたね


そう言われて、少しだけほっとする。


Kz:後半よかった


るびぃ:最初ひどかったけどね


Kz:最初はいつも通り


るびぃ:うるさい


Kz:次も勝てる


ボス戦は得意じゃないけど、結構楽しんだ。

明日もたぶん私は、Kzさんと遊ぶ。





紅葉便り 第3話 「こっちは絶対」



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