第14話 「Xday」
1
元住吉駅から電車に乗った。
武蔵小杉まで、一駅だ。
二分もかかっていない。
昨日の仕事帰りは、ここで降りた。
これまでも、一駅手前で降車して遠回りで帰ることはあった。
小杉で降りても、元住吉で降りても家までの距離はそう変わらない。
どちらかと言えば、元住吉のほうが近い。
それだけだ。
仕事の訪問先へ直行するときは、路線の多い武蔵小杉から電車に乗ることもある。
宮原さんは、今日もこの駅から電車に乗るのだろう。
同じ電車に乗っていても、朝の通勤時間に出会えることは少ない。
何しろ、武蔵小杉は人気のベッドタウンで人が多い。
昨日は、本当に偶然だった。
いつになく、彼女はよくしゃべった。
そんなに頻繁に会うわけではないが、自分の中ではよくしゃべる人と言う印象はなかった。
仕事以外では、明るくいろいろ話す人なのかもしれない。
偶然でいいから、また会えるといいと少し期待した。
今度会ったら、あの行列の長いラーメン屋に誘ってみてもいいかもしれない。
そこまで考えて、何を考えているんだと思った。
宮原さんとは、そんな間柄ではない。
仕事で俺が担当する会社の社員だというだけだ。
けれど、何度か偶然が重なり、ラッスルへ行く機会が増えるようなことがあれば、何かが始まる可能性は捨てきれない。
実際に、俺自身が彼女を気にしているのだから。
けれど、それ以上に、昨夜るびぃが打った言葉が頭から離れなかった。
それは、自分の中にあった気持ちまで言葉にしたようだった。
「もう、少し思ってる」
俺だって会いたい。
だからこそ、曖昧な返事になった。
「いつかは」
会いたいから会う。
それだけなら簡単だ。
問題は、そのあとだった。
会ってみて、ふたりとも思っていた相手とは違ったと感じる。
残念だが、あり得る話だ。
二年間の関係が変わったとしても、それなら少なくとも、二人の答えは同じになる。
怖いのは、気持ちに差が出ることだった。
顔も声も知れば、今よりもっと近くにいたいと思うかもしれない。
けれど、彼女にとっては仮想空間の文字だけのKzのままがよかったかもしれない。
逆もあり得る。
るびぃだけが近づきたいと思い、自分が違うと感じるかもしれない。
自分が彼女を傷つける側になる方が、もっと怖かった。
二年前から知っていて、この一年で会話が増え、ここ数か月は毎日のように一緒にいた。
関係を壊したくないと思ってきた相手を、自分の方から傷つけるかもしれない。
どちらの場合も、これまでのように毎日一緒に遊ぶ関係へは戻れないかもしれない。
だから、会うのが怖かった。
でもこのまま、るびぃと会うことなくゲームの中で気持ちだけを膨らませていても、現実の時間は待ってくれない。
どちらかに恋人ができれば、顔も声も知らない関係は、そのまま終わるだろう。
「いつか」と言い続けているうちに、その「いつか」を選べなくなる。
このままでは、自分自身の身の振り方さえ見失いそうだった。
結果がどうなっても今、失いたくないのはるびぃだった。
もしも、るびぃとの関係が壊れたからと言って、今度は宮原さんか?
それだって、失礼な話だ。
宮原さんとの可能性は考えるべきではないと思う。
これ以上は。
宮原さんは、仕事で担当している会社の社員だ。
次に顔を合わせるときからは、それ以上でも、それ以下でもない相手として接する。
そうしないと、自分自身が納得できないと思った。
2
夜、帰宅して、いつもの時間にゲームにログインした。
昨日Kzさんが言った「いつかは」が、いつまでも心のどこかに引っかかっていた。
すでにログインしていたKzさんに、チャットを送る。
るびぃ:お疲れ様です
毎日のルーティンになっている「日課」を終わらせて、彼の家に戻った。
寒くなったとか、道が混んでいたとかそんな話をして、ちょっと間があいたときに彼が言った。
Kz:昨日の話なんだけど
るびぃ:あ、声で?VCのこと?
Kz:いや、いつかはってやつ
Kz:曖昧な言い方をしたと思って
るびぃ:うん
Kz:会いたくないわけじゃない
Kz:むしろ会いたい
会いたいと思っていたのは、自分だけではなかったことにほっとする。
昨日言ってくれれば、よかったのに。
けれど、その言葉を聞いた途端、会うことが急に現実になった気がした。
るびぃ:じゃあ、どうして「いつか」だったの?
Kz:会ったら
Kz:今まで通りでは、いられなくなるかもしれない。
彼は、実際に会えば、思っていた人とは違うと感じることもあるだろうと言った。
るびぃ:会って、ふたりともが違うと思ったら
るびぃ:それは仕方ないよね
Kz:それならね
るびぃ:それなら?
Kz:片方だけの気持ちが大きくなったら?
るびぃ:もう片方は違うと思ったら?
Kz:うん
るびぃ:それは怖い
Kz:俺もそれが一番怖い
るびぃ:今までみたいには戻れないかもしれないね
Kz:戻れないと思う
るびぃ:それでも?
Kz:それでも、会いたい
るびぃ:私も
会うことに迷っているのではない。
怖いだけだ。
それでも、会いたかった。
Kz:次の土曜日は予定ある?
るびぃ:なにも
Kz:じゃあ、会おう
るびぃ:うん
Kz:渋谷は?
るびぃ:行けるよ
Kz:じゃあ、ハチ公前
Kz:時間は二時でいい?
るびぃ:うん
Kz:じゃあ、次の土曜の二時
Kz:ハチ公前で
るびぃ:すごい人じゃない?
Kz:知らない男と初めて会うなら
Kz:人が多い方が安心でしょ
るびぃ:そうだけど
るびぃ:見つけられるかな
Kz:当日LINEする
るびぃ:うん
Kz:声、先に聞く?
るびぃ:会うって決めたのに
るびぃ:そこでまた迷いそう
Kz:写真は?
るびぃ:送らない
Kz:即答w
るびぃ:そっちは?
Kz:送らないww
ちょっと、沈みそうな話もしたけれど、やっぱり彼と話すのは楽しい。
ずっと話していても、黙っていても、ゲームの中なのに、そばにいる気がして安心していられた。
会って、普通に話せる人ならそれでいいんだけどな。
でも、普通の基準ってなんだっけ?
Kzさんは、「ちょっと待ってて」と言ったあと、LINE IDを教えてくれた。
こちらから「TEST」と送ってLINEが繋がる。
表示名はKzだった。
そのまま。
Kz:Kzです。
るびぃ:知ってるよww
るびぃ:LINEもKzなんだ
Kz:大学の頃からこれ
Kz:だいたいみんなKzでわかるし
Kz:変えるタイミングなくて、そのまま
るびぃ:長いねw
Kz:そっちも、るびぃなんだ
るびぃ:うん
るびぃ:別のゲームでも、だいたいずっとこれ
るびぃ:ゲームではRubbieだったり、ルビーだったりするけど
Kz:表記が違うだけw
るびぃ:そうw
二年間、ゲームの中にしかいなかった人が、スマホの中にもいた。
ゲーム以外の場所にも、彼とつながる糸が一本増えた。
この糸が、太くなっていくのか、細くなって切れるのかは、まだわからない。
Kz:じゃあ、次の土曜日
Kz:ちゃんと行くから
るびぃ:私も行く
ゲームをログアウトして、LINEに追加された「Kz」の名前を見る。
本当に彼と会うことになった。
ゲームの中だけの人が、土曜日には現実の人になる。
昨日の仕事帰りに会った高瀬さんを思い出す。
また、偶然でも会えたらいいのにと思っていた。
帰るまでの時間が短いとも感じた。
あの人の言動が仕事の一環だったのか、私に向けられたものだったのか。
とても気になっていた。
もしも何かに誘われるようなことがあれば、断れるかどうかもわからなかった。
だけど、もうこの気持ちの先を追ってはいけない。
自分の中で勝手に始まっただけの話だ。
なら、その先へ進まないことも、自分で決められる。
高瀬さんに対する感情は、素直な私の気持ちだった。
間違いだったとは思わない。
でも、失いたくないのはKzさんだった。
その結果、Kzさんを失うことになったとしても、高瀬さんを次の可能性として残しておくつもりはなかった。
そうでなければ、Kzさんに会うと決めたことに、保険をかけることになる気がした。
画面には、待ち合わせの時間と場所が残っていた。
昨日まで形のなかった「いつか」が、次の土曜日になった。
私はその日を選ぶ代わりに、もうひとつの未来を、自分から追わないことにした。
紅葉便り 第14話 「Xday」おわり




