第15話 「また明日」
1
金曜日の朝、目が覚めてスマホを見る。
今週の出勤は、今日で終わりだ。
明日は、Kzさんに会う。
声が聞きたい。
会ってみたい。
そう思いはじめてから、「会おう」と結論を出すまで、ずいぶん早かった。
たぶん、私は疲れていたのだと思う。
会社に来る高瀬さんと、ゲームで会うKzさんのあいだで揺れてしまう自分に。
どちらかひとりだけを見ていられたなら、こんなに急いで答えを出すこともなかったのかもしれない。
まだ、知り合って三週間の高瀬さんが気になっている。
けれど、「じゃあ、彼の何を知っているの」と聞かれたら、ほとんど何も知らない。
顔と名前と勤務先、たまたま知った自宅の最寄り駅。
それだけでは、ただのプロフィールにすぎない。
一方で、Kzさんのことは、毎日の会話を通して、人柄も考え方も知っている。
もちろん全部ではない。
それでも、「きっと彼ならこうする」と想像できるくらいには分かっている。
話していると安心して、心地よくて、どれだけ長く一緒に過ごしても疲れない。
それでも、私は彼のプロフィールを知らない。
道ですれ違っても、きっとただの知らない人だ。
私にとって、その「知らない人」が「失いたくない人」なのだ。
明日「知っている人」になる、その人との関係がどう自分に影響するのかは、わからない。
怖さとうれしさが、同時に胸の中に居座っている。
どちらか一方だけなら、もっと楽だったのに。
LINEのトーク一覧には、昨日追加された「Kz」の名前がある。
ゲームを起動しなくても連絡は取れるのに、昨夜のやり取り以降、新しいメッセージは何もない。
「おはよう」とか「明日はよろしく」とか。
用事もないのに、そんなメッセージを送ったら、浮かれているように見えないだろうか。
結局、何も送らないままスマホをバッグにしまった。
仕事中、入口の自動ドアが開く音がするたびに顔を上げてしまう自分に、私は呆れていた。
もう、自分からは何の行動も起こさないと決めたばかりなのに。
今日は高瀬さんが来る予定もないし、この会社のシステムも今は機嫌よく動いている。
それがいいことなのか、悪いことなのか。
高瀬さんが来なくてほっとしているのか、残念に思っているのか、自分でもよく分からなかった。
2
家に帰ってから、クローゼットの扉を開けた。
何か、ひと目で分かる服やバッグを持っていた方がいいのだろうか。
私はカーキベージュのコートと黒いバッグを選んだ。
特別目立つ色でもないし、変わった形でもないけれど。
「普通でいいんだけどな」
けれど、普通って何だろう。
ワンピースを出してみる。
「なんだか、頑張りすぎて見えないかな」
去年買った、細かい花柄プリントのネイビーのロングスカート。
気に入っていたスカートなのに、元カレとの関係に疲れていた頃に少し痩せたせいか、ウエストがゆるくなっていた。
靴は、何を履くべきだろう。
といっても、靴はそんなに持っていない。
通勤用と、普段のスニーカー。
就活用に買った黒いパンプスとローファー。
ブーツは、まだ少し早い。
鏡の前に立ってみる。
この顔を、Kzさんは初めて見る。
私にとっては見慣れた顔だけれど、二年間、文字だけで話してきた彼が、初めて見る顔なのだから、できる限り気は遣いたい。
心を好きになったのだから、外見なんてどうでもいい、とは思えない。
顔だけじゃない。
声も、表情も、歩き方も、食べ方だって、きっとどこかで相手の気持ちを揺らす。
彼は、文字で話す私に会いたいと言った。
けれど、現実の私を見ても、同じように近づきたいと思ってくれるとは限らない。
怖い。
けれど、私なりにちゃんと向き合いたい。
3
明日だ。
今になって思うと、少し性急すぎたんじゃないかとも思う。
るびぃは、きっと明日の服をちゃんと考えている。
何も考えない人ではないからこそ、こっちが軽く見えないかが気になる。
とはいえ、黙っていても明日は来る。
クローゼットを開けて、何着か引っ張り出してみる。
仕事用のシャツとジャケットは、まずない。
「通勤じゃないんだから」
普段着すぎるのもマズいか。
何も考えていないやつだと思われそうだ。
無難な服がいい。
黒いジャケットは、いかにも無難だ。
靴はどうするか。
こっちは、履き慣れているもののほうがいいだろう。
ブラシでざっと汚れだけ落とした。
クローゼットの扉の裏の鏡を見る。
明日、るびぃが初めて見る、Kzの顔。
容姿の良し悪しなんて、結局は見慣れてしまえば「そういうもの」になる。
文字だけでやり取りしてきた時間は長い。
実際の話し方や、声のトーン、間の取り方なんて、文字からは分からない。
沈黙を、気まずい空気に変えないでいられるか。
るびぃの中で「Kz」という男がどんなふうに出来上がっているのか分からないのは、正直、始末が悪い。
木曜日の夜、駅で会った宮原さんとは、自然に会話できていた。
女の人とどう接していいか分からないわけじゃない。
むしろ、何も知らない相手との初対面のほうが、まだ気が楽だ。
二年間、文字の向こうから自分を知ってきた人だ。
その人と初めて会うのが怖いと思うのは、やっぱり俺が、彼女のことを好きだからなんだろう。
引っ張り出した服をクローゼットに戻し、俺はPCの電源を入れた。
4
いつもの時間にゲームにログインしたら、Kzさんはいつものように画面の中にいた。
LINEで話そうと思えば話せる。
それでもやっぱり私は、ゲームの中の彼に会いに行く。
いちばん最初に終わらせる日課も、今日は浮ついていた。
草原でぴょんぴょん跳ねるナスビみたいな小物が3匹現れた。
範囲攻撃で、いっぺんに倒してしまおうと思った。
魔法を選んだつもりだったのに、キャンセルボタンを押していたようだ。
杖で一発叩いただけで、ナスビはまだ生きていた。
Kz:なにやってんのwww
るびぃ:ごめんww
るびぃ:間違えたw
Kzさんだって人のことは言えない。
さっさと攻撃すればいいものを、考え事でもしていたのかターンを逃してしまって、ナスビに殴られていた。
るびぃ:ちょっとww
るびぃ:明日のせい?
Kz:たぶんw
日課を終えて、彼の家に戻った。
最近は、このパターンが多い。
新しい季節イベントも終わったし、クリスマスイベントまでは、こんな感じかもしれない。
彼の庭には、あのランプが灯っている。
中に入って、長椅子に座った。
聞きたいことは決まっているのに、キーボードに置いた手を動かせずにいた。
Kz:明日だね
るびぃ:うん
Kz:怖い?
るびぃ:怖いよ
るびぃ:あなたは怖くない?
Kz:いや、怖いって
るびぃ:心が好きなら
るびぃ:見た目なんて関係ないって言える?
Kz:言えない
るびぃ:即答なんだw
Kz:るびだってそうでしょ
るびぃ:……そうね、そうかも
Kz:顔だけじゃないと思う
Kz:声とか、話し方とか
Kz:近くにいるときの感じとか
るびぃ:歩く速さとか?
Kz:そこも気になる?
るびぃ:たとえば
るびぃ:会って、違うと思ったら
るびぃ:今までのことも、違ったことになる?
Kz:ならない
るびぃ:言い切れるの?
Kz:明日会ってどう思うかはわからない
Kz:でも、今日まで一緒にいたことは変わらない
Kz:明日の結果で、なかったことにはできない
私は、コントローラーで視点をずらして、窓の外にあるランプを見た。
そうだよね。
元カレと別れたあと、毎日話しかけてくれた。
なかなかログインしない彼を、ずっと待っていた夜。
「また明日」を何度も交わした。
明日どうなっても、そこまでは本物だった。
だから。
今言わないといけない。
姿を見て、声を聞いて、答えを見てから言うのは違う。
心しかわからない今だから、言っておきたいと思った。
るびぃ:あのね
Kz:ん?
るびぃ:明日になったら
るびぃ:言えなくなるかもしれないから
Kz:なに?
るびぃ:今、言っておきたい
Kz:うん
るびぃ:私、ずっと、あなたが好きだった
小さな間があいた。
Kz:俺も
Kz:ずっと、るびが好きだった
るびぃ:過去形だねw
Kz:そっちが過去形で言ったんでしょw
るびぃ:そうだったw
Kz:今も、好きだよ
るびぃ:私も
Kz:どうなるかは、
Kz:明日、会ってからだね
るびぃ:うん
るびぃ:今日言ったことは、嘘じゃないけど
Kz:俺も
好きだと伝えても、私たちには明日どんなふうに心が動くか、わからない危うさがあった。
明日、私たちは初めて、現実に存在する相手として会う。
だけど心では、すでに互いを選んでいた。
Kz:じゃあ、明日
るびぃ:うん
るびぃ:明日ね
ログアウトして、スマホが鳴った。
LINEの通知音だった。
Kz
〈明日、よろしく〉
るびぃ
〈こちらこそ〉
Kz
〈遅れないようにする〉
るびぃ
〈私も〉
Kz
〈おやすみ〉
るびぃ
〈おやすみ〉
二年間、何度も交わした「また、明日」が初めて現実の時間と場所を持っていた。
紅葉便り 第15話 「また明日」 おわり




