第2話「雨の日の相合い傘」
翌日。
「お前、今日ずっと後ろ向いてるけど首痛めた?」
ホームルーム前、藤崎が呆れた顔で言った。
「いや別に」
「九条さん見すぎ」
「見てない!」
反射的に否定したせいで、逆にクラスの数人がこちらを見る。
しまった。
俺は慌てて前を向いた。
だが数秒後にはまたちらっと後ろを見てしまう。
教室の窓際、一番後ろの席。
九条紗奈は頬杖をつきながら、静かに文庫本を読んでいた。
周囲と喋る様子はない。
女子グループの輪にも入らず、ひとり。
なのに妙に目立つ。
「完全に気になってるじゃねえか」
「……ちょっとだけ」
「恋だな」
「まだ違う」
俺はそう言ったものの、自分でも怪しいと思っていた。
昼休み。
購買へ向かう途中、廊下で九条を見かけた。
声をかけるか迷う。
迷って。
迷った結果。
「よ、おはよう」
昼だった。
九条がじっとこちらを見る。
「……もう昼だけど」
「知ってる」
「バカなの?」
「たぶん」
すると九条は、ほんの少しだけ吹き出した。
笑った。
昨日より自然に。
「変な人」
「よく言われる」
「自慢げに言うことじゃないでしょ」
なんだ。
普通に喋れるじゃん。
そう思った時。
「あ、紗奈!」
女子が九条を呼んだ。
その瞬間、九条の表情がすっと消える。
「あ、うん」
さっきまでよりずっと淡々とした声。
そしてそのまま女子の方へ歩いていった。
去り際、一度だけこちらを振り返る。
「……ジュース、今度ね」
それだけ言って。
俺の心臓はまた無駄に騒がしくなった。
その日の放課後。
空はどんより曇っていた。
「降りそうだな」
窓の外を見ながら呟いた直後。
ザーッ。
笑うくらい見事な土砂降りが始まった。
「うわマジか……」
俺は傘を持っていない。
朝、天気予報を見忘れた。
終わった。
昇降口には雨宿り中の生徒が集まっている。
俺もその一人になっていた。
「コンビニまでダッシュするか……?」
無理だ。
確実に死ぬ。
そう悩んでいると。
「帰らないの?」
隣から声がした。
見ると九条だった。
紺色の傘を持っている。
「傘ない」
「へえ」
興味なさそうな返事。
だが彼女はそのまま立ち去らない。
沈黙。
雨音だけが響く。
やがて九条が小さくため息をついた。
「駅までなら入れてあげる」
「え?」
「ジュース代の前払い」
思考が止まった。
相合い傘?
九条と?
マジで?
「嫌なら別にいいけど」
「入ります!」
即答だった。
九条は若干引いた顔をした。
「……声大きい」
こうして俺たちは、一つの傘に入って歩き出した。
近い。
距離が近い。
肩が触れそうだ。
というかたまに触れてる。
シャンプーの匂いがする。
落ち着け俺。
「朝倉」
「はい」
「なんで敬語なの」
「緊張してるからです」
言ってから終わったと思った。
だが九条は少し黙ったあと。
「……正直でよろしい」
そう呟いた。
しかも少し笑っている。
雨のせいで周囲の音が遠い。
不思議なくらい、ふたりだけの空間みたいだった。
「九条ってさ」
「なに」
「学校だとあんまり喋んないよな」
彼女は少し視線を落とした。
「別に、必要ないから」
「でも今は喋ってくれてる」
「……朝倉が勝手に話すから」
「嫌?」
聞くと。
九条は少し考えて。
「嫌だったら傘入れてない」
その答えだけで十分だった。
駅前に着く頃には、雨は少し弱まっていた。
「じゃ、ここで」
九条が立ち止まる。
「あ、うん。ありがとな」
「今度ジュース奢って」
「了解」
彼女は傘をくるりと回した。
そして去り際。
「朝倉」
「ん?」
「今日の“おはよう”はちょっと面白かった」
そう言って笑った。
今度はちゃんと。
はっきりと。
柔らかく。
その笑顔を見た瞬間。
俺は理解した。
「あー……」
これ、もうダメだ。
完全に好きになった。
雨の中。
ひとり駅前に立ち尽くしながら。
俺は人生終了のお知らせを静かに受け入れたのだった。




