第一話「最悪な出会いと、貸し借りひとつ」
「――で、つまりお前はまた振られたわけだ」
昼休みの購買前。
俺、朝倉悠真は、焼きそばパンを片手に親友の藤崎に深いため息をつかれていた。
「またって言うな。今回はかなりいい線いってたんだよ」
「三日しか話してない女子に告白して玉砕したやつの台詞とは思えない」
ぐうの音も出ない。
俺は昔から惚れっぽい。笑顔が可愛いとか、声が好きとか、そういう理由で簡単に恋をする。そして簡単に振られる。
もはや特技だ。
「次はちゃんと中身を知ってからにしろよ」
「恋って勢いが大事なんだよ」
「その勢いで毎回崖から飛び降りてるだろ、お前」
そんな会話をしていた、その時だった。
ドンッ。
誰かと肩がぶつかった。
「うわっ」
持っていた焼きそばパンが宙を舞い、見事に床へダイブする。
「あ……」
絶望した。
購買最後の焼きそばパンだったのに。
「ちょっと、前見て歩いて――」
文句を言おうとして、俺は固まった。
ぶつかった相手は女子だった。
肩まで伸びた黒髪。涼しげな目元。整った顔立ち。
けれど、可愛いとか綺麗とか、そんな感想より先に。
「……何その顔」
と思った。
まるで世界の全てが面倒くさいみたいな顔。
彼女は床に落ちた焼きそばパンを見て、小さくため息をついた。
「ごめん」
抑揚のない声だった。
「……いや、別に」
「弁償する」
そう言って彼女は財布を取り出そうとした。
だが、その瞬間。
「おーい九条! 次移動教室!」
遠くから女子の声が飛ぶ。
彼女――九条、と呼ばれた女子は、そちらをちらりと見た。
そして俺に千円札を押しつけた。
「お釣りいらないから」
「いや多いって!」
「じゃ」
それだけ言って、彼女は去っていった。
ぽかんと見送る俺の隣で、藤崎がニヤニヤしていた。
「お前、また恋した顔してる」
「してない!」
「いやしてる」
「……してないと思う」
正直、自信がなかった。
だって。
めちゃくちゃ感じ悪かったのに。
なんか気になった。
その日の放課後。
俺は担任に頼まれて、資料を職員室へ運んでいた。
「なんで俺がこんな量を……」
紙の束を抱えながら廊下を歩いていると、曲がり角でまた誰かとぶつかった。
「うおっ!?」
今度こそ完全に終わった。
資料が宙を舞う。
大量のプリントが雪みたいに散らばった。
「最悪……」
しゃがみ込みながらそう呟くと、向かい側からも同じ声が聞こえた。
「……最悪」
顔を上げる。
そこにいたのは。
「え」
昼の女子だった。
九条。
彼女も一瞬だけ目を丸くした。
「……またあんた」
「そっちこそ」
沈黙。
気まずい。
ものすごく気まずい。
すると九条は無言でしゃがみ込み、散らばったプリントを拾い始めた。
「手伝ってくれるの?」
「私もぶつかったし」
相変わらず愛想はない。
でも昼より少しだけ、冷たさが薄い気がした。
俺も急いでプリントを集める。
その途中。
「あ」
同時に同じ紙へ手を伸ばした。
指先が軽く触れる。
九条はぴくっと肩を揺らし、すぐに手を引っ込めた。
「……悪い」
「別に」
そう言いながら、彼女はなぜか少しだけ耳が赤かった。
……気のせいか?
全部拾い終える頃には、廊下に夕日が差し込んでいた。
九条は立ち上がる。
「じゃあ」
「あ、待って」
思わず呼び止めていた。
「昼の千円、返す」
財布を取り出す。
だが九条は首を横に振った。
「別にいい」
「いやよくないって。焼きそばパン何個分だよ」
すると彼女は少しだけ考えて。
「……じゃあ、今度ジュース奢って」
「え?」
「それでチャラ」
そう言った。
初めてだった。
彼女が少しだけ笑ったのは。
ほんの一瞬。
でも、その笑顔は反則みたいに破壊力があって。
俺は完全に固まった。
「なに」
「いや……」
心臓がうるさい。
まずい。
これは。
かなりまずい。
「名前」
「え?」
「まだ聞いてない」
九条が言う。
俺は慌てて答えた。
「朝倉。朝倉悠真」
「ふーん」
「そっちは九条、だよな?」
「九条紗奈」
夕日が彼女の横顔を赤く染める。
その瞬間。
なぜか思った。
――たぶん俺、高校生活めちゃくちゃになる。
そんな予感がした。
そして大体こういう予感は、当たるのだ。
たいてい最悪な方向に。
でもこの時の俺は、まだ知らなかった。
九条紗奈が、学校中の男子から「氷の女王」と呼ばれていることも。
彼女が恋愛を、ものすごく嫌っていることも。
そして。
そんな彼女を、俺が本気で好きになることも。
まだ、知らなかった。




