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第6話 爆走義兄弟(仮)!? ヨンクラは思い通りに走らない

 店長からメッセージが来た。


『本日の勤務は地下B5。動きやすい服装で来ること』


 それだけだった。


 それだけだったので、私はスマホの画面を三回見直した。見直したところで文字が増えるわけではない。増えたらそれはそれで怖いが、増えてほしかった。せめて理由くらい。


「……説明をください」


 画面に向かって呟いてみたが、返事は来なかった。

 この時点で嫌な予感しかしない。


 動きやすい服装。地下B5。店長からの一方的な連絡。

 この三つが揃って、平和な一日が始まるわけがない。いや、そもそも世界征服玩具店で平和な一日が始まったことがあっただろうか。


 ない。断言できる。


 私は制服ではなく、少しラフな服に着替えて自転車を走らせた。商店街のアーケードはいつも通りで、閉まっている店と開いている店が半々くらい。シャッターの隙間から掃除の音が聞こえ、どこかの店先では水を撒く音がしている。


 その中で世界征服玩具店の看板だけが今日も異様に目立っていた。


 店の入口には、シータとデルタが立っていた。

 ピンクブラウンとブルーブラウンの巨大なクマが、左右対称にどんと構えている。もう見慣れた。見慣れたはずなのに、朝から見るとやっぱり圧がある。


「おはようございます」


「おはよ〜、ユズちゃん」


 シータがゆるく手を振る。巨大な腕が動くだけで、店先の空気までふわっと揺れた気がした。


「嬢ちゃん、今日は地下だ」


 デルタが顎で店内を示す。


「知ってます。店長から説明不足のメッセージが来ました」


「いつものことだな」


「いつものことで済ませないでくださいよ」


 私はため息をつきながら店に入った。

 店内はまだ開店前で、棚はきれいに整っている。ラヴェンナの棚も、θδシリーズの棚も、昨日と同じように並んでいた。違うのは、レジ横にやけに大きなポップが立っていることだ。


『本日イベント開催!

 第一回 世界征服ヨンクラ決戦杯!!

 招待状を持つ挑戦者は、いつものゲートへ集結せよ!』


「名前が長い」


 思わず声に出た。


「ガンちゃんが徹夜で考えたんだよ〜」


「寝かせてくださいよ、本当に」


 ポップの横には小さな車のプラモデルがいくつか並んでいる。四輪駆動の車体。小さなタイヤ。低い車高。細かいパーツ。


「……ヨンクラ?」


「四輪駆動プラモ、略してヨンクラだ」


 デルタが説明する。


「これはうちのオリジナルじゃない。昔からある、シンプルな玩具だな」


「店長がシンプルで満足できるんですか?」


「ただ走らせるだけなら満足しないだろうな。だが突き詰めると、かなり深い」


「なるほど」


 私は一台を手に取った。


 軽い。けれど、頼りないわけじゃない。小さな車体の中に、必要なものがぎゅっと詰まっている感じがした。


「店長ってこういう既存の玩具もちゃんと認めるんですね」


「認めてるぞ。ヨーヨーと同じだ」


「ああ……」


 思い出す。


 シームレスヨーヨーとかいう、糸のない完璧すぎるヨーヨー。あれは博士の技術力を見せつけるには十分だったが、隼くんに「俺、いらないじゃん」と言われて撃沈した。


 あれ以来、博士は既存の玩具に対して少しだけ慎重になった。

 あくまで少しだけ。


「ヨンクラ本体には手を入れないってさ」


「おお、成長してる」


「追加パーツは作ったけどな」


「……怪しくなってきましたね」


 デルタは何も言わず、地下へのエレベーターを指差した。

 ですよね、という顔をしたつもりはない。けれどデルタには伝わったらしく、ブルーブラウンのクマは小さく肩をすくめた。


---


 B5の扉が開いた瞬間、歓声が聞こえた。


 決戦闘技場。


 商店街の下にある、意味の分からない規模の地下コロッセオである。何度見てもやっぱり広い。上の店が普通の玩具店に見える分、地下にこれがある事実が余計に脳を混乱させる。


 今日の中央フロアには、巨大なコースが組まれていた。


 直線。カーブ。坂。立体交差。ジャンプ台。分岐。透明なガードレール。


 光るラインが床に走り、コース全体を縁取っている。玩具のためのコースと言うには大きすぎるし、人間用の競技場と言うには主役が小さすぎる。


 観客席には小中学生たちが集まっていて、すでにわいわい騒いでいた。

 いや、よく見ると大人も混じっている。珍しい。

 大人たちの瞳は、子供たちに勝るとも劣らないほど輝いている。


「いや、本格的……」


 思わず呟いた。

 その瞬間、スポットライトが中央に落ちた。


「よく来たな、同志諸君!!」


 博士がいた。


 見慣れた白衣。

 しかし、いつもの鼻の頭まで下がった眼鏡ではなく、今日はなぜかゴーグルをつけている。地下の闘技場で、巨大なヨンクラコースの真ん中に立ち、白衣を翻し、ゴーグルを光らせている。


 情報量が多い。


「本日は記念すべき第一回、世界征服ヨンクラ決戦杯である!!」


 観客席の子供たちは「かっけー!」と盛り上がっている。

 この空間では、私の方が少数派なのかもしれない。いや、そんな空間は間違っている。


 博士の横にはシータが立っていて、受付兼進行係のようにマイクを持っている。デルタはコース脇で腕を組み、安全確認をしていた。


「ガンちゃん、説明してあげて〜」


「うむ」


 博士は胸を張った。


「ヨンクラは、四輪駆動プラモデルとして極めて完成度が高い玩具だ。小型の車体に動力、駆動、空力、重心、コース設計までが絡む。単純に見えて奥が深い。改造の幅も広く、走らせる者の思想が反映される」


「……まともな説明」


「既存玩具としては、私も敬意を払っている」


 博士が真面目な顔で言う。


「だから私は、ヨンクラ本体には余計な手を加えない」


「本当に成長してる……」


「だが!」


 博士は懐から小さなチップを取り出した。

 こういう時の「だが」は、だいたい悪い方へ曲がる。


「追加パーツは別だ!!」


 小さな基板のようなものだった。透明なケースに入っていて、中央に小さなマイクらしき部品がついている。


「音声認識拡張チップ――名付けて、ボイス・オブ・コンケスト!!」


「小学生向け商品に“征服の声”を入れないでください!!」


 博士は無視した。

 こういう時だけ聞こえない耳をしている。


「これを搭載すれば、ヨンクラは音声コマンドに反応する。『走れ』で走り、『止まれ』で止まり、『曲がれ』で軌道補正し、『ジャンプ』で跳ぶ」


「最後おかしくないですか?」


「さらに『アタック』で進路妨害、『全速前進』で出力上昇、『制圧せよ』で――」


「制圧せよ、いりませんよね!!」


 博士の説明に、観客席から歓声が上がる。


「制圧せよ言いたい!」


「絶対かっこいい!」


「やりたい!」


 男子小学生と博士の親和性が高すぎる。

 頭が痛い。


 その時、フロアの入口から元気な声が飛んできた。


「ガングー! ヨンクラって今日だよな!!」


 橘隼(たちばなしゅん)くんだった。


 小学四年生。妹の想楽(そら)と同級生で、この店の常連。元気。ヨーヨーで博士を黙らせた実績がある。

 今日も元気すぎるくらい元気だった。


「お、ユズもいる!」


「私はバイトだからね」


「じゃあ今日もツッコミ担当?」


「担当じゃないよ。仕事の説明が雑なだけ」


 隼くんが笑いながら近づいてくる。


 この店に通い慣れている子たち相手だと、私もだいぶ口調が砕ける。店員としてどうなのかは分からないが、博士よりはまともなはずだ。たぶん。


 すると、隼くんの後ろからもう一人、黒いパーカーの少年が姿を見せた。


 白山景娯(しらやまけいご)

 私の弟である。


「……なんでいるの」


「大会って聞いた」


「誰から」


「シータ」


 シータが「えへへ〜」と笑っている。

 この店、店員への情報共有がなさすぎる。


 景娯はいつも通り、黒い服に少しだけ眠そうな顔をしていた。ただ、目はしっかりコースを見ている。こういう時の弟は、家にいる時と少し違う。静かだけど、ちゃんと火が入っている。


 隼くんが景娯を見て、ぱっと顔を明るくした。


「あれ、景娯じゃん!」


「……橘」


「景娯も来たんだ!」


「まあ」


 景娯の返事は短い。けれど、完全に嫌そうというわけでもなかった。

 二人ともここの常連らしいし、私の知らないところで前から顔見知りだったのだろう。

 景娯はコースを一度見てから私に視線を戻した。


「姉さんは今日、何するの?」


「実は私の方が聞きたいんだけど」


 その一言に、隼くんがぴたりと止まった。


「え? ユズって景娯の姉ちゃんなの!?」


「そうだよ」


「じゃあ想楽(そら)のお姉ちゃんでもあるじゃん!」


 なんとなく嫌な予感がした。

 隼くんは満面の笑みで言った。


「じゃあ、お義姉さんだ!」


 なぜだろう。

 声から聞き捨てならない漢字が見える気がする。


「違うよ」


「違う」


 私と景娯の声が完全に重なった。

 ちょっと嬉しい。


「でも想楽(そら)のお姉ちゃんだろ?」


「それはそうだけど、その先の飛躍がすごいよね?」


「未来の?」


「未来を勝手に予約しないでね」


 景娯が隼くんをじっと見た。


「橘、その呼び方やめろ」


「なんで?」


想楽(そら)を巻き込むな」


 弟の保護者モードが出ている。

 良い。

 思わず頬が緩みかけたが、景娯に睨まれたので引き締めた。


---


 ちなみに今日の私の仕事は、参加者の受付と、パーツ配布と、レース中の記録係らしい。

 らしい、というのは、さっきシータから笑顔で説明されたばかりだからだ。


「ユズちゃん、これお願いね〜」


 そう言って渡されたのは、参加者名簿と、謎の補助端末だった。画面にはチーム名、機体名、走行タイム、音声認識エラー回数などが表示されている。


 店員の仕事というより、実験助手の仕事である。

 まあ、この店ではその二つの境界線が最初から壊れている。


 今回の大会は、ペア戦だ。


 二人一組で一台のヨンクラを組み、音声認識チップを搭載して走らせる。博士曰く、複数人の音声指示が玩具に与える影響を検証するため、らしい。


「それ、命令が混ざりません?」


「だから検証するのだ」


「検証する前に分かる失敗ってありますよね?」


 博士は聞いていなかった。

 いつものことだが、いつものことで済ませてはいけない気もする。


 そして、隼くんと景娯は同じペアにされた。


「直感と理論。相反する二つの力が合わされば、最強の機体が生まれる!」


「言い方はかっこいいですけど、絶対揉めますよ」


「大丈夫だ! 若者同士、すぐに分かり合う!」


「分かり合う前にぶつかると思いますけど」


 組み立て開始から五分後。


「軽くしようぜ! 軽い方が速い!」


「軽すぎると安定しない。コーナーで飛ぶ」


「飛んだらかっこいいだろ!」


「飛んだ時点で接地していない。駆動力が死ぬ」


「予想通りすぎた……」


 私は横でパーツを仕分けながら呟いた。


 隼くんは赤い外装パーツを手に取り、目を輝かせている。


「これつけようぜ! 真っ赤な炎みたいなやつ!」


「空気抵抗が増える」


「かっこいいだろ!」


「性能に関係ない」


「かっこよさは性能だろ!」


 隼くんの主張はまっすぐだった。まっすぐすぎて、景娯には刺さらない。


「違う」


 弟と小学四年生の会話に挟まれて、私はすでに疲れ始めていた。


 景娯は黒い外装パーツを選ぶと、左手を顔の前にかざした。


「機体名は、黒影四式」


「急に出たね」


「……別に、名前は性能に影響しない」


「影響しない人は“四式”って付けないと思うよ」


 隼くんがぱっと顔を上げる。


「黒影四式、かっけー!」


「刺さった!?」


 景娯は少しだけ得意げな顔をした。

 ほんの少しだけ。本当に一瞬。

 でも姉には分かる。

 景娯、今ちょっと嬉しかったな。


 博士が横から割って入った。


「ならば赤と黒を合わせて、黒炎竜四式でどうだ!」


「勝手に足さないでください」


「かっけー!!」


 隼くんは素直に食いついた。

 景娯も少し考えてから、低く呟く。


「悪くない」


「男子全員そっち側!?」


 結局、少しだけ削って、機体名は《黒炎四式》になった。


 嫌だ。

 弟の厨二センスと博士の命名センスが共鳴している。


 私は静かに頭を抱えた。


---


 試走は、意外にも成功した。


「走れ!」


 隼くんの声に反応して、黒炎四式がコースを走り出す。

 小さな車体が直線を滑るように進む。モーター音が軽く響いた。


「次、右カーブ。減速」


 景娯が静かに言う。


「ブレーキ!」


 隼くんが続ける。


 黒炎四式は速度を落とし、綺麗にカーブを曲がった。


「……おお」


 素直に声が漏れた。

 普通にかっこいい。

 博士が満足げに腕を組んでいる。


「見たか白山くん! これが直感と理論の融合だ!」


「まだ何も起きてない時だけは、凄いんですよね。この店」


「褒め言葉として受け取ろう」


「嫌味のつもりなんですけどね」


 次は小さなジャンプ台だった。

 隼くんの目が輝く。


「ジャンプ!」


「低速で」


 景娯が即座に言う。


「全速で!」


「低速」


「全速!」


 隼くんは譲らない。

 景娯も譲らない。


「低速」


「もう揉めてる」


 今回は景娯の判断が通った。黒炎四式は速度を落としてジャンプ台に入り、小さく跳ねて、無事に着地する。


「うわー、もっと飛べたのに!」


「飛ばない方が速い」


「でも飛んだ方が楽しい!」


「勝つ気あるのか」


「あるから飛ぶんだろ!」


 会話が平行線のまま、ヨンクラだけが素直に走っている。


 私は記録を取りながら、ため息をついた。


---


 第一レースが始まった。


 他の子供たちのヨンクラも、それぞれ個性があった。

 黄色い派手な車体。

 青くて低い車体。

 装飾だらけで明らかに重そうな車体。

 どの子も、自分のマシンを見る目が真剣だった。


 こういうの、ちょっと良い。

 自分で作ったものを走らせる。

 勝つか負けるかだけじゃなくて、自分の考えが形になる感じ。ヨーヨーとも、レールクラフトとも違う。でも、どこか同じだ。


 スタート音が鳴る。


「走れ!」


 隼くんの声で、黒炎四式が走り出す。


 序盤は悪くなかった。


 隼くんが加速のタイミングを見て、景娯がカーブ前に速度を落とす。二人の指示が重なるたびに、ヨンクラが小さく反応する。


「いける! これ勝てる!」


「まだ中盤。次の立体レーンが問題だ」


 景娯は冷静だ。

 しかし、隼くんは熱くなる。


「突っ切れ!」


「減速」


 二人の声が同時に入った。

 黒炎四式がガクンと揺れる。


『突撃、減速を認識。突撃しながら減速します』


「器用に矛盾してる!!」


 車体が前後に小刻みに震えながら、立体レーンに入った。


「なんか怒ってる!?」


 隼くんがコース脇で身を乗り出す。

 景娯は眉を寄せた。


「命令が矛盾してるだけだ」


「私でも怒るな、そんな命令」


 観客席から笑いが起きる。


 黒炎四式はなんとかコースアウトせずに進んだが、順位は落ちた。

 ゴールした時には、真ん中くらいの順位だった。


「景娯が止めるからスピード出ないんだよ!」


「隼が叫びすぎるから命令が混線した」


「声出した方が楽しいじゃん!」


「声量で勝敗は決まらない」


 二人の言い分はまるで噛み合わない。

 すると隼くんが、なぜか私を指差した。


「でもユズはツッコミ大声だぞ!」


「私は競技基準じゃないからね?」


 景娯がぼそりと言う。


「姉さんは例外」


「弟から例外扱いされた」


 隼くんが、今度は胸を張った。


「お義姉さんは声で場を制圧してる!」


「制圧してないし、義を付けないでね」


 博士が顎に手を当てた。


「白山くんには司令官適性があるな」


「ないです」


「ツッコミで全体を統制している」


「私は統制してません。ちょっと声が大きいだけです」


「それを統制というのでは?」


「いいませんよ!」


 デルタがコース脇で小さく笑っていた。

 腹立つ。


 博士は、二人の対立を見て楽しそうだった。


「ふむ。命令権の優先順位をつけるべきだな」


「それは必要」


 景娯が即答する。


「じゃあ俺を一番にして!」


「却下」


「なんで!」


「声が大きい」


 理由がシンプルだった。


 私は思わず納得しかけた時、博士がさらに何かの端末を操作する。


「では、チーム士気向上モードを解放する!」


「何ですかそれ」


「命令者のテンションが高いほど、出力に補正がかかる」


「機械に精神論を積まないでください」


「遊びには熱量が必要だ!」


「熱量をそのままモーターに入れないでください!」


 隼くんは大喜びだった。


「それ俺向きじゃん!」


「非合理的だ」


 景娯は嫌そうな顔をする。

 けれど隼くんは、嫌そうな顔などまったく気にしていない。


「でも楽しそう!」


「勝てなきゃつまらない」


 本当に、この二人は遊び方が違う。


 第二レース。

 隼くんは、さらに声を張り上げた。


「走れ! 行け! 突っ込め! 飛べ! 勝て!」


 黒炎四式が反応する。


『走行、突撃、跳躍、勝利を認識』


「勝利って命令で実行できるんですか!?」


 博士が胸を張った。


「勝利への意志を高める」


「機械に根性論を喋らせないでくださいよ」


 景娯が冷静に修正を入れる。


「減速。右。ブレーキ」


『ブレーキ、を認識。武礼気モード起動』


「武礼気モードって何!?」


 黒炎四式から、やけに渋い合成音声が流れた。


『礼に始まり、礼に終わる』


「いらない機能すぎる!!」


 観客席が笑いに包まれる。

 隼くんも笑っている。

 景娯だけが真顔だった。


「不要な機能が多すぎる」


「遊び心だ」


 黒炎四式は礼儀正しく走りながら、また順位を落とした。


 レース後、隼くんと景娯はまた言い合っていた。


「勝てないじゃん!」


「だから命令を整理しろって言ってる」


「でも楽しくなきゃ意味ないだろ!」


「勝てない遊びは、面白くない」


 景娯の声が、少しだけ低くなった。

 隼くんも、少しだけ真面目な顔になる。


「楽しくない勝ち方も、面白くないだろ」


 その場が、少しだけ静かになった。


 どちらも間違っていなかった。


 隼くんは、走ることそのものを楽しみたい。派手に飛んで、声を出して、失敗しても笑いたい。


 景娯は、考えて勝ちたい。読み通りに動かして、無駄を減らして、最後に勝つのが楽しい。


 どちらかが正しくて、どちらかが間違っているわけではない。


 だから難しい。

 私は腕を組み悩んでいると博士が咳払いをした。


「では最終コースに移行する」


「切り替え早いですね」


「揉め事はコース上で解決するのが一番だ」


「そんな少年漫画みたいな」


 中央コースが光った。


 床のホログラムが走り、コースの一部が動く。直線が長くなり、連続カーブが組み替わり、最後に一つだけ大きめのジャンプ台が現れた。


「速度、制御、判断、そしてロマン。全てを試すコースだ」


「火に油注いでません?」


 景娯はコースをじっと見た。


「ジャンプは使わない。安定を取る」


 隼くんがすぐに反論する。


「使おうぜ! 一回だけなら絶対盛り上がる!」


「リスクが高い」


「でも、決まったら絶対かっこいいだろ!」


「失敗したら終わる」


「だから成功させるんだよ!」


 景娯は黙った。

 迷っている。


 景娯はいつも冷静だ。勝つために無駄を減らしたがる。

 けれど、ロマンが嫌いなわけじゃない。

 むしろ、そういうものに弱い。

 だから今、本気で迷っている。


 博士が横から言った。


「勝負とは、時に危険な選択を必要とする」


「博士が言うと事故の前振りにしか聞こえませんよ」


---


 最終レース。


 隼くんと景娯は、ようやく作戦会議をした。


「俺は『走れ』と『加速』だけ言う」


「僕は減速と方向を言う」


「ジャンプは?」


「一回だけ」


「誰が言う?」


 隼くんが身を乗り出す。

 景娯は少し考えてから答えた。


「直前で決める」


「じゃあ俺がタイミング見る!」


「……分かった」


 ちゃんと会議している。

 ちょっと感心した。


 男子って、噛み合うと急にかっこよくなる時がある。


「見てて、お義姉さん!」


「義はダメ!」


「本当にやめろ」


 直後に全部台無しになった。


 スタート音。


「走れ!」


 黒炎四式が飛び出した。


 直線を一気に加速する。隼くんの声はやっぱり大きい。でも、今回は命令が絞られている。


「減速。右」


 景娯の声が通る。

 黒炎四式はカーブ手前で速度を落とし、きれいに曲がる。


「加速!」


「左。ブレーキ」


 噛み合っている。

 観客席が湧いた。


「見ろ! これが制御された熱量だ!」


「珍しくまともな表現」


 博士が興奮している。

 私も少しだけ手に汗を握った。

 そして観客席の声が大きくなっていく。


「行けー!」


「飛べー!」


「止まるなー!」


「突っ込めー!」


 その瞬間、黒炎四式が不自然に揺れた。


『行け、飛べ、止まるな、を認識』


「観客まで命令権持ってるんですか!?」


 博士の顔が固まる。


「観客音声除外フィルターを……入れ忘れた」


「そこ一番大事では!?」


 黒炎四式が加速した。

 次のカーブに対して速すぎる。このままではコース外に飛び出す。


 デルタが一歩前に出る。


「止めるか」


 博士が手を上げた。


「待て。今回は彼らの遊びだ」


 景娯が即座に言う。


「命令権を固定しないと無理だ」


 隼くんが叫ぶ。


「じゃあ俺が叫ぶ!」


「それだけじゃ駄目だ」


「じゃあどうすんだよ!」


 景娯は一瞬だけ考えた。

 そして、隼くんを見る。


「命令は僕が出す」


「え、俺は?」


「お前は先を見ろ」


「先?」


 景娯はコースから目を離さずに続けた。


「次のカーブ。ジャンプ台。危ない場所。僕が見るより、お前の方が早く気づく」


 隼くんが黙った。


 命令権を取り上げられたのに、怒らなかった。

 それどころか、少しだけ目が輝いた。


「……つまり、俺が道を見る係ってことか?」


「そう」


「分かった!」


 隼くんが走り出す。


 コース脇を、黒炎四式と並ぶように。隼くんの足は速い。先日のバドミントンを思い出す。あの時もこの子は端から端まで迷いなく走っていた。


「博士、命令権を絞れますか!?」


「できる!」


「今すぐ!」


「白山くん、補助端末を!」


「どれですか!?」


「赤いボタンだ!」


「赤いボタン多すぎます!!」


 端末には赤いボタンが五つあった。

 どうして全部赤なのか。

 この店の安全設計は、赤信号を五個並べれば安全になると思っているのだろうか。


「一番左!」


「これ!?」


「それは緊急爆煙演出だ!」


「絶対押しちゃダメなやつじゃないですか!!」


「左から二番目!」


「最初からそう言ってください!!」


 私はボタンを押した。


『音声入力、限定』


 黒炎四式の揺れが少し収まると同時に景娯が短く言う。


「減速」


 車体が落ち着き、隼くんが叫んだ。


「右に飛んじゃう!」


「左。ブレーキ」


 黒炎四式がギリギリでコースに戻った。

 観客席がわっと沸く。


「戻った!」


 隼くんの声が弾む。

 景娯は目を離さない。


「まだ終わってない」


「分かってる!」


 隼くんがコース脇を走りながら、次のカーブを指差した。


「そこ、外に膨らむ!」


「減速。右」


 黒炎四式がガードレールぎりぎりで踏みとどまる。


 噛み合っている。

 さっきまであんなにバラバラだった二人の声と動きが、今はちゃんと繋がっていた。


 いいじゃん。

 そう思ってから、少しだけ悔しくなった。

 たぶん、羨ましかったのだと思う。

 何が羨ましいのかまでは、うまく言えないけれど。


 最後のジャンプ台が近づく。

 安定ルートを取れば、順位はそのまま。ジャンプを使えば、前のマシンに追いつけるかもしれない。


 隼くんが言った。


「景娯、飛ぼう」


「失敗したら終わる」


「でも成功したら追いつける」


 景娯は返事をしない。

 隼くんは、まっすぐコースを見ていた。


「俺が見る。景娯が飛ばして」


 景娯が少しだけ目を見開く。


「……本当にやるのか」


「やる。今度はちゃんと見る」


 隼くんはコースから目を離さなかった。


「景娯は命令して。俺が今って言う」


 景娯は一瞬だけ黙り、それから小さく頷いた。


「分かった」


 黒炎四式がジャンプ台へ向かう。

 隼くんが目を見開いて、タイミングを測る。


「今!」


 景娯の目が、わずかに細くなった。

 熱を押し殺すように、短く指令を出す。


「ジャンプ」


 黒炎四式が跳んだ。


 高すぎず、低すぎず。

 綺麗な軌道だった。

 車体が空中でわずかに傾き、コースの先へ落ちる。


 着地。


「行けっ!」


 思わず私が声を出していた。


 そして黒炎四式は最後の橋を抜け、ゴールラインを越えた。


 一位ではなかった。

 二位だった。


 でも、観客席は大きな拍手に包まれた。


「負けたー!!」


 隼くんが悔しそうに両手を上げる。

 景娯は息を吐いた。


「でも、完走した」


「しかもジャンプ決まった!」


「……あれは悪くなかった」


「だろ!?」


 隼くんが嬉しそうに笑う。

 景娯は黒炎四式を見ながら言った。


「次はもっと低く飛ぶ」


「次はもっと高く飛ぼうぜ!」


「噛み合ったようで噛み合ってない」


 私は思わず笑っていた。


---


 閉会後。


 黒炎四式は少しだけ傷がついていたけれど、それがむしろかっこよく見える。隼くんは「この傷、残そうぜ!」と言い、景娯は「性能に影響しないなら」と答えた。


 博士は音声認識チップを手に取り、真面目な顔をしていた。


「なるほど。何でも命令できることが、必ずしも面白さではないのか」


「今さらですか」


「命令は少ない方がいい」


 景娯が言う。


「多すぎると判断が散る」


「でもジャンプは欲しい!」


 隼くんもすぐに言う。

 景娯は少し考えた。


「レース中、一回だけなら」


「よし!」


 交渉成立である。

 男子の平和条約、単純。

 博士が頷く。


「制限があるから工夫が生まれる。ふむ、良いデータだ」


「データ扱いしないでください」


「商品版では、コマンドを三つに絞ろう」


「おお、珍しくまとも」


 博士は指を立てる。


「走れ、ジャンプ、制圧せよ」


「最後!!」


 景娯が即座に首を横に振る。


「制圧はいらない」


「一回だけなら?」


 隼くんが言った。


「交渉はしません」


 私が止めた。

 デルタが横でぼそっと言う。


「まあ、今回は特に被害は無かったな」


「“今回は”って言葉が重いんですよ」


「店は壊れてねぇし」


「基準が低い」


 シータがにこにこしながら、参加賞のお菓子を子供たちに配っていた。


「ユズちゃんもお疲れ〜」


「ありがとうございます」


「記録もツッコミもばっちりだったね〜」


「ツッコミを業務に含めないでください」


「えへへ〜」


 隼くんが袋を受け取りながら、満面の笑みでこちらを見る。


「お義姉さん、ナイス助手だった!」


「褒めてるのか呼び方で怒られたいのか、どっちかな?」


 そう言うと、隼くんは笑って逃げた。

 足が速い。


---


 帰り際。


 観客席の子供たちが、それぞれの入口から帰っていく。決戦闘技場は少しずつ静かになっていった。


 隼くんは黒炎四式をケースに入れ、景娯に向かって言った。


「次は勝負な、景娯!」


 景娯は少しだけ間を置いた。


「……受けて立ってやる」


 それから、そう返した。

 仲良いな、この二人。

 景娯に友達が増えたみたいで、少し嬉しい。


 いや、元から知り合いだったみたいだけど。こうして一緒に何かを作って、揉めて、走って、最後にまた勝負しようと言える相手がいるのは、たぶん良いことだ。


 隼くんが私に手を振る。


「じゃあね、お義姉さん!」


「違うよ」


「違う」


 また私と景娯の声が重なった。


「でも想楽のお姉ちゃんだろ?」


「そこから先は別問題だよ」


「じゃあ暫定お義姉さん?」


「制度を作らないでね」


 景娯が低い声で言う。


「次言ったら、次の勝負で潰す」


「弟よ、小学生相手に物騒な宣戦布告をしないで」


 隼くんは楽しそうに笑って、エレベーターの方へ走っていった。

 景娯はその背中を見て、少しだけ口元を緩める。


 私はそれを見逃さなかった。


「何」


「何も言ってないよ」


「顔がうるさい」


「顔がうるさいって何」


 景娯は肩をすくめて先に歩き出した。


「姉さん」


「ん?」


「想楽には、今日のこと言うなよ」


「お義姉さんって呼ばれたこと?」


「それも全部」


「終焉穿突と黒炎四式、どっちが恥ずかしい?」


「帰れ」


「帰りますよ!」


 その時、背後から博士の声がした。


「次回はタッグ戦専用ヨンクラを開発するか」


 私達は博士を振り返った。

 博士はすでに、次の悪巧みを思いついた顔をしている。


「二人の声が一致した時だけ必殺技が出る」


「かっけー!!」


 遠くから隼くんの声が返ってきた。

 景娯が少しだけ足を止める。


「……悪くない」


「また男子全員そっち側!!」


 博士が高らかに笑う。

 シータが「楽しそうだね〜」と手を振る。

 デルタが「ほどほどにしとけよ」と呟く。


 私はため息をついて、満足そうに笑う景娯を見た。

 速さだけでも、理屈だけでも、うまくいかない。


 今日のヨンクラは、ちゃんと命令を聞いて走っていた。


 けれど、誰の思い通りにも走らなかった。


 隼くんの思い通りに派手には飛ばず、景娯の思い通りに安全にも進まず、博士の思い通りに制圧もしない。


 それでも最後には、少しだけ二人の間を走っていた気がする。


 思い通りじゃないから、面白い。

 たぶん、遊びってそういうものなのだ。

 まあ、悪くない。


 ただし。


 次から赤いボタンは減らしてもらおう。

 それだけは、今日の教訓にした。

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