表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/9

第3話 ヨーヨーは完璧すぎる

長くなってしまいました……

 ヨーヨーにジェットエンジンを付けてはいけない。


 そんな当たり前のことを、私はこの日、世界征服玩具店で学んだ。


 世の中には、わざわざ経験しなくても分かることがある。熱したフライパンを素手で触ってはいけないとか、炭酸飲料を振ってから開けてはいけないとか、宿題を夏休み最終日に全部残すと人間の尊厳が少し削れるとか。


 ヨーヨーにジェットエンジンを付けてはいけない、も本来ならその仲間に入るはずだった。


 けれど、うちの店長――黒川玩具という男は、そういう常識の看板を見ると、なぜか助走をつけて飛び越える。

 しかも、飛び越えた先で振り返ってこう言うのだ。


「これが進化だ!」


 違う。それはだいたい事故の入口である。


 ところで世界征服玩具店では、入口に立っているシータとデルタは、なるべく動かないことになっている。


 理由は単純。ご新規のお客さん、とくに親御さんが腰を抜かすからだ。


 子供は喜ぶ。親は叫ぶ。商店街の人は「また黒川くんとこか」と納得する。そして博士は「良い宣伝では?」と言う。

 よって、二体は基本的に“巨大な看板ぬいぐるみ”として振る舞う。


 しかし、子供に危険が迫れば話は別だ。


 何が言いたいかというと、つまりそういうことだ。


 この店で事故が起きた時、子供は守られる。

 そして最初に被害を受けるのは、だいたい私である。



---



「よし……」


 私は棚の前で、値札の位置をそろえた。

 ラヴェンナシリーズの棚。淡い色のドールと衣装セットが並ぶ、店内でも比較的まともで平和な一角だ。比較的、という言葉をつけなければいけない時点で何かがおかしいけれど、今は考えないことにしている。


 新作の衣装セットも入荷した。

 クリーム色のワンピース、小さなバッグ、靴、帽子。全体的に柔らかい色で、春っぽい。


 可愛い。普通に可愛い。

 うちの妹が見たら、たぶん目を丸くして、それから両手で抱えて、最後に「かわいい」と呟くやつだ。


 あの子は可愛いものを見る時、声より先に顔が動く。私はその顔がけっこう好きなのだ。

 だから少しだけ、口元が緩む。


「白山くん」


「はいっ」


 背後から声がして、私は慌てて振り返った。

 店長がいた。

 いつもの白衣。いつものボサボサ頭。いつもの鼻の頭まで下がった眼鏡。


 そして、手には透明ケース。

 その時点で、私の中の警報が鳴った。


 この店で店長が透明ケースを持っている時は、だいたい危ない。男子小学生が珍しい虫を捕まえた時みたいな顔で、さらっと危険物を見せてくる。


「……今度は何ですか」


「よくぞ聞いてくれた! 本日の試作品だ」


「聞かなければよかった……」


 店長は透明ケースをカウンターに置いた。

 中には、ヨーヨーが入っていた。

 いや、ヨーヨーのようなものが入っていた。

 中央から、何かが生えている。


 筒だ。銀色の筒。


 バイクのマフラーみたいなものが、ヨーヨーの横腹からにゅっと伸びていた。


「……店長」


「何だね」


「ヨーヨーから生えていい部品じゃない気がします」


「常識に囚われるな」


「その言葉、危険物を持ってる人が使うと一気に怖いんですよ」


 店長は胸を張り、絵に描いたようなドヤ顔をして言う。


「推進力特化型ジェットヨーヨーだ」


「ヨーヨーに推進力を特化させないでください!」


「回転と推進。この二つが融合した時、ヨーヨーは新たな次元へ到達する」


「到達しなくていい次元ってあるんですよ」


 その時、入口のドアベルが鳴った。

 カラン、ではない。カランッ! だった。

 勢いが音に乗っている。


「ガングー! 新しいヨーヨーを作ったって?」


 ランドセルを背負った男の子が、店に飛び込んできた。


 橘隼くん。


 この子は世界征服玩具店の常連の男の子だ。

 小学四年生。妹と同じだ。

 放課後の体力を全部この店に置いて帰るタイプである。

 今日も元気が服を着てランドセルを背負っていた。


「来たな、隼」


 店長が待っていたように振り返る。

 隼くんは私を見ると、ぱっと手を上げた。


「ユズもいるじゃん!」


「バイトだからね」


「今日も大変そうだな!」


「来て三十秒で分かるレベルか」


「ガングーが透明の箱持ってるし」


「さすが常連の観察眼が鋭い」


 隼くんはランドセルを下ろすと、カウンターの上のケースを覗き込んだ。目が一瞬で輝く。


「うわ、何これ! ヨーヨーに銀の筒ついてる!」


「かっこいいだろう」


「かっけー!」


「乗っちゃダメだよ、隼くん」


 私は思わず止めた。

 隼くんはこういうところが危ない。博士の変な発明に対して、まずワクワクが勝つ。小学生男子のロマン回路と博士の暴走回路は、たぶん同じ規格で作られている。


 店長は満足そうに頷く。


「試作段階だが、モニターを頼みたい」


「モニターなら私の役割だったのでは?」


 反射的に言ってしまった。

 この短い勤務期間で、私はいろいろな試作品に巻き込まれてきた。暴走するドール。ホログラム。地下施設。その他、思い返すと胃が少し重くなるあれこれ。

 モニターという言葉には、もはや若干の被害者意識がある。


「適材適所だ」


 店長はさらっと言った。


「ヨーヨーなら隼だ。約束もしていたしな」


「適材適所ができるなら、今までの私への扱いは何だったんですか」


「助手としての適性を見ていた」


「便利な言葉で雑にまとめないでください」


 隼くんは自分の胸を叩いた。


「任せろ! ヨーヨーなら俺だ!」


「その自信はかっこいいけど、まず安全確認してからにしようね」


「ユズ、心配性だな」


「この店にいると誰でもそうなるよ」


 店長がケースを開ける。

 ジェットヨーヨーを手に取った瞬間、低い機械音がした。

 ぶん、と空気が震える。


「……今、何か鳴りましたよね」


「予備回転だ」


「ヨーヨーから聞こえていい単語じゃないです」


 店長は糸を指にかけ、軽く構えた。


「まずはデモンストレーションだ」


「店内で?」


「問題ない」


「問題がある人ほど問題ないって言うんですよ」


 私はさっき整えたラヴェンナ棚をちらりと見た。

 嫌な予感がする。とてもする。

 こういう時の予感は、だいたい当たる。この店で働いてから、私は自分の危険察知能力に少し自信を持ち始めていた。悲しい成長だ。


「行くぞ」


 店長が手首を振ると、ヨーヨーが落ち糸が伸びる。

 その瞬間、中央のマフラーのような筒から、白い煙が噴き出した。


「煙!?」


「推進剤だ!」


 ジェットヨーヨーは、床の少し上で回転した。

 次の瞬間、横へ吹っ飛び糸が切れた。

 糸が切れた時点で、ヨーヨーとしての最後の良心も一緒に飛んでいった。

 戻ってこない。戻って来れるわけがない。

 そしてただ一直線に、ラヴェンナの棚へ向かった。


「そっちは駄目ぇぇぇぇぇ!!」


 私の叫びは間に合わなかった。

 ジェットヨーヨーが棚の横板に直撃する。


 ばごん、という玩具店では聞きたくない音がした。

 棚が揺れ、ラヴェンナの箱が一つ落ちる。

 次に衣装セットが。そして、さっき私が十五分かけて整えた棚全体が、ゆっくりと傾いた。


「待って待って待って!」


 私は反射的に支えようとした。

 だが、棚というものは女子高生一人の願いだけで止まってはくれない。がしゃん、と派手な音を立てて、陳列が崩れた。


 箱。値札。衣装セット。ラヴェンナ。

 全部が床に散った。


「…………」


 店内にいた親子連れが、何事かとこちらを見る。

 入口のシータとデルタは動かない。

 動かないが、絶対に見ている。

 私はゆっくり店長を見た。


「私が」


 声が低くなった。


「来て早々」


 隼くんが一歩下がる。


「整えた棚!」


 店長はジェットヨーヨーを拾い上げ、真面目な顔で観察していた。


「ふむ。ここまで破壊力があるとは。これはボツだな」


「ちゃんと検証してから店に持ってきてください!!!!」


 腹の底から叫んだ。

 親子連れのお母さんが、そっと子供の手を引いて別の棚へ移動していく。申し訳ない。本当に申し訳ない。この店、普段からこうではないです。いや、普段からまあまあこうかもしれない。

 隼くんは目を輝かせていた。


「すげー! ヨーヨーで棚倒れた!」


「そこに感動しないでいいから」


「でもかっこよかった!」


「かっこよさで店の備品は直らないんだよ」


 店長は咳払いをした。


「安心したまえ、白山くん。試作一号はボツだ」


「店でのデモンストレーション前に没にしてくださいよ」


「では次だ」


「まだあるんですか!?」


 店長は白衣の内側から、別の透明ケースを出した。

 出てくる。出てくるな。もういい!

 博士の白衣は、収納力だけ異常に高い。たぶん普通のポケットではない。四次元とまでは言わないが、少なくとも衣類としての常識は超えている。


 次のケースには、黒くて重そうなヨーヨーが入っていた。

 見た目はまともだ。

 いや、この店で「見た目はまとも」は信用してはいけない。


「グラビティヨーヨーだ」


「今度は重力ですか」


「重量可変型である」


 店長はケースを開けた。

 中のヨーヨーを持ち上げようとして、少しだけ手首が沈む。

 今、沈んだ。見逃さなかった。


「これ、重いんですか?」


「最大重量十五キロまで変化する」


「ヨーヨーの重さじゃないですよね?」


「重いほど回転は安定する」


「子供の手首を破壊する気ですか?」


 隼くんが手を伸ばしかける。


「ちょっと持ってみたい!」


「待って」


 私はその手を止めた。

 小学生の好奇心は大切だ。大切だが、十五キロのヨーヨーを持たせるのは違う。

 入口の方から、低い声がした。


「やめとけ、シュン。手首が負ける」


 デルタだった。

 動いてはいない。

 入口の巨大ぬいぐるみの姿勢のまま、口も動かしていないように見える。けれど、声だけが低く届いた。

 隼くんは慣れているので驚かない。

 私は親子連れの方を確認した。幸い、少し離れた棚を見ている。今の声は聞こえなかったらしい。


「デルタが止めるレベルですよ、店長」


「ふむ。子供向けには十キロまでに抑えるか」


「ゼロから見直してください」


 店長はグラビティヨーヨーを床に置いた。

 どすん、と音がした。

 ヨーヨーが床に置かれて、どすん。

 バトル漫画の修行着かな?


「床、へこみません?」


「この店の床は強化してある」


「そういう問題ではないです」


 隼くんは少し残念そうに頬を膨らませた。


「でもさ、重いやつで技できたらすごくない?」


「すごいけど、たぶん腕が先に終わるよ」


「腕を鍛えればいける!」


「ヨーヨーのためにする事じゃないよ……」


 店長が頷いた。


「筋力補助アームとセットなら」


「追加発明しないでください」


 グラビティヨーヨーも、当然ボツになった。

 少なくとも私はそう決めた。正式な決定権が私にあるのかは分からないが、床にどすんと鳴るヨーヨーを子供向け商品にしてはいけないことくらい、バイトでも分かる。


 なぜ私は玩具店のバイトでこんな目に遭っているのだろう。

 推し活資金のため。妹と弟にちょっといいおもちゃを買うため。

 それは分かっている。

 分かっているけれど、今日の時給は危険手当込みにしてほしい。


 店長は、これまでの二つの試作品をカウンターの上に並べた。


 ジェットヨーヨー。

 グラビティヨーヨー。


 どれも、普通の玩具店なら会議室の段階で止まるやつだ。


 でも、隼くんは楽しそうだった。

 危ない。おかしい。めちゃくちゃ。

 それでも、自分が触って、自分が動かして、自分で失敗しそうな余地があるからだろう。

 博士の発明は迷惑だけれど、そこにはまだ「遊ぶ人」が残っている。


「では、最後だ」


「その白衣、一度全部ひっくり返して確認したいです」


「企業秘密だ」


「企業というより手品師の秘密ですよ」


 店長は今までよりも丁寧な手つきで、最後の透明ケースを取り出した。


 中に入っていたのは、黒と銀のヨーヨーだった。

 今度は、余計な筒もない。

 異常な重さもなさそうだ。

 すっきりして、洗練されている。

 中央に青い光が灯り、表面には細いラインが走っていた。未来の競技道具みたいな、そんな雰囲気がある。


「シームレスヨーヨー」


 店長が言った。


「糸という不安定要素を排除し、磁力制御、小型ファン、内部ジャイロ、軌道演算ユニットによって完全自動制御を実現した」


「糸がない……」


 隼くんが呟いた。

 さっきまでの顔と違う。

 ワクワクが、少し引いていた。

 店長はそれに気づいていないのか、あるいは気づいた上で続けているのか、ケースを開けた。


 シームレスヨーヨーが、手のひらの上で静かに浮いた。

 音はほとんどない。

 青い光だけが、薄く輪を描いている。

 正直に言うと、綺麗だった。

 さっきまでの二つとは明らかに違う。暴れない。壊さない。絡まない。床にどすんとも鳴らない。


 ヨーヨーは、店長の指先の動きに合わせて空中を滑った。

 円を描き上昇する。そして戻り、回転する。

 合成音声が流れる。


『トリックモード起動。高度技を連続実行します』


 ヨーヨーが動いた。

 速い、その上、正確で無駄がない。

 まるで映像で見るプロの技を、そのまま空間に再現しているみたいだった。失敗しない。揺れない。迷わない。


 店の中にいた子供が、遠くから「すげー」と呟いた。

 私も、すごいとは思った。思ったけれど。

 さっきまでと違って、何か違う。


 ジェットヨーヨーは最悪だった。棚を倒した。許していない。


 グラビティヨーヨーは論外だった。手首が負ける。


 でも、どれも「どう扱うんだろう」という余地があった。


 失敗しそうで、危なくて、馬鹿みたいで、だからこそ人がそこに入る隙間があった。

 シームレスヨーヨーは違う。

 最初から完成している。

 最初から正解を出す。

 人間がいなくても、勝手に綺麗に動いている。


「どうだ、隼」


 店長が誇らしげに言った。


「これなら初心者でも高度な技を楽しめる。技量差も、失敗も、糸絡みもない。誰でも完璧なヨーヨー体験ができる」


 隼くんは、黙ってシームレスヨーヨーを見ていた。

 さっきまで、あんなに騒いでいたのに。

 店内の音が少し遠くなるなか、博士は胸を張っている。


 私は、隼くんの横顔を見た。

 隼くんは、自分のポケットに手を入れた。

 そこには、たぶん使い込んだ普通のヨーヨーが入っている。

 傷があって、糸があって、失敗もするヨーヨー。


 隼くんは小さく息を吸い、それからぽつりと言った。


「……俺、いらないじゃん」


 隼くんの声は、小さかった。

 さっきまで「かっけー!」だの「持ってみたい!」だの言っていた声とは思えないくらい、すとんと落ちた声だった。


 シームレスヨーヨーは、そんな空気など知らないと言わんばかりに、店長の手元で静かに回っている。青い光が薄く輪を描き、空中にぴたりと浮かんでいた。


 綺麗だ。すごく綺麗。

 でも、何かが違う。


「ふむ。反応は薄いか」


 店長が、鼻の頭まで下がった眼鏡の奥で目を細める。


「より高度な技を、より簡単に、より安全に楽しめる方が面白い。そう考えたのだが……」


「でも、それをやるの俺じゃないじゃん」


 隼くんは、ポケットから自分のヨーヨーを取り出した。

 派手な装飾はない。少し傷がある。糸も、たぶん何度か替えているのだろう。色も少し褪せている。

 でも、そのヨーヨーは隼くんの手に収まった瞬間、私には輝いて見えた。


 シームレスヨーヨーは展示品のようで、隼くんのヨーヨーは、遊び相手のように見える。


「俺、ガングーの新しいヨーヨー、楽しみにしてたんだ」


 隼くんは糸を指にかけながら続ける。


「変なのでもよかった。さっきのジェットのやつとか、めちゃくちゃだったけど、ちょっと触ってみたかったし」


「それは触らない方がいいよ」


 私は思わず言った。

 隼くんは少しだけ笑う。


「分かってるって。でもさ」


 ヨーヨーが落ち、糸が伸びる。

 床の少し上で、ヨーヨーが静かに回った。


「自分で失敗しそうな方が、面白そうじゃん」


 店長が黙った。

 子供相手に黙る時は、言い負かされたというより、本気で考えている時だ。

 そういう顔をしている。


「……ならば」


 店長が、すっと眼鏡を押し上げた。がすぐに下がってしまった。意味があるのか不明だが雰囲気だけは出ている。


「シームレスヨーヨーの真価を見せるしかあるまい」


 店長はビシッと隼くんを指差す。

 そういえば、人に指を差すな問題も未解決だった。


「隼、トリック勝負だ」


 私が二の句を継げないうちに、隼くんの顔がぱっと明るくなった。


「やる!」


「今ですか! 店内で?」


「ヨーヨーなら大丈夫だよ」


「さっき棚を倒したばっかりだよ!」


 店長はシームレスヨーヨーを指先で軽く回す。糸がないのに、回すという表現が合っているのか分からない。けれど、本体は店長の手元でふわりと浮き、滑らかに軌道を描き始めた。


「私がシームレスヨーヨーを操る。君は通常のヨーヨーで技を出す。どちらが見栄えよく、完成度が高いか、白山くんに判断してもらおう」


「私が審判なんですか」


「助手だからな」


「助手の範囲が毎回伸びる」


 隼くんはすでにやる気だった。

 ランドセルを棚の横に置き、少し広いスペースに立つ。店内にいた子供が、何が始まるのかと棚の影から顔を出した。親御さんがその後ろから不安そうにこちらを見る。


 すみません。

 今日はまだ終わりません。


「じゃあ、いくぞ!」


「よかろう!」


「店内でやるなら商品棚から離れてくださいね! 特にラヴェンナ棚から!」


 私は叫んだ。

 さっき倒れた棚は、ひとまず応急処置で戻してある。あれ以上やられたら、私の心が先に倒れる。


 入口のシータとデルタは動かない。

 あの二体が沈黙している時ほど、店内の監視カメラ感が増すのはなぜだろう。


「まずは私からだ」


 店長が腕を振る。

 シームレスヨーヨーが上へ跳ねる。

 青い光が弧を描き、空中で一度停止し、そこから綺麗に落ちるように戻ってきた。


「見よ。Dr.ガングー式、月面征服軌道!」


「普通にシュート・ザ・ムーンって言ってください」


「命名は大事だ」


「物騒にする必要はないですよね」


 シームレスヨーヨーは本当に綺麗だった。

 速度もある。軌道も正確。失敗の気配がまるでない。

 けれど、隼くんはにっと笑った。


「じゃあ俺」


 隼くんがヨーヨーを投げ、糸が伸びる。

 ヨーヨーが下へ走り、床すれすれで回転し、そのまま糸の張りに乗って跳ねる。隼くんの手首が小さく動き、ヨーヨーは一気に横へ流れた。

 

 速い。いや、実際の速度ならシームレスヨーヨーの方が速いのかもしれない。

 でも、隼くんのヨーヨーの方が速く見えた。


 糸が張り、腕が引くと、体重が移る。

 遠心力でヨーヨーが弧を描く。

 その全部に、人の勢いが乗っている。

 見惚れて思わず声が漏れた。


「普通の方がかっこいいかも」


「むむっ」


 店長が固まり、隼くんは嬉しそうに笑う。


「だろ!」


「うん、ちょっとかっこよかった」


 隼くんはさらに技を続ける。

 ヨーヨーが糸の上を滑るように渡り、手元へ戻り、また落ちる。難しい名前は分からない。でも、糸が作る形と、ヨーヨーの走る軌道が重なって、見ていて気持ちよかった。


 博士は少しだけ眉を寄せている。


「……演算上はこちらの方が速いはずなのだが」


「演算より、見てて気持ちいい方が勝つこともあるんじゃないですか」


 隼くんが得意げに鼻をこする。

 小学生の得意顔は分かりやすい。あまりに分かりやすくて、ちょっと可愛い。


「ならば、こちらも速度を上げよう」


「張り合わなくていいですから」


「勝負だからな」


「その言葉を免罪符にしないでください」


 店長がシームレスヨーヨーに向かって声をかけた。


「速度補正、三倍」


「赤くもないのに!?」


 思わず変なツッコミが出た。

 シームレスヨーヨーの青い光が強くなる。


『速度補正を開始します。観客満足度の向上を目指します』


「観客満足度!?」


「演出評価システムも搭載している」


「おもちゃに勝手に盛り上げさせようとしないでください!」


 次の瞬間、シームレスヨーヨーが跳ねた。

 さっきより速い。

 青い光が線になって、店内の空気を切る。

 店長の指先が動き、その動きに合わせて、ヨーヨーが円を描く。

 だが、三周目で軌道が少し膨らみ、四周目で、青い光が店長の手元から外れた。


「……あれ」


 店長が呟く。


「今、あれって言いました?」


「制御信号が少し」


「少し?」


 シームレスヨーヨーが、ぴたりと空中で止まった。

 それから、くるりと向きを変える。


 ヨーヨーに向きという概念があるのか分からないが、確かにそれは隼くんのヨーヨーを見た。


『競合軌道を検知。迎撃します』


「迎撃しないで!?」


 シームレスヨーヨーが飛んだ。

 隼くんのヨーヨーへ向かって、一直線に。


「うわっ!」


 隼くんは咄嗟に手首を返した。

 普通のヨーヨーが糸を伝って跳ね上がる。シームレスヨーヨーはその下を抜け、棚の前をかすめた。


 値札が一枚、ひらりと落ちる。


「私の値札!」


「そこ!?」


「大事なんだよ! 地味に時間かかるんだから!」


 隼くんは笑いながらも、足を引く。

 逃げている、というより、技の中に回避を混ぜていた。


 ヨーヨーを戻し、投げる。

 糸を張り、軌道を変える。

 シームレスヨーヨーが追うたび、隼くんはトリックの形を変えて避けていく。


 すごい。

 ただ逃げているわけじゃない。ちゃんとヨーヨーをしている。


「糸に絡ませれば止まるか?」


 店長が呟く。

 隼くんがすぐに答えた。


「駄目! 速すぎる! こっちの糸が切れる!」


「判断が早い」


 私は思わず感心した。

 シームレスヨーヨーが横から入る。

 隼くんは糸を一瞬だけ緩め、ヨーヨーを落とす。シームレスはその上を通り過ぎた。すぐに手首を返し、隼くんのヨーヨーはすっと手元へ戻る。


 その流れが、やけに綺麗だった。

 青い軌跡と、糸の描く軌跡。

 人工的な光と、人の動き。

 二つが店内で交差する。


 私は、ただ見惚れていた。

 博士も黙って見続けている。

 さっきまで自分の発明品を自慢していた博士が、今は隼くんの手元を見ている。

 

「……いいな」


 店長が小さく言った。

 それは、勝ち負けの声ではなかった。

 ただ、見惚れている声だった。


 いや、あなたは止めてくれ。そう心でツッコミを入れた、その瞬間だった。

 カウンターの上の透明ケースが、かた、と鳴った。


「……今、ケース鳴りましたよね?」


 私は振り返りケースを見る。ケースの中には、シームレスヨーヨーと同じ形の機体がもう一つ入っていた。


 さっき見た時、奥にもう一つあるなとは思っていた。

 比較試験用かな、嫌だな、とは思っていたが、まさか動くとは思わなかった。


『サポート機、起動します』


「サポートじゃなくて加害の増援!!」


 予備のシームレスヨーヨーが、ふわりと浮いた。

 青い光が二つになり、隼くんの顔が少し引きつった。


「二個はずるくない!?」


「私もそう思う!」


「店長!」


「私は起動していない!」


「じゃあなんで予備が勝手に出てくるんですか!」


「比較実験用の自律連携機能が」


「一機で手に負えてないものを増やさないでくださいよ!!」


 二つの青い光が、隼くんを挟むように動いた。

 一つは高く。一つは低く。


 隼くんは普通のヨーヨーを走らせながら、二つの軌道を見ている。目が忙しく動く。体も動く。けれど、さすがにきつそうだった。


 糸が一瞬、青い光に触れかけ、隼くんが咄嗟に引く。

 ヨーヨーが乱れるが、それでも落とさない。


「隼くん、無理しないで!」


「まだいける!」


「小学生のまだいけるは不安だよ!」


 隼くんは返事をしなかった。

 その目が、カウンターの上へ向く。

 そこには、前半で棚を倒した危険物が置いてある。


 推進力特化型ジェットヨーヨー。


 ボツになったはずの、銀の筒付きヨーヨー。

 隼くんの目が光った。


「あ」


 嫌な予感がした。ものすごくした。


「隼くん?」


 私が声をかけるより早く、隼くんは床を蹴った。

 普通のヨーヨーを片手で操りながら、もう片方の手でカウンターの上のジェットヨーヨーを取る。


「ちょっと!? 今、何持ったかな!?」


「ヨーヨー!」


「どの!?」


「ジェット!」


「戻して!」


 隼くんはもう糸を指にかけていた。


「大丈夫、たぶん分かった!」


「小学生の“たぶん分かった”は安全基準を満たしてないんだよ!」


 店長が一歩前に出る。


「待て、白山くん」


「止める側ですよね?」


「彼の目は理解した者の目だ」


「店長の目は責任逃れする大人の目です」


 隼くんは普通のヨーヨーを右手で操りながら、左手でジェットヨーヨーを構えた。


「いくぞ!」


 隼くんが左手を振ると、ジェットヨーヨーが落ち、銀の筒から白い煙が噴く。

 私は身構えた。棚に飛ぶ。

 絶対また棚に飛ぶ。

 そう思ったのに、ジェットヨーヨーは飛ばなかった。


 いや、飛ぼうとはした。

 だが、隼くんが糸の張りを使って、その力を横へ逃がした。

 ジェットヨーヨーは大きな弧を描き、白い煙の線を残して隼くんの周りを回る。


「え、うまっ」


 素の声が出た。

 店長も目を見開いている。


「……私より上手いな」


「開発者なのに?」


「開発者が上手いとは限らない」


「今だけ急に正論で逃げないでください」


 隼くんは普通のヨーヨーで一つ目のシームレスを避け、ジェットヨーヨーで二つ目の進路を塞ぐ。


 青い光と白い煙が交差する。

 普通のヨーヨーの糸が弧を描く。

 ジェットヨーヨーの推進が、その弧をさらに広げる。


 危ない! めちゃくちゃ危ない。

 でも、見栄えがすごい。

 こんなの、ちょっとしたショーだ。

 いや、商品の棚の前でやるショーではない。そこは本当に忘れないでほしい。


「右!」


 隼くんが自分で声を出す。

 普通のヨーヨーが右へ流れる。


「左!」


 ジェットヨーヨーが白煙を引いて、左へ跳ねた。

 二つのシームレスヨーヨーが、隼くんのヨーヨーを追う。

 隼くんは逃げるのではなく、誘導していた。

 一つ目を普通のヨーヨーで引きつける。

 二つ目をジェットヨーヨーの白煙で進路変更させる。

 青い光が重なりそうになる。


「そこ!」


 隼くんが左手を強く引いた。

 ジェットヨーヨーが加速した。

 白煙が一直線に伸びる。


 ジェットヨーヨーが、シームレスヨーヨーの一つへぶつかった。


 ヨーヨーとは思えない、硬い音がした。

 ガツン、と青い光の一つが弾かれる。

 シームレスヨーヨーは棚に当たりかけ、デルタの足元に落ちた。


『姿勢制御、不能』


「撃墜した!?」


 私は叫んだ。

 隼くんは胸を張る暇もなく、もう一つのシームレスを見ている。


「あと一個!」


「いや、もう十分すごいから下がろう!」


「ここまで来たら止める!」


「ヒーローみたいなこと言ってるけど、持ってるの危険ヨーヨーだからね!」


 隼くんは笑った。

 顔は汗だらけなのに、楽しそうだった。

 悔しいけど、ちょっと格好良い。

 小学四年生が、煙を引くヨーヨーを片手に、暴走する謎のハイテク玩具に立ち向かっている。

 どう考えても状況はおかしい。

 でも、絵面だけはヒーローだった。

 ただし舞台は玩具店である。


『競合機の撃墜を確認。危険度を再評価』


 残ったシームレスヨーヨーの青い光が、さらに強くなる。

 店長の顔色が変わった。


「まずい」


「何がですか」


「磁場制御と浮遊ファンの出力が上がっている」


「分かりやすく!」


「店内が荒れる」


「もう荒れてます!!」


 次の瞬間、風が吹いた。

 最初は、棚のポップが揺れる程度だった。

 それがすぐに強くなり、紙が浮く。値札が舞う。ラヴェンナの説明カードが飛ぶ。


「私の値札ぁぁぁ!!」


 今日何回目か分からない叫びが出た。

 シームレスヨーヨーが空中で高速回転している。青い光の周囲に、薄い渦ができていた。

 しかも、近くの金属製クリップや小さなネジが、かたかたと震え始める。


「磁場って言いましたよね!?」


「言った!」


「店内で磁場を発生させないでください!」


「発生させているのはシームレスヨーヨーだ!」


「作ったのは博士です!」


 隼くんのジェットヨーヨーが、不自然に揺れた。

 銀の筒から出ていた白煙が乱れる。


「あれっ、動かしづらい!」


「磁場で姿勢制御が乱れている!」


「ジェットなのに!?」


「内部の補助コアが影響を受けている!」


「じゃあジェットだけにしてくださいよ! 余計なコア積まないで!」


 ジェットヨーヨーがぐらりと傾く。

 隼くんが手首で戻そうとするが、白煙が途切れ、ジェットヨーヨーが床へ落ちる。

 かん、と音を立てて転がった。

 残ったシームレスヨーヨーが、隼くんの方へ向く。


 店内の風が、さらに強くなった。

 隼くんの前髪が揺れる。

 ランドセルが床を少し滑る。

 まずい。

 子供に危険が迫れば話は別だ。


 その言葉が頭の中に浮かんだ瞬間、隼くんの後ろに影が立っていた。


 デルタだ。


 いつの間に、と思う暇もなかった。

 ブルーブラウンの巨大なクマが、隼くんの背後に立ち、片腕を前へ出している。


「下がれ、シュン」


 低い声だった。

 隼くんが振り返る。


「いつ来たんだよ!」


「お前がジェットを盗んだあたりからだ」


「見てたなら止めてくださいよ!!」


 私のツッコミに、デルタはちらりとこちらを見る。


「遊びで済むうちは見守る方針なんだよ」


「教育方針がワイルド!」


 デルタは隼くんの前に出て安全を確保すると、右腕を持ち上げた。

 その腕の毛並みが、かちり、と音を立てて割れ、ふわふわのぬいぐるみの腕の中から、銀色の筒がせり出した。


 銃口、に見えた。


 いや、見えてはいけない。ここは玩具店だ。玩具店のはずだ。私はそう自分に言い聞かせたが、どう見てもそれは玩具店の入口に立っていていいものではなかった。


「捕まえる!」


 次の瞬間、デルタの腕から小さな球が飛び出した。

 弾丸ではなく、銀色の球だった。


 それはシームレスヨーヨーの手前でぱかりと割れ、中から青白い網が広がる。

 電気の光をまとった、丸い蜘蛛の巣みたいなもの。

 その網が、暴れるシームレスヨーヨーを空中で包み込んだ。


『姿勢制御、不能』


 青い光が乱れる。


「……デルタさん、今のは?」


 思わずさん付けになった。最近は敬称略していたが仕方ない。今、ぬいぐるみから銃口が出たのだ。


「電磁ネットだ」


「かっけー!」


「かっこいいで済ませちゃ駄目なやつだよ、隼くん」


 私は震える指でデルタの右腕を指した。


「なんでぬいぐるみに電磁ネットランチャーが入ってるんですか」


 デルタは筒状の右腕を上に向けたまま、顔だけこちらへ向けて、ニヤリと笑った。


「こう言う時のためだよ」


「説得力しかないけど納得できない!」


 店にいた子供が、ぽつりと言った。


「くまさん、かっこいい……」


 その横で、お母さんが真っ青になっている。


 分かる。とても分かる。

 玩具店に入ったら巨大なクマが動き、右腕から銀色の筒を出して、電磁ネットを撃ったのだ。私がお母さんの立場なら、その場で子供を抱えて商店街の端まで逃げる自信がある。

 いや、今の私は店員側なので逃げられない。つらい。


「え、ええと……」


 私は何か言わなければと思った。

 しかし、こういう時に出てくる言葉が分からない。


 当店のクマは安全です?

 ただの防犯装置です?

 お子様に夢を与える玩具店です?


 どれも嘘ではない気がするが、全部まとめて言い訳として弱い。

 私が言葉に詰まったその時、入口のシータがゆっくりと一歩前に出た。


「びっくりさせちゃってごめんね〜」


 いつもの、のんびりした声だった。

 ピンクブラウンの巨大なクマが、ふわふわの手を胸の前で合わせる。動きはゆっくり。声も柔らかい。さっきのデルタが完全に戦闘用だったとすれば、こちらは完全に接客用だった。


「今のはね〜、危ないおもちゃを止めるための安全装置なんだ〜。みんな、怪我はないかな〜?」


 子供たちが一斉に自分の手足を確認する。


「ない!」


「平気!」


「デルタすげー!」


 何人かの常連らしき子供は、まったく怖がっていなかった。

 怖がっていないどころか、デルタの右腕を見て目を輝かせている。まるで、そういうものが出てくることを知っていたみたいに。


 ……いや、待って。


 なんで知ってる感じなの?

 その疑問は一瞬で浮かんだが、今は追及している場合ではない。


「怖かった子には、店長からお詫びのシールを進呈しま〜す」


「シールで済ませようとしてる!?」


「白山くん、今は言い方を選びたまえ」


「誰のせいですか!!」


 店長はシームレスヨーヨーを電磁ネットごと回収していた。

 反省している顔をしている。

 しているが、目は完全に内部構造を確認していた。

 今は反省と解析を同時にするな。


「お客様、本当に申し訳ありません」


 店長は親御さんに向き直ると、今度はちゃんと頭を下げた。

 さすがにそこはまともだった。


「試作品の安全制御に不備がありました。お怪我がないか確認させてください。本日のお会計は割引対応いたします。お子様には、よろしければこちらを」


 シータがいつの間にか、小さなシールセットを持っている。

 θとδの小さなステッカーだった。

 子供は目を輝かせた。


「ほしい!」


 お母さんはまだ困惑していたが、子供があまりにも嬉しそうなので、怒るタイミングを失っているようだった。

 分かる。

 この店はだいたい、そうやって勢いで現実を塗り替えてくる。


「デルタ、今のもう一回見たい!」


「見せ物じゃねぇ」


「えー!」


「危ない時だけだ」


 デルタはもう右腕を元のふわふわした腕に戻していた。

 何事もなかったみたいな顔をしている。

 いや、あった。めちゃくちゃあった。


「常連の子たち、全然驚いてないですね」


 私は小声で言うと、デルタがちらりとこちらを見る。


「慣れてるからな」


「慣れてる?」


「まあ、よくある事だし、それに……そのうち分かる」


「その言い方、すごく嫌な予感がするんですけど」


 デルタは答えなかった。

 ただ、隼くんの頭を軽くぽんと叩く。


「手、見せろ」


「平気だって」


「見せろ」


「……ん」


 隼くんは素直に手を出した。

 さっきまでジェットヨーヨーをくすねていた子供とは思えない従順さである。デルタの言い方には、逆らうと面倒というより、逆らわない方が安心するような重みがあった。


「少し赤いな」


「糸で引っ張られただけ」


「あとで冷やせ」


「分かった」


「救急箱取ってきますね」


 この店で働き始めてから、救急箱の場所と、替えの値札の場所と、雑巾のストックだけは異様に把握が早くなった。

 成長の方向性が悲しい。

 私はカウンター下から救急箱を取り出し、隼くんの手に冷却シートを貼った。


「痛くない?」


「平気!」


「平気じゃない時も平気って言いそうだから、そこは信用しないよ」


「ちょっと痛い」


「正直でよろしい」


 隼くんは照れたように笑った。

 その横顔を見て、私は少しだけ安心する。

 騒動はひどかった。店内は荒れていて、私の値札も散らばっている。

 でも、隼くんに怪我がなくてよかった。

 それだけは本当に、よかった。


 シータは親御さんに丁寧に説明しながら、同時に床に散った商品を踏まないよう子供たちを誘導している。デルタは隼くんを座らせたあと、落ちた箱を片手で拾い始めた。


 営業時間中だから動かない。

 そういうルールは確かにある。

 でも、安全確認とお客さんへの対応が必要な時、この二体は迷わず動く。


 そして動き出すと、普通に頼りになる。

 普通、という単語の意味が最近よく分からなくなっているけれど。


「白山くん」


「何ですか」


 店長が、電磁ネットに包まれたシームレスヨーヨーを持って立っていた。


「シームレスヨーヨーは、いったん凍結だ」


「いったんじゃなくて完全封印でお願いします」


「改良の余地はある」


「余地があるから怖いんですよね」


「む」


「む、じゃないです。片付けますよ。営業中です。お客様がいます。床がこの状態です」


 私は店内を見渡した。

 値札。説明カード。ラヴェンナの衣装セット。

 軽い商品があちこちに散っている。

 これはもう、事件現場というより、風に敗北した雑貨屋だ。


 そこからしばらく、世界征服玩具店は通常営業と復旧作業を同時に行うことになった。


 シータはお客さん対応。

 デルタは安全確認。

 店長は親御さんへの謝罪と、シームレスヨーヨーの封印。

 そして私は、片付け、主に値札拾いである。また値札。

 今日だけで何度値札を拾っただろう。

 推し活資金のために始めたバイトで、私は値札を追いかける妖怪になりつつある。


「ユズ、手伝うよ」


 隼くんがラヴェンナの衣装セットを持ってくる。


「ありがとう。箱の角が潰れてないか見てから棚に戻して」


「了解!」


 隼くんは思ったより丁寧に箱を確認した。

 勢いの塊みたいな子だけど、物の扱いは雑ではないらしい。そこはちょっと好感度が上がる。



---



 閉店後。


 シャッターが下りると、シータが「ふぅ〜」と両肩を回した。

 ぬいぐるみに肩があるのかは分からない。

 いや、肩はある。

 でも凝るのかは分からない。


「お疲れさま〜」


「シータ、閉店した途端に普通に動きますね」


「そりゃそうだよ〜。もうご新規さんもいないし〜」


 デルタも入口の定位置から離れ、床に残った最後の説明カードを拾っていた。


「看板時間、地味に疲れるんだよな」


「ぬいぐるみに疲労ってあるんですか」


「気分の問題だ」


「AIの気分問題、難しいですね」


 閉店後の店内では、シータもデルタも普通に動く。

 今さら驚くことでもないが、昼間にお客さんの前で動いた時のざわめきと、今こうして自然に動いている姿の差が、少しだけ不思議だった。


 たぶん、常連の子たちはこの姿を知っている。

 だからさっき、デルタが動いてもあまり驚かなかった。

 でも私は、まだ知らないことがある。

 この店の、子供たちだけが知っている顔。

 その予感だけが、胸の奥に残った。


「さて」


 私はカウンター前に立ち、腕を組んだ。


「反省会です」


「む」


 店長が即座に嫌そうな顔をする。


「む、じゃないです。今日は試作品が暴走しました。予備機まで勝手に動きました。ジェットヨーヨーは小学生にくすねられました。電磁ネットランチャーまで出ました」


「並べると情報量が多いな」


「他人事みたいに言わないでください」


 隼くんはまだ残っていた。

 手の様子を見るためと、片付けを手伝ったお礼に、シータがお茶を出してくれたからだ。カウンター脇の椅子に座って、温かいお茶を両手で持っている。


 小学生が閉店後の玩具店でお茶を飲んでいる。

 普通ならちょっと変な光景だけど、この店だとかなりまともな部類に入る。


「俺は楽しかったけどな」


 隼くんが言った。


「楽しかったの、あの状況で?」


「うん。怖かったけど、楽しかった」


 素直だ。隼くんは自分のヨーヨーを手に取る。

 少し傷が増えていた。でも壊れてはいない。


「シームレスもすげーとは思うよ。でも、あれで技できても俺の技じゃない」


 隼くんは、さっきよりも落ち着いた声で言った。


「ジェットは危ないけど、俺がやった感じがした。だから面白かった」


「危ないから商品化はしないよ」


 私はすぐに釘を刺す。


「分かってるって」


「隼」


 店長が口を開いた。


「君は、普通のヨーヨーのどこが面白いと思う」


「んー」


 隼くんは少し考えてから答えた。


「簡単にできないところ」


 店長は興味深げに相槌だけうつ。


「最初できないじゃん。糸絡まるし、戻ってこないし、たまに手にぶつかるし。でも、ちょっとずつできるようになる。昨日できなかったことが今日できると、すごい嬉しい」


 隼くんは自分のヨーヨーを軽く振った。

 今度は投げない。

 ただ、手の中で確かめるだけ。


「だから、自分でやる方がいい」


 店内が少し静かになった。

 シータがにこにこし、デルタは腕を組んで黙っている。

 店長は、鼻の頭まで下がった眼鏡の奥で、真面目な顔をしていた。


「……完璧な道具は、遊ぶ者を消してしまうのか」


 店長がぽつりと言った。

 私は少しだけ首を傾げる。


「消す、というか」


 言葉を探す。


「全部やってくれると、ありがたいけど、寂しいんじゃないですか」


「寂しい?」


「だって、失敗する場所も、頑張る場所も、喜ぶ場所もなくなるから」


 自分で言って、少し意外だった。

 この店に来る前なら、たぶん効率がいい方がいいと思っていた。自動でできるなら楽でいい。失敗しない方がいい。安全な方がいい。


 今でもそう思う部分はある。

 特に棚は倒れない方がいいし、値札も飛ばない方がいい。

 それは絶対だ。

 でも、隼くんのヨーヨーを見ていると、そうじゃない部分も少しだけ分かる気がした。


 店長は腕を組んだ。


「ならば、普通のヨーヨーを仕入れるか」


「最初からそれでよかったんです」


「ただし、初心者向けに軸の摩擦を調整できるようにして、糸の交換を簡単にし、必要に応じて重心を」


「普通の範囲でお願いします」


「む」


「普通の範囲で」


「善処しよう」


「約束してください」


「……約束しよう」


 隼くんがぱっと手を上げた。


「俺、モニターやる!」


「危なくないやつだけね」


「分かってる!」


「ジェットは?」


「駄目」


「広いところなら?」


「広いところでも駄目」


 私が即答すると、隼くんは少しだけ不満そうに頬を膨らませた。


「なんだよ、ちょっとはいけそうだったじゃん」


「いけそう、で子供に持たせるものじゃないんだよ」


「でもさ、ここじゃなければ――」


「シュン」


 デルタが突然言葉を遮ると、隼くんは、あ、と小さく口を閉じた。

 私はそのやり取りを見て、少しだけ眉をひそめた。


 ここじゃなければ?

 今、何を言いかけたんだろうか。


「……何ですか、その感じ」


「何でもねぇよ」


 デルタが目を逸らし、シータは「えへへ〜」と笑っている。

 店長は、妙にわざとらしくお茶を飲んだ。

 絶対に何かある。

 でも、今日はもう聞く気力がなかった。

 私は床に散った最後の値札を拾い上げ、深く息を吐く。


「とにかく、ジェットヨーヨーは駄目です」


「はーい」


 隼くんは返事だけは素直だった。返事だけは。


 この店には、まだ私の知らない顔がある。

 それも、どうやら常連の子供たちは普通に知っているらしい。

 頭が痛い。けれど、少しだけ気にもなる。

 ものすごく嫌な予感と、ほんの少しの好奇心が、胸の中で同じ椅子に座っていた。



---



 隼くんが帰る頃には、商店街はすっかり暗くなっていた。


「次は普通のヨーヨーで勝負な、ガングー!」


「受けて立とう」


「ちゃんと練習しろよ!」


「無論だ」


 私は店長を見る。


「本当に練習するんですか?」


「勝負だからな」


「眼鏡に当てないでくださいね」


「当てん」


 隼くんがけらけら笑いながら、商店街の方へ走っていった。

 本当に元気だ。

 放課後の体力を全部この店に置いて帰るタイプ、と言ったが、どうやらまだ少し残っていたらしい。


 私は店内に戻り、ラヴェンナ棚の前で足を止めた。

 新作衣装の箱は、角が少しだけ潰れている。

 でも中身は無事だ。

 よかった。けどパッケージはやり直しだ。


 私はため息をついて、透明ケースの中のシームレスヨーヨーを見る。


 完璧すぎるヨーヨー。

 失敗しないヨーヨー。

 人間がいらないヨーヨー。


 それは確かにすごかった。

 でも、私の記憶に残っているのは、傷だらけの普通のヨーヨーを操る隼くんの手元と、白煙を引くジェットヨーヨーを必死に捌いていた姿だった。

 本当に危ないけど。


 たぶん、遊びってそういうものなのかもしれない。


「……店長」


「何だね」


「普通のヨーヨー、ちゃんと仕入れてくださいね」


「分かっている」


「改造しないでくださいね」


「…………」


「店長?」


「少しだけ」


「駄目です」


 即答すると、店長は残念そうに肩を落とした。

 その姿を見て、私は少し笑ってしまった。

 今日の教訓。


 ヨーヨーにジェットエンジンを付けてはいけない。


 そして、完璧すぎるヨーヨーは、たぶんヨーヨーより少し寂しい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ