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第2話 可愛いってなんだ?

 可愛いとは何か。


 そんな哲学みたいな問いを突きつけられたのは、閉店五分前。私は段ボール箱を抱えたまま、レジ横で値札シールと格闘している時だった。


「白山くん」


 背後から声がした。


 振り返ると、店長――黒川玩具が腕を組んで立っていた。白衣。ぼさぼさの髪。鼻の頭まで下がった眼鏡。今日も今日とて、普通の玩具店の店長というより、地下で何かを培養していそうな顔をしている。


「君に聞きたいことがある」


「……なんでしょう?」


「可愛いとは何だ?」


「哲学の話ですか??」


 私は抱えていた段ボールを、そっと棚の横に置いた。


 世界征服玩具店でアルバイトを始めて、まだ数日。


 ぬいぐるみが動くことにも、店の地下に研究所があることにも、店長が地下では博士と呼ばれたがることにも、まだ全然慣れていない。


 慣れていないはずなのに、こうして「また何か始まったな」と受け止めている時点で、人間の適応能力は怖い。怖いというか、ちょっと負けた気分になる。


「可愛い、ですか」


「そうだ」


 店長は真剣だった。ふざけている顔ではない。

 それが逆に怖い。


「ざっくりしすぎてません?」


「まずは概略で良いんだ」


「がいりゃく?」


「……ざっくり教えて欲しい」


 言い直せるなら最初からそっちでお願いします、と言いかけて、私は飲み込んだ。まだ勤務中である。たぶん。


 そこで、入口の方からのっそりと影が動いた。


 閉店時間が近くなったためか、入口で看板役をしていた巨大なクマ――シータとデルタが、いつの間にか店内側へ戻ってきている。


 ピンクブラウンの方がθ、シータ。


 ブルーブラウンの方がδ、デルタ。


 初日に迷惑客を外へ投げ飛ばしたぬいぐるみたちだ。ぬいぐるみが迷惑客を投げ飛ばす職場。どう考えても労基より先に別の機関が来るべきだと思う。


「ユズちゃん、女の子だしね〜」


 シータがのんびり言った。


「しかも妹ちゃんがいるから、意見聞きやすいよね〜」


「そこはまあ、確かに」


 妹が喜ぶものなら、ある程度は分かる。

 私はお姉ちゃんなので。

 お姉ちゃんなので!


 わざわざ二回思った。大事なことだから。

 声に出さなかっただけ、理性がある。


 デルタは棚にもたれるように腕を組んでいた。ぬいぐるみのくせに、その姿勢が妙に板についている。


「ガングーは女児向けが壊滅的だからな」


「前にも聞きましたが、そんなにですか?」


「致命的で壊滅的だ」


 念入りに強調された。

 私が店長を見ると、本人は不服そうに眉を寄せていた。


「壊滅はしていない。方向性が少し独創的なだけだ」


「その言い方、だいたい失敗してる人の言い訳ですよ」


「む」


 む、じゃない。

 店長は咳払いをひとつした。


「この店には、男児向け、あるいは中性的な玩具は十分ある。ロボット、カード、ミニカー、ボードゲーム。θδシリーズも主力商品だ」


「クマ推し、すごいですよね」


「だが、低年齢の女児向けが薄い」


 それは店内を見れば分かる。


 棚には格好いいもの、変なもの、妙に本格的なものが多い。けれど、キラキラしたお人形や、着せ替え系のおもちゃは少ない。


 妹を連れてきたら、最初はクマに飛びつくだろう。

 でもその後、棚を見て少し迷うかもしれない。


「だから、君の意見が欲しい」


 店長は、そう言った。


 やけにまともな流れだった。

 まともすぎて、逆に私は警戒してしまう。この店でまともな話が、まともなまま終わりそうにない。


「……それだけなら、別にいいですけど」


「助かる」


「妹を直接連れてくるのはなしですからね」


「……分かっている」


 デルタが低く笑っている。


「そりゃそうだよな」


「大事な妹なので」


「シスコンだね〜」


「否定できないのが悔しい」


 私は小さく咳払いした。

 妹のことになると、つい言葉が強くなる。仕方ない。可愛いは防衛本能を刺激するのだ。たぶん。


「それで、具体的に何を聞きたいんですか?」


「まず、女児向けの定番を教えてほしい」


「定番なら、ドール系ですかね。お人形とか、着せ替えとか。服を替えたり、小物を持たせたりできるやつ」


「定番すぎる」


「定番には理由があるんですよ」


 私は棚に視線を向けた。


 ここには個性的なおもちゃが多い。それは分かる。けれど、子供が最初に手を伸ばすものには、分かりやすさも必要だ。


「初めて見た子が、ぱっと見て可愛いって思えることが大事だと思います」


「ぱっと見て」


「はい。見た目、色、表情、触り心地。あと、持ちやすさ」


「機能は?」


「機能の前に安心感です」


 店長は腕を組んだまま、黙り込んだ。


 どうやら真剣に考えている。変な人だけど、おもちゃに対しては本気なのだろう。その本気の向かう先が、だいたい危ない方向なのが問題なだけで。


「ならば、まず試作品を見てもらおう」


 店長の言葉に、私は少しだけ固まった。


「試作品があるんですか?」


「そうだ」


「嫌な予感がするんですけど……」


 その言葉に、デルタが視線を逸らした。

 シータは、なぜか嬉しそうに手を叩いた。


「あ〜、アレだね〜」


「アレか……一応言っとくけど、ガングーは本気だったんだぜ」


 デルタの言い方が一番怖い。

 本気で失敗したものほど、見ていてつらいものはない。

 店長は奥の棚へ向かい、しばらくして箱を抱えて戻ってきた。


 箱は黒かった。

 この時点でおかしい。

 女児向けドールの試作品を入れる箱が、なぜ黒いのか。


 店長が蓋を開ける。

 中にいたのは、人形だった。確かに、人形ではある。

 ただし。


 赤茶けた髪が、ストレートに足元近くまで垂れていた。

 丸い顔には、そばかすのような点が散っている。

 服はボーダー柄のシャツに、子供用のオーバーオール。そこに、なぜか市松模様の羽織が重ねられていた。


 和と洋。

 可愛いと怖い。

 子供服と殺意。


 全部が中途半端に混ざって、最終的に「深夜に廊下の奥で立っていたら泣く」方向へ着地している。


「……」


 私は黙った。言葉が出なかった。

 店長は胸を張る。


「チャッキ一松(いちまつ)だ」


「名前!!」


「良い名だろう」


「攻めすぎです! いろんな方向に!」


 私は一歩下がった。

 いや、下がるつもりはなかったが、体が勝手に下がった。


 チャッキ一松(いちまつ)の口元は笑っている。


 にこり、ではない。

 にたあ、に近い。


「女児向けドールの試作第一号だ」


「女児向けの試作でこれを作ったんですか?」


「もちろんだ」


「勇気だけはすごいですね」


「褒め言葉か?」


「違います」


 デルタが横からぼそりと言う。


「オレは止めた」


「でしょうね」


 シータがチャッキ一松(いちまつ)を覗き込む。


「でもね〜、作りはすごく丁寧なんだよ〜」


「それは、分かります……」


 本当に、作りは良い。

 髪の一本一本、服の縫製、手足の可動、素材の質感。

 全部ちゃんとしている。

 ちゃんとしているからこそ、怖い。

 雑なら笑えたのに、技術があるせいで逃げ場がない。


「どこが悪い?」


 店長が真顔で聞いてきた。


「全部の方向性が」


「具体的に」


「やたら長い髪、そばかす、オーバーオール、虚ろな目、市松模様。要素が全部ホラー方面に寄ってます」


「ホラーは人気ジャンルだ」


「低年齢女児向けの話ですよね?」


「恐怖に惹かれる子供もいる」


「いますけど、これは“怖いもの見たさ”じゃなくて“見たら夢に出る”側じゃないですか」


 店長は納得できない顔をしている。

 やはりこの人、感覚がズレている。

 ズレているが、悪意はない。そこが面倒くさい。


「可愛いというのが、分からない」


 店長は静かに言った。

 さっきまでの勢いが、少しだけ落ちる。


「機能的に優れているかどうかは分かる。耐久性、安全性、可動域、素材の強度。それらは数値で見える」


「はい」


「だが、可愛いは数値化しづらい」


 店長はチャッキ一松(いちまつ)を見る。


「私は、子供が手に取りたくなるものを作ろうとした」


「その結果が、夜中に動きそうな人形なんですね」


「動くぞ」


「動くんですか!?」


 私は反射的に叫んだ。

 デルタがため息をつく。


「まだテスト前だけどな」


「テスト前の人形を店頭に出すつもりだったんですか?」


「だから今、君に見せている」


「ギリギリ踏みとどまってる……!」


 私は額に手を当てた。

 この店では、常識の基準が低い。

 でも、ここで投げ出すわけにはいかない。


 女児向けおもちゃが全部チャッキ一松(いちまつ)になったら、妹が泣く。いや、泣かないかもしれない。妹は意外と好奇心が強い。けれど、私は泣く。


「まず、怖さを減らしましょう」


「個性が消える」


「個性と恐怖は別です」


 私はチャッキ一松(いちまつ)の髪を指差した。


「赤毛は悪くないです。でも長すぎです。もっと短く、長くても腰のあたりまでで。そばかすも、可愛く見える範囲にする。目は焦点を合わせる。口元は、にたあ、じゃなくて、ふわっと笑う感じ」


「ふわっと」


「はい。あと服も、オーバーオール自体は可愛いです。でも市松模様の羽織を合わせると、一気に怪異っぽくなります」


「怪異」


「深夜アニメの敵側です」


 シータが「分かりやすいね〜」とのんびり頷いている。

 私は続ける。


「私の妹が好きなのは、柔らかい色です。ラベンダーとか、淡いピンクとか。強すぎない色。リボンとか、小さなバッグとか、そういう飾りも好きですね」


「リボンに機能は?」


「ありません」


 店長は本気で分からない顔をした。

 私は近くの小さなθシリーズのキーホルダーを手に取る。


「これだって、この丸い耳に意味がなくても可愛いじゃないですか」


「その耳には衝撃吸収材と小型センサーが――」


「例えに使うものを間違えました……」


 この店のおもちゃ、だいたい余計な機能がある。


 店長はしばらく黙って、私の手元のキーホルダーを見ていた。

 それから、鼻の頭まで下がった眼鏡の奥で、目つきが少し変わる。


 嫌な予感とは違う。

 開発者の顔だ。


「地下へ行くぞ」


「結局地下ですか」


「うむ、設計する」


「今から?」


「今からだ」


 私は時計を見た。既に閉店後、勤務時間外。

 しかし、店長はさらっと言う。


「残業代は出す」


「仕方ありません、行きます」


 デルタが笑った。


「欲に正直だな、嬢ちゃん」


「推し活にはお金がかかるんです」


「世界征服より俗っぽいな」


「世界征服より健全です」


 そう言いながらも、私は地下へのエレベーターに乗り込んだ。

 壁が閉じ、エレベーターが下がる。

 普通のバイトは、閉店後に地下研究所へ行かない。

 今さらすぎる事実が、妙に胸にしみた。




 地下六階。


 銀色の壁と、無駄に光るパネルと、用途不明の機械たち。

 二度目でも、やはり慣れない。

 中央には大きな作業机があり、表面が淡く光っていた。


「ホログラフィックデザインシステムだ」


 店長――いや、地下なので博士が言った。


「空中に描いたものを、そのまま設計データに変換できる」


「ただのおもちゃ屋に置いていい技術じゃないですね」


「便利だぞ」


「便利だけで済ませていいのかな」


 私は机の前に立たされた。

 博士が当然のように言う。


「描きたまえ」


「私が?」


「君の感覚が必要だ」


「絵、下手ですよ」


「問題ない。概念が欲しい」


「概念で許されるなら美術の成績に苦労してないです」


 文句を言いつつ、私は指を伸ばした。

 光の線が空中に走る。


 丸い顔、小さめの耳、大きめの目。

 リボン、柔らかい服。

 妹が抱きしめやすい大きさ。


 そう思いながら描いた。

 描いた、はずだった。


「……あれ?」


 空中に浮かんだのは、謎の生物だった。


 頭は丸いというより歪んだ芋。

 目は左右で高さが違う。

 口元は笑顔ではなく、何か企んでいる。

 リボンはワカメみたいになった。


 デルタが肩を震わせている。


「笑ってますよね」


「いや」


「絶対笑ってますよね」


「前衛芸術だなと」


「笑ってる人のフォロー!」


 シータが私の隣に来た。

 大きな手が、ふわっと私の頭に乗る。

 ぬいぐるみの手なのに、不思議と温かいような気がした。


「ユズちゃん、思い浮かべて〜」


「何をですか」


「妹ちゃんが、かわいいって笑う顔」


 その言葉で、少しだけ胸の奥が静かになった。

 私は目を閉じる。


 妹がぬいぐるみを両手で抱える姿。

 リボンを見つけて目を輝かせる顔。

 柔らかい色の服を選んで、嬉しそうに笑うところ。

 抱きしめた時に、腕にちょうど収まる大きさ。

 あの子が笑うなら、少しくらい下手な絵でも頑張れる気がした。


 指を動かした。今度は、線が崩れなかった。

 光の中に、ドールの形が浮かぶ。


 ラベンダー色の服。

 小さなリボン。

 丸みのある顔。

 怖くない、自然な笑顔。

 見た瞬間に、抱きしめたくなるような柔らかさ。


「……できた」


 私は小さく呟いた。


「シータさんがやったんですよね?」


「ユズちゃんのイメージを、ちょっと整えただけだよ〜」


「ありがとうございます。……でも、今の機能、普通にすごすぎません?」


 シータは楽しそうに笑っている。

 私はまだ頭の上に残っているふわふわした感触を、なんとなく意識してしまった。人の想像をそのまま形にするなんて、冷静に考えたらおもちゃ屋の機能ではない。


 博士は黙って立体モデルを見ていた。

 ふざけていない。真剣に見ている。


「良い」


 博士が言った。


「……本当ですか」


「少なくとも、チャッキ一松より泣かれない」


「比較対象が低すぎますね」


 デルタがモデルを横から眺める。


「これは売れるんじゃねぇか」


「デルタさんの言葉は信頼できますね」


「オレは普通の感性を持ってるからな」


「普通の感性を持ったクマ型玩具……」


「何か言ったか?」


「いいえ」


 博士が端末を操作すると、モデルの横に服のパターンがいくつも表示された。


「着せ替え要素を入れるなら、初期衣装のほかに追加服が必要だな」


「カジュアル服、パーティードレス、パジャマとかどうですか」


「戦闘服は?」


「入れません」


 博士は不満そうに眉を動かした。

 私は先に言葉を重ねる。


「アーマーもなしです。剣もなし。防衛機構もなし」


「まだ何も言っていない」


「顔に書いてあります」


「む」


 言うつもりだったらしい。


「名前はどうする〜」


 シータが聞いた。

 私は浮かんだドールを見る。


 ラベンダー色。柔らかい雰囲気。

 妹が呼んでも違和感のない名前。


「ラヴェンナ」


 自然に、口から出た。


「この子は、ラヴェンナです」


 博士がその名前を繰り返す。


「ラヴェンナ。悪くない」


「かわいいね〜」


 シータが手を叩いた。

 デルタも小さく頷く。


 私は少しだけ、胸を張った。自分で作ったと言うには、シータの補助が大きすぎる。

 けれど、妹が笑う顔を思い浮かべたのは私だ。

 そこだけは、私のものだった。




 翌日。


 開店前の店に行くと、レジ横に箱が二つ置かれていた。


「……まさか」


「そのまさかだ」


 デルタが腕を組んでいた。


「もう出来たんですか?」


「地下の製造ラインを回したからな」


「店長、寝ました?」


「……聞くな」


「聞くなってことは寝てないんですね」


 デルタは答えない。答えないのが答えだった。


 私は一つ目の箱を開ける。

 そこに、ラヴェンナがいた。

 昨日の光のモデルが、そのまま形になっている。


 ラベンダー色の服。

 小さなリボン。

 ふわっとした手触り。

 抱きしめやすい大きさ。


「……すごい」


 思わず声が漏れた。

 これは、妹が絶対に好きなやつだ。

 私は確信した。


 その一方で、二つ目の箱からは強烈な気配がした。


「……こっちは?」


「ガングーの改良型だ」


 デルタの声が少し沈んだ。

 私は恐る恐る箱を開ける。


 チャッキ一松(いちまつ)がいた。

 昨日より完成度が上がっていた。


 赤茶けた髪の質感が増し、オーバーオールの古びた感じもリアルになっている。市松模様の羽織はなぜか高級感を帯び、口元の笑みはさらに危険になっていた。


「なんでブラッシュアップしたんですか!?」


 奥から店長が出てきた。

 顔色は悪いが目は輝いている。

 一番ダメな徹夜明けの顔だ。


「可能性を感じた」


「感じないでください!」


「本日、ラヴェンナとチャッキ一松のテスト販売を行う」


「やめましょう」


「市場に問う」


「市場に出す前に止めるのも店員の仕事だと思います」


 店長は聞いていない。

 こうなった店長は、止まりづらい。

 デルタが小声で言う。


「子供が泣いたら下げる条件にしろ」


「最初から下げたいんですけど」


「それは無理だな」


「でしょうね」


 私は大きく息を吐いた。


「分かりました。でも、子供が怖がったら即撤去です」


「よかろう」


 店長は高らかに言った。


「勝負だ、白山くん」


「勝負じゃなくて安全確認です」


 こうして、ラヴェンナとチャッキ一松(いちまつ)は店頭に並んだ。


 結果は、早かった。

 ラヴェンナを見た女の子が、目を輝かせる。


「かわいい!」


 その一言で、私は心の中でガッツポーズした。

 いや、心の中どころか、指先がちょっと動いた。危ない。店員としての冷静さを保たなければならない。

 続いて、お母さんらしき人も微笑む。


「いいわね。触り心地も柔らかい」


 ラヴェンナはそのまま一体売れた。

 私はレジを打ちながら、口元が緩むのを必死に抑える。

 何に勝ったのかは分からない。でも勝った。


 一方、チャッキ一松(いちまつ)は、棚の端で異様な存在感を放っていた。


 男の子が近づき、目が合う。

 次の瞬間、男の子は母親の後ろへ隠れた。


「こわい」


 ほら見たことか。

 私は店長を見る。店長は本気で衝撃を受けていた。


「なぜだ」


「なぜだ、じゃないです」


 けれど、世の中は広い。

 昼前、三十代くらいの男性がチャッキ一松(いちまつ)の前で足を止めた。


「……これ、いいな」


「え」


 私が声を漏らす。

 店長の目が輝いた。

 男性はチャッキ一松(いちまつ)を手に取り、じっくり眺める。


「海外ホラー人形っぽさに、市松人形の不気味さを混ぜてるのか。狙ってる?」


「もちろんです」


 店長は胸の前で指先をこねるように動かしながら即答した。

 そこはたぶん、本当に狙っている。


「造形、かなり良いですね」


「昨夜、質感を調整しました」


「本気だ」


 男性はチャッキ一松(いちまつ)を一体買っていった。

 店長は嬉しそうだった。とても嬉しそうだった。

 それを見ると、少しだけ強く否定しづらくなる。


「……ニッチには刺さるんですね」


 私は入口脇にいるデルタに小声で言った。


「そうだな」


「でも低年齢女児向けではないですよね」


「まったく違う」


 そこは揺るがない。

 チャッキ一松(いちまつ)は、売る場所を間違えている。

 それだけだ。



 問題が起きたのは、昼を過ぎた頃だった。

 店内には親子連れが三組。

 ラヴェンナの棚には、女の子たちが集まっている。

 チャッキ一松(いちまつ)は端の方に下げた。

 これで何事もなく終わる。

 そう思った。思ってしまった。


 足元を、何かが通った。


「……え?」


 見下ろす。

 チャッキ一松(いちまつ)が歩いていた。

 赤茶けた髪を揺らし、オーバーオール姿で、ぎこちなく。

 でも妙に滑らかに。


 ゆっくりと。


 こちらへ。


「待って待って待って」


 棚を見る。

 他のチャッキ一松(いちまつ)も降りてきていた。


 一体。

 二体。

 三体。


 全員が、あの危険な笑顔のまま歩き出している。


「歩いてるんですけど!?」


 女の子がそれを見て、固まった。そして泣いた。

 当然だ。私でも泣きたい。


「ガングー!」


 入口脇に立っていたデルタが、店内へ踏み込んだ。

 いつもの眠そうな声ではなく、低く鋭い声だった。


「お前、感情認識AI仕込んだな!」


「感情認識AIってなんですか!?」


 私が聞き返すと、デルタが舌打ちでもしそうな声で答えた。


「子供の表情や声を読んで、反応を変える機能だ」


「それだけ聞くと良さそうなのが腹立ちますね!?」


 店長が奥から出てきた。

 落ち着いている場合ではない。


「子供の感情に寄り添うためだ!」


「発想だけは良いのに、今起きてる絵面が最悪です!」


 チャッキ一松(いちまつ)が、泣いている女の子へ向かった。

 小さな手を伸ばす。

 慰めようとしているのかもしれない。

 でも見た目は完全に、夜中に包丁を持って追ってきそうな人形である。


「ア、ソ、ボ」


「喋ったぁぁぁ!」


 女の子がさらに泣く。お母さんも悲鳴を上げた。

 チャッキ一松(いちまつ)の顔が、少し歪む。

 悲しそうにも見える。でも怖い。

 悲しいほど怖い。


「店長、止めてください!」


「直接停止コードを入れる必要がある」


「遠隔で止められるようにしてくださいよ!」


「試作品だからな」


「試作品を店頭に出すなって何回言えばいいんですか!」


 チャッキ一松(いちまつ)がさらに増える。

 棚から降りる。歩く。集まる。

 ゆっくりなのに怖い。

 ゆっくりだから、なお怖い。


「完全にホラー映画!」


「安心しろ、武器は積んでいない」


「武器を積む選択肢がある時点で安心できないんですよ!」


 店長がポケットから小さなリモコンを取り出した。

 

「緊急プロモーション偽装システム起動!」


「なんですかそれ!!」


「細かいことはいい!」


 ボタンを押す。


 店の外に、ホログラム映像が投影された。カラフルな光の演出と、効果音が鳴り響く。さらに小型ドローンがカメラを構えて飛び始めた。


 通りがかった人たちが立ち止まる。


「すごいドッキリ!」


「最近の宣伝すごいな!」


「これ配信してる人いる?」


 店前がざわつき始めた。


「無理があるでしょ!!」


 私が叫ぶ。


「問題ない!世の中には想像力が豊かな者と、そうでない者がいる。後者にとって“普通ではないこと”は全部演出に見える」


「それはどうなんですか、いろんな意味で……」


 でも確かに、外の人たちはスマホを出して映像を撮影し始めている。商店街の中に急にカラフルな光が出れば、そりゃあ何かのイベントだと思うか。

 助かる。助かるけど、根本的解決ではない。


 店内では、チャッキ一松(いちまつ)たちがまだじりじりと動いている。

 デルタが一体を抱え上げ、その足元を別の一体がすり抜けた。店長はリモコンを睨みつけながら「停止コードを……いや、こっちではなく……」とぶつぶつ言っている。


 二人とも、明らかに余裕がない。

 なのに。

 シータだけが、いつもの調子で店内を眺めていた。


「……シータさん」


「なあに〜?」


「なんでそんなに落ち着いてるんですか」


「え〜? だって、止めようと思えば止められるし〜」


「止められるんですか!?」


「うん〜」


「じゃあ今すぐ止めてください!」


「もうちょっと、ガンちゃんに頑張ってもらおうかなって思ってたんだけど〜」


「泣いてる子がいるので教育的配慮は後でお願いします!」


 デルタもチャッキ一松(いちまつ)を両脇に抱えたまま、低く唸った。


「シータ、頼む。数が多い」


 シータが前に出た。

 のんびりした声のまま、片手を上げる。


「指令優先権、上書き〜」


 その瞬間。

 すべてのチャッキ一松(いちまつ)が、ぴたりと止まった。

 店内に静けさが戻る。

 泣いている女の子の声だけが、まだ少し響いていた。

 私は安堵して深く息を吐いた。


「……もっと早く止めてくださいよぉ」


「少しは反省してもらおうかな〜って」


「反省会は閉店後にしてください!」


「危なくはなかったよ〜」


「怖がらせた時点でアウトです!」


 デルタが止まったチャッキ一松(いちまつ)を回収していく。

 店長は腕を組んで、難しい顔をしていた。


「寄り添うつもりだったのだが」


「結果、追跡してました」


「……改善が必要だな」


「販売停止です」


「改善後に」


「販売停止です」


 私は言い切った。ここは譲れない。

 店長は少しだけ不満そうに黙る。

 けれど、反論はしなかった。


「ただ」


 私は回収されたチャッキ一松(いちまつ)を見る。

 怖い。ものすごく怖い。

 でも、さっき買っていった人のように、好きな人はいるのだろう。


「好きな人がいるのは分かりました。でも、低年齢女児向けじゃないです。売るなら棚を分けて、説明も付けて、対象年齢もちゃんと考えてください」


「専用ラインか」


 店長の目がまた少し輝く。


「チャッキ一松(いちまつ)・深淵シリーズ」


「名前は後で考えてください」


「恐怖と愛嬌の境界線を――」


「後で!」


 私は頭を抱えた。




 閉店後。


 地下六階で反省会が開かれた。

 今日の議題は明確だった。


 ラヴェンナは継続。

 チャッキ一松(いちまつ)は子供向け棚から撤去。

 感情認識AIは停止。


 以上。


 ……で終わればよかったのだが、博士はまだ端末を見ている。


「チャッキ一松(いちまつ)は別ラインで再検討する」


「してください。ただし子供向け棚には置かないでください」


「分かっている」


 本当に分かっているかは怪しいが……

 私はお茶を一口飲んでやっと一息つけた。

 シータが出してくれたお茶は、今日も普通においしい。

 この店は、変なところほど丁寧だ。


 博士はラヴェンナの試作品を机に置いた。


「ラヴェンナは売れた」


「売れましたね」


「子供が笑っていた」


「はい」


 博士は静かにラヴェンナを見る。


「……あれが、可愛いか」


 その声には、いつもの大げさな響きがなかった。


「たぶん」


 私はラヴェンナを見た。


「可愛いって、性能じゃないんですよ」


「性能ではない」


「でも、手を抜いていいわけでもないです。触り心地とか、サイズとか、安心できる表情とか。全部ちゃんとしているから、子供が安心して可愛いって言えるんだと思います」


「安心して、可愛い」


「はい」


 博士は少し考えている。

 デルタも黙っていた。

 シータだけが、にこにことラヴェンナを撫でている。


「あと」


 私はラヴェンナを見ながら、言葉を選んだ。


「おもちゃ側が全部やらなくていいんです」


「どういう意味だ」


「ラヴェンナは、自分で歩かなくてもいい。喋らなくてもいい。子供が手に持って、名前を呼んで、服を替えて、遊ぶんです」


 言いながら、妹の顔が浮かぶ。

 きっとこの子を抱きしめる。きっと名前を呼び、きっと服を替えたがる。


「子供が入る余白がある方が、楽しいんだと思います」


「余白……か」


 博士は腕を組み、その言葉を噛みしめるように目を細めた。


「玩具側がすべてやるのではなく、子供が入り込む余地を残す、ということか」


「たぶん、そうです」


 博士は端末に何かを入力した。


「ラヴェンナには、自律機能を入れない」


「本当にお願いします」


「代わりに、着せ替えラインを増やす」


「それは良いと思います」


「それと、カード連動機能を」


「カード?」


 博士が少しだけ得意げに笑う。


「そのうち分かる」


「この店の“そのうち”は大体怖いんですよ」


 デルタが小さく笑った。


「まあ、今回は悪くない方向だと思うぞ」


「本当ですか?」


「ああ。ラヴェンナは使い道が広い」


「使い道って言い方が少し不安です」


 博士が口を開く。


「装備としてランスを――」


「不要です」


「……リボン型の」


「不要です!」


 博士は不満そうに黙った。

 危ない。何か生まれかけていた。

 この人は油断するとすぐ武装させる。


 私は箱に入ったラヴェンナを見た。


「この子、持って帰ってもいいですか」


「もちろんだ。モニターとして妹さんに見てもらうといい」


「ありがとうございます」


 シータが丁寧にラヴェンナを箱へ収めてくれる。


「妹ちゃん、喜ぶといいね〜」


「絶対喜びます」


 私は言い切った。そこだけは自信がある。

 妹が好きなものを考えて、作った子だ。

 私が全部作ったわけじゃない。

 むしろ技術的には、ほとんど博士とシータが作った。

 でも、あの子が笑う顔を思い浮かべたのは私だ。

 それだけで、少し胸を張れる気がした。




 帰り際。


 私は自転車にまたがる。

 夜の商店街を抜けながら、カゴの中の箱をちらりと見た。


 中には、ラヴェンナがいる。


 妹が見たら、きっと笑う。

 弟はたぶん、横から見て「別に普通」とか言う。けれど、少しだけ気にする。そういう子だ。


 早く見せたい。そう思うと頬が緩む。

 帰ったら、まず妹に見せよう。


 いや、その前に、もう一度だけ中身を確認しよう。

 博士のことだから、まだ何かしら武装が隠れている可能性がある。


 自転車を漕ぎながら箱を開けて確認しようかと思ったが、手が届かない。しかも危ない。

 家に着いたら、忘れずに確認しよう。


 私は夜風の中でため息をついた。

 可愛いとは何か。


 今日一日考えた結果、分かったことがある。

 可愛いは難しい。


 そして、博士に任せきりにすると、だいたい武装する。

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