第22話 猫の手は借りたいが、猫が忙しい
世界征服玩具店の店内は、夏休みとは思えないほど静かだった。
ヨーヨーの棚の前で悩む子もいない。ラヴェンナを眺める子もいない。シータとデルタに話しかけて、返事がないのを分かっていながら近況報告していく子もいない。
そもそも今、シータとデルタは店頭にいない。代わりに、入口には二体の写真パネルが立っていた。
『本日地下プール営業中! ご利用の方は銭湯側入口へ!』
写真のシータはゆるく手を振り、デルタは腕を組んでいる。本人たちは地下にいるのに、写真だけで店番が成立しているように感じるのが不思議だ。
「……静かですね」
私はレジ横でチラシの束を整えながら呟いた。
たまに親子連れが入ってきても、ポスターを見て「あ、プールはあっちなんだ」と銭湯側へ流れていく。
八月二週目。
地下プールは近所の子供たちにとって、もう市民プール以上の存在になっていた。天候不問、紫外線なし、水温一定。入口は銭湯跡からのウォータースライダー。
「地上はな」
店長はレジ奥の作業台で部品を並べていた。白衣はいつも通りだが、目がもう開発者の目だった。
レジ横の小型モニターには、地下の簡易配置図が出ている。
配置図にはそれぞれのアイコンが可愛らしく表示されていて、シータのアイコンは受付と売店をゆるゆる往復し、デルタは規則正しくプールサイドを巡回。緋村さんはスライダー入口と休憩スペースを何度も往復していて、手伝いなのか遊びなのか判断がつかない。
そして、猫の形をしたベータのアイコンだけが、明らかに異常な動きをしていた。
プールサイド。休憩スペース。医務スペース。軽食コーナー。地下管理区画。またプールサイド。
「……ベータだけ移動量おかしくないですか?」
「健康管理担当だからな」
「健康管理って、あんなに動き回る仕事でしたっけ」
「猫は走る」
イヤホンから地下回線の声が次々入る。
『こちらシータ。軽食コーナー、卵アレルギー確認お願い〜』
『こちらデルタ。第二レーンで転倒一件。本人は続行希望だが確認を』
『すみません、かき氷の大盛りって本当に禁止ですか? 子供たちに押し切られそうで』
ベータアイコンが、医務スペースへ向かいながら小さく震えたように見えた。
『こちらベータ。アレルギー確認を優先。転倒した子は十五分休憩。かき氷大盛りは禁止です。緋村さんも対象です』
『俺もですか?』
『はい』
通信が切れる。店内はずっと静かだが、世界征服玩具の地下は騒がしい。
「……今の、全部ベータ宛なんですか? 忙しすぎません?」
「健康、食品、怪我、食べ過ぎ。全部ベータの管轄だ。ベータは処理能力が高いから問題はあるまい」
「でも体は一つですよね?」
店長の手が止まった。
モニターの中で、猫アイコンはまた休憩スペースへ向かっている。
「ふむ、確かに。せめて健康管理記録の事務処理だけでも軽減できれば……」
何か考え込み始めてしまった。嫌な予感がする。店長が考え込んでいる時は、たいてい結論がまともではない。
「つまり! 猫の手を増やせばよいのだな」
「多分そういう話じゃないです」
私の意見は届かなかった。すでに作業台の部品が組まれ始めていた。
工具の音が暇な店内に響く。
「……何を作ってるんですか」
「ベータ専用入力補助玩具だ」
「玩具なんですね」
「玩具店だからな」
組み上がっていくのは、丸い胴体に短い脚、小さな耳の小型ロボットだった。左右のアームの先には肉球付きの猫の手。
「猫ですね」
「猫の手だ」
「比喩を形にしました?」
「人類は古来、猫の手も借りたいと願ってきた」
「忙しい時の例えです」
「ならば現実にする」
肉球を押すと、ぷに、と小さな音がした。可愛い。だが今は業務改善の話だ。
「名付けて、《ネコノテ・タイピングアシスト》!」
起動すると小さな耳が立つ。
『にゃ』
「しゃべった」
「猫だからな」
肉球がそろそろとキーを押す。ぷに、ぷに、ぷに。一文字ずつ。見た目は癒やされるが、業務として見ると不安になる速度だった。
『……名称から嫌にゃ予感がします』
地下にいるはずのベータの声がイヤホンから流れた。こちらの状況まで遠隔で気にかけているらしい。
「大丈夫だ。猫の手だ」
『嫌にゃ予感の精度が上がりました』
ベータは何も期待してないと言う感じで、淡々と告げた。
『現在の入力速度は、私が直接入力する場合の約二パーセントです。可愛さによる業務効率低下を確認しました』
「ほら見ろ、効率低下も発見できた」
「効率を上げるための玩具ですよね??」
『定型文呼び出しと項目選択に限定するなら検証価値はあります。ただし――音声入力機能は使用しにゃいでください。地下では声と設備案内が常時発生しています。誤認識リスクが高すぎます』
「だが、音声で命令できた方が楽しい」
『業務端末に楽しさは不要です』
価値観で押し切ろうとする店長と、安全管理は絶対譲らないベータ。勝敗は見えていたのに、店長は音声入力機能を外さない。
この時点で、今日の結末はだいたい決まっていたのだと思う。
「では、音声指示で項目選択を行う」
「禁止されたことを検証しないでくださいよ!」
聞いてくれないのはもう分かっているが、言わずにはいられない。
「水分補給、入力」
耳がぴこんと立つ。
『水分補給、を入力します』
ぷにぷにぷに。備考欄に『水分補給』。
「項目選択じゃなくて、文字をそのまま入れてますけど」
「まだ学習中だ」
そこへシータの業務連絡が入る。
『軽食コーナー、麦茶のおかわり追加だよ〜。走った後の子は先に休憩してね〜』
耳が勢いよく動いた。
『音声入力を認識しました』
「え、通信音声まで拾ってるんですか!?」
肉球が急に速くなる。さっきまでの遅さが嘘のように。
『麦茶のおかわり追加だよ。走った後の子は先に休憩してね』
「健康記録が生活指導になった!」
「むむっ、停止!」
『停止、を入力します』
画面に『停止』。
「命令を実行じゃなくて文字にしてる!」
私は思わず頭を抱えた。
見覚えがある。ものすごく見覚えがある。前にヨンクラで似たようなことをやったばかりだ。
「これ、音声認識の失敗をまったく反省してなくないですか!?」
「反省したから、今回は音声感度を上げた!」
「余計酷くなる未来しか見えない!」
今度はデルタの業務連絡が入ってきた。
『第三レーン、飛び込みをしようとする奴を止めた』
『第三レーン、飛び込み未遂一件』
「事故報告書になってる!」
「……一度調整をし直す」
店長がネコノテを持ち上げようとすると、小さな脚がキーボードの縁にしがみついた。
「抵抗機能まで!?」
「愛着のためだ」
「業務端末にしがみつく愛着はいりません!」
ネコノテは、ぷに、とさらに一文字打った。
可愛い音なのに、今は腹立たしい。
備考欄は、もう何の記録か分からないプールの実況になっていた。
『麦茶のおかわり追加』
『走った後の子は先に休憩』
『停止』
『第三レーン飛び込み未遂』
健康管理記録の備考欄が、地下プールの混乱まとめになっていく。
モニター上のベータアイコンが、地下管理区画から地上連絡通路へ、まっすぐ動き出す。
「……店長」
「何だ」
「ベータ、こっち来てます」
店長の手が止まった。ネコノテだけが、ぷに、と最後の一文字を押した。
数分後、奥の扉が開いた。
全長百三十センチほどのキジトラ柄。見た目はいつも通り可愛いが、今日の歩き方は隙がなく、まるで獲物を狙う猫のようだ。
ベータはタブレットを片手に、作業台の前へ来る。
それと同時にイヤホンから音声が届いた。
『こちらシータ。ベータちゃん、軽食コーナーはこっちで見ておくね〜』
『こちらデルタ。医務スペース確認は一時的に引き継ぐ』
どうやら、ベータが地上へ来るために地下側が穴を埋めているらしい。
つまり、それだけのことをしてでも止めに来たのだ。
ベータは作業台の前まで来て、画面を見た。
「これでは業務妨害です」
店長が黙った。猫が怒る時は、声を出さずに静かに爪を出す。
「私の業務は文字を入力することではありません。子供の状態を判断し、必要にゃ記録を残すことです」
な行がにゃ行に寄っていて可愛いが、内容は真面目だ。
「業務改善とは、必要にゃ判断を減らすことではありません。余計にゃ確認を増やさにゃいことです」
「……うむ」
世界征服を目指す店長が、猫型AIに叱られて一歩下がった。世界征服玩具店では、社食と健康を握る猫には逆らえない。
ベータはネコノテの電源を切った。
『にゃ……』
耳が倒れる。可愛い。だが許される空気ではなかった。
「店長。これは入力端末に接続しにゃいでください」
「もちろんだ。検証用だ」
「検証用でも、私の業務時間を使用しました」
「……すまない」
珍しく素直に謝った。店長は本当に悪いと思った時は謝る人だ。ただ、そこに至る道がいつも長くて、途中で何かが破綻する。
今回は備考欄だけで済んだ。
「でも、ベータの言う通りですよね」
二人がこちらを見る。
「入力する手が足りないんじゃなくて、入ってくる情報が多すぎるんじゃないですか?」
モニターを指す。
「シータから軽食、デルタから怪我、緋村さんからかき氷。全部ベータが判断し直してるから忙しいんですよね。しかも緊急度が違う。アレルギーはすぐ必要だけど、かき氷は……まあ後でもいいですし」
「緋村さんのかき氷は早めに止める必要があります」
「必要なんだ」
店長が顎に手を当てる。
「入力補助ではなく、情報の選別補助か」
「アレルギーは赤、怪我は黄色、水分補給は青、食べ過ぎは灰色とか」
「緋村くんのかき氷は灰色か」
「そこは食いつかないでください」
ベータが少し思案して言った。
「情報整理であれば、有効です。ただし自動判断ではにゃく、優先表示まで。最終判断は私が行います」
「そこはベータがやるんですね」
「私の業務ですので」
怒っているというより、誇りに近い言い方だった。
ベータは雑な補助をされたから怒ったのではない。子供の体調や食事を見て記録するのは、ちゃんと自分の仕事だと思っているからだ。
「では、改修しよう」
「音声入力は?」
「切る」
「肉球のぷには?」
「残す」
「通知時に鳴るだけなら許可します」
改修は早かった。基板を差し替え、音声入力を外し、通知ランプを付ける。
キーボードは叩かない。地下回線の連絡を分類して、検証画面に小さく表示するだけ。赤、黄色、青、灰色。通知が来るたびに肉球が光り、ぷに、と鳴る。
『軽食コーナー、卵アレルギー確認一件だよ〜』
肉球が赤く光る。ぷに。
『アレルギー確認:軽食コーナー』
「おお、まともです」
「私は最初からまともだ」
「はいはい」
『第一レーン、軽い接触。怪我なし』
黄色が光りかけて消え、『記録不要候補:怪我なし』と表示された。
「これなら確認優先度を下げられます」
「ちゃんと業務改善してる」
「白山さんの提案が有効でした」
「褒められました?」
「ただし、店長に発明を促した点は減点です。差し引き、微増です」
褒められたのか微妙だった。
緋村さんの声が入る。
『かき氷の普通盛りを二つ、俺の分もお願いします』
肉球が灰色に光る。『食べ過ぎ関連:緋村さん』
「名指し!」
「緋村くん専用フィルターだな」
「一杯は許可します。二杯目は不可です」
『了解です……』
返事が少し寂しそうだった。
「この状態であれば、試験運用は可能です。本番端末への接続は行わず、通知補助としてのみ」
「採用か!」
「限定的に、試験運用です」
「採用だな!」
「限定的に! 試験運用です!」
店長の耳には、聞きたい部分だけ通す特殊フィルターでも入っているのだろうか。
「これ、店頭実演にも向いてそうですね。子供、好きだと思います。押したらぷにって鳴るやつ」
「分かるか、助手よ」
「業務妨害って言われてましたけどね」
「過去に囚われるな」
ベータがネコノテを見る。
「店頭実演用なら、業務回線とは完全に切り離してください。子供用には、好きな色で肉球が光る仕様が適切です」
珍しく、ベータがちょっと柔らかくなった気がした。
タブレットを抱え直し、去り際に振り返る。
「白山さん。問題提起は有効でした」
「ありがとうございます」
「ただし、店長の発明を止める初動が遅いです」
「そこも私の仕事なんですか」
「はい。助手ですので」
「店長、この肩書きどうにかなりません?」
「誇りたまえ」
「誇れないし、責任が増えていくんですよね」
ベータは一礼して戻っていった。モニターの猫アイコンは、すぐに軽食コーナーへ向かう。休む暇がない。
代わりに、ネコノテが作業台の上でぷに、と鳴った。青い通知。
『水分補給推奨:休憩スペース』
「ベータ、水分補給推奨が出ている」
『確認しました。シータに依頼します』
『は〜い』
通信が切れる。さっきより、少しだけ流れが良くなった気がした。
「……まあ、結果的には役に立ちましたね」
「当然だ。私は天才だからな」
「最初にキーボードをぐちゃぐちゃにしたことは忘れてませんよ」
「試行錯誤だ」
「便利な言葉ですね」
世界征服玩具店では、社食と健康管理を握る猫には逆らってはいけない。その認識は、地下でもきっちり共有されているらしい。
猫の手は、借り方を間違えると仕事を増やす。
けれど、ちゃんと役目を決めれば、少しだけ誰かを助けられる。
今日の教訓としては、悪くない。
ただし。
「店長」
「何だ」
「次は最初にベータへ相談してください」
「うむ。次はベータ監修の猫型業務補助シリーズを――」
「相談って言いましたよね!? いきなり何か作ったりしないで下さいよ!?」
地下回線からベータの声がした。
『店長』
「……何かな」
『報連相をお願いします』
「……うむ」
その日、新しい玩具が一つ生まれた。
猫の手型通知補助玩具、ネコノテ。
世界征服にはまだ遠い。
そもそも玩具なのか、業務用機器なのかは、まだ少し怪しい。
けれど少なくとも、ベータの足を少しだけ止めずに済むようにはなった。
たぶん、それで十分なのだと思う。
少なくとも、今日のところは。




