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世界征服玩具店へようこそ 〜今日も誰かが主役《ヒーロー》になる〜  作者: 夕々
夏だ!玩具だ!!引き篭もろう!!?
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20/23

第19話 夏季限定入口は滑って入る(午前)

 夏休みにもすっかり慣れた朝、店長からメッセージが届いた。


『本日は夏季特別営業を行う。水着、タオル、着替えを持参すること。可能であれば、水着は服の下に着用してきたまえ』


 業務連絡はそれだけだった。

 勤務先は玩具店である。

 水着を着て働く仕事ではない。少なくとも求人票には書かれていなかったし、面接でも説明されていない。

 これはもう、訴訟も辞さない案件ではなかろうか?

 私はスマホを持ったまま、もう一度メッセージを読み返した。


「……何をするんですか?」


 送信。

 すぐに既読がつく。


『遅刻厳禁』


「質問に答えてください」


 もう一度送ったが、今度は既読すらつかなかった。

 この人は説明をしないのではない。

 説明すると止められると分かっている時、又は人を驚かせようと企んでいる時、意図的に説明を省いている。

 最近、それが分かるようになってきた。

 理解が深まっても、何一つ嬉しくない訳だが。


「お姉ちゃん、まだ着替えてないの?」


 部屋の外から想楽の声がした。

 ドアを開けると、想楽は既にTシャツと短パン姿になっていた。肩から水色のバッグを提げ、そこからタオルとゴーグルが覗いている。


「何で水着着てるの?」


「だって今日、プールでしょ?」


「プール?」


 想楽は、しまったという顔をした。

 その後ろを、黒いバッグを持った景娯が通り過ぎていく。


「景娯も店長に呼ばれてる?」


「まあ、うん」


「今日、何するか知ってる?」


「知ってる」


「何で私には教えてくれないの?」


「店長に口止めされてる」


 予想どおりだった。


「何で素直に従ってるの?」


「ボート型ラジコンの優先試遊権」


「弟が玩具で買収されてる」


「買収じゃない。取引」


「悪い大人がよく使う言い換えだよ、それ」


 景娯は答えず、自分のバッグを持って玄関へ向かった。

 バッグの横には、水中用のゴーグルがきれいに引っかけられている。

 本人はいつも通りの顔をしているが、準備だけは完璧だった。

 かなり楽しみにしている。

 そう指摘すれば否定されるので、黙っておくことにした。


 私は諦めて、水着を服の下に着た。

 店長の指示に従うことに抵抗はある。

 けれど、現地で一人だけ水着を持っていない方がもっと困る。ここ数か月で身についたのは、店長への信頼ではなく、最悪の状況を避けるための危機管理能力だった。


 指定された集合場所は、世界征服玩具店ではない。

 商店街の外れにある、数年前に閉店した銭湯だった。



 古い銭湯の前には、朝から列ができていた。

 浮き輪を抱えた小学生。

 水着の入ったバッグを提げた親子。

 小さな子供の手を引く母親。

 ビーチボールを頭の上へ載せて遊んでいる兄弟。

 玩具店で見かけたことのある常連もいれば、知らない家族もいる。


 入口の横には、銭湯の古い看板より大きな宣伝看板が立っていた。


『世界征服玩具店 夏季限定プール

 天候不問! 紫外線なし! 水温一定!

 水遊び玩具、各種体験できます!』


「プール? 銭湯で??」


 看板を読み上げる。

 プール。

 確かに銭湯なら水を貯めれば泳げるほど広い。しかし今この場にいる全員が泳げる様なスペースはないだろうに。


「そうだよ」


 想楽は何事もなかったように答えた。


「何で想楽が普通に受け入れてるの?」


「だって、店長さんだし」


 小学生の妹に、私より高い適応力が身についていた。

 嫌な成長である。


「おーい、ソラー!」


 列の前の方から、大きな声が飛んできた。

 隼くんが水鉄砲を掲げている。

 肩に提げているのは、玩具にしては大きなタンク式の水鉄砲だった。今日が何のイベントなのか知らなかった私と違い、完全に戦闘準備を整えている。


「遅いぞ!」


「集合時間の十分前だよ」


「俺、三十分前に来た!」


「気合い入ってるね」


 隼くんの後ろには、真帆と玲もいた。

 真帆は白いTシャツに薄いパーカーを羽織り、夏らしい大きめのバッグを持っている。玲は黒いシャツとハーフパンツという、普段とあまり変わらない落ち着いた格好だった。


「二人まで何でいるの?」


「商店街にポスターが貼ってあったから」


 真帆が答える。


「ユズちゃんもいると思って申し込んだの」


「私、そのポスター見てないんだけど」


「玩具店のレジの横にもあったけど」


 玲が淡々と言った。


「レジの横? 私、毎回そこに立ってるよね?」


「少なくともこの前は立っていたな」


 まったく記憶にない。

 夏休みに入り、来店する子供も増えた。レジ、品出し、工作教室の受付、宿題。目の前のことに追われて、背景として処理していたらしい。


 自分の勤務先がプールを始めるという告知を見逃す店員。

 言葉にすると、だいぶ問題がある。


「ユズちゃんも知ってると思ってたよ」


「私は朝知ったところ……」


「店員なのに?」


「店員だから教えてもらえるとは限らない店なの」


 真帆は困ったように笑った。

 玲は銭湯の建物を見上げる。


「銭湯にプールを作るより、学校のプール借りた方が簡単では?」


「正論は店長に会ってから言って。私には何も答えられないから」


「何も知らないんだな」


「水着を持ってこいとしか聞いてないよ」


 列の脇から、よく通る声が聞こえた。


「いつものことだね」


 緋村さんだった。

 イベントスタッフと書かれたTシャツを着ている。肩にはスポーツバッグ。反対側の手には、袋へ入った水鉄砲が二丁。


「緋村さんは、手伝いに来たんですよね?」


「そうだよ」


「その水鉄砲は?」


「手伝いの合間に遊ぶため、かな」


「遊ぶ合間に手伝うの間違いでは?」


「どちらも全力でやるさ」


 否定しなかった。

 この人も、玩具店へ来ると大人としての立場を見失うことがある。

 それでも子供の誘導や見守りを任せられる貴重な大人だ。



 古い銭湯の番台は、受付へと改装されていた。

 昔は入浴券を受け取っていたらしい場所に端末が置かれ、その前にオレンジブラウンの大きな猫が座っている。


「次の方。申込時の名前をお願いします」


 ベータは肉球のような手で、器用に画面を操作していた。

 今日の役割は監視員だろうか? いつもの長い毛のまま。首には笛を下げ、腰には防水性のある小物入れを巻いている。

 丸い猫の見た目と、仕事のできる受付係の雰囲気が、相変わらず噛み合っていない。


「白山遊子です」


「確認しました。スタッフ用のリストバンドです」


 渡された青いバンドを腕に巻く。

 これ一つでロッカーの鍵、玩具の貸出、売店での会計までできるらしい。


「普通に便利」


「利用者が現金を持ったままプールへ入ると、紛失の原因ににゃりますので」


 ベータは続けて景娯と想楽の受付を済ませ、子供用の黄色いバンドを渡す。

 番台の横には、料金表が掲示されていた。

 子供も大人も、地域の市民プールと大きく変わらない値段。

 民営プールとしてはかなり安い。


「この値段で大丈夫なんですか?」


「入場料だけで大きな利益を出すつもりはありません」


 ベータが淡々と答えた。


「子供が夏休み中に何度か来られにゃい値段では、遊び場として意味がありませんから」


「八月は毎日やるんですか?」


「博士は何も説明してにゃいのですね……。週に二回です。あくまで玩具屋ですから」


 受付の後ろには、八月の開催予定表が貼られている。

 連日営業ではなく、金曜と土曜に開催らしい。


「水は濾過して循環させますが、永久に使えるわけではありません。水質検査、設備の清掃、一部の水の交換も必要です。毎日開けば水も電気も余計に使うことにゃります」


「思った以上に、ちゃんとプールを運営してる……」


「ちゃんとしにゃいプールへ子供を入れられるわけがにゃいでしょう」


 ベータは少しむっとした。


「ごもっともです」


 受付の横には、さらに大きな販売表があった。

 かき氷。ジュース。スポーツドリンク。タオル。ゴーグル。浮き輪。水鉄砲。魚釣り玩具。ボート型ラジコン。防水スマホケース。


「……こっちで稼ぐんですね」


「必要な物を、適正な値段で販売するだけです」


 無料で飲める水と麦茶も用意されている。

 水分補給そのものを有料にはしていない。その上で、冷えたジュースやかき氷、忘れ物をした人向けの用品を販売する。

 入場料を安くして、人を集める。

 実際に玩具で遊んでもらい、気に入れば買ってもらう。

 遊び場であり、体験販売会でもあるらしい。


「博士とシータだけに任せたら、利益を考えず無料で配り始めますから」


 ベータが番台の向こうを見た。

 入口付近には、既に子供たちの小さな集まりができている。

 その中心にいたのは、店長とシータだった。

 店長は白衣姿。

 シータは相変わらずモフモフした姿で、小さな水鉄砲が入った箱を抱えている。


「入場した子供には、一人一丁だ!」


 店長が高らかに宣言する。


「好きな色を選びたまえ!」


 箱に入っているのは、手のひらより少し大きな水鉄砲だった。

 赤、青、黄色、緑。

 透明なタンクに、小さな引き金。水を入れて引き金を押せば、前から水が出る。

 それだけ。

 百円ショップの夏用品売り場に並んでいても違和感のない、最低限の水鉄砲だった。


「これ、店で一番安いやつですよね?」


「そうだ」


 店長は迷いなく認めた。


「世界征服玩具店の入門用水鉄砲、《ファーストショット》である!」


「名前だけ大げさ!」


 どう見ても普通の水鉄砲だった。

 隼くんが青い一丁を手に取る。


「これ、あんまり飛ばないやつじゃん」


「そのままならな」


 店長は待っていたとばかりに、隣の棚を指し示した。

 そこには、小さな箱やパーツがずらりと並んでいる。


『連射ポンプユニット』


『十五メートルロングレンジノズル』


『拡張ウォータータンク』


『三方向スプレッダー』


『肩掛けストック』


『簡易照準サイト』


 水鉄砲本体は無料。

 オプションパーツは有料。


「課金だ」


 玲が端的にまとめた。


「拡張だ!」


 店長が訂正する。


「最低限の機能は本体だけで完成している。小さな子供なら軽いまま使えるし、連射したければ連射ユニットを付ける。遠くを狙いたければロングレンジノズル。水切れが嫌なら拡張タンクだ」


「全部付けたら、最初の小ささが消えません?」


「全部を付ける必要はない。自分の遊び方に合わせて選ぶのだ」


 そこだけ聞けば、玩具として正しい。

 安い本体を入り口にして、好きな機能を足していく。

 小遣いの少ない子は、そのままでも遊べる。

 一つだけ付けてもいい。

 少しずつ買い足すこともできる。

 ただ完成品を買うより、自分の水鉄砲を作っている感じも強くなる。


 隼くんは既に連射ユニットとロングレンジノズルを両手に持っていた。


「これとこれ付けたら、十五メートル連射できる!?」


「水圧が分散するから、最大射程は少し落ちる」


 景娯が横から言った。


「じゃあタンクも付ける!」


「重くなるぞ」


「重い方が強そう!」


「見た目で性能を決めるな」


 朝から揉め始めた。

 シータは、小さな女の子へ黄色い水鉄砲を渡している。


「これだけでも、ちゃんと遊べるよ〜。重いのが嫌なら、そのままが一番だからね〜」


 女の子は両手で水鉄砲を持ち、嬉しそうに母親へ見せた。

 母親はオプション棚を見た後、簡単な飾りパーツを一つ選んでいる。

 高性能だけが選択肢ではない。

 見た目を変える色付きカバーや、魚の形をしたタンクもあった。


「本体を配って、部品を売る」


 私は棚を眺める。


「結構しっかり商売してますね」


「俺の案だ」


 後ろからデルタの声がした。

 振り返ると、受付用の端末を持ったデルタが立っている。

 いつものブルーブラウンの毛皮だ。


「本体は原価も安い。全員が同じ物を持ってれば、貸出と回収の手間も減る。持ち帰って風呂でも遊べる」


「全部無料にしたい店長と、全部売りたいデルタの妥協案?」


「全部売りたいとは言ってねぇ、が継続して遊び場を開くなら、金は必要だ」


 デルタは当然のように答えた。


「水も電気も点検も無料じゃねぇ。今日だけ盛り上がって、次を開けなくなったら意味がないだろ」


 隣で店長が、子供へオプションパーツを一つ無料で付けようとしていた。


「それは売り物だ!」


 デルタの声が飛ぶ。


「初回サービスだ! 遊び始める前から制限ばかりでは、心が狭くなるぞ」


「なんでも無料で配ると、受け取り側はそれが当たり前になるんだよ!」


 運営方針の違いが、朝からはっきりしている。

 店長とシータは、まず遊ばせたい。

 デルタとベータは、稼ぐ事も含めてちゃんとお金を取りたい。

 ただし、片方に任せれば赤字になり、もう片方に任せれば売り場が増える。

 間に立つ人間が必要だった。


「助手よ、どう思う?」


「ただのバイトを経営会議に入れないでくださいよ」


 受付を終えた参加者は、旧銭湯の脱衣所へ男女別に別れて入っていった。

 外から見た規模感だと、脱衣所の先が浴場だと思うが、改装したのだろう。脱衣所から浴場は見えない様になっていた。

 古い木製ロッカーはなくなり、防水リストバンドで施錠する新しいロッカーが並んでいる。

 幼い子供と保護者が一緒に使える個室。

 水着に着替える必要のない人は、荷物を置くだけでいい。

 準備は意外なほど整っていた。


 私も服を脱ぎ、上からスタッフ用の薄いパーカーを羽織る。

 プールで働くにしても、水着だけで歩き回る勇気はない。スタッフ用の短パンとパーカーが用意されていて助かった。


 着替えを終えて浴場に出ると、男女の浴場を隔てる壁が取り壊されており、正面に富士山の壁画があった。

 青い空。

 白い山頂。

 広い湖。

 いかにも昔の銭湯らしい絵である。

 しかし、浴槽がプールにでも改造されてるのかと思いきや、浴槽自体が取り除かれていた。


 はて?と疑問に思っていると、少し先では緋村さんが水着だけ身につけ、子供達を誘導していた。

 普段は服の上からでは分かりにくかったが、肩から腕にかけてかなり鍛えられている。腹筋もはっきりしていて、ただ細いのではない。

 動くためにつけた筋肉。

 舞台上で戦い、走り、飛び、誰かを助けるための体だった。

 テレビの中でヒーローを演じているというより、本物のヒーローが普段は役者をしているように見える。

 誘導されていた男の子たちが、素直に声を上げる。


「すげえ!」


「筋肉!」


「どうやったらそうなるの!?」


「毎日、少しずつ鍛えることだね」


 緋村さんは笑いながら腕を曲げる。

 腕の筋肉が盛り上がり、子供たちから歓声が上がった。


「一日で強くなる方法はない。だが、毎日やれば昨日よりは強くなれるよ」


 言っていることまでヒーローだった。


「緋村さん、本当にヒーローみたいな体してるんですね」


「みたい、では困るな。ヒーロー役だからな」


「役者さんって、そこまで鍛えるものなんですか?」


「着ぐるみの中で動くにも、舞台で立ち回るにも体力がいる。子供の前で格好悪いところは見せられないだろう」


 真面目だった。

 しかしよく見ると水着のポケットに水鉄砲を左右に一丁ずつ入れている。


「さて、安全確認へ行こう」


「うーん、いまいち締まらない」


 その時、富士山の壁画の前で店長がアナウンスを始めた。


「参加者諸君、準備はできたか!」


 子供たちから元気な返事が上がる。

 店長がリモコンを掲げ、ボタンを押すと低い駆動音が響く。

 富士山の壁画が、中央から左右へ分かれていった。


「壁画って開くものなんですか!?」


 その奥に現れたのは、大きなチューブ型のウォータースライダーだった。

 青と透明の管が絡み合い、地下へ向かって続いている。

 入口の上には、電飾付きの看板。


『夏季限定・地下プール直通入口』


「地下!? と言うか入口に季節限定ってあるんですか?」


「夏にしか使わないからな」


「エレベーターでいいですよね?」


「プールへ行くのに、ただ地下へ降りるだけでは面白くないだろう」


「移動手段に面白さを求めすぎでは」


 周囲の子供たちは大喜びだった。

 隼くんは今にも入口へ飛び込みそうになり、緋村さんに止められている。

 想楽も目を輝かせていた。

 景娯は平静な顔をしているが、スライダーの構造を何度も見上げている。

 結果だけを見れば、店長は正しい。

 それが一番腹立たしい。


「滑りたくない人は、こちらのエレベーターを使えます」


 ベータが浴場の端を示す。

 小さな子供。

 スライダーが苦手な人。

 泳がない保護者。

 誰でも普通にエレベーターを選べる。


 スライダーの入口には身長制限と利用上の注意が書かれていた。硬い物は持ち込まない。前の人が着水してから滑る。途中で立とうとしない。

 荷物や玩具は専用の箱に入れ、別の通路から地下へ送られる。

 楽しさ優先の入口ではあるが、安全面は細かい。


「設計と確認は俺がやった」


 デルタが入口横の端末を確認しながら言った。


「試走もした。速度が上がりすぎれば、自動で水流が落ちる」


「店長が作って、デルタが安全にしたんですね」


「その言い方では、私が危険な物を作ったようではないか」


 店長が不満そうに言う。


「違うんですか?」


 店長は答えなかった。

 答えない時点で正解らしい。


「俺、一番!」


 隼くんが入口へ駆けていく。


「走るな!」


 デルタに止められ、歩いて戻される。


「プールサイドじゃないじゃん!」


「水のある場所で走る癖をつけるな」


「はーい」


 返事だけは素直だった。

 隼くんが滑り、その後に何人かの子供が続く。

 想楽も列に並んだ。


「お姉ちゃんも一緒に行こう」


「私はエレベーターで――」


「一緒に滑ろう?」


 想楽がうるうると見上げてくる。

 断れるわけがない。


「……分かったよ」


「やった!」


 姉は弱い。

 特に、妹が楽しそうな時には弱い。

 私の後ろには真帆と玲が並んだ。


「真帆も滑るの?」


「ちょっと怖いけど、せっかくだから」


 真帆は入口を覗き込み、すぐに顔を戻した。


「思ったより下が見えないね」


 玲はチューブの向こうを観察している。

 ここからだと全体的に暗いが、奥の方がほんのり明るいので、光源があるのだろう。


「かなり曲がっている」


「冷静に分析しないで。不安になるから」


 順番が来た。

 先に想楽が滑っていく。

 チューブの中から、楽しそうな声が遠ざかっていった。

 次は私。

 入口に腰を下ろすが心の準備が出来ていない。


「良い悲鳴を期待しているぞ、助手」


 店長が笑っている。


「悲鳴が出る仕掛けを入れたんですか?」


「仕掛けなどない。自然な反応を期待しているだけだ」


「その顔で言われても信用できないんですよ!」


 デルタの合図。

 水流が強くなる。体が前へ押し出された。

 最初は緩やかだった。

 青い光がチューブの中を流れ、壁面には魚や海藻の映像が映っている。

 まるで海の中を泳いでいるようで、普通にきれいだった。


「おお……」


 声が漏れる。

 楽しい。

 悔しいけれど、かなり楽しい。

 その直後、床が消えたように急降下した。


「聞いてないいいいい!!」


 声がチューブ内に反響する。

 一度大きく曲がり、反対側へ振られ、また落ちる。

 途中に透明な部分があり、地下施設の照明が一瞬だけ見えた。

 見えたと思った時には、次のカーブへ入っている。

 最後に体が大きく浮き、そのまま水の中へ放り出された。


 盛大な水しぶき。

 私は着水用のプールから顔を出した。


「ぷはっ……!」


「お姉ちゃん、遅い!」


 先に滑った想楽が笑っている。


「想楽、よく平気だったね……」


「楽しかったよ!」


 小学生の適応力が高すぎる。

 続いて真帆が滑ってきた。

 悲鳴と一緒に水へ落ちる。

 玲はほとんど声を上げず、着水した後に一言だけ呟いた。


「もう一回滑りたい」


「玲が一番楽しんでる!」


 着水用プールから上がる。

 目の前に、広い室内プールが広がっていた。

 市民プールに近い規模。

 と言うか、ここは地下五階の決戦闘技場か??

 競泳用の長いレーンではなく、遊ぶための区域がいくつも作られている。


 幼い子供向けの浅い場所。

 自由に泳ぐ場所。

 水鉄砲を使う場所。

 魚釣り玩具を浮かべた場所。

 ボート型ラジコン用の水路。

 プールサイドには椅子とテーブルが並び、泳がない保護者も見守れる。


 既にエレベーターで降りた家族が準備を始めていた。

 浮き輪へ空気を入れる父親。

 幼い子供へアームリングを着ける母親。

 ラジコンボートの箱を親子で覗き込む家族。


 いつの間にか決戦闘技場が地域の子供や保護者が利用する、普通の夏の遊び場になっていた。

 場所が商店街の地下で普通とはこれいかに。


「本当にプールを作ったんですね」


 私は濡れた髪を拭きながら、白衣姿の博士を見る。


「水中で使う玩具を売るなら、実際に遊ぶ場所が必要だろう」


 地下へ降りたため、ここからは博士である。


「言ってることだけなら、普通の玩具屋さんみたいですね」


「普通の玩具屋だが?」


「地下五階に市民プール規模の施設を作る店は普通じゃないです」


「地下ならば紫外線を気にする必要もない。水温も調整できる。雨でも猛暑でも営業可能だ。最近の学校のプールは猛暑だと中止になると聞いてな、四年ほど前から八月だけ開催している」


 夏の屋外プールは楽しい。

 けれど、日焼けもする。暑すぎれば危険だし、雨が降れば遊べない。

 ここなら天候は関係ない。

 小さな子供も、保護者の目が届く範囲で遊べる。

 博士のやることは規模がおかしいだけで、目的までおかしいとは限らない。


「ユズちゃん、見て見て〜」


 プールの奥からシータの声がした。

 振り向くと巨大な二体のクマが歩いてきた。

 ただし、いつもの姿ではない。

 シータもデルタも、普段の長くモフモフした毛ではなく、短く整った毛の外装へ交換されている。水を吸いにくく、濡れても毛が抜けにくいらしい。

 その上から、水泳選手が着るような全身型の水着を着ていた。

 私たちが着替え、順番に滑っている間に外装を交換したらしい。

 巨大なクマ二体が、本格的な競泳水着姿で並んでいる。

 情報量が多い。


「どう? 速そうでしょ〜」


 シータが両手を上げ、競泳選手のようなポーズを取る。


「世界大会に出そうです」


「えへへ〜」


「出ねぇぞ」


 隣のデルタは、安全確認用のボードを持っていた。額には大きなゴーグルまで載せている。


「その水着、必要なんですか?」


「外装の固定と、水の抵抗を減らす効果がある」


「ゴーグルは?」


 デルタが一瞬黙った。


「雰囲気だ」


「そこは素直!」


 一般の子供たちも、普段とは違う二体の姿に集まってきた。


「シータ、泳ぐの?」


「競争しよう!」


「デルタ、潜れる?」


 シータは楽しそうに子供たちへ手を振る。

 デルタは安全確認が終わってからだと言いながら、一人ずつ質問に答えている。

 保護者から写真を撮りたいという声も上がった。


「写真なら、今のうちに並んで撮ろうか〜」


 シータがその場に座る。


「営業開始前だ。先に説明をする」


 デルタが止める。


「説明の後だと遊びに行っちゃうよ〜」


「なら休憩時間に撮れ」


「今撮った方が楽しいのに〜」


 水へ入る前から、楽しさ優先派と運営優先派がぶつかっている。


 結局、スマホでの写真撮影は今だけ数分。

 印刷した耐水写真が欲しい場合は、後で売店から注文できることになった。


 営業開始前の説明は、デルタが担当した。

 博士ではない。

 博士に任せると、安全説明の途中で新しい遊びを思いつくからだ。


「プールサイドは走らず、水鉄砲は指定区域だけ。近くから顔を狙うな。魚釣りの竿は振り回すな」


 子供たちがプールサイドへ並んでいる。

 シータもなぜか子供たちに混ざって座っていた。


「ボートが止まっても、泳いで取りに行くな。オレ達を呼べ。一定時間ごとに休憩を入れる。具合が悪くなったら、すぐベータか近くのスタッフに言え」


 デルタは短く、分かりやすく説明していく。

 博士が横から手を上げた。


「水鉄砲で撃たれた者は――」


「余計なルールを足すな」


 判断が早い。

 その後、スタッフの役割も発表された。

 デルタはプール全体の安全管理。

 ベータは受付、売店、体調管理、休憩時間の管理。

 博士は玩具の説明と進行。

 シータは幼児用区域と魚釣り区域の補助。

 緋村さんは利用者の誘導と見守り。

 私は玩具の貸出、迷子対応、全体の補助。


「そして、私が何か始めた時の補佐を頼む」


 博士が付け加えた。


「何か始める予定があるんですか?」


「今のところはない」


「今のところって言いましたね?」


 嫌な予感しかしない。

 真帆、玲は普通の参加者である。

 私の知り合いだからといって、優先されるわけではない。

 ボート型ラジコンの前には、既に何人かの子供が並んでいた。

 景娯は博士からもらった優先試遊券を見た後、ポケットへしまう。


「使わないの?」


「別に後でいい」


 列の最後へ回った。

 権利を使えば先に遊べる。

 それでも、今日を楽しみに並んでいた子供たちの前には入らなかった。

 弟のそういうところは、姉として少し嬉しい。


「優先券まで貰って買収されたのに」


「取引」


「まだ言うんだ」


 プール営業が始まった。

 子供たちは一斉に散っていく。

 隼くんは当然のように水鉄砲区域へ向かった。

 無料で配られたファーストショットには、連射ユニットと拡張タンクが取り付けられている。

 自前の水鉄砲は使わないらしい。


「見ろ、ユズ! 連射型!」


「もう買ったの?」


「ガングーが試していいって!」


「売り物ですよね!?」


 博士を見る。

 目を逸らされた。

 デルタが気づけば怒る。

 私は見なかったことにした。

 隼くんは他の子供たちと的当てを始めた。最初は知らない同士だったはずなのに、数分後にはどちらが遠くの的へ当てられるか競っている。


 水鉄砲は強ければいいわけではない。

 小さな子には軽い本体の方が扱いやすい。

 射程を伸ばせば狙いが難しくなる。

 タンクを大きくすれば、水を入れた時に重くなる。

 デルタは子供の年齢や体格を見て、パーツを勧めていた。


「連射型は?」


 小さな男の子が尋ねる。


「これは少し重い。最初はそのまま使ってみろ」


 男の子は納得したのか、何も付けていない水鉄砲を両手で構えた。

 近くの的を狙う。

 一発目は外れたが、二発目が的の端へ当たる。


「当たった!」


「おう。まずはそれで十分だ」


 デルタの接客は、売上優先に見えて意外と良心的だった。

 高い部品を付ければいいとは言わない。

 遊ぶ本人に合っているかを先に見る。


 一方、博士は少し離れた場所で、中学生くらいの男の子に十五メートルノズルを勧めていた。


「遠くの的を狙いたいなら、これだ!」


「博士、無料で配らないでくださいね?」


「……うむ」


「何ですか今の間は!」


 魚釣り区域では、想楽と真帆が小さな子供たちに混ざっていた。

 浅い水の中を、色とりどりの魚型玩具が流れている。

 磁石の付いた釣竿で魚を釣る。

 仕組みは単純。

 それだけに、小さな子供でもすぐに遊べる。


「もう少し待って。魚がこっち向いた時に下ろすといいよ」


 想楽が年下の女の子へ教えている。

 女の子が竿を下ろす。

 磁石同士がくっつき、ピンクの魚が持ち上がった。


「釣れた!」


「やったね!」


 想楽が自分のことのように喜んだ。

 真帆も、釣り糸が絡まった男の子を手伝っている。

 玲はしばらく魚釣りを眺めた後、ラジコン区域へ移動していた。

 静かだが、興味がある物へ向かう時は迷いがない。


 魚釣り区域の中央では、シータが水の中に座っている。

 子供たちから見えないように、尻尾や手で魚を少しずつ動かしていた。

 なかなか釣れない子の近くへ、魚を寄せているらしい。


「シータ」


 ベータの声が飛ぶ。


「勝手に魚の位置を変えにゃいでください」


「だって、ずっと釣れないと寂しいでしょ〜」


「全員同じ条件で遊べなくにゃります」


「一匹くらいならいいじゃん〜」


「待つのも釣りです」


 シータは尻尾を止めた。

 けれど、ベータが別の方を向いた瞬間、魚を一匹だけ女の子の方へ押していた。

 反省はしていないが、これに関して私はシータ派だ。



 ボート型ラジコン区域には、浮きで簡単なコースが作られている。

 初心者向けの広い水面。

 障害物を避けて進むコース。

 一回の試遊時間は決められており、順番に交代する。

 景娯は列へ並びながら、先に走っているボートを観察していた。

 玲もその少し後ろにいる。


「玲もラジコン好きなの?」


「ほとんど触ったことはない」


「じゃあ何でそんなに真剣なの?」


「触ったことがないから」


 玲らしい答えだった。

 緋村さんは、コース横で子供たちへ操作方法を説明している。


「左のレバーで速度、右で方向だ。最初はゆっくりでいい」


「おじさん、やってみて!」


「おじさん……」


 緋村さんが一瞬だけ固まる。

 子供から見れば二十代も四十代も同じ様な大人である。

 仕方がない。


「仕方ない。まずは見本を見せよう」


 コントローラーを受け取った。

 ボートが滑らかに水面を進む。

 最初の浮きを回り、細い通路を抜ける。速度を落とさず、きれいに障害物を避けていく。


「うまい!」


「当然さ」


 緋村さんの顔が、仕事をしている人ではなくなっていた。


「緋村さん、もう遊んでますよね?」


「……実演ですよ」


「二周目に入りましたけど」


「応用的な実演かな」


「顔が完全に参加者なんですけど」


 緋村さんは三周目へ入る前に、名残惜しそうにコントローラーを子供へ返した。


「次は君の番だ」


「うん!」


 手伝いはしている。

 遊んでもいる。

 宣言どおりだった。



 しばらくすると、売店にも人が集まり始めた。

 水鉄砲を使った子供が、違うオプションを欲しがる。

 釣りの玩具も、ここで使っている大型版ではなく、家の風呂でも遊べる小型の魚釣りセットが並んでいた。

 ラジコンボートの値段を、親子で真剣に眺める。

 すぐに買う人ばかりではない。

 それでも、箱を見ただけの商品より、実際に遊んだ玩具の方が欲しくなる。

 玩具店としては、かなり効果的な販売方法だろう。


「水鉄砲本体、追加で十個売れたぞ」


 デルタが売上端末を確認している。


「無料で一丁もらってるのに?」


「兄弟用や、家へ置いとく分だ。色違いが欲しいって子もいる」


 本体が安いからこそ、追加でも買いやすい。

 そこからオプションを増やすかは、遊ぶ本人次第。


「商売がうまい」


「続けるには必要だ」


 デルタはプール全体へ視線を向けた。


「一回だけなら赤字でもできる。八月中、何度も開くなら話は別だ」


 売上。維持費。水。電気。清掃。安全管理。

 地下にプールを作るという派手な話の下には、現実的な問題が積み重なっている。

 デルタとベータは、そこを支えていた。

 博士とシータだけなら、今日一日を最大限楽しくすることはできるだろう。

 その代わり、来週には無料配布しすぎて在庫が消えているかもしれない。



 ベータの笛が、プール全体に響いた。


「休憩時間です! 全員、プールから上がってください!」


 子供たちから不満の声が上がる。


「まだ遊びたい!」


「あと一回!」


「休憩後に再開します。今上がらにゃい者は、午後の利用時間を短くします」


 ベータの声は強かった。

 見た目は大きな猫なのに、こういう時は誰よりも逆らいにくい。

 保護者も協力し、子供たちをプールから上げていく。

 無料の水や麦茶を飲む家族。

 ジュースを買う子供。

 タオルへくるまる幼児。

 かき氷の売店には、すぐに列ができた。


「いちご一つ!」


「メロン!」


「ブルーハワイって何味?」


「あれはね、全部同じ味なんだ」


「玲、子供の夢を壊さないで」


 緋村さんも売店でかき氷を作るのを手伝っていた。

 そこに男の子が注文をする。


「いちごをお願いします! 大盛りで」


「大盛りはないですよ」


 言いながら緋村さんは器を取り、氷を高く盛り始めた。

 こんもり。

 さらにもう一度。

 器の上に、小さな雪山ができる。


「緋村さん」


 低い声がした。

 ベータが後ろに立っている。


「何でしょう」


「量は決められています」


「少しくらいのサービスなら良いかなと」


「食べすぎて腹を冷やせば、午後の見守り業務に支障が出ます」


 ベータは山盛りの上半分を別の器へ移した。

 かき氷が、普通の高さへ戻る。


「確かに健康第一だな」


「午後も遊びたいなら、適量を守ってください」


 緋村さんは普通盛りになったかき氷を「ごめんね」と、申し訳なさそうな笑顔で渡した。

 猫に注意される、ヒーロー形無しである。

     


 売店を手伝いながら、改めてプールを見渡した。

 水鉄砲で撃ち合っていた子供たち。

 魚を何匹釣れたか数えている子供。

 ラジコンの操作について話す親子。

 プールへ入らず、椅子から孫を見守っている人もいる。

 紫外線はない。

 雨も関係ない。

 水温も一定。

 入場料は高くなく、玩具を試せる。

 その場で気に入った物を買うこともできる。


「悔しいですけど、普通に良い企画ですね」


 デルタが隣で売上端末を見ている。


「何で悔しがる」


「店長のやったことを素直に褒めると、次が怖いので」


「確かにな」


「デルタもそう思うんですね」


「良い企画なのは間違いねぇ。ただし、今のまま終わればだ」


 デルタがプールの中央を見る。

 博士が立っていた。その隣にはシータ。

 二人とも、水鉄砲区域、魚釣り区域、ラジコン区域を順番に眺めている。

 やがて博士の口元が上がった。

 シータも器用に同じ顔をする。


「……嫌な予感しかしねぇ」


「奇遇ですね。私もです」


 普通のプール営業は、どうやら午前中までらしい。

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