第18話 雨が止むまで世界征服
八月の世界征服玩具店は、玩具店というより児童館の様だった。
「ユズ、ハサミどこ?」
「工作机の青い箱」
「ユズ! ヨンクラ走らせていい!?」
「人がいない通路だけ。全速は駄目」
呼ばれるたび、店内を右へ左へ移動する。一問一答が止まらない。止まったと思ったら次が飛んでくる。
「ユズお姉ちゃん、これ取れない」
「今行くから引っ張らないでね」
学校が夏休みに入ってから、店に来る子供の数は目に見えて増えた。工作キットを作る子。カードで遊ぶ子。ヨンクラを調整する子。試遊品を手に、何度も同じ棚を往復する子。
以前なら、子供が多い日は少し忙しいくらいで済んでいた。
今は違う。
私は夏休みイベント補佐主任である。
主任。
高校一年生のアルバイトに与えていい役職なのかは今でも分からない。そもそも役職は断ったと言うのに、何故やらされるのか……。何を補佐しているのかも曖昧だし、主任だからといって時給が上がったわけでもない。増えたのは、呼ばれる回数だけだった。
「お姉ちゃん、見て!」
想楽が工作机から手を振っている。透明な板に青い色紙を貼り、小さな魚を何匹も泳がせた飾りを作っていた。その隣では、低学年らしい女の子が同じように色紙を切っている。
「海?」
「水族館。ここの魚、光るんだよ」
「まだ途中!」とすぐ付け加えて、また作業へ戻ってしまった。
途中でも綺麗だよ、と心の中だけで返しておいた。言うと長くなってしまう。
少し離れた場所では、隼くんがヨンクラを床に置いた。
嫌な予感がした。
「隼くん」
「まだ走らせてない!」
「その構えは走らせる人の構えだよ」
「ちょっとだけ」
言いながら、手元の設定を確認している。少し前に全速に変えたのを私は見ていた。
「さっき全速に設定してるの見たからね」
「見てたの!?」
「夏休みイベント補佐主任だから」
自分で言っていて、少しだけ虚しくなった。主任の仕事が小学生の監視なのだとしたら、肩書きだけが無駄に立派である。
店の入口には、シータとデルタがいつも通り並んでいた。営業時間中なので、二体とも巨大なクマのぬいぐるみとして振る舞っている。
店長は地下にいる。
何をしているのかは聞いていない。聞いても教えてくれない可能性が高いし、教えてもらった結果、仕事が増える可能性はもっと高い。ベータも地下で忙しいらしく、夏休みに入ってから決戦闘技場のフードコーナーの利用者が増えたそうだ。
地上も忙しい。地下も忙しい。
世界征服は、まず人手不足を征服するべきだと思う。
「暑いー」
隼くんが床へ座り込んだ。
「冷房効いてるでしょ」
「外見たら暑くなった」
「それ気分の問題じゃん」
私も釣られて窓へ目を向ける。アーケードの向こうには、夏の日差しが白く広がっていた。道を歩く人も少なく、遠くの景色が熱でわずかに揺れている。朝の天気予報では、一日中晴れ。夕立の予報もなし。
それなのに、空気が妙に重かった。冷房の効いた店内にいても、外から湿気が押し込んでくるような感覚がある。
「雨でも降りそう」
何となく呟く。
窓際にいた黄色いTシャツの男の子が、外を見て言った。
「晴れてるよ」
「今はね」
この子は今日、一人で来ていた。何度か見たことのある顔で、工作キットやミマモリキャットβの棚をよく眺めている子だ。母親が夕方に迎えに来るまで、店で遊んでいていいと言われているらしかった。
「雨降らないよ」
もう一度言う。なぜか、少し言い聞かせるような声だった。
「そうだといいね」
私が答えた直後、アーケードの向こうが暗くなった。
本当に、一瞬だった。
さっきまで白く光っていた道が影に覆われ、店先の旗が急に大きく揺れる。
「うわっ!」
隼くんが窓へ駆け寄った。雨雲が、視界の端から端まで広がっている。
「デルタ、手伝って!」
「分かった」
新規客の姿がないことを確認して、デルタが定位置から動く。私は店先の箱を抱え、デルタは外に出していたワゴンごと店内へ引き込んだ。シータが入口近くの子供達へ声をかけながら、奥へ誘導していく。
「みんな、もう少し奥に入ってね〜。濡れちゃうよ〜」
最後の箱を持ち上げたところで、大粒の雨が落ちてきた。
一粒、二粒ではなかった。屋根を叩く音が一気に広がり、アーケードの外が白く霞む。道を歩いていた人達が、近くの店へ走り込んでいく。
「すげえ!」
隼くんが目を輝かせる。
「外に出たら駄目だからね」
「分かってる!」
「本当かなぁ」
帰ろうとしていた子供達も慌てて戻ってきた。私は入口近くの子供を誘導しながら、濡れた鞄の子へタオルを探す。
その時、空が白く光った。
ほとんど間を置かず、腹の底まで響くような音が落ちてくる。
天井の照明が消えた。
「きゃっ!」「うわ!」「停電!?」
子供达の声が暗闇に重なる。冷房の音も止まり、機械が動く音だけがすべて消えた。残ったのは雨音と、子供達の息遣い。
「みんな、その場から動かないで!」
私が声を上げた直後、入口付近に二組の光が浮かんだ。
丸い目が四つ。
ピンクブラウンとブルーブラウンの巨大なクマが、暗闇の中からこちらを見ている。
「怖っ!」
誰かが叫んだのも無理はない。目だけ光るクマは、どう見ても怖い。
「シータ、デルタ! 目を閉じて!」
「え〜?」
「瞼がねぇんだから、閉じられるわけないだろ」
「今までで一番ぬいぐるみらしい欠点が出た!」
その時、店の奥から音がした。何かを転がす音。ゆっくりと近づいてくる。
シータとデルタより低い位置に、もう一組の目が光った。
「増えた!」「何か来る!」
「落ち着いてください」
暗闇の中から、可愛いらしい声が聞こえる。
「子供達の不安を検知しましたので、必要物資を持ってきました」
「ベータ!?」
床の非常灯が点いた。淡い光の中に、オレンジブラウンの大きな猫が浮かび上がる。全長一メートルを超えるキジトラ柄の猫型AI。その前足には、タオルと紙コップを積んだワゴンがある。
暗闇で目だけ光っていた時は完全に怪談だったが、姿が見えた途端、子供達の反応が変わった。
「猫だ!」「でかい!」「ミマモリキャット、本物!?」
ベータの周りへ子供達が集まる。耳を触ろうとする手をかわしながら、ベータは一人ずつ丁寧に確認を始めた。
「先に濡れた者はタオルを受け取ってください。冷たい飲み物と温かい飲み物も用意していますが、急に冷たい物ばかり飲むと腹を壊す可能性があります。順番に――」
「尻尾動いた!」
「触っていい?」
「急には触らないでください。あと耳は装飾ではなく音声収集機器も兼ねています」
真面目に説明すればするほど、子供达の興味が増していく。なんだこれは。
ベータは不満そうにしながらも、濡れた子へタオルを渡し、飲み物の希望を聞き始めた。想楽もいつの間にかタオルを持ち、隣に並んでいる。
「温かいのと冷たいの、どっちがいい?」
「冷たいの!」
「一気に飲んではいけません」
「はーい」
停電直後の緊張が、少しだけ薄れた。
ベータは子供達の健康管理のために作られた。普段は社畜という印象が強すぎるけれど、こういう時の動きはさすがだ。頼りになる、と素直に思う。思いながらも「社畜」というワードが頭から離れないのは、日頃の積み重ねである。
「状況は?」
店の奥から店長が現れた。白衣の片手に、見たことのない小型端末を持っている。画面には雨雲の画像と、細かい数字が表示されていた。
「落雷は商店街の外れだ」
デルタが答える。
「店内に火災、漏電の反応なし。入口側に吹き込んだ雨も、商品への被害もない」
「負傷者は?」
「いないよ〜」
シータが店内を見回した。
「子供は十三人。ユズちゃんも入れて十四人だね〜」
「私は子供に数えないでください」
「十六歳は保護対象だよ〜」
「今は店員側です!」
店長は私達のやり取りを聞き流し、端末へ目を落とした。
「雷雲の中心が抜けるまで、あと三十五分」
「そんなの分かるんですか!?」
やはりここの謎技術は侮れない。当たるかどうかは半信半疑だが。
しかし停電した店内で待つには、三十五分は少し長い。雨音はまだ激しく、遠くでは雷も鳴っている。
黄色いTシャツの男の子は、非常灯の近くに立ったまま、両手を握りしめていた。
「保護者への連絡は?」
「今送ってるよ〜」
シータの目が一瞬だけ明滅した。
「『急な雷雨のため、お子さんは世界征服玩具店で雨宿りしています。雨が弱まるまで安全にお預かりします』っと」
「全員の連絡先、登録されてるんですか?」
「登録されてない人もいるよ〜」
「どうやって送ってるんですか?」
シータは答えず、柔らかく笑った。笑顔で誤魔化すスキル、この店で一番高い。
その直後、シータの目がもう一度光る。
「返信来た〜。『ありがとうございます。でも、なぜうちの連絡先を知っているんですか』だって〜」
「正しい反応!」
「安心してるみたいだよ〜」
「不安も増えてますよ!」
店長は特に気にした様子もなく、電源盤の前へ向かった。蓋を開け、内部のスイッチをいくつか操作する。止まっていた冷房が動き始め、続けてレジ周辺の機器が復旧した。
けれど、天井の照明だけは暗いままだった。
「店長、照明は?」
「まあ見ていたまえ」
「何をですか?」
答えず、店長は奥へ戻っていく。いつもの嫌な予感とは少し違う。デルタは追いかけもせず、止めようともしなかった。
「デルタ、分かってるんですか?」
「まあな」
「教えてくれないんですよね?」
「分かってんじゃねぇか」
「流石に慣れました」
数分もしないうちに、店長が戻ってきた。大きな箱を両腕で抱えている。
床へ置き、蓋を開ける。
中に入っていたのは、色も形もばらばらな小型ランタンだった。丸いもの。四角いもの。持ち手が付いたもの。宝石のような形をしたもの。動物の顔が付いているものまである。
「試作品だ」
店長は一つを取り出し、握った。柔らかな光が灯る。力を緩めると暗くなり、もう一度握ると明るさが増した。
「おお!」
隼くんが一番に近付いてくる。
「それ何!?」
「携帯照明装置である」
「ランタンでいいですよね」
「呼称は今後決定する」
「長い名前を付ける気だ……」
店長は私のツッコミを無視して、ランタンを子供达へ配り始めた。一人に一つ。赤、青、緑、黄色。子供が持つたび、暗かった店内に小さな光が増えていく。
黄色いTシャツの男の子には、ほかより少し小さな丸いランタンを手渡した。男の子が両手で握ると、淡い橙色の光が灯った。
「君は照明班の先頭だ」
「照明班?」
「この店内は現在、未征服の暗黒領域となっている」
「元から店長の店ですよね?」
答えない。店長が白衣を翻し、光の増えた店内を見回す。
「雨が止むまで、この店内を特別な支配領域とする!」
「だから元からですって!」
子供達から歓声が上がった。
「何するの!?」「世界征服!?」「外も行く?」
「外は駄目!」
そこだけは私とデルタの声が重なった。
店長は子供達を三つの班に分け始めた。店内を明るくする照明班、窓から雨雲の動きを確認する観測班、小さい子と一緒に動く護衛班。名前は物騒だけれど、内容は暗い店内で安全に動くための役割分担だった。
「俺、観測班!」
隼くんが手を上げる。
「外に出ないで窓から見るだけだからね」
「分かってる!」
「さっきと同じ返事だなあ」
想楽は低学年の女の子と手をつないだ。
「私、護衛班やる」
「じゃあ私も!」と隣の子がすぐ続く。
工作をしていた子供達も、それぞれランタンを持って班へ分かれていく。
黄色いTシャツの男の子は、まだ少し戸惑っていた。店長がその子の持つランタンを指差す。
「先頭が止まれば、後ろも止まる。ゆっくり進みたまえ」
「……うん」
男の子は小さく頷いて、照明班の先頭に立った。
店長が棚へ自分のランタンを照らした瞬間、普段は見えなかった模様が浮かび上がった。
青白く光る矢印。
「何かある!」「こっち!」
「走るな!」
矢印の先には、別の棚がある。ランタンを近づけると、今度は箱の隅に小さな星が現れた。
「見つけた!」「次どこ!?」
いつの間に仕込んだのか、店内のあちこちに蓄光印刷や小さなマークが隠されていた。子供达はランタンを手に、暗い店内を探検し始める。
私はその後ろを追いかけながら、棚へぶつかりそうな子の肩を止め、床の商品を端へ寄せた。
「隼くん、走らない!」
「走ってない! 速歩き!」
シータが入口から声を出す。
「次はラヴェンナの棚の近くだよ〜」
「シータ、それほぼ答え!」
「じゃあ、もう少し右〜」
デルタは通路の角に立ち、勢い余って棚へ突っ込まないよう見張っている。ベータはワゴンを押しながら、濡れた服の子と顔色を確認してまわっていた。
「走った者はお菓子を後回しにします」
「何で!?」
「心拍数が上がっている状態で甘い物を食べないためです」
「じゃあ歩く!」
ベータの言葉は正しい。正しいのだけれど、完全に子供達の管理係になっている。
でも気付けば、最初に店内を包んでいた緊張は消えていた。雷の音も、探索遊びの背景音になっている。
ラヴェンナの箱に描かれた剣が光り、θδシリーズの棚には小さな足跡が浮かび上がる。工作キットのコーナーでは、床に光る線が現れ、子供達を次の場所へ案内していた。
普段から見慣れているはずの店が、照明が変わるだけで別の場所に見える。
「これ、いつ作ったんですか?」
私は近くにいた店長へ尋ねた。
「商品パッケージの印刷試験だ」
「試験を店中に仕込まないでください」
「役に立っただろう」
「今日だけは否定しにくいですね」
探索が一周した頃には、最初の緊張はほとんど消えていた。子供達は見つけた光の模様を報告し合い、次にどこを探すか相談している。
シータが、子供の持つランタンを覗き込んだ。
「これ、絵も映せるんじゃない?」
「勿論、できる」
店長が待っていたように答えた。
店長がランタンの側面を操作すると、壁に大きな怪獣の影が映し出された。
「うおお!」
一番に反応したのは隼くんだった。
「俺、怪獣やる!」
「今映ってるのが怪獣だよ」
「動かす方!」
ランタンを受け取った隼くんは、壁の前で腕を大きく振った。影の怪獣が左右に暴れ、あっという間に画面の外へ消えた。
「怪獣逃げた!」
「今戻る!」
「動きが大きすぎるんだって!」
想楽達は別のランタンでヒーローの影を映す。小さな子供達は、家や車、星の形を壁に並べ始めた。複数の光が重なり、何もなかった白い壁に、即席の町が作られていく。
「お姉ちゃん、ナレーションやって!」
「何で私?」
「主任だから!」
「その肩書き、便利に使われすぎじゃない?」
断る間もなく、想楽がヒーローを動かした。
「突然、町に怪獣が現れました」
私は仕方なく声を付ける。壁の端から、隼くんの怪獣が飛び出した。
「がおー!」
「怪獣自身が喋るんだ」
「そして怪獣は町を――」
「制圧する!」
店長が横から足した。
「余計な世界征服要素を入れないでください!」
子供達が笑う。雨音が屋根を叩く。雷が鳴る。それでも今は、それすら怪獣が現れた時の効果音みたいだった。
店長が別の装置を操作すると、怪獣の影が一気に大きくなった。壁いっぱいに広がり、店の窓にまで映り込む。
「迫力が増しただろう」
「停電中の商店街に怪獣を出さないでください! 近所の人が通報しますよ!」
「世界征服玩具店らしい演出だ」
「開き直らないでください!」
渋々、投影範囲を戻させる。
その直後、また近くで雷が鳴った。
店内が一瞬、白く光る。
黄色いTシャツの男の子の手が止まった。両手で握っていたランタンの光が、急に強くなる。周りの子供达はヒーローショーに夢中で気付いていない。
私は男の子の近くへ移動し、隣へしゃがんだ。
「大丈夫?」
「平気」
返事は早かった。けれど、ランタンを握る手には力が入っている。怖くないとは言っていない。平気だと言っただけだ。
少し待っていると、男の子がランタンを見たまま、小さな声で尋ねた。
「……まだ、ここにいていいの?」
「この雨の中で帰すわけないでしょ」
私は店内を見回した。壁では隼くんの怪獣が暴れ、想楽達のヒーローが追いかけている。シータは子供達に次の影を渡し、デルタは棚へ近付きすぎた子を静かに戻していた。ベータは飲み物を片手に走ろうとした子へ説教をしている。
「雨が止むまで、ここにいていいよ」
私は男の子へ言った。
「店長は変だけど、店は頑丈だから」
「変とは何だ、助手よ」
振り返ると、店長がすぐ後ろに立っていた。
「今は安心材料になってください」
店長は何も言わず、男の子が持っているランタンを受け取る。側面を少し操作して、また返した。男の子が握ると、さっきより柔らかい光が、手の中から広がった。何を変えたのかは説明しなかった。
「照明班が一人減っているぞ」
それだけ言って、ヒーローショーの方へ戻っていく。
男の子はランタンを見つめた。それから立ち上がり、怪獣の影を動かしている隼くんの方へ向かう。
「僕もやっていい?」
「いいよ! じゃあこっち照らして!」
男の子のランタンから光が伸びる。怪獣の後ろに、新しい影が加わった。
空を飛ぶ、小さな竜だった。
店長の端末には、雨雲が抜けるまでの残り時間が表示されていた。
最初に聞いた時は長く感じた三十五分が、気付けば残り五分になっている。屋根を叩く雨音も、少しずつ弱くなっていた。
「そろそろ止みそうだね〜」
シータが外を見て言った。
壁では、ヒーローと怪獣が最後の戦いをしている。黄色いTシャツの男の子は、飛竜の影を動かしながら、ふと外を見た。
「……雨、止まらなくてもいいのにな」
一瞬だけ、周囲が静かになった。男の子は自分の言葉に気付き、慌てて続ける。
「ずっとじゃなくて。もうちょっとだけ」
「分かる!」
隼くんがすぐに声を上げた。
「俺、まだヒーロー役やってないし!」
「怪獣役を選んだの隼くんでしょ」
「次はヒーローやる!」
想楽達もランタンを掲げ、「もう一回やりたい!」「次、猫の影!」の声が重なる。
「ベータやって!」
子供達が一斉にベータを見た。
ベータはワゴンの横で姿勢を正す。
子供達に囲まれたまま、ベータの姿が見えなくなった。
「耳触っていい?」
「許可なく触れないでください」
「尻尾動かして!」
「見世物ではありません」
口では注意しているものの、ベータは子供達を追い払おうとはしない。足元で転びそうになった子を尻尾で支え、ランタンを落とした子には前足で拾って渡している。
「デルタ、ベータって子供に慣れてますよね」
「子供のために作られてるからな」
「扱いは上手いのに、ずっと文句言ってますけど」
「子供が嫌なんじゃなく、やたらと絡まれるのが得意じゃないんだろな」
「そこは猫なんですね」
「我輩は高性能健康管理支援AIです!」
子供達の向こうから、ベータの訂正だけが飛んできた。
私は店長を見る。店長は得意げに何かを説明するでもなく、端末の残り時間を確認していた。残り四分。
店長はランタンを一つ持ち上げた。
「では、最終作戦を開始する!」
「最終作戦?」
子供達が店長へ集まる。
「全ての光を接続し、店内最大の支配紋を完成させる!」
「言い方が不穏!」
「みんな、ランタンをこっちへ向けたまえ!」
子供达が壁へ並ぶ。一人ずつ、ランタンの光を重ねていく。
赤。青。黄色。緑。橙色。
細い光の線がつながり、壁いっぱいに大きな絵が浮かび上がった。
巨大なクマが二体。その間には猫。周りを囲むように、子供达が作った星、魚、車、ヒーローと怪獣の影が並んでいる。
「シータとデルタだ!」「ベータもいる!」「俺の怪獣も!」「魚もある!」
歓声が次々に重なる。最後に、店長が自分のランタンを向けた。
絵の上に、大きな文字が浮かび上がる。
『世界征服完了』
「何を征服したんですか?」
「三十五分だ」
その直後、天井の照明が点いた。
急に明るくなった店内で、子供达が目を細める。冷房以外の音も戻り、レジや展示棚の電源が順番に立ち上がっていく。
外を見ると、雨はまだ少し降っていた。けれどさっきまでの勢いはなく、アーケードの向こうには雲の切れ間から夕方の光が差し込んでいる。
「終わったー」
隼くんが残念そうに言った。
「停電が終わって残念がる人、初めて見たよ」
「だってまだ遊べたじゃん」
「雨が止めば帰れるでしょ」
「また停電したらやろうぜ!」
「停電を期待しないでください」
子供達はランタンを箱へ戻し、帰る準備を始めた。保護者もちらほら迎えに来た。
世界征服玩具店から突然連絡を受けた親御さん達は、子供の無事を確認して安心しつつ、なぜ連絡先を知られていたのか少し不安そうだった。その点については、後でシータと店長にきちんと説明してもらう必要がある。
黄色いTシャツの男の子の母親も、店へ入ってきた。
「すみません。急に降ってきたので心配で」
私が「大丈夫でしたよ」と答えるより先に、男の子が母親のところへ走っていく。
「お母さん、停電したんだよ!」
「怖くなかった?」
「平気だった」
男の子は少しだけ胸を張った。それから思い出したように、ランタンを持ったまま店長のところへ戻る。
「これ、返す」
「うむ」
店長が受け取ろうとすると、男の子はランタンを離さなかった。
「これ、怖くなくなる玩具?」
店長は男の子を見る。
「違う。怖くなくなるわけではない」
少し間を置き、ランタンを受け取った。
「怖い時にも、周りを見失わずに済む玩具だ」
男の子はすぐには答えなかった。店長とランタンを交互に見て、少し考える。やがて、小さく頷いた。
「また来てもいい?」
「無論だ」
「次は雨じゃない日でも?」
「営業時間内なら問題ない」
「そこは普通なんですね」
私が言うと、男の子は笑った。母親と手をつなぎ、雨上がりの商店街へ帰っていく。
店内には、三十五分間の跡が残っていた。動かされた商品。飲み終えた紙コップ。畳まれたタオル。壁際に並んだランタン。
私は想楽と一緒に、床へ落ちた工作用の色紙を拾う。
「楽しかったね」
想楽が言った。
「停電した時はどうなるかと思ったけどね」
「またやりたい」
「停電なしでやろうね」
「暗くしないとできないよ」
「店長なら普通に暗くしそうなのが怖いなあ」
想楽は拾った色紙を箱へ戻し、ベータの片付けを手伝い始めた。
私はランタンを箱へ収めている店長へ近付く。
「最初から、こうするつもりだったんですか?」
「商品化する」
「質問に答えてください」
「名称は、世界征服緊急侵略用携帯照明装置」
「却下で」
シータが入口から振り返った。
「普通に、お守りランタンでいいんじゃない?」
「侵略要素がない」
「いらないんですよ」
デルタも箱を覗き込む。
「少なくとも、子供が覚えられる名前にしろ」
「世界征服緊急侵略用携帯照明装置は覚えやすいだろう」
「どこがですか」
その場の全員が否定した。
ベータがワゴンを押しながら戻ってくる。
「防災用品として販売するなら、連続使用時間と耐水性能の再検証が必要です。子供向けであれば落下試験も追加してください。光量の上限と発熱も確認が必要です」
「うむ。ではベータに任せよう」
ベータの足が止まった。
「何故ですか」
「健康と安全の管理は、君の専門だろう」
「我輩の仕事を増やさないでください!」
雨上がりの店内に、ベータの声が響いた。
三十五分前、子供達は早く明るくなってほしいと思っていた。早く雷が止んで、早く帰れるようになってほしい。少なくとも、あの男の子はそう思っていたはずだ。それが最後には、もう少しだけ雨が止まなければいいと言った。
店長は停電を直さなかった。代わりに、暗いまま遊べる物を出した。
玩具は雨を止められないし、雷を消すこともできない。それでも、雨が止むまでの時間を短く感じさせることはできる。
「白山くん、商品名の候補を出したまえ」
「お守りランタンでいいじゃないですか」
「世界征服要素が足りない」
「足さなくていいです」
店長はわずかに考える顔をした。
「では、世界征服お守りランタン」
「雑に混ぜないでください!」
シータが笑い、デルタが呆れ、ベータは増えた仕事の一覧を確認している。
外では、屋根から落ちる最後の雨粒が、濡れた石畳を叩いていた。
雨が止むまでの短い世界征服は、たぶん成功だった。




