第17話 自由研究に余計な機能はいらない
夏休みに入って、数日が経つ。
世間の高校生が夏休みを満喫し始めるこの時期、私は世界征服玩具店のレジで数学の問題集を開いていた。
もちろん、バイト中である。
仕事をさぼっているわけではない。今は店内にお客さんがいないし、品出しも掃除も終わっている。手が空いているなら宿題を進めても構わないと、店長からも許可をもらっている。
もっとも許可の出し方は、
「学生の本分も征服しておきたまえ」
という、よく分からないものだったけれど。
夏休み最終日に泣きながら宿題をする趣味はない。かといって、七月中に全部終わらせるほど優等生でもない。適度に未来の自分を助け、適度に今の自分を甘やかす。それが私の夏休み計画だ。
「……三分の一くらい終わらせれば十分でしょ」
自分に言い聞かせながら、計算式の続きを書く。
今日の世界征服玩具店は、午後になっても静かだった。入口にはシータとデルタがいつも通り並んでいる。営業時間中なので二体とも巨大なぬいぐるみのふりをしていて、動かない。
店長は地下。
今日から始まる夏休み工作教室の準備中、らしい。
参加者は小学生限定。事前予約制で、人数は三十人ほど。事前に大まかな流れを聞かされていた。最初に作りたいものを聞く。それごとに班へ分ける。材料を選ばせる。危険な道具を使う時だけ大人が補助して、基本的には子供自身に作らせる。
まともだ。あまりにもまともなので、むしろ不安になる。
この店で計画どおりに物事が進む時は、大抵、計画そのものに問題がある。
問題集へ視線を戻したところで、入口のベルが鳴った。
「いらっしゃいませー」
顔を上げる。
そこに立っていた二人を見て、シャープペンを落としかけた。
「来ちゃった」
柔らかく笑ったのは、桃井真帆だった。淡い色のブラウスに長めのスカート。学校にいる時と同じく、どこかふんわりした雰囲気をまとっている。
その横には紺野玲。黒いシャツと細身のパンツというシンプルな格好で、店内を静かに見回していた。
「今日ならいると聞いたからな」
「今日来るとは聞いてないんだけど!?」
夏休み中のシフトを聞かれたので教えた。確かに教えた。でも、いつ来るのかまでは聞いていなかった。
「言ったら驚かないと思って」
真帆は悪びれる様子もなく答える。
「サプライズにするほどのことじゃなくない?」
「でも、ちょっと面白かったでしょ?」
「まあ、うん、だけど面白がられてるの私だよね」
私が立ち上がると、玲がレジ台の上を覗き込む。
「もう宿題をしているのか」
「嫌なものは、ある程度先に済ます派だから」
「ある程度と言いながら、かなり進んでる」
問題集には、既に三分の一ほど書き込みがある。
「未来の私が困らない程度にね」
「計画的だね」
真帆が感心したように言う。計画的。良い言葉だ。少なくとも、弟妹と遊ぶために立てた夏休み計画が早々に崩れた人間には聞こえない。
二人は改めて店内を見回した。ラヴェンナの棚。θδシリーズの玩具。夏休み向けに増設された工作キットや自由研究セット。そして入口に鎮座する、全長二メートル越えの巨大なクマ二体。
「話には聞いてたけど、本当に変わったお店だね」
真帆が穏やかにまとめた。
「だいぶ言葉を選んだね」
「あはは、うん」
選んでいたらしい。
玲は入口のシータとデルタを眺めている。
「このクマも商品なのか?」
「それのシリーズは売ってるけど、それ自体は売り物じゃないよ」
「店のマスコット?」
「そんな感じ」
完全な嘘ではない。かなり大事な部分を省略しているだけだ。
「助手よ!」
店の奥から声が飛んできた。
嫌な呼び方だ。友人がいる時くらい、普通に白山さんと呼んでほしい。
白衣姿の店長が、大きな箱を抱えて奥から出てくる。眼鏡は今日も鼻の頭まで下がっていた。店長は私の友人二人を見ると、その場で足を止める。
「客か?」
「学校の友達です。桃井真帆さんと、紺野玲さん。こちらは店長の黒川玩具さん」
「ユズちゃんがお世話になってます」
真帆が頭を下げる。何で真帆が保護者みたいな挨拶をしているのだろう。
「黒川玩具。この世界征服玩具店の店長であり、巷では博士と呼ばれる世界征服を志す天才科学者だ」
「普通に店長でいいでしょうに!」
真帆は少しだけ困った顔になったものの、笑顔を維持している。玲は店長をじっと見つめた。
「世界征服とは?」
「最終目標だ」
「そういうコンセプトということか」
一人で納得した。
「納得しないで聞き流して良いよ。妄言だから」
「助手よ。学校の友人へ誤解を与えるような説明は感心しないな」
「誤解でもなんでも良いので大人しくしててくださいよ」
店長は私の抗議を無視し、二人へ視線を戻した。
「ちょうど良い。これから地下で工作教室が始まる。見ていくといい」
「いやいや、見なくていいよ。今日のところは普通に店だけ見て帰ろう?」
「地下?」
真帆が反応した。
しまった。
「何でもないよ」
「今、店長さんが地下って」
「この店の地下は知らない方が、今後の人生を平穏に過ごせるから」
「余計に気になる言い方になってる」
真帆の目に、少しだけ好奇心が混ざる。玲も断る気配がない。
「工作教室は見てみたい」
「玲まで!?」
「自由研究は小学生以来だ。興味がある」
「工作教室は小学生限定だよ」
「見学なら問題ない」
店長に正論を言われた。今は正論が欲しくないのに。
店長は箱を床へ置くと、ポケットから二つの小さなバッジを取り出した。
「では、これを付けたまえ。来場者用の簡易認証バッジだ」
真帆がバッジを受け取る。
「認証?」
「地下設備の一部には、許可のない人間が近付くと作動する防衛装置がある」
「やめて下さい! 店長の冗談、判断が難しいんですよ!」
店長は続けて、地下では許可なく写真を撮らないこと、設備について無断でネットへ投稿しないことを説明した。真帆の笑顔が少しずつ引きつっていく。
「その注意事項を聞いてから、見学するのが怖くなってきたんですけど」
「今なら帰れるよ」
「ユズがそう言うと、逆に見たくなるな」
玲の好奇心が、静かに勝利した。
こうして私は、学校の友人二人を世界征服玩具店の地下へ案内することになった。できれば見せたくなかった。友達だから信用していないわけではない。むしろ逆だ。知らない人なら、変な店だと思われても別に構わない。友達に変な店だと思われるのは、少し困る。
店の奥へ進み、認証用のパネルへバッジを近付ける。壁の一部が静かに開き、地下エレベーターが現れた。
二人が固まった。期待どおりの反応だ。
何を期待しているのか、自分でも分からない。
真帆がエレベーターと店内を交互に見比べる。
「えっと……倉庫行き?」
「倉庫もあるよ」
「“も”?」
玲はエレベーター横の階数表示を見上げた。
「地下五階まである」
「見なかったことにはできない?」
「無理だな」
「だよね」
エレベーターへ乗り込む。店長が地下五階のボタンを押す。扉が閉まり、エレベーターが下がり始めると、真帆が私の隣へ少し寄った。
「ユズ、ここって本当に玩具屋だよね?」
「なんと言うか、地上部分は玩具屋なのは間違いないよ」
「地下部分は?」
「今から分かる」
「逃げたね」
玲が淡々と指摘する。
「普通の玩具店には、地下五階へ行く専用エレベーターはないと思う」
「そうだよね……」
私は項垂れる様に同意した。友人たちの反応は正しい。私が最初に地下へ連れてこられた時も、同じようなことを思った。まともな感覚の持ち主なら、商店街の玩具店に地下五階まで続くエレベーターがあれば引く。
到着音が鳴る。
地下五階の扉が開いた瞬間、子供達の声が流れ込んできた。
決戦闘技場。
商店街の地下に存在する、意味の分からない規模の巨大施設である。
今日は半分ほどの区画だけが解放され、工作教室用の長机が何列も並んでいた。机の上には、ペットボトル、紙コップ、木材、色紙、輪ゴム、モーター、電池、透明な板、空き箱。工具類は別の机にまとめられ、子供だけでは勝手に触れないようになっている。
参加者は三十人ほど。大半が集まっており、保護者の一部は離れた観客席から様子を見守っていた。
「……思ってた工作教室と違う」
真帆が足を止めた。玲も、さすがに少し目を見開いている。
「地下に、子供がたくさんいる」
「事件みたいに言わないでよ」
「事実を言っただけだ」
「お姉ちゃん!」
子供達の中から、想楽が駆け寄ってきた。透明な板や色紙の入った袋を抱えている。
「想楽、もう来てたんだ」
「シータに送ってもらった!」
続いて隼くんもやって来る。
「ユズ! と、誰?」
「学校の友達。桃井真帆と紺野玲」
「ユズちゃんの妹さんなんだね」
真帆が柔らかく笑う。想楽は元気に頷いた。
「うん! お姉ちゃんの友達?」
「そうだよ」
「珍しい!」
「その感想は姉に刺さるなあ」
間違ってはいない。私が学校の友達をここへ連れてくるのは初めてだった。
隼くんが私と二人を見比べる。
「じゃあユズの友達ってことは――」
「余計な呼び方をしたら工作前に帰らせるよ」
「まだ何も言ってないじゃん!」
「言おうとした顔だった」
隼くんは不満そうだったが、想楽に腕を引かれて自分の席へ戻っていった。
真帆が私を見る。
「今、何て呼ばれそうになったの?」
「知らなくていいことだよ」
「この店、それが多いね」
開始時間になると、博士が子供達の前へ立った。白衣を翻し、大きく両腕を広げる。
「諸君! 夏休みの自由研究とは、未征服領域へ挑むための第一歩である!」
「普通に工作教室を始めてください!」
開始五秒で軌道修正が必要になった。
「本日は、諸君が作りたい物を自由に作ってもらう!」
博士は気を取り直し、机の上の材料を示した。
「完成品を与えるつもりはない。何を作り、どう動かし、何を面白いと思うか。それを決めるのは諸君自身だ!」
まともだった。やはり不安だった。
私は付箋とペンを持って子供達の間を回り始める。
「光るやつ!」
「光る物ね。置いて飾る? 持ち歩く?」
「飾る!」
「じゃあライトの班かな」
「水鉄砲作りたい!」
「水を使う班。走らないで移動してね」
「ロケット!」
「飛ばす班。室内では飛ばさないからね」
希望を書いた付箋をボードへ貼り、班ごとにまとめていく。水を使う物、飛ばす物、光る物、動く物、貯金箱など生活で使える物、まだ決まらない子。
子供の希望は思った以上にばらばらだったが、似た物を作りたい子同士を集めれば材料の説明もしやすい。想楽は透明な板と色紙を使ったライトを作るらしい。隼くんは予想どおり水鉄砲班へ走っていった。
一通り班分けを終えると、真帆が感心したようにこちらを見ていた。
「ユズ、慣れてるね」
「子供達の相手は結構してるから」
玲もボードを見る。
「ちゃんと普通の仕事をしてる」
「何だと思ってたの?」
「変人を止める仕事」
「それもかなり大事だけど!」
実際、勤務内容の半分くらいはそれを否定できない。
工作が始まると真帆は自然に子供達へ声をかけ、色紙を切るのを手伝っていた。玲は足りない材料を運び、子供に呼ばれれば静かに作業を補助する。二人とも見学者というより既に臨時スタッフに近い。
しばらくして、真帆が辺りを見回した。
「そういえば、お店は誰が見てるの?」
「ああ、それはシータとデルタがいるから――」
そこまで言って、口を閉じる。
真帆と玲にとって、シータとデルタは入口に置かれていた巨大なクマのぬいぐるみだ。あれが人工知能を搭載した世界征服玩具一号と二号で、店内や商店街の状況を常に把握している。その説明を始めたら、今日一日では終わらない。
「……まあ、お客さんが来たらすぐ分かる仕組みになってるから」
「防犯カメラみたいなもの?」
「それに近いかな」
「会計を希望する客がいれば、シータから助手へ連絡が入る」
余計な説明が横から入った。博士は小型モーターをいくつも抱え、動く物を作る班へ向かう途中だった。
「仮に万引き犯がいた場合も問題ない」
「警報が鳴るんですか?」
真帆が尋ねる。
「シータがチャッキ一松を遠隔操作し、対象者を追跡する」
「いや! 絶対ダメでしょ!! パニックホラーになりますよ!!」
工作スペースに私の声が響き、何人かの子供がこちらを振り返った。私は小さく頭を下げてから、博士を睨む。
「何で万引き犯を人形に追わせるんですか!?」
「心理的圧迫による犯行継続の阻止だ」
「犯人以外の心も壊れますよ!」
真帆は困った顔をしている。
「言ってることはよく分からないけど、なんか危なげな感じだけは伝わってくる……」
「チャッキ一松とは?」
玲が反応した。
「市松人形と西洋人形を合わせてモチーフにした自律歩行型防犯玩具だ」
真帆が地上の方向を気にする。
「本当に大丈夫なの?」
「大丈夫。普通のお客さんが来た時は動かさないから」
「万引きしそうな人がいたら?」
「……動くかもしれない」
「怖いね」
「私もそう思う」
その時、エレベーターの到着音が鳴った。
扉が開き、ブルーブラウンの巨大なクマが地下へ降りてくる。入口でぬいぐるみのふりをしていたデルタだった。
「水鉄砲を作る班があると聞いた時点で、嫌な予感がしたが」
デルタは工作スペースを見回し、博士が持ち込んでいる機械類へ目を留める。
「まだ始まったばかりか」
真帆と玲が揃って固まった。
「……え?」
真帆が目を何度か瞬かせる。玲も珍しく言葉を失い、デルタが歩く姿をじっと見つめていた。
「入口にいたクマに似ている」
「き、気のせいじゃない?」
「同じなんだな」
「おう」
デルタが答える。会話が成立したことで、二人の表情がさらに固くなった。
「あー、その……」
何か説明しなければならない。でも、どこから説明すればいいのか分からない。
「この店、地上では店長、地下では博士って呼ぶのがルールで」
「そこじゃないよ、ユズちゃん」
「分かってる! でも今、説明できそうなところから説明したの!」
玲がデルタを見たまま呟く。
「地下へ来てから、世界征服側の設定が急に本気になった気がする」
「実際どうなんだろうね……」
デルタは私の友人二人を見る。
「嬢ちゃんの友達だな?」
「はい。桃井真帆さんと紺野玲さん」
「そうか。俺はデルタだ」
真帆はまだ困惑していたが、反射的に頭を下げた。
「桃井です。ユズちゃんがお世話になってます」
「おう」
「真帆も普通に挨拶するんだ!?」
「だって、挨拶されたから……」
それはそうだけれど。
玲はデルタの横へ少し移動し、背中側を確かめている。
「中に人がいるわけではないのか」
「入ってねぇよ」
「触っても?」
「構わねぇが、面白くないぞ」
玲はデルタの腕へ軽く触れた。
「ぬいぐるみっぽい感触」
「そう見えるように作られてるからな」
「喋るぬいぐるみ」
「間違ってはいないんだけど、急に幼児向け玩具みたいになった」
デルタは私のツッコミを無視して、工作スペースへ視線を向ける。
「危ない物ができたら呼べ。俺は地上に戻る」
「来たばかりなのに?」
「まだ問題は起きてねぇからな」
デルタがエレベーターへ戻ろうとする。その背中を見送りながら、私は少し安心した。デルタも水鉄砲と聞いて警戒している。つまり、私の嫌な予感は間違っていない。問題は、デルタがいなくなったあとに起きる可能性が高いことだけだった。
工作はその後もしばらく順調に進んだ。
真帆は光る物を作る班で、色紙を切るのを手伝っている。玲は足りない材料を運び、子供に呼ばれれば静かに作業を補助する。二人とも、もう見学者という体を忘れている。
それに気づいた博士が、余っていた工作キットを二つ持ってくる。
「見ているだけでは退屈だろう。二人も完成見本を作るといい」
「参加者は小学生限定ですよね?」
「二人は参加者ではない。見本製作者兼、臨時補助員だ」
「給料は?」
玲が聞いた。
「出ない」
「では、見本製作者だけにする」
「その区分、本人の判断で変えられるんだ」
玲は工作キットの中を確認し、水鉄砲用の部品へ目を留めた。
「水鉄砲がいい」
真帆が少し意外そうに見る。
「玲ちゃん、水鉄砲が好きなの?」
「高校生が本気で水鉄砲を作る機会は、たぶん今しかない」
「言ってることは冷静だけど、結構楽しみにしてない?」
「かなり」
素直だった。
真帆も笑いながら水鉄砲班へ移動する。
そこには隼くんを含めて、五人ほどの子供が集まっていた。真帆は外装を担当し、透明な容器へ水色のテープや星形の飾りを貼っていく。玲はノズルの太さや角度を確認し、何度か部品を組み替えていた。
「もっと遠くまで飛ばそうぜ!」
隼くんが玲の手元を覗き込む。
「手動ポンプなら、圧力を上げすぎない方がいい」
「でも遠くまで飛ばしたい!」
「飛距離だけなら、ノズルを細くするとか」
「強くなる?」
「ある程度は」
「じゃあ一番細いやつ!」
「詰まりやすくなるかも」
「じゃあ二番目!」
隼くんは即座に妥協した。玲も特に嫌がる様子はなく、二番目に細いノズルを取り付けている。静かな玲と、静かという言葉から最も遠い隼くん。不思議な組み合わせだが、狙った場所へ水を遠く飛ばしたいという目的だけは一致しているらしい。
「水鉄砲の工作って、やっぱり嫌な予感しかしないな……」
思わず呟いた。
「良い機会だ」
すぐ近くから博士の声がした。振り向く。博士は小型の機械を抱えていた。そして、必要以上に良い笑顔をしている。
「普段は商品棚へ置けない、試作加圧ユニットを使おう」
「何で商品棚に置けないんですか」
「遊ぶ場所を選びすぎる」
「威力が強すぎるって意味ですよね!?」
博士は水鉄砲班の机へ装置を置いた。小型電動ポンプ。圧力調整装置。霧状、拡散、直線の三種類を切り替えられるノズル。さらに照準補助らしきセンサーまで付いている。
子供達の目が一斉に輝く。
「すげえ!」
「これ付けるの!?」
「レーザー出る?」
「水鉄砲だ。レーザーは出ない、がレーザー照準なら出る」
真帆が一歩だけ後ろへ下がった。
「これ、本当に水鉄砲?」
「水を発射する以上、水鉄砲だ」
「その理屈だと、高圧洗浄機も水鉄砲になりません?」
玲は装置を興味深そうに覗き込む。
「理論上、どこまで飛ぶんですか」
「安全装置なしなら、このフロアの端から端まで届く」
「安全装置があれば?」
「十五メートル程度だ」
「十分長いですよ!」
「試してみよう」
「流れが早い!」
博士が試作加圧ユニットを水鉄砲へ取り付けようとする。そこに再びエレベーターの到着音が鳴った。扉が開き、デルタが戻ってくる。
「やっぱり始めたか」
「デルタ!」
「シータから出力値が送られてきた」
地上にいるシータは、やはり全部把握しているらしい。デルタは試作装置を博士から取り上げ、数値を確認した。
「出力が高すぎる」
「成人向けの試験出力だ」
「参加者は小学生だ」
博士は私達三人を順番に示す。
「成人に近い試験者なら三人いる」
「友達を初日に被験者にしないでください!」
「まだ成人ではない」
玲が訂正した。
「そこじゃないよ!」
デルタは加圧ユニットを操作し、出力を大きく下げた。
「低出力に固定する。保護メガネを着けろ。銃口は人に向けるな。発射する前に周囲を確認しろ」
「さすがデルタ。説明がまとも」
「最初から参加するべきだったな」
デルタは工作スペースの端へ簡易フェンスを設置した。紙コップや軽い標的を並べ、試射区画を作る。最初に撃つことになったのは玲だった。
「どうして玲が?」
「作った者が最初に試すべきだ」
玲は保護メガネを掛け、水鉄砲を両手で構えた。正論に聞こえる。でも多分、最初に撃ちたいだけだ。
「直線モード。出力は最小だ」
デルタが告げる。
玲は十メートルほど先の紙コップへ狙いを定め、引き金を引いた。細い水流が一直線に伸びる。並べられていた紙コップが、まとめて倒れた。
子供達から歓声が上がる。
「すげえ!」
「全部倒れた!」
「もう一回!」
玲は倒れた標的を見つめたまま、水鉄砲を構え直す。
「ちょっと楽しんでる?」
真帆が笑いながら尋ねる。
「かなり」
「二回目だね、その答え」
次は隼くん。デルタが出力をさらに下げてから、水鉄砲を渡す。
「うおおおお!」
「叫ばなくても水は出るぞ」
「叫んだ方が強そうじゃん!」
「機械に精神論を持ち込むな」
「それ、前に私が博士へ言った気がする」
隼くんの水流が紙コップへ飛ぶ。一つ目を倒し、二つ目を揺らし、三つ目の横を抜けていった。
「惜しい!」
「次は全部当てる!」
工作教室が、少しずつ射撃大会へ変わり始めている。
博士は満足げに腕を組んだ。
「基本性能は問題ない。では、移動標的追尾モードを試そう」
「今、聞いてない機能が増えましたよ!?」
「照準補助の実用試験だ」
「人へ向けないって決めたばかりですよね?」
「人ではない! 的へ向ける」
博士は紙コップの横へ、小さな移動標的を置いた。丸い板に車輪が付き、床の上を左右へ走る。
「追尾対象を音声で指定する。最も強い音源を基準に方向を補正し――」
説明の途中で、水鉄砲の銃口が動いた。移動標的ではなく、博士の方を向く。
「何故こちらを向いている?」
「博士が一番うるさいからでは!?」
水鉄砲から電子音が流れた。
『最大音源、捕捉』
「白山くん、停止を――」
水が発射された。安全出力まで下げられているため、危険はない。ただし、博士の顔と白衣はきれいに濡れた。
地下に一瞬だけ静寂が落ちる。次の瞬間、子供達が一斉に笑いだした。
「ガングー、びしょ濡れ!」
「もう一回!」
「追尾性能は良好だ!」
博士は眼鏡から水を垂らしながら、堂々と宣言した。
「成功扱いしないでください!」
「最大音源へ正確に命中した」
「狙う相手を間違えてるんですよ!」
デルタが水鉄砲から追尾装置を取り外す。
「商品化は禁止だ」
「屋外限定なら――」
「禁止だ」
「出力をさらに下げれば――」
「禁止だ」
デルタは強かった。
これで終わると思った。でも試射を見ていた子供達は、完全に水鉄砲へ夢中になっている。
「俺も撃ちたい!」
「私も!」
「対決しようぜ!」
次々に声が上がった。デルタが周囲を見回す。工作スペースの床は防水仕様。排水設備もある。保護メガネも全員分用意されている。
「低出力。決められた区画から出るな。三分だけだ」
「やったー!」
歓声が上がった。
「デルタまで許可するんですか!?」
「作った物は、遊んで確かめないと納得しないだろ」
「それはそうですけど」
「嬢ちゃんも参加するか?」
「私は監督します!」
三分間の水鉄砲実験が始まった。
子供達は作った水鉄砲を手に、決められた区画の中を走る。霧状の水、細く伸びる直線、広く飛び散る拡散。威力は十分に落とされているが、当たればそれなりに濡れる。
想楽はライト作りを一度中断し、小型の水鉄砲を借りて隼くんを追いかけていた。真帆も最初は端で笑っているだけだったが、想楽から水鉄砲を渡されると、そのまま参加する。
「真帆、右」
玲が短く告げた。
「右?」
真帆が振り向いた瞬間、隼くんが飛び出してくる。真帆の水が、隼くんの肩へ命中した。
「うわっ!」
「当たった」
「玲ちゃん、分かってたの?」
「足音がした」
玲は静かに水鉄砲を構え、別の子が持つ紙の盾を正確に狙っている。学校では口数が少なく、昼休みも静かに話を聞いていることが多い。そんな玲が今は、誰より真剣に水鉄砲を撃っていた。
「ユズ!」
呼ばれて振り返る。隼くんの水が、私の腕へ当たった。
「冷たっ!」
「油断したな!」
「監督へ撃つのは禁止!」
「今決めただろ、そのルール!」
「そうですよ!」
近くの机に、完成見本の水鉄砲が置かれている。私はそれを手に取った。
「隼くん」
「何?」
「覚悟はできてる?」
「監督じゃなかったの!?」
「今から指導です!」
水を発射する。隼くんは笑いながら逃げた。私は追う。想楽が横から援護射撃をしてくる。真帆の水が私の背中へ当たり、玲はいつの間にか少し高い場所を確保していた。
「玲、狙い良すぎない!?」
「集中すれば当たる」
「学校生活でその能力を使う場面ある!?」
水鉄砲実験は、きっちり三分で終了した。デルタが終了音を鳴らし、水鉄砲の加圧機能を停止させる。子供達から不満の声が上がったが、全員の顔は楽しそうだった。
私も髪の先や服の袖が少し濡れている。息まで少し切れていた。
「ユズ、楽しそうだったね」
真帆が笑っている。
「指導だけのはずだったんだけどね」
「隼くんを本気で追いかけてたけど」
「あれは指導」
「笑ってた」
玲まで付け加える。
「もう、二人とも工作へ戻って」
工作教室はその後も続いた。
水鉄砲からは危険な試作部品を外し、子供達が家へ持ち帰れる普通の手動式へ戻す。想楽のライトは、周囲が暗くなると自動で光る機能だけを残して完成した。貯金箱に車輪は付かなかった。ペットボトルロケットも、着地後に勝手に再発射することはない。
余計な機能を止めるだけで、かなりの労力を使った気がする。
それでも、完成した物を持つ子供達の顔は明るかった。少し形が歪んでいる物。思っていたほど遠くへ飛ばなかった物。飾りを付けすぎて少し重くなった物。どれも、市販品ほど綺麗ではない。
けれど、自分で作った物を見る目は、商品棚の玩具を見る時とは少し違っていた。
「今日の工作物は、全て諸君自身の成果だ!」
最後に博士が子供達へ告げる。
「足りない機能があれば、次は自分で加えたまえ!」
「博士が勝手に加えないでくださいね!」
最後まで注意が必要だった。
工作教室が終わり、子供達が順番に帰っていく。保護者へ完成品を見せる子、友達同士で飛距離を競う約束をする子。想楽は完成したライトを大事そうに抱えていた。
「お姉ちゃん、夜になったら見せるね!」
「うん。感情では光らないよね?」
「博士が部品くれた!」
「返してきなさい!」
想楽は笑いながら逃げていった。隼くんも、手作りの水鉄砲を肩へ担いでいる。
「次は外で勝負な!」
「誰と?」
「みんな!」
「範囲が広い!」
二人を見送ったあと、私は机の上を片付け始めた。真帆と玲も手伝ってくれる。
「今日はごめんね。普通に店を見に来ただけだったのに」
「楽しかったよ」
真帆はすぐに答えた。
「地下はびっくりしたけど」
「そこはやっぱり引いた?」
「ちょっとだけ」
多分、かなり引いている。私に気を遣ってくれたのだろう。
玲は完成見本の水鉄砲を手に取り、ノズルを確認していた。
「次は屋外で試したい」
「次も使う気なの?」
「せっかく作ったからな」
「かなり気に入ってるね」
「かなり」
本日三回目だった。
片付けを終え、三人で地上へ戻る。エレベーターの中で、真帆がふと口を開いた。
「ユズちゃん、学校にいる時より楽しそうだったよ」
返事に少し詰まった。
「そんなことないよ。ずっと博士を止めてたし」
「でも、楽しそうだった」
「水鉄砲を持って走り回ってたしな」
玲が補足する。
「あれは隼くんが先に撃ってきたから!」
「子供相手に全力で撃ち返してただろ」
「出力は低かったから!」
「否定する場所が違うんじゃないかな」
真帆が笑う。
私はエレベーターの扉へ視線を向けた。自分では、ずっと振り回されているつもりだった。博士が余計な機能を付ける。私が止める。子供達が騒ぐ。さらに問題が増える。いつも通りだ。
ただ、学校の友達から見ると、私は楽しそうに見えたらしい。
「まあ……退屈はしない店だから」
それだけ答えた。
真帆はそれ以上追及せず、柔らかく笑った。
「今度は、バイト先じゃないところにも遊びに行こうね」
「うん」
今度は迷わず答えられた。
玲も小さく頷く。
「水鉄砲が使える場所がいい」
「普通に買い物とか映画でいいでしょ」
エレベーターが地上へ到着した。
扉が開く。
「おかえり〜」
入口にいたシータが、いつもの調子で手を振った。
真帆と玲が止まる。
「こっちも喋るんだ……」
「シータです」
「よろしくね〜」
真帆は今日何度目か分からない困惑顔になった。玲は店内を見回している。
「チャッキ一松はどれだ」
「探さなくていいから!」
「あれだよ〜」
シータがレジ横へ視線を向ける。置かれていた市松人形が、ゆっくりと顔を動かした。
真帆が私の腕を掴む。玲も一歩だけ後ろへ下がった。
「見せなくていいんですよ! 何も起きてないでしょ!」
「どんな感じか気になるかな〜って」
「だからパニックホラーになるって言ったんです!!」
市松人形は静かに元の位置へ戻った。真帆は私の腕を掴んだまま、ぽつりと言う。
「ユズが学校より大きな声を出す理由、少し分かった気がする」
「分からなくていいよ!」
学校の友達が初めて職場へ来てくれた一日は、こうして終わった。
工作教室は無事に成功。水鉄砲も安全。友達も、また来てくれるらしい。
結果だけなら悪くない。
ただし、次に来る時はチャッキ一松だけは隠しておこう。
余計な機能を止めるより先に、余計な恐怖を取り除く必要がありそうだった。




