第16話 夏休み計画は予定どおりにいかない
期末テストが終わった。
結果はまだ返ってきていないが、少なくとも追試を心配するような出来ではなかったと思う。たぶん。
たぶん、という言葉に若干の不安は残るものの、それでも数日前までの切羽詰まった空気はもうない。
今は夏休みが近い。
それが大事だった。
私は自転車を降りると、商店街のアーケードへ入った。
六月も終わりに近い。
店先には水鉄砲や虫取り網が並び始め、駄菓子屋の前には自由研究応援コーナーなんてものまで作られている。八百屋ではスイカが山積みになり、和菓子屋には涼しげな水まんじゅうのポスターが貼られていた。
商店街全体が、少しずつ夏休みを迎える準備を始めている。
もちろん私も準備している。
というか、この日のために働いてきた。
推し活資金。
つまり弟妹サービス資金である。
映画。夏祭り。プール。
少し遠出して買い物でもいい。
何ならちょっと高いご飯だって食べさせたい。
そのために私は二ヶ月以上バイトを頑張ってきたのだ。
だから夏休みくらいは少しシフトを減らそうと思っている。
世界征服玩具店の前へ着いた私は、入口の巨大なクマを見上げた。
シータとデルタは今日も置物のふりをしている。
最初は悲鳴を上げた気もするが、人間とは慣れる生き物である。
「おはよ〜ユズちゃん」
置物が喋った。
慣れても変なものは変だった。
「おはようございます」
「来たか」
デルタがいつも通り短く返す。
私は店の扉を開けた。
店内は冷房が効いていて、外より少しだけ涼しい。
棚にはラヴェンナシリーズが並び、その隣にはθδシリーズの商品。さらに奥には夏休み向けの工作キットや自由研究セットが増えていた。
働き始めた頃は、毎回何かしら増えている商品棚を見るのが少し怖かった。
今は少し楽しい。
何が増えているか確認する癖までついてしまった。
「テストどうだった〜?」
シータが聞いてきた。
「終わりました」
「生還したか」
「戦場みたいに言わないでください」
「学生にとっては戦場だろ」
「否定できないのが嫌ですね」
私はレジ横へ荷物を置きながらため息をついた。
するとシータが首を傾げ尋ねてきた。
「夏休みはどうするの〜?」
「夏休みは少しバイト減らそうかなって思ってます」
「へぇ?」
「弟と妹と遊ぼうかなって」
シータは納得したように頷いた。
この店では今さら説明する必要もない。
私が弟妹を推していることは全員知っている。
「映画とか行きたいんですよね」
「良いね〜」
「夏祭りとかも」
「暑そうだな」
「そこは否定しませんけど、そんな事言い出したらどこにも行けませんよ」
想楽は喜びそうだ。
景娯は微妙な顔をしそうだけど、何だかんだ付き合ってくれる気がする。
そんなことを考えながら品出しを始める。
店の奥からは子供達の声が聞こえる。夏休み前だからだろうか。今日は平日なのに妙に賑やかだった。
隼の声も混じっている気がする。相変わらず元気だなと思った。
そしてその時点では、私はまだ知らなかった。
夏休みの計画が思ったよりうまくいかないことを。
その日の夜。
夕食を終えたあと、私は景娯の部屋を訪れた。
ノックをして入ると、弟は机へ向かっていた。
勉強かと思ったらカードだった。いつも通りだ。
「景娯」
「何」
「夏休みどっか行きたい?」
景娯はカードから顔を上げた。
少し考え、そして。
「別に」
終了した。
あまりにも早い。
「いやいやいや」
「何」
「夏休みだよ?」
「そうだけど」
私はスマホを取り出した。
実は昨日の夜から色々調べてある。
映画館の上映予定。水族館のイベント情報。ショッピングモールの期間限定ショップ。
候補だけなら既に山ほどあった。
「ほら、ここ」
最初に見せたのは少し離れた場所にある大型水族館だった。
景娯は画面を覗き込み、一秒ほど考える。
「遠い」
却下された。
「じゃあこっち」
今度は駅前のショッピングモール。
映画館もあるし、買い物もできる。
姉としてはかなり有力候補だった。
「混む」
「夏休みだからね」
「だから混む」
正論だった。
私は少しだけ顔をしかめながら次の候補を開く。
「映画」
「配信でいい」
「映画館だよ? コーラとポップコーンも付けちゃうし」
「家で見れるし、飲み食いもできるだろ」
強い。
守りが固い。
私は最後の切り札として水族館のページへ戻った。
「水族館」
景娯は画面を見た。
そして本当に不思議そうな顔で言った。
「魚だろ」
「魚だよ!」
知ってるよ。
私が一番知ってるよ。
何だと思って誘ったんだ。
景娯は少しだけ肩をすくめる。
「姉さんが行きたいなら付き合うけど」
「だから違うんだって」
私はスマホをテーブルへ置いた。
景娯を楽しませたいのであって、私が遊びたいわけではない。
……いや、少しは遊びたいけど。
景娯は本当に悪気なく答えている。
適当に流しているわけでもない。
真面目に考えて、その結果がこれなのだ。
「ゲームもあるし」
景娯は机の上のカードを指先で整えながら言った。興味がないというより、単純に予定が埋まっているらしい。
「ネットの友達と大会もある」
そういえば最近、夜になるとよく通話している声が聞こえていた。
私は勝手に雑談だと思っていたけれど、ちゃんと目的があったのかもしれない。
「うん」
相槌を打ちながら、少しだけ置いていかれた気分になる。
私の知らないところで、景娯の世界はちゃんと広がっている。
「勉強もある」
「勉強?」
思わず聞き返すと、景娯は当たり前のような顔をした。
「来年もあるし」
短い言葉だったが、その声音には妙な現実味があった。
その言葉に少しだけ驚いた。
景娯はもう中学生だった。
ゲームをする。友達もいる。来年のことも考えている。
そういう年齢だ。
分かっていたつもりだったけれど、改めて言われると少しだけ不思議だった。
私の中ではまだ、小学生の頃の景娯も残っている。
「一日くらいなら付き合うけど」
景娯が言った。
「本当?」
「姉さんが行きたいなら」
違った。
私は思わず机に突っ伏しそうになった。
「それ私が遊びたい人になってるじゃん」
「違うのか?」
「違うよ」
反射的に否定した。……いや、少しは違わないかもしれない。
私は景娯を楽しませたいのであって、自分が遊びたいわけではない。
たぶん。
いや少しは遊びたいかもしれないけど。
景娯はそんな私を見ながら、小さく肩をすくめた。
「……考えとく」
その言い方が妙に大人っぽくて、私は少しだけ複雑な気持ちになった。
想楽はもっと忙しかった。
数日後の夕方。私は居間で麦茶を飲みながらテレビを眺めていたのだが、ふとテーブルの上に広げられたカレンダーが目に入った。
色ペンで何かが書き込まれている。
嫌な予感がした。
「想楽、それ何?」
「予定表!」
元気な返事だった。
近付いて覗き込む。カラフルだ。
私の予定帳より圧倒的にカラフルだ。
「夏休みどっか行きたい?」
景娯の時と同じ質問をする。
想楽は満面の笑みになった。
「いっぱいある!」
その反応を待っていた。
今度こそ大丈夫だろう。
「例えば?」
「プール!」
「うんうん」
「友達と!」
友達強いな。
「夏祭り!」
「うん」
「友達と!」
やっぱり強いな。
「あとシータと遊ぶ!」
「へえ」
「デルタに工作教えてもらう!」
「ふぅん」
「隼くんたちとも遊ぶ!」
「そっか……」
「友達のお家も行く!」
予定が止まらない。
私は黙ってカレンダーを見た。
本当に埋まっている。
想楽の世界が。私の知らないところで。
友達と遊び、約束をして、楽しそうに笑っている様子が簡単に想像できた。
少し前までなら、休みの日は私か景娯が相手をしていた気がする。
それが今では違う。
もちろん姉としては嬉しい。
友達がいるのは良いことだ。約束があるのも良いことだ。
ただ、ほんの少しだけ予定と違った。
「お姉ちゃんとは?」
恐る恐る聞いてみる。
想楽は元気よく答えた。
「遊ぶよ!」
私は少し安心した。
「いつ?」
「空いてる日!」
安心は一秒しか続かなかった。
想楽は指を折りながら説明を始める。
この日はプール。この日は友達。この日はシータ。この日は工作。この日は夏祭り。この日は友達。この日は宿題。
そしてまた友達。
私の知らないところで、妹は思った以上に忙しかった。
「お姉ちゃんとは夜ご飯食べられるよ」
「それは日常なんだよなあ……」
想楽は不思議そうな顔をしていた。
悪気はない。本当にない。
だからこそ少し面白かった。
そんなわけで。
私の夏休み計画は思ったより早く頓挫した。
そして数日後。
私は世界征服玩具店のレジ横でぐったりしていた。
店内には子供達の声が響いている。
夏休み前だからだろうか。最近は自由研究や工作の相談も増えていた。
工作キットの棚の前では小学生が悩み、ラヴェンナの棚では想楽と同年代の女の子達が盛り上がっている。
実に平和だった。
「溶けてる〜」
シータが言った。
「夏なので」
「精神的にだろ」
デルタが補足した。
正しい。
私はレジ台へ頬を乗せた。
弟も妹も忙しい。友達がいる。やりたいことがある。
良いことだ。分かっている。
分かっているのだが。何だろう。
少しだけ予定が狂った。
私はてっきり、夏休みになったら弟妹中心の生活になると思っていたのだ。
実際には違った。
景娯には景娯の世界がある。
想楽には想楽の世界がある。
それを改めて実感した。
そこでふと気付く。
「あれ?」
「どうしたの〜?」
「そういえば私は高校入ってから友達と遊んだことないなって」
二体が黙った。
言ってから自分でも驚く。学校に友達はいる。普通にいる。昼休みに話すし、一緒に帰ることもある。
でも放課後は大体バイトだ。だから映画へ行ったこともない。買い物へ行ったこともない。寄り道だってほとんどない。
高校生らしいことをしていないわけではないが、高校生らしい放課後は知らない。
考えてみれば不思議だった。
「夏休みだし誘ってみようかな」
「良いじゃん〜」
シータが言う。
「学校の友達?」
「そうですね」
私の頭には何人か顔が浮かんでいた。
クラスメイト。
昼休みに一緒に話す子達。
誘えば案外来てくれるかもしれない。
いや、来てくれるだろうか。
断られたらちょっと傷付くな。
でも誘わなければ何も始まらない。
そんな当たり前のことを、今さら考えていた。
「意外だったな」
デルタが言う。
「私も今びっくりしてます」
弟妹の予定を聞かなければ、多分考えもしなかった。
「どうしたんだ?」
声を掛けてきたのは隼だった。
今日も元気だった。
というか、いつも元気だった。
夏バテという概念が存在しないのかもしれない。
私は事情を話した。
景娯の予定。
想楽の予定。
そして自分の予定。
隼は最後まで聞いていたが、聞き終わると首を傾げた。
「当たり前じゃん」
容赦がなかった。
「もう少し優しくできない?」
「なんで?」
本気で分かっていない顔だった。
悪意がない。
だから余計に強い。
「でもさ」
隼は店内を見回した。
「想楽、夏休みもここ来るだろ」
「来るね」
「景娯も来るだろ」
「来るね」
「じゃあ会えるじゃん」
確かに毎日一緒に出掛けることだけが、一緒にいることではない。言われてみれば当たり前なのに、少し気が楽になった。
毎日弟妹とどこかに出掛けなくても。ここにいれば2人とも遊びに来るのだ。
あの二人は、かなりの頻度でこの店へ来る気がする。
特に想楽。
あれだけ予定の中にシータとデルタが入っている時点で確定だ。
「俺なんか毎日友達と会えるわけじゃないよ」
隼が言う。
「でも想楽も景娯も来るんだろ?」
「うん」
「じゃあいいじゃん」
シンプルだった。
でも妙に納得してしまう。
私は思わず笑った。
何だろう。
たまに隼は変なところで本質を突いてくる。
本人は絶対そんなつもりないんだろうけど。
その時だった。
「諸君!」
嫌な声が聞こえた。
店長だ。
大量の紙を抱えている。
嫌な予感しかしない。
「夏休みである!」
知っている。
「子供達の自由時間が最大化される黄金期間!」
言い方が悪の組織なんだよなあ。
店長は紙を広げた。
工作教室。自由研究相談会。ヨンクラ大会。地下イベント。商店街連動企画。
案の定、大量だった。
「今年も忙しくなりそうだね〜」
シータが楽しそうに言う。
デルタは呆れた顔をしていた。
私は企画書を見ながらため息をつく。
どう見ても数日では終わらない量だった。
「ユズちゃん、どうする〜?」
シータが勤務表を持ってくる。
私は少し考えた。減らすつもりだったアルバイト。でも景娯も来る。想楽も来る。友達を誘うかもしれない。
それに、何だかんだ言って、この店で過ごす夏休みも嫌いじゃない。
「まあ、そこそこ」
という答えになった。
店長が満足そうに頷く。
「では夏休みイベント主任を任せよう」
「嫌です!」
「主任だ」
「平バイトで大丈夫です」
無茶振りされそうだから絶対に認めない。
夕方。
店に来ていた想楽と景娯が帰る準備をしていた。
「お姉ちゃん」
想楽が言う。
「ん?」
「夏休みもお店いる?」
「まあね」
「やった!」
それだけだった。
でも少し嬉しかった。
景娯もぼそっと言う。
「一緒に帰れるしな」
「えっ! かわいい」
「気のせい」
即否定だった。
想楽と隼が笑う。
シータも笑う。
デルタまで少し笑っていた。
私は勤務表を見た。思ったより多かった。
「減らすって言いましたよね?」
「ガンちゃん案より少ないよ〜」
店長が胸を張る。
「当初の三分の一だ」
「元が多すぎるんです!」
店内に笑い声が広がった。
弟も妹も忙しい。
私も忙しい。
夏休みは思ったより自由じゃないらしい。
でも、それぞれ予定があるのに、結局みんなこの店へ集まってくる気もする。
だったらまあ、それはそれで悪くない。
……夏休みイベント主任だけは、絶対に認めないけど。




