表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界征服玩具店へようこそ 〜今日も誰かが主役《ヒーロー》になる〜  作者: 夕々
ヒーロー登場!?マッチポンプって知ってます?
PR
16/24

第15話 傘はまだ進化できる

 梅雨である。


 昨日も雨で、一昨日も雨で、その前も雨だった気がする。もちろん今日も雨だ。梅雨だからと言ってそんなに気合を入れなくてもいいだろうと思うのだが。


 朝起きた時には窓の外が灰色で、学校へ行く時には傘を差し、授業中も窓の向こうで雨粒が流れ、放課後になってもまだ降っている。


 商店街のアーケードに入れば、直接濡れることはない。


 けれど、雨の日の商店街には独特の空気がある。


 石畳はしっとりと濡れていて、店先のマットには水を吸った足跡が残っている。アーケードの端からは、外の雨音がずっと聞こえていた。人通りはいつもより少なく、買い物袋を持った人たちも、用事を済ませると足早に帰っていく。


 世界征服玩具店も、今日は暇だった。


 いや、世界征服玩具店が暇というのは、平和で大変よろしいことなのかもしれない。忙しい時は大抵、店長が変な発明を出してくるか、子供たちが地下で何かの勝負を始めるか、シータとデルタが意味深なことを言うかのどれかだからだ。


 ただ、あまりに暇だと、それはそれで危険である。


 暇を持て余した店長が、何もしないわけがないからだ。


「現在の湿度、八十六パーセント。気圧、低下傾向。商店街上空の雨雲に対し、速やかな撤退を要求します」


 レジ横から、妙に硬い声が聞こえた。


 私は商品棚の整理をしていた手を止めて、声の方を見る。


 そこには、てるてる坊主が吊るされていた。


 白い布に丸い頭。首のところを紐で結んだ、見た目だけなら普通のてるてる坊主である。けれど普通のてるてる坊主は、目が青白く光ったりしない。天気予報を読み上げたりもしない。ましてや雨雲に撤退を要求したりはしない。


「店長」


「何かね、白山くん」


 カウンターの向こうで、店長――黒川玩具が堂々と胸を張った。


 今日も白衣。今日も鼻の頭まで下がった眼鏡。今日も、何かをやらかした人間の顔である。


「てるてる坊主って、そんな政治的な要求のように、天気に働きかけるものでしたっけ?」


「これは梅雨対策用てるてる坊主一号だ」


「一号」


 嫌な響きだった。


「一号ってことは、二号以降もあるんですか?」


「必要があればな」


「いらないだろ」


 入口近くにいたデルタが低く言った。


 ブルーブラウンの巨大なクマが、腕を組んでてるてる坊主を見ている。表情はいつも通り落ち着いているが、声には明確な圧があった。


「デルタ、てるてる坊主に厳しいね〜」


 シータは店の入口側で、いつものようににこにことしている。


「目が光らなければ、ちょっとかわいいかも〜」


「いや、目が光ってる時点でだいぶ手遅れだよ」


 私は思わずつぶやいた。


 てるてる坊主一号は、また機械的な声を出す。


「降水確率、七十八パーセント。人類の晴天化努力が不足しています」


「人類全体を責め始めた」


 私はため息をついた。

 店内は本当に暇だった。


 雨のせいで、外遊び用の玩具はほとんど動かない。ヨンクラのパーツを見に来る子供も少ないし、地下の決戦闘技場へ降りていく常連も今日は見かけない。


 私はレジ横に戻り、傘立てに立てかけた自分の傘を見た。


 黒に近い紺色の、どこにでもある折りたたみ傘だ。朝から使っているので、まだ少し水滴がついている。持ち手は湿っていて、傘袋はもう諦めたくなるくらい濡れていた。


「そういえば」


 私は何気なく言った。


「傘って進歩しないですよね」


 その瞬間、空気が止まった。


 いや、本当に止まったわけではない。


 アーケードの雨音は続いているし、てるてる坊主一号は小さく電子音を鳴らしている。シータはにこにこしているし、デルタも腕を組んだままだ。


 けれど、店長だけが、ぴたりと動きを止めていた。


「……白山くん」


「はい」


「今、何と言ったかね」


 私は嫌な予感を覚えた。


 これは、さっきまで暇だった店長の目ではない。何かを見つけた時の目だ。具体的には、子供の一言から新しい世界征服玩具の着想を得た時の目である。


「いや、ただの雑談ですけど」


「構わん。もう一度言いたまえ」


「傘って、進歩しないですよねって」


「ふむ」


 店長は顎に手を当てた。


「確かに」


 あ、まずい。


 私は本能的に思った。


「スマホとか家電とかはどんどん変わるのに、傘ってずっと傘じゃないですか。骨があって、布があって、手で持つ。強風でひっくり返る。片手が塞がる。電車だと邪魔。進歩してるようで、そんなに変わってないというか」


 言いながら、私は自分で自分の発言を後悔し始めていた。


 なぜ詳しく説明しているのだろう。

 店長相手に、なぜ燃料を追加しているのだろう。


 店長の目が、さらに輝く。


「人類は、雨に対してあまりにも保守的だ」


「そこまで大きい話にしないでください」


「偉大な発明は、常に素朴な疑問から始まる」


「今のは本当に素朴な愚痴です」


 デルタがぽつりと言った。


「余計なことを言ったな」


「私のせいなんですか?」


「そりゃそうだろ」


 店長は白衣を翻した。


「少し地下へ行ってくる」


「少し?」


「安心したまえ。閉店までには戻る」


 そう言って、店長は奥へ向かった。

 私はその背中を見送りながら、デルタを見た。


「戻りますかね」


「戻らないな」


 シータは楽しそうに手を振っている。


「ガンちゃん、がんばってね〜」


 てるてる坊主一号が、ぼそりと言った。


「新たな晴天化技術の開発を確認。雨雲に対し、さらなる圧力を提案します」


「君は黙ってて」


 私はてるてる坊主に向かって言った。



 それから閉店時間まで、店長は戻ってこなかった。


 予想通りである。


 雨は弱まるどころか、むしろ少し強くなっていた。アーケードの外は、夕方なのに薄暗い。道を走る車のタイヤが水をはねる音が、遠くから聞こえてくる。


 店内の片付けを終え、私はレジ周りを確認した。


 今日の売上は、正直あまり伸びていない。雨の日の玩具店はこういうものなのかもしれない。とはいえ、世界征服玩具店の場合、売上が悪いからといって店長が落ち込む姿は想像できない。


 その代わり、変なものを作る。


 私は傘立てから自分の傘を取りかけて、手を止めた。


「店長、まだ地下ですか?」


「うん。ガンちゃんは今、闘技場にいるみたいだよ〜」


 シータが答えた。


「闘技場?」


「なんか、雨っぽい環境を作ってるみたい〜」


「雨っぽい環境」


 私はその言葉をゆっくり繰り返した。

 雨っぽい環境。

 地下五階の決戦闘技場で。

 傘の話をした後に。

 嫌な予感しかしない。


「挨拶だけして帰ろうと思ったんですけど」


「行くなら気をつけろ」


 デルタが言った。


「嬢ちゃんの一言から始まった実験だ」


「納得いかない……」


 私はため息をつきながら、地下へ向かうことにした。


 別に店長の試作品を見たいわけではない。

 本当に挨拶だけして帰るつもりだった。

 少なくとも、その時の私はそう思っていた。




 地下五階。


 エレベーターの扉が開いた瞬間、私は湿った空気を感じた。

 地下施設で湿った空気を感じる時点で、だいぶおかしい。普通、地下施設は空調が効いているものではないだろうか。いや、そもそも商店街の地下にこんな施設があること自体が普通ではないので、普通を持ち出しても仕方がない。


 決戦闘技場へ向かう通路の先から、水音が聞こえる。

 ざああああ、という雨の音。

 ごうん、ごうん、という何か巨大な機械が回る音。


 そして、店長の高笑い。


「ハーッハッハッハ! 良いぞ、実験環境は整った!」


 私は通路の途中で立ち止まった。

 帰ろうかな。

 かなり本気でそう思った。


 でも、ここまで来てしまった。せめて「お疲れ様です」とだけ言って帰ろう。


 そう自分に言い聞かせて、私は決戦闘技場に入った。


「何してるんですか!?」


 挨拶より先に、叫びが出た。

 決戦闘技場は、雨だった。

 天井のスプリンクラーから水が降っている。床には排水用の溝が開き、水が勢いよく流れていた。闘技場の端には巨大な扇風機が何台も並んでいて、羽根が低い音を立てながら回っている。さらに壁際のエアコンらしき吹き出し口からは冷たい風が送られ、空気を湿らせていた。


 地下五階に、局地的な悪天候が発生している。

 そんな中、店長だけは濡れていなかった。

 白衣姿のまま、透明な膜のようなものに囲まれて立っている。雨粒はその膜に当たる前に弾かれ、周囲へ流れていた。


「雨天環境再現実験だ」


「闘技場で?」


「決戦闘技場は、可変環境試験にも対応している」


「この施設、本当に何を想定して作られてるんですか」


「世界征服だ」


「説明になってるようで、なってない!」


 店長は腕を広げた。

 その背後には、三つの試作品らしきものが並んでいる。


 一つ目は、上にローターのついた傘。


 二つ目は、普通の傘に見えるが、柄の部分にやたら大きなボタンがある。


 三つ目は、一見すると普通の傘に近い。ただし、骨の一本一本に小さな機械部品のようなものが取り付けられている。


 私は目を細めた。


「まさか」


「そのまさかだ、白山くん」


 店長は誇らしげに言った。


「傘の進化を、ワタシが進める」


「早くないですか?」


「傘の進化は待ってくれない」


「人類は待てます」


「人類が待っている間にも、雨は降る」


「それはそうですけど」


 反論しきれないのが腹立たしい。


 店長は一つ目の試作品を手に取った。いや、手に取ったというより、操作端末を動かした。ローターつきの傘がふわりと浮かぶ。


「まずは試作一号。自律飛行型アンブレラ」


「傘というより、傘を被ったドローンですね」


「使用者の頭上を自律追従し、雨を防ぐ。両手は自由。荷物を持っていても問題なし。これこそ傘の進化だ」


「発想は分かります」


 悔しいが、発想自体は分かる。


 雨の日に片手が塞がるのは不便だ。荷物が多い時、スマホを見たい時、弟や妹の手を引く時、傘を持たなくていいのは助かる。


 店長が端末を操作すると、自律飛行型アンブレラは私の頭上に移動した。


「え、私で試すんですか?」


「助手だからな」


「待ってください! 心の準備が」


「実験開始!」


「聞いてない!」


 天井のスプリンクラーが強くなった。


 雨粒が降る。


 けれど、自律飛行型アンブレラは私の頭上でぴたりと位置を保ち、水を防いだ。


 濡れない。

 両手も空いている。


「あ、これはちょっと良いかも」


「そうだろう」


 店長が満足そうに頷く。

 その瞬間、巨大扇風機が動き出した。

 ごう、と風が横から吹きつける。


「うわっ!」


 自律飛行型アンブレラが揺れた。


 ローターが必死に姿勢を制御する。傘部分が風に煽られ、少し斜めになる。頭上にいたはずの傘は、じりじりと横へ流れていく。


 雨は防いでいる。

 ただし、私の隣を。


「私、濡れてるんですけど!」


「風速条件が想定より高いな」


「台風並みの風を出しておいて想定外なんですか!?」


「実験とは、想定外を洗い出すものだ」


「洗われてるの私なんですけど!」


 私は慌てて横に逃げた。

 自律飛行型アンブレラも追ってくるが、扇風機の風でふらふらしている。しかも、結構大きい。闘技場だから飛ばせているだけで、店内や商店街のアーケードなら、照明か看板にぶつかりそうだ。


「これ、大通りでしか使えませんよね?」


「広い場所なら有効だ」


「広い場所でしか使えない傘って、だいぶ不便では?」


 店長は真面目な顔でメモを取った。


「課題。耐風性能と小型化」


「あと、使用者を見失わないことも入れてください」


「ふむ。それも課題だな」


 自律飛行型アンブレラは、まだ少し横を守っていた。


 私は一歩ずれて、ようやく頭上に戻ってきた傘を見上げる。


「君は悪くない。たぶん」


 そう言ってから、私は自分が傘に話しかけていることに気づいた。

 この店にいると、物に話しかけるハードルが下がっていく。



「では二号だ」


 店長が次に手に取ったのは、普通の傘に見える試作品だった。


 黒い傘。持ち手の部分に大きな赤いボタンがついている。


「試作二号。変形防雨装甲傘」


「名前の時点で傘じゃない感じがします」


「傘は上からの雨に強いが、横殴りの雨に弱い。レインコートは全身を守れるが、着るのが面倒だ。ならば、傘を瞬時にレインコートへ変形させればいい」


「レインコートを着ればいいのでは?」


「それでは変形しない」


「変形する必要がないんですよ」


 店長は私の言葉を無視して、傘を差し出してきた。


「試したまえ」


「ですよね」


 もう分かっていた。

 分かっていたが、受け取らないわけにもいかない。ここで抵抗しても、結局何かしらの形で試すことになる。ならば、自分の意思で持った方がまだましだ。


 私は傘を持ち、赤いボタンを見る。


「これ、押したら爆発とかしませんよね?」


「傘が爆発してどうする」


「この店ならあり得るから聞いてるんです」


「失礼な。今回は爆発しない」


「今回は」


 重要な言葉だった。

 私は覚悟を決めて、ボタンを押した。

 がしゃん。

 傘が開いた。


 次の瞬間、傘の骨が一斉に動き出し、布が広がり、柄が伸び、何かが私の肩や腕や背中に沿って装着されていく。


「え、ちょ、待っ」


 がしゃがしゃがしゃ。


 数秒後、私は全身を傘に覆われていた。


 正確には、傘の布がレインコートのように体を覆い、傘の骨が外骨格のように腕や脚に沿っている。顔の前には透明な防水カバー。背中には折りたたまれた布の塊。


 防水性能は高そうだ。


 見た目は、雨の日に出歩く人間というより、簡易拘束具を装着された怪しい何かである。


「動けないんですけど」


「雨から守られている証拠だ」


「移動を縛られてます!」


 私は一歩踏み出そうとした。

 ぎこちない。

 膝が曲がりにくい。肘も動かしづらい。傘の骨組みが関節を邪魔している。歩けなくはないが、普段の三倍くらい慎重に動かないと転びそうだ。


 店長が巨大扇風機を操作する。

 横殴りの雨が来た。

 確かに濡れない。


 全身を覆っているので、横からの水も防いでくれる。顔の前の透明カバーも、水を弾いて視界を保っている。性能だけ見れば悪くない。

 でも、動けない。


「これ、普通のレインコートでいいじゃないですか!」


「普通のレインコートは傘から変形しない」


「そこを長所みたいに言わないでください!」


「使用者のロマンを満たす機能だ」


「傘に必要なのはロマンじゃなくて機動力です!」


 私はなんとか腕を上げようとした。

 上がらない。

 というか、傘の骨がぎしぎし言っている。


「これ、たぶん子供が着たら泣きますよ」


「なぜだね。変形するのだぞ」


「変形後に自由を奪われるからです」


 店長はまたメモを取った。


「課題。可動域」


「課題は発想です」


「発想は優れている」


「自己評価が高い」


 しばらく格闘した末、私は変形防雨装甲傘から解放された。

 脱げた時、普通に立てることのありがたさを噛みしめた。


 足が自由に動く。

 腕が上がる。

 人類はすごい。

 何も装着していないだけで、こんなに自由なのだから。



「では、いよいよ三号だ」


 店長の声が、ひときわ弾んだ。


 私は嫌な予感を覚えながら、三つ目の傘を見た。


 見た目だけなら、三つの中で一番まともだった。


 大きさも普通。色も落ち着いている。持ち手も普通。ぱっと見ただけなら、少し高級な傘に見えなくもない。


 ただし、骨の一本一本に小さな駆動装置がついている。


「試作三号。多節自律防水傘」


「名前は不穏ですけど、見た目は一番まともですね」


「見た目だけで判断するのは危険だ」


「自分で言うんですか」


「これは傘の構造そのものを進化させたものだ。傘の骨一本一本に小型駆動機構と水分センサーを組み込み、雨粒の方向や風向きに合わせて自律的に防御姿勢を取る」


「防御姿勢」


 傘の説明で出てくる言葉ではない。


「さらに必要に応じて骨の角度を変え、局所的な水滴、水はね、横殴りの雨にも対応する」


「それ、普通に便利そうですね」


「そうだろう」


 店長は満足げに頷いた。

 私は三号を受け取った。

 今度は慎重に開く。ぱさり、と傘が開いた。

 今のところ普通。

 スプリンクラーが作動する。雨粒が落ちてくる。

 その瞬間、傘の骨が細かく動いた。


 布の角度が変わり、雨粒の流れを自然に外へ逃がす。横から風が吹くと、そちら側の骨が少し下がり、水が入り込まないように形を変える。


「おお」


 思わず声が出た。

 これは、確かにすごい。

 普通の傘では防ぎにくい横からの雨も、三号はかなり防いでいる。しかも、持っている感覚は普通の傘に近い。さっきの一号や二号と比べると、圧倒的に実用的だ。


「これ、普通に便利かも」


「ついに理解したかね、白山くん」


「まだ油断はしてませんけど」


「慎重だな」


「この店で慎重にならない方がおかしいんです」


 床に水たまりができた。

 私が一歩踏み出そうとすると、傘の骨の一部が伸びるように動き、足元へ小さな防水カバーを展開した。


「え、足元まで?」


「水はね対策だ」


「すごい。これは本当にすごいかもしれない」


 私は少し感心した。


 その時、エアコンから冷たい風が吹いた。

 闘技場内の湿った空気が冷やされ、近くの金属部分に小さな結露が生まれる。

 三号の骨が、ぴくりと反応した。


「今、何を防いだんですか?」


「結露だな」


「細かすぎる!」


 店長は平然としている。


「水分だからな」


「水分なら何でもいいわけじゃないですよ」


「むしろ水分を判別することが今後の課題だ」


「今、課題が見えてるのに実験続けます?」


「当然だ」


 店長は実験用のコップを手に取った。

 透明な水が入っている。


「次に、近接水分反応を確認する」


 店長がコップを私に近づけた。

 三号が反応した。

 骨の一本が素早く動き、コップを弾こうとする。


「待って! ただの飲み水!」


 私は慌てて後ろに下がった。


 三号の骨は、私とコップの間に入り込むように動いている。完全に守る気だ。守る気はある。問題は、守る対象が間違っている。


「水分を脅威と認識したか」


 店長は興味深そうに言った。


「生きるために必要なものを脅威にしないでください!」


「水から使用者を守るという命令には忠実だ」


「忠実すぎるんですよ!」


 私は三号を持ったまま、少し距離を取った。

 傘の骨が、まだコップを警戒している。

 おかしい。

 私は傘を差しているだけのはずなのに、飲み水との間に緊張感が生まれている。


「では、台風環境だ」


「人で試す段階じゃないです!」


 私の抗議は、巨大扇風機の起動音にかき消された。

 ごうん、と空気が震える。

 台風並みの風が闘技場内を吹き抜けた。スプリンクラーの水が横殴りになり、エアコンの冷風も混ざって、雨というより嵐の再現になる。

 三号が本気を出した。

 傘の骨が一本一本、異様なほど細かく動く。布の角度が変わる。骨の一部が伸びる。水の流れを読み、風の方向を読み、私の体の周囲に防水の壁を作っていく。

 すごい。すごいのだけど。


「これ、守られてるんじゃなくて包囲されてません!?」


「完全防水モードに移行したようだ」


「完全防水って、使用者を水のある世界から隔離することじゃないですよね!?」


 三号の骨がさらに動く。

 足元。背中。横。顔の前。

 雨粒は一滴も入ってこない。

 その代わり、私はほとんど動けない。


 さっきのレインコート傘とは別の意味で、自由がない。傘の骨が私の周囲に展開し、水から守るための簡易要塞みたいになっている。


 私は一歩動こうとした。

 三号が足元の水たまりを検知し、進行方向をふさぐ。


「帰れないんですけど!」


「外部降雨環境から使用者を遠ざけているな」


「傘の役割は、外に出るために雨を防ぐことであって、外に出さないことじゃないです!」


 デルタの声が、闘技場のスピーカーから聞こえた。


『防衛判断が過剰だな』


「見てるなら助けてください!」


『安全確認中だ』


「安全じゃないから言ってるんです!」


 今度はシータの声が聞こえた。


『ユズちゃん、完全防水だね〜』


「完全に不便です!」


 私は必死に傘を閉じようとした。


 しかし三号は閉じない。


 むしろ、私が持ち手から手を離そうとすると、骨がすっと動いて私の手元を覆った。


「逃げ道を塞がれた!」


「使用者の傘放棄を危険行動と判断したようだ」


「判断が重い!」


 店長は楽しそうにメモを取っている。


「ふむ。自律判断能力は高いな」


「高すぎるんですよ!」


 その時、私は自分の額に汗が浮かぶのを感じた。

 動きにくい。風が強い。湿度が高い。そりゃ汗もかく。

 三号の骨が、ぴくりと動いた。

 私は硬直した。


「まさか」


「体表の水分反応を検知しているな」


「人体を敵に回し始めた!」


 三号の骨が、私の額へ向かって動きかける。


「止めて! それは雨じゃない! 私!」


「水分ではある」


「人間の構成要素に喧嘩を売らないでください!」


 さすがに危ないと判断したのか、店長が端末を操作した。


「停止コード入力」


 雨と三号の骨が止まる。

 傘はゆっくりと普通の形に戻り、ようやく閉じた。

 私はその場にへたり込みそうになった。

 濡れてはいない。

 確かに、濡れてはいない。

 髪も制服もほとんど無事だ。三号の防水性能は本物だった。

 ただし、精神的にはかなり濡れた気がする。何に濡れたのかは分からないけど、疲労である。

 店長は満足げに頷いた。


「ふむ。防水性能は高いな」


「生活性能が低いんですよ!」


「課題。水分と生活に必要な水分の判別」


「そこ、開発前に気づいてください!」


「試作とは、課題を見つけるためにある」


「試される側の身にもなってください!」


 私は三号をそっと床に置いた。

 もう触りたくなかった。


『三号は改良すれば使えそうだな』


 デルタがスピーカー越しに言う。


「えっ、使う気あるんですか?」


『判断機能を絞ればな。水はね対策は悪くない』


「デルタまで冷静に評価しないでください。私は今、傘に包囲されたんですよ」


『貴重なデータだ』


「その言い方、博士側!」


 シータが楽しそうに笑う。


『でもユズちゃん、全然濡れてないよ〜』


「代わりに心がびしょ濡れです」


『心用の傘も必要かな〜?』


「いりません。店長が本当に作りそうなので」


 店長が振り返った。


「心用の傘……ふむ」


「忘れてください!」



 実験が終わる頃には、雨は少しだけ弱くなっていた。

 私は地上に戻り、店内の傘立てから自分の傘を取った。

 黒に近い紺色の、どこにでもある折りたたみ傘。


 骨は勝手に動かない。

 空も飛ばない。

 レインコートに変形しない。

 水分補給を妨害しない。

 汗を敵認定しない。

 ただ開いて、雨を防ぐだけ。

 普通の傘って、すごい。


「気をつけて帰ってね〜」


 シータが入口で手を振る。


「はい。今日は普通の傘で帰ります」


「普通が一番な時もあるからね〜」


 デルタが横から言った。


「次からは、思いつきを口に出す前に一度考えろ」


「普通の雑談が発明の火種になる店がおかしいんです」


「それはそうだな」


「認めた」


 地下の方から、店長の声が響いた。


「白山くん! 次は長靴の進化について意見を聞きたい!」


 私は傘を開いた。


「聞こえません!」


「白山くん!」


「雨の音で聞こえません!」


 アーケードの外へ出る。

 雨はまだ降っている。


 けれど、さっきまで決戦闘技場で局地的な台風に巻き込まれていたせいか、普通の雨が少しだけ優しく感じた。

 私は傘を差し、商店街の出口へ向かって歩き出す。


 結局、傘は進歩していないのではない。

 進歩させようとする人間を、世界が慎重に選んでいるのだと思う。

 少なくとも、今日の私はそう思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ