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世界征服玩具店へようこそ 〜今日も誰かが主役《ヒーロー》になる〜  作者: 夕々
ヒーロー登場!?マッチポンプって知ってます?
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15/23

14話 可愛いは密林にない

 世界征服玩具店には、いくつもの謎がある。


 まず、商店街の普通の玩具店に見せかけて、地下に研究施設があること。

 次に、その地下施設の規模が、どう考えても商店街の地下に収まっていないこと。


 さらに、店長である黒川玩具が、世界征服を口にしながら、やっていることの大半が子供の遊びの延長であること。


 挙げ始めるときりがない。


 けれど最近、私はその中でもかなり根本的な謎に気づいてしまった。


「……可愛いんだよなあ」


 私は地下五階、決戦闘技場のフードエリアの端で、腕を組んで唸っていた。


 視線の先にいるのは、ベータである。

 世界征服玩具四号。ミマモリキャットβ。


 オレンジブラウンのキジトラ柄をした、大きな猫のぬいぐるみのような存在だ。全長は一メートルを軽く超えている。普通の猫として見れば巨大すぎるが、ぬいぐるみとして見ればぎりぎり抱きつけそうな絶妙なサイズ感でもある。


 そのベータは今、フードエリアのカウンター裏で、食材の在庫表と子供たちの食事記録を照らし合わせていた。


「今週は揚げ物の希望が多い。でも連続すると栄養バランスが崩れる。緑黄色野菜を混ぜる必要がある……しかし露骨に入れると残される。刻むか、ソースに混ぜるか……」


 とても真面目だった。


 見た目は猫のぬいぐるみなのに、やっていることは完全に地下施設の栄養管理担当である。なんなら、疲れた中間管理職の気配すらある。


「ユズさん。何か御用でしょうか?」


 ベータがこちらを振り向いた。


 丸い耳。柔らかそうな顔。縞模様の入った尻尾。見れば見るほど、普通に可愛い。


 だからこそ、私は首をひねる。


「いや、ベータって可愛いなと思って」


「急にどうしたのです。吾輩に媚びても夕食の唐揚げは増えにゃい」


「増やしてほしいわけじゃないです」


「なら良いのですが。揚げ物の過剰摂取は健康に悪いので」


「健康管理が強い」


 私はもう一度、ベータをじっと見た。

 可愛い。悔しいくらいに可愛い。

 シータも可愛い。デルタも可愛い。ベータも可愛い。


 それ自体はいい。世界征服玩具店の商品が可愛いのは、玩具屋としてかなり正しい。


 問題は、作っている人である。


 博士は、可愛いが分からない。


 いや、本人は分かっているつもりなのかもしれない。でも、女児向け玩具を作らせると、だいたい物理的な火力か制圧力が混入する。魔法少女ステッキに護身用機能を盛り込もうとする人間を、私は可愛いの専門家とは認めない。


 シータとデルタは、まだ分かる。


 テディベアは定番だ。元から可愛いものをモチーフにしたのであれば、博士のセンスでもぎりぎり事故を回避できた可能性がある。


 でも、ベータはどうだ。


 健康管理担当の猫型サポートAI。


 博士のセンスなら、もっとこう、目が赤く光る監視メカ猫とか、背中から調理器具とミサイルが同時に出る鋼鉄の管理獣とかになってもおかしくない。


 なのに現実のベータは、キジトラ柄の大きな猫ぬいぐるみである。


 私はその謎を探るべく、アマゾンの奥地へと足を踏み入れた。


 いや、踏み入れていない。

 そもそもバイト代は家計の足しと弟妹への貢ぎ物で消えていくので、南米まで行く余裕はない。あと、たぶんアマゾンに博士の可愛いセンスの答えはない。


 というわけで私は、地下五階を歩き出した。

 この店の場合、アマゾンより地下五階の方がよほど未開の地である。


---


 最初に聞くべき相手は、やはりシータだと思った。


 シータは店の入口にいる時もあれば、地下で受付や案内をしている時もある。今日は地下側の受付カウンターにいた。巨大なピンクブラウンのクマが、いつものようににこにこと手を振っている。


「やっほ〜、ユズちゃん。今日はもう上がりじゃなかったっけ?」


「その前に、ちょっと聞きたいことがありまして」


「なになに〜? 恋バナ?」


「違います」


「推し活?」


「いやいや」


 シータは首を傾げた。


 私は真正面から聞くことにした。


「シータって、誰がデザインしたんですか?」


「ガンちゃんだよ〜」


「いや、設計とか開発はそうなんでしょうけど、見た目の話です」


 私がそう言うと、シータは自分の両手を見下ろした。


「見た目?」


「はい。シータって可愛いじゃないですか」


「えへへ〜、ありがと〜」


 シータは嬉しそうに体を揺らした。


 こういう反応も、いちいち可愛い。博士が作ったとは思えない。いや、博士が作ったのは事実なのだけど、その事実が私の脳内でうまく接続されない。


「でも博士って、可愛いが分からないじゃないですか」


「ん〜」


 シータは否定しなかった。

 否定しなかった。


 大事なことなので、私の中で二回確認した。


「ガンちゃんの可愛いは、ちょっと独特だからね〜」


「ちょっとで済みます?」


「すごく独特だね〜」


 シータは口元に手を当てるような仕草をした。


「でも、アタシの見た目には元になった絵があるよ〜」


「元になった絵?」


「うん。昔のラフ画。ガンちゃん、大事にしてたんだ〜」


 ラフ画。


 その単語は、私の中で妙に引っかかった。

 博士が一から全部考えたのではなく、元になった絵がある。

 なるほど。つまり、可愛いの正解をどこかから持ってきた可能性がある。


「そのラフ画って、誰が描いたんですか?」


 私が一歩踏み込むと、シータは少しだけ目を細めた。

 いつもの笑顔のままだ。けれど、答えを選んでいるようにも見える。


「それは、ガンちゃんに聞いた方がいいかもね〜」


「そこまで言っておいて?」


「アタシから話すより、その方がいいと思うよ〜」


 シータはやわらかく笑っている。

 こういう時のシータは、ゆるいようでいて意外と固い。流しているように見せて、話すべきでないところはちゃんと止める。


 私は少しだけ目を細めた。

 シータが隠すということは、ただの資料の話ではないのかもしれない。


「分かりました。じゃあ、別ルートで聞きます」


「ほどほどにね〜」


「ほどほどで済むかは、相手次第です」


「ユズちゃん、そういうところガンちゃんに似てきたね〜」


「やめてください。今けっこうな悪口でしたよ」


 シータは「えへへ〜」と笑うだけだった。



 次に捕まえたのはデルタだった。


 デルタは地下通路の一角で、何かの点検をしていた。ブルーブラウンの巨大なクマが工具を持っている姿は、見慣れてもやっぱり不思議である。


「デルタ、ちょっといいですか」


「嬢ちゃんか。今度は何を調べてる」


「まだ何も言ってないんですけど」


「その顔は、余計なことに気づいた顔だ」


「私の顔、そんなに情報量あります?」


「ある」


 断言された。

 私は少しだけ頬を押さえた。納得いかない。


「博士の可愛いセンスについて調べてます」


 そう言った瞬間、デルタの手が止まった。


「……面倒なところに踏み込んだな」


「やっぱり面倒なんですか」


「ガングーに直接言うなよ。微妙な顔をする」


 デルタは工具をしまい、こちらに向き直った。


「シータからどこまで聞いた」


「元になったラフ画がある、くらいです」


「なら、それ以上はガングーに聞け」


「デルタもそういう反応なんですね」


「俺から説明する話じゃない」


 その言い方に、私はまた引っかかった。


 シータもデルタも、情報を持っている。けれど、積極的に話そうとはしない。


 博士の黒歴史というより、博士の個人的な領域に近いのかもしれない。


「じゃあ、博士に聞いても怒られない範囲でいいです。シータとデルタの見た目は、博士が一から考えたものじゃないんですよね?」


「そうだ。原案がある。ガングーはそれをかなり忠実に再現した」


「かなり?」


「少なくとも、外見に関してはな」


 外見に関しては。


 つまり中身はいつもの博士仕様ということだ。


 私はシータとデルタを思い浮かべた。


 可愛い巨大クマの中身が、情報収集、店内管理、戦闘補助、地下施設制御、その他諸々。やはりこの店は可愛いの使い方が間違っている。


「博士、自分のアレンジとか入れなかったんですか?」


「入れようとした形跡はある」


「あるんだ」


「だが最終的には、ほぼ原案通りに戻している」


「へえ……」


 それは少し意外だった。

 博士は基本的に、自分の発想を盛りたがる。余計な機能を入れたがるし、名前も無駄に大げさにしたがる。


 そんな博士が、外見だけは原案を尊重した。

 いや、尊重というより、変えたくなかったのかもしれない。


「その原案を描いた人って」


 私が聞きかけると、デルタは少しだけ視線をそらした。


「ガングーは、姉上と呼んでいる」


「姉上」


 私はその単語を繰り返した。

 姉上。


 博士が言いそうではある。ものすごく言いそうではある。けれど、実際に家族の呼び方として出てくると、急に情報の質が変わる。


「博士、お姉さんいたんですか」


「ああ」


「初耳です」


「嬢ちゃんが知らないことの方が多いだろ」


「それはそうですけど」


 デルタはそれ以上、語ろうとしなかった。


「詳しくはガングーに聞け。俺が話すことじゃない」


「分かりました」


 私は頷いて、デルタのもとを後にした。



 最後に向かったのは、ベータのところだった。


 ベータはフードエリア奥の管理室にいた。正確には、自室兼管理室兼食材記録保管場所兼休憩スペースらしい。名前が長い。部屋の中には小さな冷蔵庫、食材リストの端末、子供たちのアレルギー情報を管理する画面などが並んでいる。


 猫のぬいぐるみの部屋というより、給食センターの主任室に近い。


「ベータ」


「今度は何です?」


「自分のデザインの原案って知ってます?」


 ベータは端末から顔を上げた。


「知っていますよ。吾輩の外装デザインには原案ラフが存在します」


「やっぱり」


「やはりとは?」


「シータとデルタから少し聞きました」


「にゃるほど」


 ベータは真面目に頷いた。


 語尾に「にゃ」を付けているわけではない。けれど時々、な行の音が不自然に猫っぽくなる。博士の遊び心らしいが、本人は気に入っていない。


「世界征服玩具ナンバリングには、基本的に外見原案が存在します。原案は博士の姉が残したラフ画ですね」


「全部ですか?」


「ええ。特に四号まで――つまり吾輩までは、原案からの変更が少にゃいのです」


「少ない、ですね」


「言い直さなくて良いです」


 ベータは微妙に不満そうな顔をした。


 かわいい。


 ただし本人に言うと唐揚げが減りそうなので黙っておく。


「つまり、ベータが可愛いのは博士のセンスじゃなくて、姉上さんのセンスってことですか?」


 私が聞くと、ベータは少しだけ考えた。


「結論だけ言うなら、概ねそうです」


「概ね」


「ただし、原案を実際にこの形へ落とし込み、自律稼働する世界征服玩具として完成させたのは博士なのです。そこを無視すると、博士は面倒な顔をします」


「みんな博士の面倒な顔を気にしてる」


「実際、面倒ですから」


「言い切った」


 ベータは端末を操作し、資料フォルダを開いた。


「見たいですか?」


「見ていいんですか?」


「機密情報ではありますが、外見原案だけなら問題にゃいのです。兵装、管理権限、健康管理データ、地下施設の設計図などは見せられませんが」


「むしろ見せられても困ります」


 ベータは大型モニターに画像を表示した。

 そこには、手描きのラフ画が並んでいた。


 最初に映ったのは、シータらしきクマだった。

 丸い耳。柔らかそうな手足。今より少しだけ幼い雰囲気の顔。ピンクブラウンの色指定らしきメモも添えられている。


 次に、デルタらしきクマ。

 こちらはシータより少し落ち着いた雰囲気で、でも今のデルタより表情がやわらかい。ブルーブラウンの色合いも、ラフの時点で決まっていたようだ。


 そして、ベータ。

 オレンジブラウンのキジトラ柄をした猫のぬいぐるみ。今のベータとほとんど同じ輪郭。けれどラフ画のベータは、今よりずっとのんびりして見える。


 そこには、社畜感がなかった。

 当たり前だけど、なかった。


「……可愛い」


 私は素直に呟いた。


「原案は優れています」


 ベータが頷く。


「これ、元は普通に可愛いぬいぐるみ案ですよね?」


「そのはずですね」


「それをどうして世界征服玩具に?」


 私が聞くと、管理室の扉が開いた。


「可愛いだけでは世界は征服できないだろう」


 博士だった。


 白衣を翻し、鼻の頭まで下がった眼鏡の奥で、当然のような顔をしている。


 私は反射的にツッコミを入れた。


「普通は可愛いぬいぐるみで世界征服しようとしないんですよ」


「甘いな白山くん。可愛いは侵略の第一歩だ」


「最低な可愛いの解釈!」


 博士は気にしていない。


 ベータはモニターの前で静かに端末を閉じた。隠すつもりはないが、博士本人が来たなら本人に任せる、という態度に見える。


「それで、白山くん」


 博士は腕を組んだ。


「何を嗅ぎ回っているんだね」


 来た。

 私は一瞬だけごまかそうかと思った。


「いえ、ちょっとベータの健康管理業務について社会見学を」


「嘘です。ユズさんはガングー博士の可愛いセンスについて調査していました」


「ベータ!?」


「不正確な報告は健康に悪いのです」


「健康の範囲が広い!」


 博士が眉を上げた。


「ワタシの可愛いセンス?」


 私は観念した。


「博士って、可愛いが分からないじゃないですか」


「失礼だな」


「でもシータもデルタもベータも可愛いじゃないですか」


「当然だ。世界征服玩具だからな」


「世界征服玩具だから可愛い、の理屈が分からないんですよ」


 博士は少しだけ考え込んだ。

 怒ってはいない。隠したいというより、どこから説明すべきか迷っているような顔だ。


「ふむ。なるほど。君の疑問は理解した」


「珍しく話が早い」


「ワタシはいつでも話が早い」


「そういうことにしておきます」


 博士はモニターに映ったラフ画を見た。

 その顔が、ほんの少しだけ柔らかくなる。


「これは姉上のラフだ」


「姉上さん」


「ワタシの五歳上の姉だ。現在は海外に住んでいる。デザイナーとして活動していてな、日本での知名度は高くないが、現地ではそこそこ知られている、らしい」


「へえ……」


「主にプロダクトデザインだ。玩具そのものを専門にしているわけではないが」


「じゃあ、このラフ画は?」


「趣味のようなものだろう。姉上は、可愛いぬいぐるみが好きだったからな」


 博士は当たり前のように言った。

 その言い方には、少しだけ誇らしさがあった。


「世界征服玩具ナンバリングの外見は、基本的に姉上のラフを参考にしている。特にシータ、デルタ、ベータまではほぼそのままだな」


「ほぼそのまま」


「姉上のラフは完成度が高い。ワタシが手を加える必要はほとんどなかった」


「博士が可愛いを理解してたわけじゃなくて、お姉さんの絵を再現してたんですね」


「正確には、姉上の優れた原案を世界征服玩具として完成させたのだ」


「可愛いの功績を持っていこうとしてません?」


「技術がなければ形にはならん」


「それはそうですけど」


 そこは認めざるを得なかった。


 ラフ画は可愛い。間違いなく可愛い。


 けれど、それを一メートル以上の猫型サポートAIとして動かし、料理や健康管理をさせ、地下施設の一角を任せる技術は、どう考えても普通ではない。


 いや、普通ではない方向が問題なのだが。


「お姉さんって、今のシータたちのこと知ってるんですか?」


「もちろんだ。完成時に映像越しに紹介した」


「紹介したんですか!?」


「姉上のラフを元にしたのだ。完成品を見せるのは当然だろう」


 博士は胸を張った。


「シータもデルタもベータも、姉上は喜んでいたぞ」


「それは……まあ、嬉しいでしょうね」


 自分の描いたラフ画が、弟の手で形になる。

 それ自体は良い話である。

 問題は、その弟が世界征服玩具として形にしていることだ。


「まさか、地下施設とか決戦闘技場とか、世界征服できそうな性能とかも知ってるんですか?」


「いや。姉上は、ワタシが多少特殊な発明をしていることは知っているが、細かい性能までは知らん」


「よかった」


「なぜ安心する」


「お姉さんの精神衛生が守られている気がしたので」


「姉上はその程度で動じん」


 博士は不満そうに眼鏡を押し上げようとして、鼻の頭まで下がった位置で止めた。

 押し上げる気があるのかないのか、いつも分からない。


 私は改めてモニターのラフ画を見た。


 シータ。デルタ。ベータ。


 そこに世界征服の気配はない。


 ただ、誰かが「こういうぬいぐるみがいたら可愛い」と思って描いた絵があるだけだ。


 その絵を博士が大事に持っていて、形にした。

 そして、なぜか世界征服玩具になった。

 良い話と悪い話が、ものすごい勢いで同じ箱に詰められている。


「ベータの原案、今よりちょっとのんびりしてますね」


 私が言うと、ベータがモニターを見上げた。


「原案の吾輩は、健康管理補助用の愛玩型サポートぬいぐるみとして非常に優れているのです」


「今のベータは健康管理補助というより、地下施設の労務管理に疲れた中間管理職に見えますけど」


「それは運用環境の問題にゃのです」


「否定しないんですね」


「事実を否定しても健康にはにゃらないので」


 博士が大きく頷いた。


「ベータには期待している」


「期待の量を減らしてほしいのですが」


「優秀な証拠だ」


「優秀さを罰にしにゃいでほしい」


「切実!」


 私は思わず声を上げた。


 ベータは真面目すぎる。真面目すぎるから、博士に仕事を積まれている気配がある。

 見た目は可愛い猫なのに、背負っているものが妙に社会人だ。

 これも博士のせいだろうか。たぶん博士のせいだ。


「それで白山くん」


 博士がこちらを見た。


「君の疑問は解けたのかね」


「はい」


 私は頷いた。


「博士が可愛いを理解していないことは、よく分かりました」


「なぜその結論になる!」


「でも、お姉さんのデザインを見る目だけは確かだったんですね」


 博士は一瞬だけ黙った。

 そして、少しだけ口元を緩める。


「当然だ。姉上だからな」


 その一言には、妙な説得力があった。


 博士は普段、自信満々だ。自分の発明にも、自分の技術にも、自分の世界征服計画にも、やたらと胸を張る。


 けれど今の言い方は、少し違った。


 自分がすごい、ではない。

 姉上だから当然。

 そう信じて疑っていない声だった。


「ガンちゃん、ちょっと嬉しそうだね〜」


 いつの間にか、シータが管理室の入口にいた。


「分析するな」


 博士が即座に返す。


「顔に出ている」


 デルタも後ろからやって来た。


「君まで言うな」


「夕食前に感情の乱高下は胃に悪いですよ」


 ベータが真面目に言う。


「ベータ、それは医学的根拠があるのかね」


「今から探します」


 私はため息をついた。

 結局、いつもの世界征服玩具店である。

 でも、少しだけ見え方が変わった。


 シータの丸い手も、デルタの落ち着いた顔も、ベータの縞模様も。


 全部、博士が一から思いついたものではない。

 博士には、可愛いの正解を教えてくれた人がいた。


 いや、教えたつもりはなかったのかもしれない。ただ絵を残しただけかもしれない。


 それでも博士は、その絵を大事にしていた。


 可愛いは分からない。

 でも、お姉さんのラフは正しい。

 たぶん博士の中では、それで十分なのだ。



 その日の仕事を終えて、私は帰る準備をした。


 地上の店内はもう閉店後で、棚の照明だけが少し落とされている。ラヴェンナの棚も、θδシリーズの棚も静かだった。


 入口のシータが手を振る。


「またね〜、ユズちゃん」


「はい。また」


 私は手を振り返しながら、今日見たラフ画を思い出していた。


 世界征服玩具店の謎は、だいたい増える。

 解けたと思ったら、別の謎が棚の奥から出てくる。


 今日分かったのは、博士が可愛いを理解していないという事実と、可愛いを理解していない博士にも、可愛いの正解を教えてくれた人がいたらしい、ということだった。


 それ以上踏み込むと、面倒な扉が開きそうな気がした。

 なので私は、そっと帰ることにした。

 こういう時の私は賢い。

 たぶん。


---


 ユズが帰った後、世界征服玩具店の地下には、別の客が来ていた。


 緋村誠一郎である。


 地下の作業スペースには、ヒーロースーツのパーツが並べられていた。胸部装甲、腕部ユニット、ベルト部分の制御装置。商店街の平和を守る装備と言えば聞こえはいいが、整備している場所が世界征服玩具店の地下なので、どうしても言葉同士が喧嘩する。


「すみません、また見てもらって」


 緋村は少し申し訳なさそうに言った。

 黒川玩具――ガングは工具を手に、胸部装甲の内側を確認している。


「構わん。ヒーロースーツは定期メンテナンスが重要だ。商店街の平和を守るための装備だからな」


「世界征服玩具店で商店街の平和って言われると、やっぱり混乱するな」


「世界征服は平和の先にあるものだ」


「その理屈は今も分からないんですけど」


 緋村は苦笑した。


 ガングは気にせず作業を続ける。鼻の頭まで下がった眼鏡が、工具の動きに合わせて小さく揺れていた。


 その時、作業台の横にいたシータが顔を上げる。


「ガンちゃん、通信だよ〜」


「誰からだね」


「お姉さん〜」


 ガングの手が、ほんの少し止まった。


「姉上か。繋ぎたまえ」


「は〜い」


 シータの目元に淡い光が走り、通信画面が開く。映像は表示されない。音声だけのようだった。


 緋村は工具箱の横で、何気なくそのやり取りを聞いていた。


 スピーカーから、明るい女性の声が流れる。


『やっほ〜、シータ』


「やっほ〜、お姉さん」


 その瞬間、緋村は少しだけ眉を動かした。

 何かが引っかかった。


 聞き覚えがある、というほどはっきりしたものではない。ずっと昔に見た景色の端が、急に光を拾ったような感覚だった。


 古い玩具屋。

 まだ世界征服玩具店ではなかった頃の店。


 棚の間で、子供の頃の緋村が玩具を眺めている。奥の方に、今よりずっと小さなガングがいて、何かを作っている。その入口に、時々、綺麗な女の人が立っていた。


 弟を迎えに来たのだと、当時の緋村は思っていた。


 その人は、ガングを別の名前で呼んでいた気がする。


『ガンちゃん、ちゃんと寝てる?』


「当然だ、姉上」


『その当然は信用ならないんだよね〜』


「失礼な」


 シータが横から楽しそうに言う。


「ガンちゃん、昨日もちょっと遅かったよ〜」


『ほら〜』


「シータ、余計な報告をするな」


 緋村は、ぽつりと呟いた。


「……似てるな」


 ガングが工具を持ったまま振り返る。


「何がだね?」


「いや」


 緋村はシータを見た。


「シータちゃんの喋り方。黒川さんのお姉さんに、ちょっと似てますね」


 ガングは本気で不思議そうな顔をした。


「そうか?」


 シータは通信画面の横で、いつものように笑っている。

 その笑い方が、緋村の記憶に残っている誰かと少しだけ重なった。


『ガンちゃん、白衣また汚してない?』


「ガンちゃん、白衣また汚してる〜」


 姉の声とシータの声が、ほとんど同じタイミングで響いた。


 ガングは自分の白衣の袖を見下ろす。


「君たちは示し合わせているのかね?」


 緋村は小さく笑った。


「やっぱ似てますよ」


「似ていないと思うが」


 ガングは最後まで首をひねっていた。

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