第13話 我輩は社畜である、休日はまだ無い。
私が世界征服玩具店で働き始めてから、二ヶ月が過ぎた。
二ヶ月。
最初の頃は、巨大なクマが喋るだけで悲鳴を上げていた気がする。地下に研究施設があると知った時は、本気で警察に相談するべきか悩んだ。決戦闘技場という名前の地下施設を見た時は、商店街の地盤を心配した。
けれど、人間とは慣れる生き物である。
今では、店長が世界征服を口にしても、シータが店内の防犯カメラ以上の精度で周辺を把握していても、デルタがさらっと物騒なことを言っても、私は反射的にツッコミを入れるだけで済むようになった。
成長なのか、麻痺なのかは分からない。
たぶん後者だ。
そんなある日の朝。
私は開店前の世界征服玩具店で、ペンを片手に固まっていた。
「白山くん、そこの文字はもう少し大きくしたまえ。父の日フェアなのだから、父の存在感を強調するのだ」
レジ横の作業台には、色画用紙と太いマジックと、店長が書いた謎のラフ案が置かれている。
父の日フェア。
そう、父の日である。
正直に言おう。
忘れていた。
母の日は覚えていた。景娯と想楽も連れて、お母さんと買い物に出かけた。母親孝行という名目もあったし、ついでに自分の買い物もできた。だから自然に覚えていた。
けれど父の日は、気付くとカレンダーの端で静かにこちらを見ている。
お父さんが悪いわけではない。普通に良い父親だと思う。家で変な存在感を出してくるタイプでもないし、何かと面倒くさいことを言うタイプでもない。むしろ穏やかで、私たち姉弟妹をほどよく放っておいてくれるありがたい人だ。
ただ、父の日は存在感が薄い。
本当に申し訳ない話である。
「……父の日かぁ」
「む? 忘れていたのかね?」
「忘れてません。今思い出しました」
「それを世間では忘れていたと言うのだろう」
「店長に正論言われると腹立つなぁ」
私はマジックのキャップを外しながら、作業台の向こうに目を向けた。
店内には、父の日フェア用の商品が並べられている。
レトロゲーム。レトロ玩具。昔のロボットアニメっぽい箱に入った謎の組み立てキット。シータとデルタが小さくプリントされたネクタイ。ハンカチ。靴下。マグカップ。
売れるのか、これ。
いや、シータとデルタのグッズ自体は店の人気商品なので、売れないことはないのかもしれない。けれど、父の日にシータとデルタ柄のネクタイをもらったお父さんは、どんな顔で会社へ行けばいいのだろう。
首元に世界征服玩具店を背負う覚悟が必要になる。
「店長、父の日フェアですよね?」
「無論だ」
「お父さんを世界征服玩具店色に染めるフェアじゃないですよね?」
「家庭内における父親の威厳を再征服するフェアでもある」
「父の日フェアで家庭内抗争を始めないで下さい」
シータが棚の上から、ネクタイの向きを整えている。
「でも可愛いよ〜。お父さんがこれ着けてくれたら嬉しくない?」
「可愛いとは思いますけど、会社に着けて行くには勇気がいると思います」
「休日用かな〜」
「休日にシータデルタ柄のネクタイを締めるお父さん、かなり気合い入ってません?」
デルタは値札シールを貼りながら、低い声で言った。
「まあ、無難なのもあるぞ。ハンカチとか、マグカップとか」
「デルタが一番まともな商品を勧めてる」
「俺だって常識はある」
「この店で常識って言葉を聞くと、逆に不安になりますね」
そんなことを言いながらフェア棚を見ていると、端の方に小じんまりと置かれている箱が目に入った。
他の商品に比べて、妙に普通である。
白を基調にしたパッケージ。中央にはオレンジブラウンの猫のイラスト。丸い目と、少し偉そうな口元。可愛い。普通に可愛い。
商品名は、こう書かれていた。
『ミマモリキャットβ』
私はその箱を手に取った。
「あれ? これって、駅前の大型家電量販店でも売ってるやつじゃないですか?」
たしか、健康家電コーナーに置かれていた気がする。
持ち主の睡眠、歩数、食事、心拍、体温などを記録し、必要に応じてアドバイスをしてくれる見守りグッズ。おもちゃというより、健康器具に近い商品だ。
父の日コーナーにも置かれていた。たしかポップには、お父さんの健康を見守る猫型デバイス、とか何とか書いてあったはずだ。
「こんな物も仕入れてるんですね。父の日フェアだからですか?」
私がそう言った瞬間だった。
店長、シータ、デルタの動きが、そろって微妙に止まった。
「あー……」
「うん〜……」
「まあ……そうだな」
三者三様に言い淀む。
私は箱を持ったまま、目を細めた。
「何ですか、その悪事がバレた時みたいな反応」
「悪事ではないぞ、白山くん」
「悪事を働いた人は大体そう言います」
シータが代表するように、ゆるく手を上げた。
「ユズちゃん、実はそれね、うちの商品なんだ〜」
「え?」
私は箱を二度見した。
「これ、世界征服玩具店の商品なんですか?」
「そうだ」
デルタが値札を貼り終えた手で、箱を指す。
「家電量販店には委託販売してる。向こうの担当者が偵察がてらうちに来てな、妙に気に入ったんだ」
「偵察って何ですか。家電量販店と戦争してるんですか」
「ガンちゃん的には業界調査だよ〜」
店長は胸を張った。
「元々は、子供や若者の生活リズムを見守るために開発した商品である。だが健康管理機能が想定以上に本格的になってしまってな。家電量販店では玩具売り場ではなく、健康家電コーナーに置かれるようになった」
「それで売れたんですか?」
「爆売れだ」
店長は鼻の頭まで下がった眼鏡の奥で、不敵に笑った。
「特に健康診断の数値に怯え始めた父親世代に刺さったらしい」
「言い方」
デルタが頷く。
「需要が噛み合ったんだろうな。血圧、体重、睡眠不足、運動不足。おっさんには敵が多い」
「ワタシの玩具は、家電業界すら征服する!」
「ちゃんと委託販売してるなら、それは征服じゃなくて販路拡大なんじゃ」
私は改めてパッケージを見る。
ミマモリキャットβ。
健康を見守る猫型デバイス。箱の猫は、シータやデルタとはまったく違うデザインだ。だから大型家電量販店で見ても、世界征服玩具店の商品だとは気付かなかった。
ただ、じっと見ていると、妙な既視感がある。
「あれ? この猫、どこかで見たことあるような……」
オレンジブラウンのキジトラ猫。
丸っこい体。少し偉そうな顔。
どこだ。
どこで見た。
私は記憶をたどる。地下の休憩スペース。決戦闘技場のフードコーナー。従業員用の通路。端の椅子や棚の上に、同じような猫のぬいぐるみが置かれていた気がする。
「あ! 休憩スペースにあった猫のぬいぐるみ!」
店長が満足そうに頷いた。
「そうだ。あれはベータの子機である」
「ベータ?」
私は額を押さえた。
この店は、何かにつけて後出しで情報が増える。地下施設もそうだった。決戦闘技場もそうだった。商店街の秘密通路もそうだった。ランドセルもそうだった。
「ちょうど本人も挨拶したいと言っていた。白山くん、決戦闘技場の従業員通路、その突き当たりの部屋へ行きたまえ」
シータがにこにこ手を振った。
「ベータは地下にいることが多いんだ〜。社食と決戦闘技場のフードコーナーも担当してくれてるからね〜」
「健康管理グッズの担当が、社食とフードコーナーのコックも兼任してるんですか?」
「栄養管理の一環である」
店長が真顔で言った。
「食とは健康の基礎だ。ベータの管理下に置くのは合理的だろう」
「合理的なのに、なぜか労働環境が不安になるんですけど」
デルタが短く言う。
「行けば分かる」
「出た。その言い方で平和だったこと、一回もないんですよ」
私はミマモリキャットβの箱を棚に戻し、地下へ向かった。
開店前の決戦闘技場は、いつもより少し静かだった。
イベントの時は子供たちの声でいっぱいになる中央フロアも、今は照明が半分ほど落とされている。フードコーナーでは、小さな子機たちが仕込みらしき作業をしていた。漂ってくるのは、出汁の匂いと、焼いたパンみたいな香ばしい匂い。
地下にいるのに、普通にお腹が空く。
世界征服玩具店、食に関しては妙にちゃんとしている。そこがまた怖い。
私は従業員通路に入り、突き当たりの部屋まで歩いた。
近づくにつれて、カタカタカタカタという音が聞こえてくる。キーボードを叩く音だ。それも一台ではない。複数の端末から通知音が鳴り、何かの処理音が重なっている。
忙しい部屋の音だった。
私はドアの前で足を止め、軽くノックする。
「どうぞ」
落ち着いた声が返ってきた。
私はドアを開けた。
部屋の中は、モニターだらけだった。
壁一面に画面が並び、数字とグラフとアラートが流れている。体温、血圧、心拍、睡眠、歩数、食事記録。健康診断結果らしき項目まである。
その中心に、一匹の猫がいた。
いや、猫というには大きい。
オレンジブラウンのキジトラ猫。丸い体。ふわっとした毛並み。座っていると一メートルくらいに見えるが、椅子から降りて立ち上がると、想楽より少し小さいか、同じくらいはありそうだ。
猫としては大きすぎる。
でもシータとデルタを見慣れた後だと、妙に小さく感じる。
感覚が壊れている。
猫型AIは、肉球みたいな手でキーボードを叩いていた。カタカタカタカタ、と忙しない。可愛い手から出ていい速度ではない。
その猫が、こちらを振り向いた。
「初めまして、ユズさん。我輩は世界征服玩具四号、ベータ。お見知り置きを」
そして、椅子から降りて、とてとてとこちらへ歩いてきた。
とてとて。
歩き方が可愛い。
丸い手が差し出される。
私は反射的に握手した。
「初めまして、白山遊子です。……可愛い」
「第一声がそれにゃのですね」
「にゃ?」
私は思わず聞き返した。
ベータの顔が、すっと曇る。
「クソガングー博士が、“なにぬねの”の発音を一部“にゃ”へ変換する仕様にしたせいにゃのです」
「な! 可愛い!」
「可愛くにゃい! これは重大にゃ発声権の侵害です!」
怒りながら地団駄を踏んでいるがそれもまた可愛い。
「可愛いし可哀想!」
感情が渋滞した。
可愛い。とても可愛い。丸い猫型AIが真面目に怒っている姿が、まず可愛い。
けれど、本人は本気で嫌がっている。可哀想でもある。
可愛さと可哀想さが同時に押し寄せてきて、私はどんな顔をすればいいのか分からなくなった。
ベータは小さく咳払いをしながらまたモニター前に戻り、「失礼」と言いながら仕事を再開した。
「先ほども名乗りましたが、我輩は世界征服玩具四号、ベータです。現在はミマモリキャットβシリーズの統括管理、地下社食および決戦闘技場フードコーナーのメニュー管理、調理補助、栄養監修、その他雑務を担当しています」
「その他雑務の範囲が広そう」
「広いです」
即答だった。
私は部屋の中をもう一度見る。
健康データ。アラート。メニュー表。食材発注リスト。フードコーナー売上。カロリー計算。従業員用まかない予定。
あまりにも仕事が多い。
「あの、四号ってことは、一号とか二号もいるんですか?」
「一号がシータ、二号がデルタです」
「ああ、なるほど」
そこは分かりやすい。
ピンクブラウンの巨大クマが一号。ブルーブラウンの巨大クマが二号。オレンジブラウンの大柄ネコが四号。
なら、当然疑問が生まれる。
「じゃあ、三号は?」
ベータの手が止まった。
それまで部屋中に響いていたキーボードの音が、ぴたりと消える。
モニターの通知音だけが、やけに大きく聞こえた。
ベータはゆっくりとこちらを見る。
「三号は……知らない方が良いですよ」
「急に怖い」
「世の中には、健康診断の数値と同じくらい、直視しにゃい方が心穏やかに生きられるものがあるのです」
「健康診断の数値は直視した方がいいですよね?」
「……確かに。三号とは違いますね」
「ますます怖いんですけど」
ベータは何事もなかったように、またキーボードを叩き始めた。
私はそれ以上聞けなかった。
この店で「知らない方が良い」と言われるものは、大体本当に知らない方が良い。経験がそう告げている。
少なくとも、父の日フェアの朝に深入りする話題ではない。
「ところで、ユズさん」
「はい」
「我輩は、あなたにお礼を言いたかったのです」
「私にですか?」
ベータは真面目な顔で頷いた。
「あなたがこの店で働き始めてから、ガングー博士の暴走頻度がわずかに低下しました」
「わずかなんですね」
「わずかです。しかし重要です」
そこは否定しないらしい。
「博士の暴走が減ったことで、シータの処理負担が少し軽減されました。その結果、シータが我輩の業務を一部補助してくれる時間が発生したのです」
「なるほど」
「そうにゃのです。あなたが来てから、我輩の休憩時間は一日平均七分増えました」
「少なっ!」
「七分は偉大です。カップ麺に二回お湯を入れても一分余ります」
「休憩時間をカップ麺基準で測らないでください!」
ベータは本気で感謝している顔をしていた。
丸い目が少し潤んでいるように見える。
可愛い。
しかし、可哀想。
休憩時間が七分増えたことに本気で感謝する猫型AI。これを可愛いだけで済ませていいのだろうか。いや、駄目な気がする。
「そんなに忙しいんですか?」
「見ますか?」
ベータが前足でモニターを示す。
私は近づいて、画面を覗き込んだ。
そこには、全国のミマモリキャットβから集められているらしい通知が流れていた。
『深夜ラーメン予定を検知』
『歩数目標、三日連続未達成』
『晩酌量、申告と実測が不一致』
『健康診断結果、未開封のまま放置』
『体重計に乗る直前、息を吐いています』
『階段ではなくエスカレーターを選択』
『“明日から本気を出す”発言、今月七回目』
『ミマモリキャットβを棚の奥に隠しました』
「最後、健康管理グッズとの戦争じゃないですか」
「そうにゃのです!」
ベータが叫んだ。
体が丸いので迫力は少ない。けれど怒りは本物だった。
「本来、我輩は未来有望な若者たちの健康を見守る存在として設計されたのです。睡眠不足を防ぎ、熱中症を警告し、成長期の食生活を補助し、登下校中の体調変化を家族に伝える。そういう役割だったのです」
「すごくまともですね」
「まともです!」
ベータは尻尾をぴんと立てた。
「それが家電量販店で販売された結果、主な利用者層が健康診断に怯える父親世代へ偏りました。今の我輩は、ハゲてメタボなおっさんたちの血圧と中性脂肪と深夜ラーメンを監視する日々です」
「言い方はひどいけど、やってることは大事ですね」
「しかも大量に! 休みなく! その上、地下社食とフードコーナーのメニュー管理まで我輩担当! 揚げ物ばかり出せばデルタに怒られ、野菜を増やせば子供たちに残され、博士は新メニューに世界征服要素を入れようとする! ふざけんにゃ!」
ベータの叫びが部屋に響く。
私は胸に手を当てた。
「可愛い! しかし可哀想!」
「感想がずっとそれにゃのですが!」
「だってそれ以外の感情が出てこないんです!」
モニターの一つに、フードコーナーのメニュー表が映っていた。
今日のおすすめ。
『野菜たっぷり征服カレー』
『父の日限定・減塩しょうゆラーメン』
『シータのふわふわパンケーキ』
『デルタの高タンパク肉定食』
美味しそうではある。
だが、メニュー名に世界征服要素を入れたい店長と、栄養管理をしたいベータと、子供たちに売れる味を考えるシータとデルタの苦労が見える。
「シータが手伝ってくれて、それでも休憩は七分しか増えないんですね……」
「七分は偉大です」
「この店、労働環境どうなってるんですか。ちなみにデルタは?」
「デルタも手伝ってはくれます。主に物理的なトラブル対応とクレーム処理に強いです」
「物理的なトラブル?」
「家電量販店から回ってくる修理案件や、利用者がミマモリキャットβを分解しようとした時などです」
「健康管理グッズを分解する人いるんですか」
「健康から逃げようとする人間は、時に予想外の行動を取ります」
「怖い言い方」
ベータは別の画面を指した。
そこには、通知文案が三つ並んでいた。
シータ案。
『今日はちょっとだけ歩いてみよ〜。五分でもえらいよ〜』
デルタ案。
『健康から逃げるな』
ベータ案。
『昨日の深夜ラーメンを我輩は忘れていません』
「全部方向性が違う!」
「状況に応じて使い分けています」
「デルタ案とベータ案、受け取った人の心が削れません?」
「必要な痛みもあります」
「健康管理って、そんなバトル漫画みたいなものなんですか?」
ベータは真面目に頷いた。
「生活習慣とは、日々の積み重ねです。つまり、毎日が戦いです」
「店長と同じ方向のこと言ってる」
「不本意です」
ベータは本当に嫌そうだった。
その時、部屋のスピーカーからシータの声がした。
『ベータ〜、地上の父の日フェア棚、追加でミマモリキャットβを並べてもいい〜?』
「在庫数に注意してください。家電量販店への委託分と混同しにゃいように」
『了解〜。あとガンちゃんがポップ書いてるよ〜』
ベータの手が止まった。
「内容は?」
『“お父さんの生活習慣を征服せよ!”』
ベータは椅子から飛び降りた。
「止めます。健康管理は支配ではありませんので」
「おお、まとも」
「継続的な監視と改善指導により、生活習慣を望ましい方向へ誘導することです」
「言い方が支配側なんですけど」
私はベータと一緒に地上へ戻ることになった。
ベータは思ったより足が速い。とてとて歩きなのに、妙に急いでいる。後ろ姿はぬいぐるみのようなのに、背負っている労働量が重い。
地上に戻ると、店長が本当にポップを書いていた。
『お父さんの生活習慣を征服せよ!』
『沈黙の中性脂肪に宣戦布告!』
『血圧の反逆を許すな!』
「健康を戦争のようにしないでください」
私が言うと店長は不思議そうにこちらを見た。
「しかし生活習慣病との戦いという表現は一般的だろう」
ベータが店長の前に立つ。
「ガングー博士。ミマモリキャットβは、利用者と家族に寄り添う見守り商品です。威圧的な文面は購買意欲の低下を招きます」
「む、そうか」
「父の日向けなら、“お父さんに長く元気でいてほしいから”の方向で訴求してください」
「なるほど」
店長は顎に手を当てた。
「つまり、“父の健康寿命を延ばし、家庭内戦力を維持する”」
「違います」
ベータと私の声が重なった。
少し嬉しくなった。
被害者同盟が結成された気がする。
シータが横から新しいポップ案を差し出す。
『いつもありがとう。
これからも元気でいてね。
ミマモリキャットβ』
「それです!」
私は思わず拍手した。
「シータが一番父の日を理解してる!」
「えへへ〜」
デルタも頷く。
「まあ、そのくらいが無難だな」
「デルタもまとも!」
「俺を何だと思ってる」
「世界征服玩具二号です」
「ナンバリング聞いたのか……」
私は改めて、ミマモリキャットβの箱を見た。
父の日のプレゼント。
健康管理グッズ。
少しだけ悩む。
父の日に健康を気にする商品を渡すのは、嫌味っぽくないだろうか。お父さん、ちょっと運動したら? お腹出てきてない? と言っているように受け取られないだろうか。
けれど、ベータの言葉を思い出す。
責めるのではなく、長く元気でいてほしいと伝える。
そう考えると、悪くない気がした。
「……これ、父の日に良いかも」
「おや、白山くん。購入するかね?」
店長がすぐに反応した。
「まだ迷ってます」
私は財布の中身を思い浮かべる。
父への感謝。
推しへの愛。
どちらも大事だ。
なのに財布は一つしかない。世の中は残酷である。
ベータが静かに言った。
「ユズさんのお父様なら、従業員家族割引が適用できます」
「家族割……!」
心が揺れた。
割引という言葉は強い。特に推し活予算と日々戦っている女子高生には、強すぎる。
店長がさらに胸を張る。
「今なら父の日フェア特典として、シータデルタ柄ネクタイも付けよう」
「それはいらないです」
「即答かね」
「お父さんが会社で世界征服玩具店を背負うことになるので」
シータが少し残念そうに、ネクタイを持ち上げた。
「可愛いのに〜」
「家で使えるものなら良いんですけどね。マグカップとか」
「ではマグカップを付けよう」
店長はすぐ切り替えた。
「切り替え早いですね」
「商売とは柔軟性だ」
「世界征服より向いてるんじゃないですか?」
「これも世界征服の一環だ」
やっぱり諦める訳がなかった。
その時、ベータの耳がぴくりと動いた。
部屋にいなくても通知が届いているらしい。目の前のベータの表情が、仕事モードに切り替わる。
「失礼。緊急通知です」
「何かあったんですか?」
「深夜ラーメン予定を検知しました」
「朝ですよ?」
「予約投稿のようなものです。“今日こそは我慢する”という文面の直後に、ラーメン店の位置情報を検索しています」
「人間って弱いですね」
「弱いです。だから見守りが必要にゃのです」
ベータはくるりと向きを変えた。
「では、我輩は仕事に戻ります。今日も全国のお父様方の健康と戦わねばにゃりません」
その背中は丸い。
足取りはとてとてしている。
けれど、どこか戦場へ向かう兵士のようでもあった。
「ベータ」
私は思わず声をかけた。
ベータが振り向く。
「休日は?」
ベータは一瞬だけ黙った。
そして、何でもないことのように言った。
「まだ無い」




