第12話 天使の羽とマスターキー
今さら気付いた。
朝、玄関で靴を履いている時だった。
先に家を出ようとしていた想楽の背中に、いつもの赤いランドセルがあった。見慣れたランドセル。毎朝見ている。廊下に置かれているのをまたいだことだってある。
けれど、その側面に入っている小さなプリントを、私は今になってようやく意味のあるものとして認識した。
ピンクブラウンのクマと、ブルーブラウンのクマ。
シータとデルタだった。
「……ソラ」
「なに?」
「そのランドセル、世界征服玩具店のやつ?」
「うん」
即答だった。
私は数秒、言葉を失った。
働き始めて二ヶ月近く経つ。巨大なクマが喋ることにも、地下に研究施設があることにも、店長が世界征服をわりと真面目に口にすることにも慣れてきた。
なのに、毎朝家にあった妹のランドセルに今さら気付いた。
理由は分かっている。
店長のせいである。
あの人が毎回、私の思考リソースを奪っていくからだ。バイトに行くたびに、常識とか、警戒心とか、世間一般の玩具屋という概念とかを削っていくからだ。地下闘技場、喋るクマ、四輪駆動プラモの暴走、ヒーローショー、そして世界征服。
普通の女子高生が処理するには情報量が多すぎる。
つまり私は悪くない。
「お姉ちゃん」
想楽が、ランドセルを背負い直した。
「今さら気付いたの?」
その顔には、ほんの少しだけ挑発するような笑みが浮かんでいた。
妹に煽られた。
「いや、気付いてたよ? マークがあるのは気付いてた。けど、それがどういう意味かまでは」
「今さらだね」
「二回言わなくていいんだよ?」
想楽は、ふふ、と小さく笑った。
その笑い方が、最近ちょっとシータに似てきている気がする。まずい。うちの妹が世界征服玩具店に侵食されている。
「今日、学校終わったら来てくれる?」
「どこに」
「地下」
「お姉ちゃん、今日バイトないんだけどなー?」
「見せたい物があるの」
「何を?」
「ふふ、ヒミツ」
私は天井を見上げた。
妹に呼ばれてバイト先に行く。世界征服玩具店ではよくあることだ。よくあってたまるか、という気持ちである。
「……分かった。行く」
「うん」
想楽はうなずくと、何事もなかったように学校に向かった。
その背中で、シータとデルタの小さなプリントが揺れる。
私はそれを見ながら、ため息をついた。
妹のランドセルが、ただのランドセルで終わるわけがない。
その予感だけは、嫌になるほど当たる自信があった。
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私は今、地下六階のイベントホールにいる。
正式には決戦闘技場だが、長い。字面は短いが、音としては長いのだ。博士にイベントホールと言うと訂正されるが、用途はイベントホールである。
いや、そんなことはどうでもいい。
今日は仕事ではない。なのに私は、制服のまま世界征服玩具店へ来て、地下エレベーターに乗り、地下六階まで来た。
中央フロアには、いつものような観客席は展開されていない。かわりに床一面へ柔らかそうなマットが敷かれ、天井には薄い光の膜のようなものが張られていた。
安全フィールドだろうか。
この店では、そういう単語が自然に出てくる自分が嫌になる。
「やっほ〜、ユズちゃん」
シータが手を振った。
ピンクブラウンの巨大なクマ。今日もふわふわで、今日も声がゆるい。
「嬢ちゃん、来たか」
デルタは腕を組んで立っていた。ブルーブラウンの巨大なクマが安全確認っぽい姿勢でいると、妙な安心感がある。巨大なクマに安心感を覚えている時点で、私の感覚はだいぶ侵食されている。
そして中央には、白衣を翻す博士がいた。
黒川玩具。通称、博士。自称、Dr.ガングー。
鼻の頭まで下がった眼鏡の奥で、妙にきらきらした目をしている。ろくでもないものを披露する時の顔だ。
その横に、想楽が立っていた。
ランドセルを背負ったまま。
「よく来たな、白山くん!」
「来ないと話が進まない雰囲気だったので」
「うむ。察しが良い!」
「褒められても嬉しくないです」
博士は聞いていなかった。
いつものことだ。
「本日は、世界征服玩具店が誇る学校生活支援装備、その一端を披露しよう」
学校生活支援装備。言葉だけならまともに聞こえる。
この店では、まともに聞こえる言葉ほど信用できない。
しかし今はそれより気になることがある。
「仕事はどうしたんですか? お店は??」
「そこは抜かりない。今は誠一郎が店番をしている」
「えっ? 緋村さんが? 雇ったんですか?」
シータが、ゆるく手を横に振った。
「今日たまたまお店に来ててね〜、急遽ガンちゃんが頼んだんだ〜」
「安心しろ。子機を使って見守ってるから何かあれば戻る。ガングーが」
可哀想な緋村さん。バイト代は出るんだろうか?
博士はうむうむと適当に相槌を打ちつつ、こちらの心配など聞こえていない顔で何やら準備をしていた。
「まずはこちら!」
博士が両手を広げた。
「期間限定販売品――『羽ばたけ! 未来征服ランドセル』である!」
「名前に征服を入れるのやめません?」
想楽が背負っているランドセルは、見た目だけなら普通だ。少し丸みがあり、色は落ち着いた赤系。側面にシータとデルタの小さなプリントが入っている以外は、そこまで奇抜ではない。
ただし、この店の商品である。
見た目が普通なほど、内側に何かを隠している。
「このランドセルは、子供たちの通学を安全かつ快適に支配するために作られた」
「安全かつ快適に支配って何ですか」
「防水、防汚、衝撃吸収、位置情報通知、迷子防止ナビ、非常用ライト、防犯ブザー強化版。さらに教科書の重さを軽減する補助機構も搭載している」
「……そこまでは普通に便利ですね」
珍しく褒めてしまった。
博士が勝ち誇った顔をする。
「そうだろう!」
「でも今から余計な機能を言いますよね?」
「もちろんだ!」
「もちろんじゃないんですよ」
想楽が一歩前に出た。
眠そうな目のまま、ランドセルの肩紐を軽く握る。緊張している様子はない。むしろ、これから体育の授業で跳び箱を飛ぶくらいのテンションだった。
シータとデルタが、想楽の左右に立つ。
その瞬間、ランドセルの側面に入っていた小さなプリントが、ふわっと光った。
「え、光るの?」
「起動サインだよ〜」
シータがのんびり言う。
ランドセルの背面から、小さな羽のようなパーツが展開した。
白くて、丸みがあって、玩具らしい可愛さがある。けれど、根元にはしっかりメカっぽい関節が見えた。可愛いと物騒が同居している。世界征服玩具店らしい。決して褒めてはない。
「隠し機能、飛行補助機能である!」
博士が高らかに宣言した。
「ランドセルに付けていい機能じゃないですよね!?」
「安心しろ。単体では飛ばない」
デルタが低い声で補足した。
「シータと俺が近くにいる時だけ、制御補助が入る。どちらか片方だけでは不安定になるから、基本ロックされている」
「そこはちゃんとしてるんですね」
「子供用だからな」
「子供用だからこそ、最初から飛ばさない選択肢もあったと思います」
私の意見は、地下六階の広さに吸い込まれた。
想楽の足元に、淡い光の円が浮かぶ。安全フィールドが起動したのだろう。床のマットも、天井の膜も、ランドセルの羽に合わせて薄く輝いた。
「ソラちゃん、姿勢そのまま〜」
「急上昇は禁止だ」
「うん」
シータとデルタの声に、想楽は短く返事をする。
次の瞬間、想楽の体がふわりと浮いた。
私は、言葉を失った。
妹が浮いている。
ランドセルを背負った小学生が、当たり前の顔で宙に浮いている。
ファンタジーでも夢でもない。地下六階のイベントホール、いや決戦闘技場で、シータとデルタに見守られながら、うちの妹がゆっくり空中を移動している。
「……すご」
思わず漏れた。
悔しいけど、すごい。
想楽は怖がるどころか、軽く体を傾けて方向を変えた。ランドセルの羽が大きく羽ばたき、空中で姿勢が安定する。
博士が満足げにうなずく。
「どうだ、白山くん。夢があるだろう」
「夢はありますけど、通学には使えませんよね」
「もちろんだ。普通に歩きたまえ」
「そこは常識あるんですね!?」
「常識がなければランドセルは作れん!」
「飛ぶランドセルを作った人が言う言葉じゃないです!」
想楽が空中でくるりと半回転した。
「お姉ちゃん」
「なに?」
「これ、楽しい」
「良かった。うん、そろそろ降りよっ!」
ものすごく楽しそうだった。
私が仕事で地下施設に巻き込まれている間、想楽はこういう玩具に触れていたのかもしれない。大きいクマさんの店。変な玩具がある店。怖いところではなく、ちょっと不思議で、かなり楽しい場所。
私にとって世界征服玩具店は、ツッコミと労働の場だ。
でも想楽にとっては、昔から続く遊び場なのだろう。
そう思うと、少しだけ胸の奥がむずむずした。
「妹の成長が飛行技術なの、姉としてどう受け止めればいいんだろ」
「すごいって言えばいい」
「すごいよ!」
「うん」
想楽は満足そうにうなずいた。
空中で。
姉の威厳は、地下六階の床に置いていかれた。
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飛行実演が終わると、想楽はゆっくり着地した。羽のパーツが折り畳まれ、ランドセルはまた普通の状態に戻る。
普通とは何か。
私は考えるのをやめた。
「では、次に学校生活支援アイテムを紹介しよう」
博士が手を叩くと、床から小さな台がせり上がってきた。そこには文房具のようなものが並んでいる。
「床から出す必要あります?」
「演出だ」
「……そうですか」
最初に出てきたのは、筆箱だった。
丸みがあり、シータとデルタの顔が小さくプリントされている。可愛い。これは普通に売れそうだ。
「自動整頓ふでばこである」
「それは便利そうですね」
「鉛筆、消しゴム、定規、分度器などを自動で整理し、最適配置に整える」
博士がふたを開けると、中の鉛筆が勝手に動き始めた。カチカチと小さな音を立てながら、長さ順に並ぶ。消しゴムの角度もきっちり揃えられた。
「おお」
「授業中でも乱れを検知すると自動で補正する」
筆箱の中で、鉛筆が一ミリ動いた。すぐに中の機構が反応して、元の位置に戻す。
「神経質すぎません?」
次に出てきたのは、下敷きだった。
「忘れ物警告下敷きだ」
博士が下敷きを掲げる。
「時間割とランドセルの中身を照合し、足りない物を警告する」
「それは良いですね」
今度こそまともだ。
そう思った瞬間、下敷きから低い合成音が流れた。
『体操服ガ不足シテイル。児童ヨ、反省セヨ』
想楽は下敷きを見て、少しだけ首をかしげた。
「これ、朝うるさい」
「使ったことあるの?」
「ある」
「うちの家、知らないうちに世界征服玩具店製品が侵入しすぎでは?」
シータがにこにこしている。
怖い。
最後に出てきたのは、給食ナフキンだった。
「給食防衛ナフキンである!」
「名前が不穏」
「汁物をこぼしても自動で防ぐ。机の上を守り、服を守り、場合によっては隣の席の児童も守る」
「それはすごい」
博士が小さなカップを傾ける。中の水がこぼれそうになった瞬間、ナフキンの端がふわっと持ち上がり、水を受け止めた。
「おお」
今度は本当に感心した。
「ただし、防衛意識が高すぎて、嫌いな野菜も防ぐことがある」
「駄目じゃないですか」
「子供には好評だった」
「親には不評でしょうね!」
デルタが腕を組んだまま言う。
「それは改善した方がいいな」
「デルタが一番まとも」
「野菜は食った方がいい」
「理由が保護者」
想楽がぼそっと言った。
「ピーマンは防いでいい」
「ソラ」
「少しだけ」
「駄目です」
妹がそっと目を逸らした。
世界征服玩具店の玩具は、子供の味方だ。
ただし、味方をしすぎることがある。
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一通りの紹介が終わる頃には、私は少し疲れていた。
ランドセルは飛ぶ。筆箱は整理する。下敷きは反省を促す。ナフキンは野菜を防ぐ。
どれも変だ。変だけど、子供が喜ぶ理由も分かる。
そして、想楽がこの店を好きな理由も、なんとなく分かった気がした。
「まあ……」
私は腕を組んだ。
「小学生向けなら、分からなくもないです。安全面さえちゃんとしてるなら」
珍しく前向きなことを言ってしまった。
その瞬間、店長の目が光った。
しまった。
「では次に、助手用の通学装備を紹介しよう」
「いりません」
反射だった。
「まだ見せていないぞ」
「博士の“助手用”はだいたいろくでもないんです」
「失礼な。これは防犯性能に優れた実用品だ」
「そういう時ほど怖いんですよ」
博士が白衣の内側から何かを取り出した。
薄い鞄だった。
学生鞄。
ただし、私たちが普段使うようなスクールバッグではない。もっと古い。もっと薄い。なんというか、昔のヤンキーが小脇に抱えていそうな、ぺったんこの鞄である。
私と想楽は沈黙した。
シータだけが「わあ〜」と言った。リアクションがテレビショッピングのそれである。
「……なんですか、それ」
「防犯制圧学生鞄・マスターキーだ!」
「名前の時点で学校に持っていけないんですよ!」
博士は得意げに鞄を掲げる。
「見た目は薄い学生鞄。しかし内部には特殊合金プレートを内蔵している。暴漢に襲われた際、とっさに構えれば盾になる」
「薄いのに?」
「薄いからこそ取り回しがいい」
博士が鞄を横に構えた。
デルタが近くにあった柔らかいボールを軽く投げる。ボールは鞄に当たり、ぽんと跳ね返った。
「おお……」
普通に盾だった。
「落下物、防犯、護身、デルタがうっかり投げた工具への対策にもなる」
「最後、実例じゃないですよね?」
デルタが目を逸らした。
「ガングーの実験に付き合ってた頃にな」
「実例だった! と言うかむしろ被害者なんじゃ」
私は鞄から一歩離れる。
「でもまあ、防御だけなら……」
「さらに」
博士が鞄の側面にある小さなスイッチを押した。
カシャン。
鞄の横から、細長い棒が伸びた。
私は少し安心した。
棒ならまだ分かる。防犯用の伸縮棒。いや、それも学校に持っていく物ではないけど、槍とか剣よりはましだ。
次の瞬間、棒の先端が展開した。
金属音。
広がる刃。
どう見ても斧だった。
「斧じゃないですか!!」
「マスターキーだ」
「鍵の概念を破壊してるんですよ!」
博士は真剣な顔をしている。
「閉じ込められた時、扉を開けるための機能だ」
「開けるじゃなくて壊すですよね!」
「瓦礫も除去できる」
「レスキュー用品としても物騒!」
シータがにこにこしながら拍手した。
「ユズちゃん、似合うと思うよ〜」
「どの部分がですか!?」
「勢い?」
「褒めてます?」
デルタが鞄を眺める。
「刃は緊急時以外ロックされている。ガングー、そこは説明しろ」
「うむ。普段は展開しない。シータ、デルタ、もしくは私の承認が必要だ」
「そこだけ聞くと安全管理してるみたいですけど、承認者が全員ここの関係者なのがなあ」
「問題ない」
「問題の内側にいる人はそう言うんです」
想楽が私を見上げた。
「お姉ちゃん」
「なに?」
「魔法少女っぽい」
「どこが!?」
博士が待ってましたとばかりに白衣を翻した。
あ、これ駄目だ。
この人の中で、何かが繋がっている。
「そう。魔法少女に必要なのは、可憐なステッキではない」
「その話、今する必要あります?」
「どんな扉も切り拓く、万能の鍵!」
博士は、鞄から伸びた斧を高々と掲げた。
「魔法少女の武器は、マスターキーなのだ!」
地下六階に沈黙が落ちた。
シータは楽しそうに笑っている。
デルタは少し頭を抱えている。
想楽は眠そうな目で、なぜか納得したようにうなずいている。
私は静かに後ずさった。
「私は魔法少女になりません」
「まだ何も言っていないぞ」
「今、ほぼ言いましたよね!?」
「白山くん」
博士がにやりと笑った。
「次の企画、楽しみにしていたまえ」
「楽しみにしません!」
想楽が小さく手を上げる。
「お姉ちゃん、似合うよ」
「似合いたくないんだよ!?」
「羽もつける?」
「つけません!」
博士が頷く。
「ふむ。ランドセル型飛行補助とマスターキーを組み合わせれば――」
シータが言った。
「ユズちゃん、変身ポーズ考えよっか〜」
「考えません!」
デルタがぼそりと呟く。
「せめて安全講習が先だな」
「安全講習をすればいい話じゃないんですよ!」
私は全力で叫んだ。
仕事ではない日に地下六階へ呼び出され、妹のランドセルが飛ぶところを見せられ、最後にヤンキー鞄から斧が出てきた。
この店は、今日も平常運転である。
そして私は、嫌な予感がしていた。
今日のこれは、きっと前振りだ。
近いうちに、私はこの防犯制圧学生鞄・マスターキーを持たされる。
たぶん、魔法少女という名目で。
「だから私は、ただのアルバイトなんですってば!」
私の叫びが、決戦闘技場に響いた。
博士は満足そうにうなずく。
「うむ。良い声だ」
「データ取ってないでしょうね!?」
「もちろん取っている」
「取るなああああ!」
想楽が隣で、ぽつりと言った。
「お姉ちゃん、今日も楽しそう」
「どこを見てそう思ったの!?」
妹は答えなかった。
ただ、半目のまま少しだけ笑っていた。
その笑顔が、なんだか妙に楽しそうだったので。
私はもう一度だけ、深く深くため息をついた。




